〜甘い香り〜





樋渡は出張だった。
どんなに早く終わっても今日中には帰れないと言っていた。
「んなこといちいち言わなくてもいいのにな」
週末だから俺も進藤たちと飲み歩いていた。
部屋に戻ったのは一時半。
もちろん樋渡はいなかった。
それまでぜんぜん平気だと思っていたのに、シャワーを浴びたら急激に酒が回り始めて、俺はそのまま倒れるようにベッドに突っ伏した。
けど。
俺より出社が遅かった樋渡が、出かける前にシーツを替えて行ったのだ。
枕カバーも布団カバーも全部変わっていた。
「……なんか、違う」
ぼんやりした頭がそこに寝ることを拒否した。
残っていた本能が身体を起こした。
リビングを突っ切ってキッチンへ行った。水を飲んだ後、戻って来て違うベッドで寝た。
つまり、樋渡の部屋だった。
毛布にくるまると微かに甘い香りがした。
あまりにも気持ちよく眠れて、翌朝樋渡が帰って来たことにも気づかなかった。
ただ、鼻を押し当てた先が温かかったことだけは覚えていた。




目を覚ました時、隣りに樋渡がいた。
「おはよう、麻貴ちゃん」
「……ん…帰ってたのか…?」
「さっきな」
さっきのわりに服も着てないのは何故だ?
樋渡の胸元を凝視する俺の視線の意味を察知して、樋渡が笑う。
「ご名答」
何が?
「今、麻貴が思ってたこと」
「ナンにも思ってねーよ」
「俺が服を着てない理由なんて、一つだけだろ?」
コイツ、俺の潜在意識まで読みやがる。
すぐに魔の手が伸びてきた。
「麻貴も、したかったんだろ?」
「違うよ。止めろって」
いつものセリフ。
俺はこれでも本気で言ってるのに。
なんで樋渡は信用しないんだろう。
「じゃあ、なんで俺のベッド? せっかくシーツ替えてやったのに?」
「……え? ……あ、」
なんでだ??
思い出せない。
「忘れたのか? いいよ、後で教えてやる」
喋りながらも樋渡の手は器用に俺の服を脱がして行く。
「何を?」
「麻貴がここで寝てる理由」
「なんでそんなこと樋渡が……」
「寝てる時に聞いたら答えたぜ?」
「俺が??」
「そう。麻貴ちゃんが」
すっかりパジャマを脱がし終わるとズボンに手がかかった。
「って、ちょ、待て、ひわた……」
寝起きの弱々しい抵抗を止めるべく、唇が塞がれた。




ぐったりしている俺の背中に何度も唇を押し当てて、樋渡が笑った。
「酔っ払ってると、帰巣本能が働くんだろうな」
楽しそうな樋渡の声が俺の気分とは無関係に部屋に響く。
「それが、ナンだよ?」
「俺がいないところは麻貴の寝床じゃないってことだよ」
「勝手に決めんな」
「麻貴が言ったんだぜ?なんで自分の部屋で寝ないんだって聞いたら」
「は??」
なんて??
「俺の匂いがしなかったから、って」
「嘘つくな」
「ホントだって。録音しておけばよかったな」
自分のベッドに寝転んだ時、何かが違うと思ったのは本当だった。
それを思い出したら、急に自分の言動に自信が持てなくなった。
「くだらねーことするなよ」
なんとなく悪あがき。コレ以上そこには突っ込まれたくない。
そんな俺の内心を知ってか、樋渡は余裕の微笑みを浮かべた。
「まあ、いいよ。麻貴がここで寝てたっていう事実だけで俺は十分だ」
「酔っ払いが自分の部屋で寝てるのがそんなに嬉しいのかよ」
まったく。いつもの事ながら分からねー。
ついて行けない俺を遠慮なく置き去りにして、樋渡は嬉しそうに話し続ける。
「家に帰って来て真っ直ぐ麻貴の部屋に行ったんだぜ? なのにベッドにいないしさ。せっかくベッドメイクまでして行ったのに、寝た形跡もないから焦ったよ」
「焦る理由がわからねーな」
「俺がいないのをいいことに楽しいことしに行っちゃったのかと思ってさ」
「飲んできただけだろ??」
それはいいんだけどな、と言いながらまたキスだ。
「リビング探して、風呂もトイレも探して、ベランダ探して。でも、靴もカバンもキイもあるから変だなと思って」
話の合間にあちこち触りやがって。
「……自分の部屋に来たら、おまえが寝てた」
だからなんだよ?
全然わかんねーよ。
「愛してるよ、麻貴」
またキス。あ〜、もう。
俺はまだ眠いのに。
「だいたいなんで帰ってすぐ、自分の部屋じゃなくて俺の部屋に来るんだよ?? そこからして俺にはわからねーよ」
「そりゃあ、麻貴ちゃんの顔を見たかったからに決まってるだろ?」
そういうセリフを真顔で言うのが俺には信じられん。
「そういうわけで」
「は?」
「もう一回、な?」
「バカか。ふざけんなよ。ったく」
無意識のうちに起き上がろうとして、身体の痛みを再認識する。
愛してるとかほざく前に、身体の心配をして欲しいもんだよ。
「俺のシーツは今日替える予定だから、好きなだけ汚していいぜ?」
起き上がれなくとも樋渡の手は払う。
「怒るぞ」
それでも樋渡は余裕の笑み。聞く耳持ちませんと言う意思表示だ。
それも、ヤバイくらいに意地悪く見えた。
「ゴムなしで中に出していいか?」
耳元で囁かれて、背筋がゾクリと粟立った。
身体の奥で果てる時の感覚が蘇る。
「後で中も洗ってやるから」
「い、嫌だっ……」
それだけは即答した。
中に出されることより、樋渡に指を入れられて洗われることに抵抗があった。
第一、そのまま済んだタメシがない。
だいたい風呂でやられるのはベッドでされるのの何倍もキツイんだ。
息苦しいし、手足が痺れる。
自分の声が反響するのも死ぬほど嫌だった。
「麻貴?」
返事を促す声にイッてるモードを感じた。
こうなると止められないんだよ。コイツは。
「自分で、洗うから、おまえは手を出すな」
「……分かったよ」
樋渡がクスッと笑った。
「じゃあ、黙って見てることにする」
そういうことじゃないだろ??
「一緒に風呂場に来るなよ? 絶対だぞ?」
頷いてるけど、多分、聞いてない。
……それにしても。
「何回やれば気が済むんだよっ?」
さっき、何回したんだろう。いや、樋渡は一回だけだったのかな。
数える余裕もなかったけれど。
だいたい寝起きを襲撃するなんて卑怯だよな。
「もう、これで終わりにするから。麻貴が寝てる間に2回抜いてるし。俺だってそんなに何回もできないって」
「……はぁ?」
それは、寝込みは襲ってないという意思表示か?
俺に気を使ってるといいたいのか?
……だったら、ここで止めてくれよ。
どうもズレてる。
「麻貴が、俺のベッドで寝てたから。我慢できなくってさ。けど、麻貴が気持ち良さそうに寝てるから起こすのも可哀想かなと」
意味、わかんねーよ。
俺が樋渡のベッドで寝てるってことが2回抜けるほどのことに思えないのは俺だけか?
それに。
寝ている間に2回抜いたんなら、起きてからやる必要もないだろう??
「自分の手より、生身の麻貴がいいに決まってるだろ?そういうことで」
「そういうことでじゃねーって……んんっ」
言ってるそばから、ひっくり返されて入れられた。
いきなり。
しかも、まだ濡れてるからって遠慮なく一気だ。
「う……あ、んんっ、」
「こんな風に可愛く啼いてくれるし」
「バカ、も、やめ……」
「止めてとか言いながら感じてくれるし。」
そんなつもりはないのに、身体は勝手に樋渡を締め付ける。
「ほら。麻貴だって気持ちいいんだろ?」
無理な姿勢のままキスが降る。
唇が届くところ全てに痕をつけていく。
「麻貴、」
呼ばれると空白になる。
身体の奥深く、俺の意識が届かないところが疼くから。
耳だけじゃなくて身体が覚えている。
樋渡の、声。
「……んんっ、」
焦れて腰が動く。
自分の身体なのに、明日のことは考えてくれない。
脳と身体が繋がってないと樋渡に言われるわけだよな。
でも、ダメだ。
「もう、イキたい?」
意地悪な樋渡の声が繋がった部分から直接身体の中に響いてくる。
「ん、」
声が出ない。
「ちゃんと言って」
「も、う……イカせて、」
俺は必死なのに。それだけで許してくれる樋渡じゃない。
「名前、呼んで」
また、名前だ。
いつも呼んでやらない俺がいけないんだろうか?
……そんなはずねーよ。
微かに目を開けて後ろを確認すると、樋渡は笑っていた。
「麻貴、」
「も、早く……っ」
見つめ返す視線が分かったと告げた。
そのまま俺の身体を返してから自分の膝に抱き上げた。
背中に樋渡の手が回る。
「俺の匂い、忘れるなよ」
そのままギュッと抱き締めて突き上げた。
「う、ああっ……」
下からの振動に身体が沈んで行く。いきなりの衝撃は眩暈がするほど、俺を快感に引き込んだ。
一瞬のうちに達した俺の奥深くは、樋渡の放ったもので満たされた。
しばらく抱き合ったままで呼吸を静めた。


落ち着くと樋渡は俺の背中を支えながらベッドに横たえた。
ズルリと引き抜かれるとタラリと流れてくるのがわかって思わず顔を顰めた。
「う、……気持ち悪……」
「すぐにシャワー浴びるか?」
そうしたかったけれど、この状態で風呂に行くのは危険だ。
またいいように樋渡にオモチャにされる。
今見せている樋渡の心配そうな顔なんて、風呂に行ったら簡単に変わるんだ。
騙されちゃいけない。
「……後でいい」
せめて自分で歩けるようになってから。
樋渡は隣りでしばらく俺の髪を弄んでいたが、やがてまたせっせとキスマークを付け始めた。
「止めろ。怒るぞ」
俺の本気の怒声も樋渡には効き目なし。
「でもさ、麻貴」
ニヤリと笑われた。
「動けないだろ?」
くっそー……
ホントに嫌なヤツだ。
しかも樋渡の唇はどんどん身体の下の方に移動して行く。
内腿にまで痕をつけてから、俺の片膝を立てた。
そのまま何をするわけでもなく手を止める。
「樋渡……?」
何をしているのかと思ってやっとの思いで少し身体を起こすと、樋渡は俺の股間を見ていた。
しかも、まじまじと。
「見るな、ヘンタイっ!!」
俺は慌ててベッドからズリ落ちていたシーツで体を覆った。
視線が俺の顔に戻る。
それからニッカリ笑った。
「快感」
「何がだよ??」
「麻貴の中から俺のが流れ出てるのが。身体起こすと流れてくるんだな」
眩暈がしてドサッとベッドに沈み込んだ。
言われるとその不愉快な感覚を認識してしまう。
「あ〜、もうっ……」
気持ち悪い。
マジでシーツ洗えよ。
それより、下まで染みてるんじゃないか??
「いいよ、ベッドパッドも洗うから。」
樋渡は笑いながらも、俺を宥めるために隣りに横になった。
手は相変わらず俺の身体の上を滑る。
柔らかいキスを繰り返す。
「麻貴、ホント、忘れんなよ」
まだ言ってる。拘るヤツだ。
怒りたいのに、壊れ物でも扱うみたいにそっと抱き寄せられると何も言えなくなる。
鼻先を押し当てた首筋は樋渡の匂いがした。
こんな変態ヤロウなのに、樋渡はなんとなく甘い香りがするんだよな。
「忘れねーよ。もう脳に染みついてんのに……」
眩暈がするほど。心地よくて。
「ふうん。そっか」
樋渡の意味ありげな呟きを聞いて我に返った。
俺の返事がまずかったんだってことは、言うまでもない。


おかげでせっかくの週末が台無しなった。
なのに。
「麻貴、何が食いたい? 何でも好きなもの作ってやるぜ?」


動けない俺にこの上なく幸せそうな笑みを向ける樋渡が……妙にムカつく。






                                        end


Home    ■Novels    ■B型のMenu