夏の猫リクエスト

   
  



<帰省>  -後編-


その後は座敷に足を投げ出して、冷たいお茶の時間です。
「あれ、じーちゃんは?」
「お祭りの打ち合わせで公民館に行ってるのよ。明日の夜だから、貴行たちもお祭り行ってみるといいわよ?」
花火も上がるからね、と孫に向かっていいながらも、彼女の目はもう子猫しか見ていませんでした。
なぜなら、飼い主の隣にチョコンと座って、両手でグラスを持って麦茶を飲んでいたからです。
「こんなに小さい手なのに器用なのねえ」
老婦人にプニプニと手を握られた時も、子猫はこれ以上ないほど愛想よく笑っていました。
普段なら、飼い主以外の人間に手など握られようものなら、遠慮なく爪を立てるのですが、今日の子猫はゴキゲンなままです。
なぜなら。
「都会の子はお行儀がいいのね」
自分を撫でる婦人の笑顔が飼い主ととてもよく似ているので、少しも嫌な気がしなかったのです。



それからしばらくして。
グラスになみなみと注がれた麦茶がすっかり空になると、老婦人はニッコリ笑って二人を縁側に案内しました。
「さあさあ、おやつの時間まで庭で遊んでいらっしゃい」
その目線の先、青々とした芝の真ん中には赤いビニールプールが用意されていて。
「あのヒマワリのついた棒がシャワーだから、お水はそこから出してね」
そんな説明を終えると祖母はいそいそと台所に去っていってしまいました。

幼児用のプールとはいっても、太陽にキラキラと反射する水面はとても気持ち良さそうで、飼い主は遊ぶ気満々。
……だったのですが。
猫にとってはその待遇も少々不満だったようで。
「子供じゃありません」
ちょっとだけ口を尖らせてプイッと横を向いてしまいました。
そんな仕草に笑いながら、飼い主はパンツの裾を膝までまくり、裸足で芝の上に降りました。
「じゃあ、俺だけ遊んでくるかな」
そう言って子猫に笑顔を送ると、浅く水を張ったプールに足を入れ、ジャバジャバとかき回しました。
子猫は縁側に座ったまま、しばらくの間、飛び散る水しぶきを見つめていましたが。
「来いよ、片嶋。気持ちいいぞ」
もう一度呼ばれると、仕方なさそうに庭に降り、飼い主の前まで来ました。
中を覗き込むと、水は浅く入れられているだけ。
子猫が入っても手足の半分くらいが水に浸かる程度です。
「そんなに濡れないから大丈夫だって」
飼い主が笑いながら子猫を抱き上げ、そっと中に下ろすと「ちゃぷん」という心地よい音が響きました。
「なかなかいいだろ? 夏って感じで」
「……まあまあです」
相変わらずの返事ですが、本当はまんざらでもなかったようで。
「うわ、片嶋。わざと飛沫上げるなよ」
その後は二人で大騒ぎしながら、真夏の水遊びを堪能しました。


負けず嫌いの子猫が小さな手で一生けんめい飼い主に水をかけていると、突然、垣根の向こうから明るい声が響きました。
「貴行君!」
先に反応したのは子猫の方でした。
それは紛れもなく大好きな飼い主の名前。
しかも、ファーストネームで。
何よりも、呼んだのが若い女性だったからです。
「久しぶり。夏休みなの?」
「ああ、そう。元気そうだな」
「まあねー。子連れでプール遊びかと思ったら、猫ちゃんだったんだね」
こんにちは、とにこやかに微笑む彼女に子猫はぺこりと頭を下げましたが、顔はおそろしく無表情です。
「どうした、片嶋? しゃべっても平気だぞ?」
飼い主にそう言われても子猫は知らん顔。
理由を尋ねても言葉を返しませんでした。
「珍しく人見知りかな。いつもは愛想いいんだけど」
フォローのつもりでそんな言葉を並べている間も子猫はツンと縁側方向に顔を背けたままです。
「知らないところだから緊張してるのかもね。でも、カワイイ子ね」
高いんでしょう、という彼女の質問に子猫はさらにまた少し機嫌を悪くしました。
買われたわけじゃない、という意思表示だったのですが、彼女にそんなことが分かるはずはありません。
何事もなかったように飼い主との会話を続け、それがまた子猫には面白くありませんでした。
でも。
「ね、貴行君。お祭り行くでしょ? 俊治も連れてくるから一緒に行こうよ?」
その言葉に、ピンクの耳が片方だけピクリと反応しました。
そして。
「……『俊治』って誰ですか?」
クルリと振り返って、小さな口でそんな質問をしてみたのです。
子猫に話しかけられたことに気付くと、彼女は一層ご機嫌になりました。
「うちのダンナだよ。貴行君とは同い年。ちょっとオヤジくさいけど、いいやつだから一緒にどうかな?」
それを聞いた途端、子猫はパッとよそゆきの笑顔になりました。
なぜなら、旦那様のいる女性は自分のライバルではないと思ったからです。
「わー、笑った。かわいいー」
子猫の気持ちなど露知らず。
プールの前にしゃがみこんで、大はしゃぎしながらツヤツヤした背中を撫でる彼女と、営業スマイルを絶やすことなくそれを見上げている猫。
その様子が微笑ましくて、飼い主もつられて笑ってみたのでした。



                     -----夏休みの夜編につづく





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