「わかってるって」
食べ終わった茶碗や皿をシンクに入れて、手と口を洗った。
葉月がいないなら、ゆっくり昼寝でもしよう。
宿題は夜にでもやればいい。
「いってらっしゃい」
そう思いながら母さんを見送った。



二ヶ月前。
母さんが再婚して、一つ下の弟ができた。それが葉月だ。
再婚についてはぜんぜん反対なんてしていなかったんだけど、兄弟ができることについては正直言って少し複雑だった。
年が離れているならまだしも、一つしか違わない上に取り扱い注意事項があるような相手だったから。
「お母さんに挨拶をしたときは明るくてとてもいい子に見えたんだけど……井荻さんの話だと内気で人見知りの激しい子らしいのよ」
最初にそんなことを言われていたから、とても面倒に思えたんだ。
「でも、できるだけ仲良くしてあげてね?」
そう言われてため息をついて。仕方がないから頷いた。
「じゃあ、なっちゃん、早く着替えて。ちゃんとご挨拶してね」
僕らの住まいになる井荻さんの家に向かう途中、彼らをなんて呼べばいいのかということを確認したけれど。
「できれば『お父さん』って呼んで欲しいけど、無理にとは言わないわ」
母さんにそう言われたから、井荻さんのことは「父さん」と呼ぶことにしたけど。
「じゃあ、葉月ってやつのことは?」
葉月君っていうのも変だろうし。
だからと言ってあんまり馴れ馴れしく呼ぶと気を悪くするかもしれないし。
「それは葉月ちゃんに聞いてみてね」
母さんは「葉月ちゃん」と呼んでいるらしかったけれど、高校生の男に「葉月ちゃん」はないだろう。
けど、よく考えたら僕も「なっちゃん」だったと思い当たって、井荻さんにもそう呼ばれたらちょっと嫌だなとため息をついた。
けれど。

「こんにちは。僕、葉月です」
先方の家に着くなり、出迎えたのは当の葉月で。しかも、満面の笑みでこちらに駆け寄ってきた。

……人見知りが激しいんじゃなかったっけ?

もちろん疑問には思ったが、葉月だってきっと僕と仲良くするように言われて必死なんだろう。その時はそんな解釈をした。
でも。
「葉月……?」
僕にまとわりついている葉月を見て井荻さんが目を丸くしたから、その解釈は違うかもしれないと思い直した。
「葉月は夏樹君が気に入ったみたいだね」
食事中、井荻さんがそんな話題を振ったら、葉月は元気よく「同じ学校なんだよ」と答えた。
その事実は、僕はもちろん母さんも知らなくて、二人してちょっと驚いたのだけれど。
「葉月君は夏樹を知ってたの?」
母さんの質問にも愛想良く「はい」と答えた。
僕は特別に目立つ方じゃないし、生徒会の役員とかそういうのでもない。
「どこかで会ったことあったっけ?」
そう尋ねてみたんだけど。
「だって、なっちゃん、かっこいいよね?」
そんなわけのわからない返事しかもらえなかった。
しかもいきなり「なっちゃん」呼ばわりだし。
そんなこんなで初日は本当にどうしていいのか分からなかった。
「ねえ、部屋に案内するよ。なっちゃんの部屋は僕のとなり。真ん中にドアがあって、行き来も自由だよ?」
「一緒にゲームしようね」とか「勉強教えてね」とか、そんな誘いにも少々面食らった。
葉月は僕の一つ下。高一の男にしては可愛すぎる。もちろん、それは子供っぽいという意味で、だ。
どうも葉月のペースについていけない僕の気持ちなどお構いなしに母さんも井荻さんも「よかった」と言って笑っていたけれど。


本当の葉月はそんなもんじゃなかった。



「夕飯まで帰ってこないってことはあと5,6時間は一人でのんびりできるんだな」
自分の部屋はすっかり蒸し暑くなっていて、やっぱり勉強なんて気分にはなれなかった。
「ゲームも漫画も飽きちゃったしな」
エアコンのスイッチを入れたものの、肌に当たる冷たい空気がいかにも体に悪そうだった。
「風邪なんて引いたらバカみたいだしな」
仕方なく温度は高めのドライにして下着だけの恰好でベッドに寝転んだ。
8月中旬、天気晴れ。午後2時。
窓の外は夏真っ盛りの空と雲。
それを眺めているうちに、いつの間にか眠ってしまった。


「なーっちゃん」
とても嫌な気分で目が覚めた。
「アンケートとらせて」
眠っていた俺のすぐとなりに葉月がちょこんと座っていた。
「アンケート?」
それはいいけど、なんで葉月までトランクス一枚?
「生物部の自由研究なんだよ」
前は美術部だって言ってたのに、いつから生物部なんてマニアックな部に入ったんだか。
「なんの研究するつもりなんだ?」
むげに断るのも何かと思って、一応、聞いてみたんだけど。
「カラダのしくみ」
なんだかよくわからなかったけれど。
「面倒なのじゃなければ」
うん、とか、ううんで済む程度のものなら暇つぶしに答えてやってもいいと思ったんだけど。
「じゃあ、パンツ脱いで」
「え?」
「どこが感じるかのアンケート」
だって、オトナな研究がテーマなんだもん、と子供の口調で返事があって。
ついでに「ね? いいよね?」なんて無邪気な笑みを見せるんだけど。
「ダメに決まってるだろ??」

この間は美術部で、課題が「裸体」だったとかで、やっぱり服を脱いでと言われたばかりで。
その時も大騒ぎをした挙句、井荻さんに告げ口をしてやっと断った。
その前は「一緒にお風呂に入ろう」攻撃。
その前の前は一緒に庭の水撒きをしていて、僕をずぶぬれにした挙句、すぐ着替えた方がいいよと言って部屋までついてきた。
「葉月、なんでいつも僕の服を脱がそうとするわけ?」
さすがにおかしいことに気づく。
なのに葉月は悪びれもせずにえへらと笑って。
「なっちゃんのカラダが見たいから」
と答えた。
「だから、なんで見たいのかを聞いてるんだよ。男同士なんだから葉月と作りが違うわけじゃないんだよ?」
それでも葉月は当たり前のように首を振って、
「男の人のカラダが見たいんじゃなくて、なっちゃんのが見たいの」
その一点張り。
「ダメ。葉月、もう自分の部屋にいきなよ。僕、宿題するから」
追い出そうとしたら、いきなり腰に抱きつかれた。
「だって、なっちゃん、チクビがピンクなんだもん。そしたら、パンツの中味もピンクかもしれないじゃん?」
僕は色素が薄いから、染めてないのに髪も茶色で目も茶色い。
だから、当然体のあちこちも普通より全体的に色が薄めなんだけど。
「だったら、何なわけ??」
その言葉に葉月の目がキランと光って。
「僕、ピンク色が好きなんだ」
また、わけの分からない返事が。
「だから、なっちゃん、ちょっとだけ。ね?」
抱きついたまま、口でトランクスのゴムを引っ張った。
「やめろよっ!!」
あまり涼しくもない部屋で汗だくになって。
「あ、やっぱりピンクだっ! なっちゃん、かわいい」
「見るなっ! 放せっ!!」
なんとか葉月の腕を剥がしてベッドから飛び降りた。
「いいじゃん、ちょっとだけ触らせて? ね?」
足元にタックル。
こんな会話さえなければプロレスごっこみたいで、とても男兄弟ができたって感じなんだけど。
「放せって。おかしいぞ、おまえ」
「なっちゃん、好き〜」
「やめろっ! ばかっ……葉月!」

夏の盛りの暑苦しい午後。
「ちょっと待てよ。まずエアコンっ……」
「ダメ。そんなこと言ってなっちゃん逃げる気だもん」
「葉月、頼むから離れてくれ」
「なっちゃんがパンツ脱いだら離れてあげる」
流れる汗と、このどうしようもないやり取りが、この夏の僕の思い出になるんだろうか……
「ダメだって言ってるだろ??」
青い空と、セミの声と。
「ひとりじゃ恥ずかしいなら、僕も脱ぐよ?」
無邪気そうに見える葉月の笑顔。
「葉月、どこかちょっと変だと思わないか?」
「どこが?」
「どこがって……暑いのに抱きついたり……」
しかも、男の僕に。
なのに葉月は「だって」と口を尖らせた後。
「なっちゃん、好き〜。だから、ね?」

また、そんな……――――

高二の夏休みも残り半分。
めまいとため息の中に押しよせてきたのは、人生が変わってしまいそうだという嫌な予感だった。



                                         end

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