夏の猫リクエスト






<夜店>  

 


夏休みムードがゆらゆらと漂う午後。
患者さんの一人がテレビを見ながらボソッと呟きました。
「あー……今日、家の近所の神社で夏祭りだ」
コロコロと床を転げながら遊んでいたはずの子猫たちの耳は即座に反応してピッと声の方に向きました。
「お祭り?」
「うん。お祭りだって!」
キラキラ輝く瞳で互いの顔を見つめている子猫たちに微笑みながら、診療所の先生が携帯を取り出しました。
かけた相手は灰色子猫の美人のお姉さんとぼんやり子猫の愛想のない保護主です。
幸い両者とも都合は悪くないようで、
『わー、お祭り楽しみですね』
お姉さんからはそんな明るい返事をもらうことができました。
「……で、ヨシ君はなんだって?」
診療所の患者さんたちが心配していたのはもちろんそちらの飼い主なのですが。
「別に何も言ってませんでしたよ」
拒否がなければ承諾の意味。
無愛想にもほどがありますが、診療所の先生は彼とはもう十年以上の付き合い。その程度の判断を誤ることなどありません。
こうして今夜のお祭り行きが決定したのでした。



夜7時。それぞれの飼い主の車で向かったのは郊外の神社。
その辺りではそこそこ大きなお祭りで、境内に続く道はたくさんの人で溢れかえっていました。
「すごい人だね。もし、はぐれちゃったら小宮さんの車の前に集合ね。それから――」
わくわく顔の子猫たちを前に、診療所の先生は注意事項を並べました。
お金を落とさないように、知らない人についていかないように、必ず診療所ご一行様が見える場所にいるように……というようなことでしたが、ちゃんと聞いていたのは灰色の子だけでした。
「わー、あれは? あっちはなに? ねー、たくさん人がいるね。すごいなぁ!」
「……マモル君、大丈夫かな?」
その言葉にも頷いたのは灰色の子猫でした。
もちろん「僕がしっかり見張っているから大丈夫」という意味です。
「まもちゃん、ちゃんと僕と一緒にいようね? たくさん人がいたら手をつないで歩こうね?」
「うん!」
二匹の間でそんな約束が交わされるのを見届けてから、先生はようやくお財布を開けました。
「じゃあ、これが今日のお小遣いだよ。一個ずつ渡すからなくさないようにね」
「わーい」
先生の手の中には500円玉が2つ。
子猫たちはそれを両手で受け取ると大はしゃぎ。
「こらこら、落ち着いて。全部は食べられないから、二人で一個買って半分こするのよ? わたあめはお姉ちゃんが買って明日の診療所のおやつに持っていってあげるからね? それとね――」
お姉さんからもたくさんの注意がありましたが、やっぱりちゃんと聞いていたのかは疑わしいようです。それでも話が終わると2匹はそろって頷きました。
「じゃあ、おねえちゃん、いってきます。まもちゃん、何が食べたい?」
灰色子猫が尋ねると、もう片方の子猫がキラキラの目で振り向きました。
「買って食べるのってはじめてかもー!」
「え……?」
その言葉に大人も全員振り返りました。
「いつもはね、お腹すいたなぁって思いながらはじっこに座ってると、ちょっとだけもらえるんだよー。場所はねー、ごみ箱の近くとかがいいんだー」
灰色の子猫は「すごいね」といって目を丸くしましたが、大人たちは少々気の毒になってしまいました。
一瞬、顔を見合わせた後、みんなで一斉に財布を取り出したのですが。
「いいよ、いいよ。ヨシ君金持ちなんだから」
小宮のおじさんの一言で、また一斉に財布をしまいました。
居合わせた誰もが子猫の喜ぶ顔を見たいと思っていたのですが、でしゃばったことをすると向こうで煙草を吸っている男の機嫌が悪くなることも十分承知していたのです。
「じゃあな、気をつけていくんだぞ。小遣いが足りなくなったら『あれとあれとあれが食べたいなぁ』ってヨシ君に言えばいいさ」
こっそりそんなアドバイスをもらいましたが、言われた子猫はちょっと俯いてしまいました。
「……ううん、大丈夫」
子猫は自分の保護者にはいつも少々遠慮気味。
なぜって。
彼にだけはどうしても嫌われたくなかったからです。
「なんだぁ、マモルちゃん、相変わらずだなあ。ヨシ君なんてほかに金使うところないんだから、好きなだけ小遣いもらったらいいのに」
大人たちが言うとおり、子猫の飼い主は無口で目つきの悪い男ですが、お金だけはたくさん持っていました。
縁日で子猫がお腹一杯食べたとしてもお財布はちっとも痛まないのです。
子猫にもう少し欲があって、簡単に「たくさんお小遣いが欲しい」と言えるような性格だったら、きっとお札の束を背負って夜店を渡り歩くことができたでしょう。
けれど、子猫はありえないほど貧乏性―――もとい、控えめな性格でした。
「じゃあ、出発」
灰色の子に手を引かれ、煙草を吸っている保護主に小さく手を振ってから人込みに消えていきました。


二人でラムネ一本とたこやき一パック、それから夏休みの記念になるようにとキラキラのビー玉を買って大満足で戻ってきたのはそれから30分後。
「おなかいっぱいだね」
「おいしかったかもー」
あとは神社の裏で追いかけっこをして、遊び疲れた後はそれぞれの飼い主の元へと戻ってお祭りの夜は終了です。
「じゃあね、まもちゃん。また明日」
「うん。ばいばいー」
みんなに手を振って、あとはこのまま帰宅するだけ。
スキップをしながら保護主と一緒に駐車場へ向かう途中、子猫の鼻がくんくんと動きました。
「なんかいい匂いがするかも」
目に留まったのは大判焼きの屋台。
先ほどの追いかけっこのおかげでお腹もほどよく空いていました。
けれど、もらったお小遣いは全部使い果たしてしまった後。
それを思い出した子猫は匂いの誘惑に負けないように自分の鼻を手で押さえました。
でも。
その途端、小さな体はひょいっと宙に浮いて屋台のオヤジさんの前に突きつけられたのです。
「早く選べ」
いつもは口なんて聞いてくれない宿主から話しかけられて、子猫は舞い上がってしまいました。
「あ、えっとね、クリームの一個ください」
思わずそんな遣り取りをしてしまったのですが、その後で大慌て。
だって、お金がないのです。
どうしようと青ざめかけた時、屋台のおやじが紙に挟んだ大判焼きを差し出し、変わりに子猫をつまみあげている男から小銭を受け取りました。
「まいどー」
オヤジの声が聞こえた時にはもう大判焼きは子猫の両手の間にありました。
「ありがと、中野」
人込みを歩き出した男はお礼の言葉に何の反応もしませんでしたが、子猫はそんなことには慣れっこでした。
「じゃあね、半分こー」
男の肩に飛び乗ると、かなり苦労しながらそれを半分に分けました。
「はい。こっちが中野の分」
差し出されたのは明らかに大きい方の半分。
けれど、保護主はそれを受け取らず、代わりに子猫の背中を押さえました。
それから、自分の周りだけよける人々の間を不機嫌そうな顔でズンズンと歩いていったのでした。


ようやく人込みを抜け、夜店が並ぶ通りの端っこにある駐車場に着くと子猫をポイッと車の屋根に上げました。
「ここで食べるの? じゃあ、はい、中野の分」
子猫の小さな手が目の前に伸びましたが、男がそのまま口を開けることなどありません。
とても面倒くさそうに子猫の反対側の手に握られていた小さい方の欠片を取り上げました。
子猫はしばらく不思議そうな顔をして見ていましたが、自分の宿主が甘いものをほとんど食べないことを思い出し、遠慮なく大きな方を頬張ることにしたのです。
「すごくおいしいかもー」
手と口の周りに思い切りクリームをつけて食べる様子はとても幸せそうで、道行く人の目に止まったなら、きっと微笑ましい光景だったでしょう。
けれど、男はわざと子猫から顔を背けて煙草に火をつけました。

星空の綺麗な夏の夜。
車の屋根ではしゃぐ子猫の声を聞きながら、男は面倒くさそうに通りに並ぶ屋台の明かりに目を遣って煙を吐き出したのでした。


                                     〜おしまい〜
                  



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