45°

forty-five degrees

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<chapter 2> 親友になったりして。


それから一週間。
「おはよ、水沢」
「おはよう」
俺と水沢も朝の挨拶くらいはする仲になった。
そんなことで喜んでいたのだが、隣の席のヤツとも普通に挨拶しているのを目撃し、微妙な悔しさを感じてしまった。
「それほど協調性がないわけでもないんだな」
水沢は一人で本を読んでいるのが好きだと公言していたし、誘われても学校帰りにどこかに遊びに行くこともなかった。それでも話しかけられれば無愛想ながらも受け答えはするし、これといって厭味なところもない。
何よりも、勉強ができるという事実をなんとも思っていないところが素晴らしく水沢勇吾だった。

そんなわけで、水沢はあっという間にクラスの奴らからも先生からも一目置かれる存在になった。
もちろん言動に妙なところがないではなかったが、それに関しても「頭が良すぎるヤツはそんなものだろう」と軽く流されていた。
他のクラスからわざわざ学年トップの顔を見にくる生徒もいたが、黙って席に座っている時の水沢は本当にいてもいなくても分からない。
「あれが水沢?」
たいていの奴はそう言った。
そう、俺が最初に思ったのと同じように。
だが、水沢にはときどき妙な存在感が漂う瞬間があって、そんな時はそこにいる奴が一斉に振り返ったりする。
「本に夢中になりすぎて一瞬オーラを消し忘れるんじゃねえの?」
なるほどそうかもしれないと俺も思った。
「この間の実力テストなんて全科目100点だったって」
「意外と運動神経もいいんだよなぁ」
「悔しいことに顔もまあまあなんだよな」
そんな噂は他の学年にまで遠慮なく流れた。

そんなわけでクラスの連中の評判は決して悪くない。
だが、水沢に気安く近寄るのは相変わらず俺だけだった。
もっともそれは好き嫌いの問題ではなく、話しかけても会話にならないせいだろうが。
「水沢、今日はなんの本読んでるんだ?」
俺としてはなかなかいい感じに友達らしくなってきたと思っているのだが、水沢は本日もライバル兼親友候補である俺の存在をほどよく無視して本を読み続ける。
「勇吾ちゃん、俺のこと見えてる?」
おでこが付きそうなくらい至近距離に顔を出すと、水沢も仕方なく「ああ」という返事をする。
何故か俺に対しての協調性は他の連中以下なのだが、だからと言って特別嫌われているというわけでもなさそうなのが不思議なところだ。
どんなに馴れ馴れしくしても鬱陶しそうな様子もないし、怒ったこともない。
かと言って、精一杯紳士的に話しかけてみたところで勇吾ちゃん呼ばわりの時と全く同じ反応しか返してくれない。
つまり、これが友人に対する水沢の普通の態度なんだろう。
なんとかその辺までは俺にも分かるようになった。
現に、「オトモダチに対してそれはないんじゃないのか、水沢」と、ちょっとムクれて見せると、「おまえこそ友人の読書の邪魔をするな」と返事をする。
少なくとも「友人」だとは思っているようなのだ。
もっとも、それは態度には全く表れないのだが。
「あのな、勇吾ちゃん。その反応、もうちょっと何とかならないわけ?」
もっと、こう、なんというか。
友人らしい会話とかジャレ合いとかを期待している俺には少し物足りない。
「勇吾ちゃんってば」

―――だが、俺の愚痴はさらりと聞き流された。


目標、現状打破。
そう心に決めて、俺は毎日毎日毎日、飽きもせずに水沢の読書の邪魔をしにいく。
「水沢って、経済関係の本が好きなのか? 俺は理科系の本が多いんだけど、そんなに面白いなら経済も読んでみようかな」
あまりにオーソドックスすぎて芸がないとは思ったが、そんなことから友情は深めるものだと、できるだけ真面目な顔で問いかけた。
とは言ってもまたしてもノーリアクションなんだろうなと思いきや、水沢は今日に限って普通の反応をした。
「なら、」
切れのいい仕草で鞄から取り出し、俺に差し出したのは水沢が一時間目に読んでいた本。
もちろん高校生なら絶対に読まないような類のもので、うんざりするほど退屈そうだ。
だが。
「やるよ。もう読み終わったから」
水沢が告げた一言に俺はほのかにトキメイテしまった。
なんと言ってもこの状況はとても友人らしい遣り取りだ。しかも相手は水沢勇吾なのだ。
「……サンキュ」
水沢もこんな普通の会話ができるんだな……という妙な感心と共に、にっこり笑って受け取ってみたが、俺のライバル水沢勇吾はやっぱり微笑み返してくれなかった。
仏頂面とまでは言わないが、少なくとも能面状態だ。
にもかかわらず、友情はしっかり深まっているような気がするから不思議なのだが。
「……それにしても、わけわかんねー」
パラパラとめくったその本の中には聞いたこともない言葉が列を成しており、一行につき三回は経済用語辞典を引く必要がありそうだったが、それを一日で読破して水沢と経済を論じる自分は悪くないと思った。
好きな本の話なら水沢だって楽しげに語り合うかもしれない。
そう思った時、眼前にとても甘美な光景がパーッと広がって、またトキメキを感じてしまった。
本当の本当に、その状況はちょっと想像しただけでもえらく楽しいものだった。
うん、いいんじゃないか?
一人で勝手に納得しつつ、目の前で静かにページをめくる水沢の細い指先を見ながら、俺はまた脳内データを引っ張り出す。
『意外と可愛いところもある』
その後に『親友認定(仮)』と追記し、その瞬間、何故かまたしても甘い気持ちを味わってしまったのだった。

今にして思えば、これがわずかに道を踏み外した瞬間だった。




そんなわけで、水沢との出会いから1ヶ月あまり。
「志野ってさぁ、最近は女の子じゃなくて学年トップ君がお気に入りなの?」
昔遊び友達だった女子からは、いつの間にやらそんなことを言われるようになっていた。
「ライバル認定したんだよ。これから先、ヨボヨボのじいちゃんになるまで張り合おうかと思って。いいだろ、縁側で茶飲み友達と語り合う老後」
決して冗談ではないのだが、居合わせた女子全員にキャラキャラと笑われた。
「やめときなよ、人種が違うんだから。水沢君って学校以外は予備校と図書館しか行かないらしいよ。同じ中学の子が言ってた」
確かに俺から見てもそんな感じはするんだが。
人種が違う……というか、いい感じでズレている。
「まあ、実際、部活もしてないし、毎日さっさと帰るしな」
よくそんなに本ばかり読んでいられると思うけど。水沢はそういう生活が好きらしい。
「だ、か、ら。志野とは人種が違うんだって〜。張り合うのなんてやめて、遊びにいこうよ。ね?」
目の前に可愛い女子が4人。今までの俺なら二つ返事で颯爽とエスコートしただろう。
だが。
「んー、またな」
そんな華やかな誘惑も最近はちょっと褪せて見える。
それもこれも全て水沢勇吾のせいだ。
「えー? 付き合い悪いよぉ」
「どうしちゃったの、おかしいって、志野」
ブーイングの嵐の中、さらっと手を振って教室を出た。


爽やかな春の放課後。
部活開始までのわずかな時間を有意義に過ごさなくては。
「というわけで、水沢の顔でも見にいくか」
俺史上最高に落とし難い相手が、脇目も振らずに本を読む姿を眺めるためだけに図書館へ向かった。
「ライバル兼親友になるだけなのに、こんな苦労するってどうよ?」
自問自答。
でも、これが意外とそそられる。
「お、いたいた」
相変わらず、他を寄せ付けない静寂をまとってぺージをめくる。
そんな水沢の姿を発見した瞬間、胸が高鳴った。
「……それにしても、ずーっと本なんか読んでて楽しいのかよ」
おそらくは頭脳明晰男の顔を拝みにきたであろう女子がさっきから周囲をウロウロしていたが、水沢の視界にはかすりもしないらしい。
一心不乱に本を読んでいた。
変なヤツもいたものだとは思うのだけれど、なぜか俺のツボは突かれまくりだ。
とりあえずは先にお目当ての本を借りて、水沢に声をかけた。
とは言っても、
「じゃあな、水沢」
たったそれだけで。
「ああ」
素っ気ない返事をもらって部活へ行って。
それが終わると全速力で家に戻り、水沢と語り合うべく借りてきた本を読み、就寝。
夜遅くまで遊び歩いていた中学時代が嘘のよう。
我ながら健全な高校生になったものだと経済用語がひしめく夢の中で思った。



そして翌日。
朝練が終わって教室のドアを開けて、まっ先に水沢の姿を探す。
もはや日課だ。
「おっはよー、勇吾ちゃん」
水沢を「勇吾ちゃん」呼ばわりすると、クラスのヤツらは微妙に引くのだが。
「おはよう」
水沢本人はもう慣れたらしく、顔色一つ変えずに素っ気ない挨拶を返す。それもいつも通り。
「勇吾ちゃん、今日も素晴らしく素っ気ないな」
それはそれで水沢らしくていいと思うのだが、たまには楽しそうに笑う水沢とか、慌てふためく水沢とかも見てみたい。
贅沢だろうか。
いや、そんなことはないはずだ。
水沢にだって笑いたい時もあれば、焦る時だってあるはずなのだから。
そう思い始めたら、この無表情が崩れる瞬間がどうしても見たくなった。
「う〜む」
それには、まず、腹を割って話せる関係になることだろう。
「一緒に昼飯でも食うか」
そう言えば、昼時に水沢を見かけたことはないなとか、いつもはどうしているんだろうとか。午前中はそんなことばかりを考えて過ごした。


そして昼休み。
「勇吾ちゃ〜ん、昼、どうする?」
いつもはあっという間に教室から姿を消す水沢をつかまえて食事に誘う。
昨夜読破した本について一緒に語り合うという口実もあり、結構強引に水沢の腕を掴んだ。
「水沢、弁当持参なのか?」
学食もあるけど、混雑を避けてささっと食うために弁当を持ってくる奴が多い。
けど、水沢は妙な間の後、「いや」と返して、ポケットに手を突っ込んで立ち上がった。
水沢の優秀な脳みそが『弁当持参か』という言葉に反応するのに、何故そんなに時間がかかるのかは謎だったが。
「じゃあ、何か買いに行こう」
他に誰かと約束してるとも思えなかったから、水沢の返事を待たずに腕を掴んだまま教室を出た。
その時。
「志野、今朝、弁当箱もってなかったか?」
不意に水沢に聞かれて、俺はちょっとドキッとした。
そんなことに気づいているとは思わなかったからだ。
そしてまた妙なトキメキに襲われた。
他人のことに関心などないと思っていただけに、この衝撃は大きかった。
「……ああ、もう食った」
辛うじてそんな返事をし、心臓を静めた。
弁当は毎日持ってきているのだが、部活の朝練の影響で昼まで中味が残っていたことはない。当然、昼はどこかで調達することになる。
というわけで、本日めでたくライバル兼親友の水沢とパンを選ぶという楽しい状況になっているわけだが。
「んじゃ、俺はコレとコレとコレとコレ」
パンを真剣に選ぶ俺とは対照的に、水沢は食い物にもあまり関心がなさそうだった。
「水沢、それしか食わないわけ?」
パン二つって、育ち盛りの昼メシとしてはかなり少ないと思うんだけど。
それに対しての返事も「ああ」の一言だけなのかと思ったら。
「一時間前に食べたからな」
一時間前は自習。
っつーことは、俺と同じ状況ってことだな。
水沢と早弁は結びつかないが、まあ、脳を使うとカロリーは消費するからそれも不思議ではない。何よりも食欲があるということは成長途中の男子高校生としては歓迎すべきことだ。
飯を美味しく食えない奴と昼を共にしても楽しくはないからな。
そんなわけで、水沢の総評を10ポイントあげておくことにした。

今日の中間報告。
水沢勇吾、意外と普通。



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