<chapter 1> 出会ってしまった。
4月吉日。
桜の舞い始めた入学式の朝。
「よ、志野。トップ合格だったか?」
講堂の前で新入生の受付をしていたのは中学時代の先輩。
その問いに俺は思わずニヤッとした。
「2位でした」
そうなのだ。
中学では一度もトップの座を譲らなかったこの俺が、なんと2位。
しかも全ての科目で、だ。
入試の結果は合格発表の時に手にした。
各科目の点数を見て「まあ、こんなもんだろう」と思ったのもつかの間、その直後、順位を見て固まった。
綺麗に「2」の字が並んでいたのだ。
「ふうん……なんか、面白くなってきたな」
俺を差し置いて一位になったのはどんな奴だろう。
絵に描いたような秀才タイプか、それとも俺でさえ羨ましく思うような天才タイプか。
いずれにしても、俺の高校生活は楽しいものになるに違いない。
男か女かもわからないそいつを思い描きながら、生涯のライバルになる夢を見た。
切磋琢磨しながら大学を目指し、就職し、結婚し、家族ぐるみの付き合いをして、ジジイになって、縁側で茶をすするところまで。
我ながら完璧な予想図だった。
そして、今日は記念すべき初対面の日。
俺は朝からワクワクしていた。
「志野が2位ってことは、トップはどこの誰だ?」
ニヤニヤ笑う先輩に俺はニッカリ笑い返した。
「それは式でのオタノシミってやつですね」
新入生代表の挨拶は入試でトップ合格だった者が行う。それがここの伝統だから、入学するヤツのほとんどがそれを知っている。
そして、もちろん俺も。
「高校生活、楽しめそうですよ」
負けたことはもちろん悔しい。
けれど、それ以上に、俺は楽しくて仕方なかった。
そして運命の瞬間。
「新入生代表挨拶」
司会の言葉と共に壇上に向かうそいつを目で追った。
ライバルと切磋琢磨し合いながら過ごす三年間。華やかでスリリングで笑いが止まらない高校生活のスタートだ。
そう思いながら。
けど。
挨拶のために壇上に上がった男を見ながら、俺は思った。
「……普通すぎるな」
いや、本当に、まったくもって。普通。
それ以外の形容詞は思い浮かばなかった。
ライバルであるはずの男は水沢勇吾という名前。
そつのない挨拶をさっくりと済ませて、緊張した様子もなく降壇した。
挨拶も絵に描いたような優等生。どこをとってもそのまんまだ。
制服のない学校だから、男子のほとんどがスーツにネクタイという出で立ちで、水沢勇吾も例に漏れず。ダークスーツに紺のネクタイに白いシャツ。
それでも他のヤツらに比べたら、スーツも格段に似合ってはいたのだが。
「うーん……背は高いがひょろっとしてるし、少なくとも健康的なイメージじゃないんだよな」
俺が描いていた生涯のライバルは文武両道。明るくて快活。
だが、当の水沢は……。
顔はといえば、メガネの度が強いせいかレンズの下にある目が歪んできちんと確認できない。顔はまあまあだが、いかにも勉強しか取り柄のないタイプだ。
「あれが俺の生涯のライバル?」
信じられない。
信じたくない。
いくら勉強ができても、これは論外だと一人でこっそり首を振った。
「なんだかなぁ……」
この地域では1、2を争う名の通った進学校。
だというのに。世の中、何かが間違ってる。
頭のいいヤツは人間的にも面白いはず、と今日の今日まで信じて疑わなかった俺だが、今回ばかりは奈落の底まで落ち込んだ。
っていうか。
「……俺、あんなヤツに負けたのか」
2位だったという事実そのものが、この期に及んでものすごく悔しくなってきた。
一生涯のライバルになるはずだったのに。
ハゲても腹が出ても入れ歯になっても、めでたく茶飲み友達になるはずだったのに。
「……俺のバラ色の高校生活ってこんなもんなのかよ〜。ああああ〜」
式が終わっても、まだどんよりと落ち込んだまま、俺はひとり立ちつくしていた。
「志野く〜ん、トップじゃなかったんだ?」
顔見知りの女に声をかけられても。
「ああ。そうらしいな」
俺は上の空。
おそらくは初対面の女子に話しかけられても。
「あの、何組ですか? 名前聞いていいですか?」
いつもならさっさと携帯の番号くらいは聞く場面でも。
「んー、また今度」
適当な返事。
普段なら、青春を謳歌すべく女子のチェックは欠かさないというのに、今日に限ってはとてもそんな気分にはなれなかった。
「……つまんねー」
ため息をついて、長い廊下をタラタラと歩いてドアを開けた。
「志野、同じクラスか。よろしくなー」
気だるく教室に入るとすぐに小学校からの友人に挨拶をされて、
「ああ、よろしく」
適当に返事をしたら、水沢勇吾の姿が目に入った。
よりによって同じクラスらしい。
喧騒の中、一人静かに着座して本を読んでいるその姿にまた失望する。
「なんか、影の薄いヤツだなぁ……」
目立たないにもほどがある。
俺を差し置いて学年トップに立った男として、もっとオーラが出ているべきだ。
なのに水沢はいてもいなくても全く変わりないという空気を纏っていた。
「なんだかなぁ……」
どこまでがっかりすればいいんだろう。
その場で連続3回のため息をついてしまったが、落ち込んでいても仕方ない。
気を取り直して敵の偵察をすることにした。
話してみれば何か収穫があるかもしれないというわずかな期待だった。
自分の席からは程遠い水沢勇吾の隣にどっかりと腰かけて、読んでいる本を覗き込んだ。
カバーがついているので、本のタイトルや著者はわからなかったが、開かれたページには折れ線グラフが書かれており、『主要指数』だの『今後の動向』だのという言葉が並んでいた。
――――高校生が読む本じゃねーな……
その時点で、本日自分の脳に追加されたばかりの『水沢勇吾』の総評から10点を引いた。
参考書の類ならまだ可愛げもあるというものだが、これでは取り付く島もない。
マイナスの原因は『イヤミなヤツに違いない』という判断からだった。
「ちーっす、水沢」
それでもなんとか普通に挨拶をして水沢の顔を覗き込んだ。
だが、水沢勇吾は目だけ動かして俺を見据えた挙句、
「失礼ですが」
と聞き返してきた。
高校生が相手の名前を尋ねるときに『失礼ですが?』はないだろう。
そこで、俺はまた『水沢勇吾』の点数から10を引いた。
こんな挨拶をする男と普通の付き合いができるとは思えなかった。
この分だと総合評価がマイナス点になる日も遠くはないだろうと思うにつけ、またため息がこぼれる。
しかも、
「俺は志野真先(しの・まさき)。今日から水沢のライバル。よろしくな」
俺のにこやかな挨拶も「こちらこそ」という短い返事で流され、挙句に、
「ご用件が済みましたら、自席にお戻りください」
そんな一言が。
まったくもって慇懃無礼とはこのことだ。
「あのな、水沢。高校生としてフツーに話せないわけ?」
それでもこの口調を続けるようなら、金輪際こいつとは口を利くまいと思ったが。
「……面倒なヤツだな。まだ、なんか用なのか?」
意外なほどあっさりとそれなりの口調になった。
ちなみに、こんな無愛想な返事だが、怒っているわけではなさそうだ。
至極マジメな顔で俺を見ていた。
とりあえず、俺は「うんうん」と2、3度頷いてから、脳内記憶装置の『水沢勇吾』の項目に、
『普通に話せる』
……と追記した。
「用っていうか。水沢に興味があるんだけど。これからライバルになるわけだし、将来は茶飲み友達になるんだし。あ、言い忘れたけど、俺、入試全科目2位だったんだよ」
勇吾は「そう」でもなければ、「すごいな」でもなく、かといって「全部俺に負けたということだな」などという類の言葉も吐かなかった。
ただ、静かに本のページをめくり、
「よかったな」
そう告げた。
―――掴み所がない。
まずそう思ったが、だからと言って不思議と不愉快な感もなかった。
水沢の位置づけを『ライバル候補』のままとし、ついでにいくつか質問をすることにした。
「水沢、全科目一位だったんだろ?」
それに対しての勇吾の答えは、
「だったら?」で。
「次は水沢に勝つからな」
と返せば、
「頑張れよ」と興味なさそうに答えた。
これは会話として成立しているのだろうかという疑問はあったが、今日のところはまあそれも一興だなと思うにとどまった。
だが、傍から見たら楽しげな雰囲気でないことも確かだ。
現に周囲は非常に遠巻きに俺と水沢を見ていた。
もう、モロに奇異の目で。
「水沢って、難しいお年頃なんだな」
目立つこともキライではない俺だが、初日から教室一杯に微妙な空気を流すのもナンだと思い、おとなしくその場を離れて自分の席に戻った。
……もっとも、それ以上話し続けてもまともな会話にはならなかっただろうが。
「まずは対策を練るとするか」
担任の自己紹介を聞き流しながら、チラリと水沢に視線を投げた。
今日から一週間のスケジュールをあれこれと説明する教師。その話をメモを取りながら聞いている者がいる中で、水沢勇吾は相変わらず本を読んでいた。
あからさまに全然聞いていない。
「ふーん。まあ、なんつーか……」
我関せず。
大物なのか、あるいは取り返しのつかないところまで常人離れしてしまってるのか。
どっちにしても。
――――……面白いんじゃないか?
落とし難い。
だが、それはとてもそそる事実だ。
「俺、女の子も簡単に靡かないタイプが好きなんだよな」
ただ、そういう相手であればあるほど自分に振り向いた瞬間に飽きてしまうのも常なのだが。
「まあ、水沢はライバルだからな」
飽きるとか飽きないという次元ではない。
そこが異性交友とは違うところだ。
「いいよな、勇吾ちゃん。非常に自己中で」
なんと言っても生涯のライバル。そして、俺を差し置いてトップに立った男なのだ。そのくらいのキャラでなければ面白くない。
「とりあえずOKだ」
一応そう判断し、本日をもって水沢勇吾を『ライバル認定(仮)』と位置づけることにした。
こうして俺の高校生活はそこそこスリリングにスタートしたのだった。
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