その先の、未来
〜・Weekend・〜




弘佳の性格が悪いのは今に始まったことじゃないけれど。
『少し遅くなるかもしれない』
仕事が長引いて弘佳に宛てたメール。
弘佳からの返事は、いつもより少し長かった。
『遅刻が5分以内なら、ごめんなさい10回。10分以内なら、夕飯は渉のおごり。それ以上遅刻するなら罰ゲーム』
10分くらいの遅刻は笑って許されると思っている俺にはキツイ返事だ。
どんなに頑張っても、そう短縮できるものではない。
待ち合わせ時間を思いきり10分過ぎた時、俺はまだ電車を待っていた。
その時届いたメールは1行。
『罰ゲーム決定』
弘佳のニヤニヤ笑いが目に浮かぶ。
前回もこれだった。
ちょうど1週間前。
その時は弘佳の部屋の掃除と洗濯だった。
ただ、弘佳は綺麗好きだから、部屋はあまり散らかってなくて掃除は簡単だったけれど。
その前の罰ゲームは弘佳とゴルフ。ただし、行きも帰りも俺が運転手。
「……その程度ならいいけど」
電車に乗って、待ち合わせた駅に着いた頃、弘佳から次のメールが来た。
『指令:待ち合わせ場所に立っている恋人に駆け寄って熱烈なキス』
「えっ!?」
思わず声を上げてしまった俺を近くにいたサラリーマンが怪訝そうな顔で振り返った。
でも、俺がメールを見ていたことを確認すると納得した顔で去っていった。
いや、そんなことよりも次のメールが。
『拒否するなら今後一切デートは無し』
弘佳は本当に性格悪い。
いつもは自分からメールなんてしてこないくせに。
こんな時に限って連続。
『嫌そうな顔でキスしたら、さらに罰ゲーム』
まったく信じられない。
待ち合わせ場所は銀座の有名デパートの前だ。
場所柄、こんな時間はOLやサラリーマンが多い。
知ってるヤツだっているかもしれないのに。
キスなんてできるはずない。
そう思いながらも走っていった。
20分の遅刻。
弘佳は人ごみの中でケータイをブラブラさせながら突っ立っていた。
だけど、すぐに俺の姿を発見してニヤリと笑った。
それから、人差し指で『Come on』。
どうやら冗談ではないらしい。
弘佳の立ち位置まであと10メートルのところで俺は止まってしまった。
そのまま考え込んでいたら、弘佳から追加のメール。
『やる気がないなら、このまま帰るぞ』
それでも躊躇っていたら、ダメ押しの一言。
『おまえも気をつけて帰れよ』
弘佳の性格がどのくらい悪いかと言うと、こういう展開の時に本当にあっさり帰ってしまうくらい本格的に悪い。
普通なら冗談で済ませるところなのに。
思った通り、弘佳はクルリと背中を向けて地下鉄入り口に向かって歩き出す。
俺は慌てて弘佳に駆け寄り、弘佳を呼び止めた。
「仁藤さん、」
人前なので、苗字にさん付け。
男同士で名前で呼び合うなんて違和感があり過ぎる。
チラリと半分だけ振り返った弘佳の口元は笑っていた。
それから、足を止めて。
ゆっくりと振り返る。
誰も気付かないでくれと祈りつつ、弘佳の肩に手を掛けて一瞬だけ唇を重ねた。
デパートはもう閉まっている時間だけれど、街は充分に明るく人通りも多い。
こんな行為が人目につかないはずはなく。
背中に刺さるような視線を感じたが、もはや手遅れ。
くそっ、弘佳のヤツ……
心の中だけで文句を言って、体を離した瞬間。
「嫌そうな顔したら、さらに罰ゲームって言ったよな?」
弘佳の性格の悪さが全開した。
「こんなとこでニコニコしながら、できるかって……」
言いかけた時、弘佳の口元が思いきり笑って。
俺の手を引き寄せたかと思うと、もう一度唇を塞いだ。
腰を抱き寄せられて、頭を抑えられて。
逃れることもできないまま、長い長いキスをする。
酔っ払いと思われるオヤジにはやし立てられ、おばちゃんには目を背けられ、若い女の好奇の視線に晒されて。
それでも、もっと深く口付ける。
「……んんっ、」
声を上げてようやく解放された時、弘佳はくすくすと笑ってた。
「渉、カワイイ顔しちゃって」
弘佳はそう言いながら、何事もなかったかのようにタクシーを止めた。
それから、呆然としている俺の手を掴んだ。
「いつまでも注目されたいなら、肩抱いてこの辺を歩いてもいいけどな?」
「ばっか、やめろって……」
弘佳に手を引かれ、タクシーに乗り込む。
その直前に、弘佳はまた俺を引き止めて笑いながらキスをした。
「バカっ、弘佳、いい加減に……」
叫んでる俺をタクシーに押し込んで、行き先を告げながらまたキスをした。
「このまま俺んちに帰るか」
「メシ食ってないだろ??」
「渉、どうしても外でデートしたい?」
タクシーの運転手がチラッと振り返った。
「そんなこと、ここで……」
「じゃあ、適当になんか買って帰って、家で食って、そのままヤルか」
「弘佳、酔ってんじゃ……?」
でも、唇を合わせた時もアルコールの匂いはしなかった。
「今夜の追加罰ゲームはハードだから、覚悟しておけよ?」
くっくっと笑いながら、もう一度キスをして。
弘佳が今夜の予定を話す。
「じゃあ、帰ったら渉にメシの準備してもらって、それから風呂で背中を流してもらって、その後……」
俺が面倒臭いと思うようなことばかりを並べて。
「たかが20分遅刻しただけだろ?」
「20分は大遅刻だ。まったくいい加減なヤツだな。新人の時、俺が甘やかしたのがいけなかったのか?」
今でも弘佳は大先輩で。
憧れで目標でライバルだけど。
「それから、朝まで思う存分泣いてもらおうかな」
「弘佳、最近オヤジくさいよ」
「ああ、そういうこと言うのか、渉は」
信号が青の間に交差点を曲がり切れなかった車は、微妙に横断歩道に突っ込んだ場所で止まってしまった。
そんな歩行者の波の真ん中で。
「渉、」
弘佳がニヤニヤ笑いを浮かべた。
「じゃあ、追加の罰、その1」
弘佳がタクシーの中で俺を押し倒して、また、笑いながらキスをした。
「弘佳っ! いくらなんでも、やり過ぎだっ! 恥ずかしくないのかよ?!」
俺がどんなに咎めても。
「俺、誰かさんのせいで華やかな人生捨てちゃったからなぁ」
そんなことまで言い放って。
「だから、誰かさんは責任取って俺の人生をもっと華やかにしてくれないと」
笑いながら。
弘佳がポケットから取り出したのは小さな箱。
「Happy Birthday,渉」
忘れていたわけじゃないけど。
「弘佳、これって……」
開けるまでもなく。
「お約束の品物だからな。ありがたく受け取れよ」
いつの間に填めたのか、弘佳の左手に銀色のリング。
「……バッカじゃねーの……ホントに買ってくるなんてさ……」
いつもの悪ふざけだと思っていたのに。
「欲しいって言ったの、誰だよ?」
「あんなの、冗談に決まって……」
どうせ手に入らないもの。そう思っていたから。
「じゃあ、他のヤツにあげるかな」
弘佳の性格の悪さはエスカレートするばかりだから、少しくらいは俺も反撃してもいいんじゃないかと思って。
「弘佳、一生、誰とも結婚しないんだろ?」
そんなことを言ってみたんだけど。
「ああ、しないよ」
弘佳はあっさりそう答えて。
「おまえが好きだから、他のヤツとは結婚しない」
真っ直ぐにそう言った。


信号が青に変わって、車が動き出す。
遠くなる繁華街のイルミネーションがキラキラ光りながら走り去った。


「で、渉の返事は?」
「なんの……」
「決まってるだろ? プロポーズの返事だよ。『うん』か『ううん』でいいから」
弘佳はまだ真っ直ぐに俺を見ていた。
そんな言葉を笑いもせずに求めるなんて。
「……じゃあ、……『うん』……」
その短い返事さえ終わらないうちに、弘佳は小さな箱を開けて、俺の手に指輪をはめた。
「ちょっと大きかったな。まあ、明日一緒に直しにいけばいいか」
弘佳は真面目な顔をしていて、ふざけているのか本気なのか分からなかったけど。
「いいよ、俺、一人で行くから」
半分は遠慮で、半分はまさかという気持ちでそう答えた。
チラリと弘佳を見ると、ようやくいつものちょっと意地悪い笑みが覗いて。
「プロポーズに『うん』って返事しておきながら、指輪を直すくらいで照れなくてもいいんじゃないか?」
俺の左手を弄びながら、返事を待った。
「……いいよ、一人で……」
もう一度同じ言葉を返して弘佳の反応を見る。
一瞬の沈黙の後、弘佳はニッカリ笑って握っていた左手に唇を当てた。
それから。
「じゃあ、それ、『罰ゲームその2』にするか」
「え??」
「明日、二人で仲良く手を繋いで指輪のお直し」
本当に。
俺が思っている以上に弘佳の性格は悪いかもしれない。
「ホント、やなヤツ」
「そう思ってるなら、惚れなきゃいいだろ」
相変わらず自信満々なのが悔しいけれど。
「もう、いいよ、なんでも」
だから、弘佳を好きになった。
今でも覚えている。
初めて会った時の事も、今までのことも。
全部。
この先も、ずっと忘れない。
「投げやりだな、おまえ。可愛くないぞ」
笑いながら俺を抱き寄せる弘佳の腕。


こんな夜も。
明日の予定も。
いつか弘佳と笑いながら。
バカばっかりやってたよな、なんて話す日が来るのだろうか。


「なにニヤついてるんだ? 一人で思い出し笑いなんてやらしいぞ」
「思い出してるんじゃないよ。考え事」
遠い未来のようで。
あっという間のようで。
「何? 俺に話してみろよ」
「弘佳には言わない」
つい、昨日の事のように思い出す。
どんなに泣いてもいいから、一秒でも長く弘佳と一緒にいたいと思った。
こんな日が来るなんて思いもしないで、泣きながら願った。
「どうせ下らないことなんだろ? いいから言えって」
どことなく子供っぽい笑顔が向けられて、つられて俺も少し笑った。
「……10年経ったら教えるよ」
ずっと欲しかった、その一秒の繰り返し。
いつまで続くか分からないけれど。
「じゃあ、10年経ったら聞いてやるから。覚えてなかったら特大の罰ゲームだからな」
酔ってもないのに妙にハイテンションな弘佳と。
笑いながら過ごした夜を。
10年後の今日。
また二人で笑いながら話したいと思った。
「まだ笑ってるのか? 一人で楽しんでないで俺にも話せよ」
「だから、10年後だって」
10年経っても、きっと忘れない。
弘佳の言葉、弘佳の仕種。少し意地悪い笑顔も。
全部。
「可愛くないな、おまえ。後で覚えてろよ」
そっと触れた指に銀のリング。
冷たいはずの金属は、弘佳の手と同じ温度。
その指に自分の左手を絡ませる。

ずっと欲しかった。
だから。
何があっても。
きっと、忘れない。

「弘佳こそ、性格悪いよ」
少し笑って見つめ合いながら。
すぐにでも手が届きそうな気がした。
俺たちの、未来。

                                           end

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