<金魚すくい>
夏の日差しを満喫した後は縁側でのんびり。
子猫がキリリとした佇まいで暮れていく空を見上げていると近所のご婦人が飼い主の祖母に声をかけました。
「あら、金魚減ったんじゃない?」
覗き込んだのはちろちろと水が流れ落ちる池の中。
主の趣味が高じて手作りになったというその池はなかなか風情のあるものでしたが、金魚の姿は2つだけ。
池を横切るその様子がなんだか寂しそうに見えました。
「そうなのよ。この間買ってきたのは育たなくて……」
老婦人が残念そうにそう呟く間、子猫はわざと素知らぬ顔をしていましたが、近所の人が立ち去るとすぐに老婦人に尋ねました。
「どんな金魚が好きですか?」
見上げる瞳は真剣そのもの。
「そうねえ……赤と白でしっぽがひらひらしてるのが可愛いかしら」
その言葉をしっかりとインプットして飼い主の元へ戻りました。
そして、夕方。
昼間の彼女と約束した時刻の15分前。
飼い主はいそいそと支度をする子猫をまじまじと眺めていました。
「片嶋、そのカバン持っていくのか?」
祖母にもらったお小遣いを入れておくにしても財布で十分のはず。
そう思ったのですが。
「他にも持っていくものがありますので」
それほど重くはなさそうなものを詰め込んだ極めて猫サイズのカバンを斜め掛けにして玄関でスタンバイ。
いつでもOKという時に、待ち侘びていた相手からの電話がありました。
『ごめんね。ダンナがまだ帰ってこなくて』
一緒にいけなくなったという連絡に、子猫は「そうですか」と神妙な顔で頷いた後、
「せっかくのお祭りですから早く帰ってくるといいですね」
そんな言葉をかけることを忘れませんでしたが、口元は少しだけ緩んでいました。
本当は飼い主と二人で行きたいと思っていたからです。
祭りの会場となっている神社までは猫の足でも歩いて10分足らず。
境内にはたくさんの屋台が並んでいましたが、金魚すくいは一つだけ。
しかも先ほどまで休憩をしていたらしく、二人が着いた時には人の良さそうな店主がいそいそと開店準備をしているところでした。
「もうちょっとかかりそうだな」
「そうですね。でも、おかげで金魚はとても元気そうです」
念入りに金魚の色艶をチェックする子猫に笑いながら飼い主は屋台に貼られた説明書きを読みました。
「ふうん。まったくすくえなかったとしても三匹もらえるんだな」
だったら別に頑張る必要はないと飼い主は思ったのですが、涼しげな瞳はそんな気の緩みも見逃しません。
「『赤と白で尻尾がひらひらしているのがいい』って言ってましたから」
もちろんそれは『頑張って目的のものをとるように』という指示。
けれど、出目金とか流金とか、種類はよくわからないけれどちょっと変わったものなどはおそらく値が張るのでしょう。
もともと数が少ない上、たとえ何匹すくったとしてももらえるのは二匹までと書いてありました。
「……まあ、いいか」
とにかく紅白ブチ柄のヒラヒラ金魚を最低一匹手に入れればいいのだと思いながら飼い主は真面目な顔で頷きました。
「じゃあ、準備ができるまでどこかで時間を潰すとするか」
ふと辺りを見回すと、来た時はまばらだった客も随分増えて楽しげな空気が満ちていました。
スピーカーからはお祭りらしい音楽が流れ、あちこちから良い香りが漂ってきます。
「まずは軽く腹ごしらえだな」
二人で仲良く夜店を回り、好きなものを好きなだけ食べながら、存分にお祭りを楽しみました。
再び金魚すくいの屋台に戻ってきたのは40分ほどしてから。
「そんなに頑張らなくても紙はまずまずの強度があるので大丈夫そうです」
小さな手で指さしたのは、金魚をすくう道具の入った箱。
「あそこに書いてある番号が紙の厚さなんです」
「……へえ。詳しいんだな」
もともと妙なことをよく知っているちょっと変わった猫ですが、こういう時にはとても役立ちます。
「桐野さん、すくう時は今裏側にしているほうを上に向けてください。そっちが表です」
金魚すくいの道具に裏と表があるなんてちっとも知らなかった飼い主はただ言われた通りにするだけです。
「それでは、まずイメージトレーニングから」
きりりとした顔で小さな手が指し示したのは子供たちに紛れて金魚を狙っているおじさんでした。
どうやら『うまいので真似をしろ』という指示のようです。
「裏だと水がたまって敗れやすくなりますので。それから、水の流れには逆らわずに、ああいう感じでスッと上げて入れ物に移してください」
真剣な面持ちでその様子を眺めながら飼い主にせっせとコツを伝授していきました。
そんな子猫はとても愛らしく、そして自分の祖母のためにというその気持ちも嬉しかったのですが、飼い主はふと思ってしまいました。
「なあ、そんなに詳しいんだから片嶋がやったほうがいいんじゃないのか?」
自分でやるよりもよほど確実そうでしたし、なによりも彼が猫とは思えないほど器用だということもとてもよく分かっていました。
けれど。
「ネコが金魚をすくうのは、世間が許さないと思いますので」
なるほどな、と頷く飼い主の隣で子猫はカバンからハーネスとリードを取り出し、手際よく自分の体につけはじめました。
そして、その端っこを飼い主に握らせて準備万端。
「見た目は普通の猫なので、こうしていないと店主が心配するかもしれませんから」
念のためと言いながら毛並みを整え、姿勢を正しました。
「っていうか……片嶋、こんなもの持ってたんだな」
子猫は何事にも用意周到な性格。抜かりなどありません。
後は気合を入れて金魚をゲットするだけです。
「適当に五〜六匹お願いします」
あんまり多くても困ると思うので、と。
そんな忠告を受けながら、飼い主は金魚の泳ぐ水槽の前に座りました。
「じゃあ、とりあえず五匹を目指すかな」
幸い飼い主はそれなりに器用で、ついでにギャラリーにもプレッシャーにも強いタイプです。
数分後にはヒラヒラ金魚2匹と赤い金魚5匹を手に入れ、満足げに頷く子猫とともに屋台を後にしたのでした。
星空の下をのんびりと歩いて家につくと、老夫婦がビールを片手に庭先で夕涼みをしていました。
「ただいま。これ、片嶋から」
差し出されたビニールの巾着袋に老夫婦は目を細めて微笑みました。
「あらあら。今のネコちゃんは金魚すくいもできるのね」
老婦人は当たり前のようにそう言って金魚を受け取りましたが、もちろんそんなはずはありません。
「……いや、取ったのは俺だけど」
飼い主とは違い、祖母はちょっと天然だったのです。
でも、子猫は彼女のそんなところが大好きでした。
「ありがとうね。どれも元気で可愛いわ」
お礼と共に頭を撫でられ、子猫は一段と背筋を伸ばしながら、
「お役に立てて光栄です」
極上の笑顔でそう返したのでした。
その後は労いの一杯。
並んで縁側に腰を下ろし、老夫婦と共にビールを楽しんだ夏の夜でした。
|