愛しの麻貴ちゃん
(進藤くん視点)
<April Fools' Day>
その日は、俺と中西も樋渡のマンションに来ていた。
軽く飲もうということになっていたから、樋渡家の入場料となる森宮のおやつ以外にも酒やつまみを持参してきていたんだけど。
「おじゃまします〜」
声をかけて入っていっても、相変わらず世界の中心が森宮な樋渡は、俺たちのことはどうでもいいみたいだった。
せっせと森宮の世話をして、楽しそうに話しかけて。
「麻貴ちゃん、今日は何の日か知ってまちゅか〜?」
人間の言葉をしゃべるネコは成長速度も普通のネコと違うらしく、森宮はあんなに食べてゴロゴロしているだけなのに、ちっとも大きくなっていなかった。
だからといって、「でちゅか」「まちゅか」は……。
まあ、俺と中西以外は誰もいないんだから、樋渡の好きにすればいいとは思うんだけど。
でも、森宮がすごく嫌がってるように見えるから、俺もちょっと悩む。
「じゃあ、麻貴ちゃん、今日は一つお勉強をしような? 今日はエイプリルフールっていう日で……」
樋渡は猫に話しても仕方のないようなうんちくを楽しそうに並べていたが、森宮は当然聞いてなくて。
大きなあくびでその話をすっかり流した後、ものすごく面倒くさそうに俺を見上げた。
『面倒くさいけど聞いてやるから、わかりやすく説明してみろ』っていう顔で。
「うーん、なんていうか……」
うかつなことを教えたら樋渡がいい顔をしないだろうと思って悩んでいたら、中西が横から楽しそうに口を挟んだ。
「つまり、たくさん嘘をつく日ってことだな」
端折りすぎだし、なんかちょっと違うような気もしたし、何よりも森宮が妙にわかった顔をしていたので、嫌な予感がして。
「……俺が説明したんじゃないからね」
樋渡には先にそう断っておくことにした。
そして、その後の森宮は。
「ごはん」
「たおる」
「ぱんち」
それを聞いて、3人が一斉に立ち上がると。
「うそ」
ダルそうな顔でそう言って。
そのくせ樋渡が冷蔵庫から持ってきたヨーグルトはしっかり食べて、あとは知らん顔。そんなことの繰り返しだった。
それでも樋渡は、
「さすがは俺の可愛い麻貴ちゃん、おりこうでちゅね〜」
ふかふかした頬をなでながら緩みまくり。
そういうところはさすがに樋渡って感じだけど。
「でも、森宮、あんまり嘘ばっかり言うと誰にも信用してもらえなくなるよ?」
そう言ってみても、森宮からの答えは、
「えぷりるふーる」
それだけだ。
「……確かにそうだけどね」
樋渡が甘やかしたせいもあるけど、それにしてもこの性格。
子猫という事実などどこかへ吹き飛んでしまいそうなほど可愛くなさすぎると思うんだけど。
そんなことを言ったところで樋渡に怒られるだけだから、あえて自分の胸の中にしまっておくことにした。
「いいんだよ、麻貴ちゃんには俺がいるからな?」
そんなことを言いながら、またデロデロにとける樋渡。
けど。
「麻貴ちゃんだって世界で一番俺のことが大好きだもんな?」
樋渡が発した質問に森宮はまったく返事をする気配はなくて。
ただ小さな口であくびをしただけ。
「森宮ぁ〜、口開けたならついでに『好き』って言ってやれって〜。今日は嘘ついてもいいんだぞ〜?」
中西が催促してみても、やっぱり知らん顔。
俺が思うに、森宮はたとえ嘘だとしても樋渡に「好き」と言うのは嫌なんだろう。
もちろん、樋渡はそんなことには気付かなくて、
「ほら、麻貴ちゃん。『すき』って言ってごらん?」
何度もそう聞いていたけど。
森宮からは「ちっ」とか「けっ」しか返ってこなかった。
本当になんと言うか。
樋渡は報われない。
それもいつものことだし、本人は少しも気にしてないみたいだけど。
「麻貴ちゃん、世界で一番愛してるよ。うちゅ〜」
ドサクサ紛れにそんなことをしようものなら、
(ビシバシゲシガシっ、ビシシシシッッ!!)
最大出力のネコパンチが速攻で返ってくるし。
「森宮、もうちょっと手加減してあげたら?」
可哀想だよ、と言ってみても。
「きっく」
そんな指示が何の遠慮もなく飛んでくるのだった。
つまり。
森宮は、今日も樋渡の全てが気に入らないらしかった。
その一方。
「樋渡君、他のネコ飼ったほうがいいんじゃないの〜?」
そんなことを言って笑い転げる中西は異常に楽しそうだったけど。
「麻貴ちゃん、明日一緒に散歩に行こうか。そろそろ桜も咲いてるぞ?」
樋渡はまったく動じることもなく。
「樋渡く〜ん、俺の話聞いてる?」
相手にされなかった中西が拗ねかけても。
「麻貴ちゃ〜ん、お返事は?」
そんなものはすっかり無視してしつこく森宮だけを呼び続ける。
「森宮、たまには返事してあげなよ?」
俺がどんなにフォローしても。
「……ぱんち」
狭い部屋の中では延々と意思の疎通が少しも図れない無意味な言葉が飛び交っていた。
それって、なんとなく寂しい気がするんだけど。
「ぜんぜん会話にならなくても誰も気にしないんだね……」
そんな樋渡家のエイプリルフール。
こうしてまた森宮は王子様ぶりに磨きをかけたのだった。
end
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