<chapter 6>
翌日、親切心を全開にし、職員室に足を向けた。
「水沢先生、少しお時間をいただけますか」
昨日は菓子袋に顔を突っ込んだ弟が「いつも9時過ぎには帰ってくるよ」と父親の予定を知らせてくれたので、そのまま引き上げたものの、誰も帰って来ない日にあの状況はまずいだろう。
夕べの状況をかいつまんで伝え、
「俺、金曜と土曜、泊まりに行きましょうか」
少しは役に立つのではないかと提案すると、水沢と弟の二人きりよりはマシと判断したのか、先生も深く頷いた。
「勇吾に金を渡しておくから」
夕飯は好きなものを食べてくれと熱い握手までされた。
「あ、いえ。お気遣いなく」
将を射んとすればまず馬から。
少なくとも先生から見た現在の俺はまずまずの好感度だろう。
とにかく今夜は保護者の同意の下、堂々と水沢に夜這いをかけられる。
客間ではなく水沢の部屋で寝かせてもらえるならなお良しだ。
もっとも、あの弟と水沢のことだ。
わざわざ客間に俺の布団を敷くとは思えない。
よって、全ては思うがまま……などとあれこれ企みつつ、水沢に週末も家にいく旨を伝える。
「先生にも頼まれた」的な、事実を多少歪めた説明をしたせいか、案外すんなりOKが出た。
二度目の訪問も菓子持参。
もちろん馬を落とすための餌だ。
「おじゃまします」
目論見どおり弟は在宅らしい。
靴が気持ちいいほどバラバラに散らかっている。
ほどほどに汚れたスニーカーは背丈の割りにはサイズがでかすぎるような気がするが、水沢家の末子であることを考えれば、数年後には他の兄弟と同程度の身長になるのかもしれない。
本日、俺の部活用のバッグの中身はお泊りセットだ。
忘れ物はないよなと頭の中で確認を取りつつリビングの横を通り、階段を上がって水沢の部屋へ。
買ってきた菓子類とペットッボトルを床に置き、当然のように本棚からアルバムを取り出して、ベッドの端に腰かけたところでややハスキーな声が響いた。
「へえ、コレなんだ?」
顔を上げると、そこにはドアに手をかけて俺を見下ろす派手な女。
その後ろに「ほらね」と得意気な顔をする弟。
一方、我が親友水沢勇吾は勉強机の椅子に座ったまま本から顔を上げない。
普通は簡単な紹介程度はしてくれるものじゃないだろうかと考えたが、水沢にそんなものを期待するのは間違っているということにもすぐに気づいた。
「志野と申します。勇吾君とは同じクラスで、仲良くしていただいてます」
立ち上がって一礼し、相手の出方を待つ。
「ふっうーん、なぁんか、アレな感じ?」
前回写真を見せてもらっていたので女が誰なのかは分かっていたが。
それにしても、さっきから「アレ」とか「コレ」とか。
口が悪い上に感じも良くない。
だが、美人過ぎて文句を言う気になれない。
「ねー、勇吾のどこがいいわけ?」
いきなりの問いに一瞬ドキリとしてしまったが、もちろん俺が思ったような意味ではなく、すぐに「何一つ面白いとこないのに」とザックリ遠慮のない言葉が飛んできた。
まったく水沢の説明どおりの性格らしい。
「そんなことないですよ」
とりあえず親友としてフォローを試みる。
「たとえば?」
「返事や反応がとても斬新なところとか」
答えたあとに、これはフォローになっているのだろうかと自問自答し、そんな俺の心中を見透かしたようにグロスでツヤツヤの唇が薄く笑う。
「『変なヤツだから』ってはっきり言えばいいのに」
その「変なヤツ」は貴方の弟ですよ。
確かに血が繋がっているんですよね。
言ってやろうかと思ったが、水沢姉の性格からして、その程度では1ポイントのダメージも受けないであろうということに気づき、やめにした。
ふう、とため息をついて窓の外に目をやると、門扉のあたりでチラチラと中の様子を窺う若い男が。
「外でどなたか待っているようですが」
どう見ても大学生だ。
当然、水沢姉の知人だろう。
そう思ったので教えてあげたつもりだったのだが。
「ああ、アレ。勝手に立ってるだけだから」
どうやら承知の上で放置しているらしい。
そのあと「何の約束もしてないのにキモ過ぎ」と言って煙草を取り出した。
なるほど、と思ったのは放置プレイ中の男子学生についてではない。
水沢についての疑問が一つ解けたからだ。
屋上であれほど煙草を吸っているのに家族が何も言わないのは、姉の移り香だと思われているせいなのだろう。
なるほどな、と一人頷いていたら。
「まこちゃん、煙い」
煙から最も遠い位置に立っている弟が思い切り顔を顰めていた。
「あー、ごめんごめん」
口も性格もあまり良いとは言えない水沢姉だが、末弟にはそれなりに優しいようだ。
というか、男兄弟は全部呼び捨てなのに、姉は「ちゃん」付けなのか、水沢弟。
女性に甘い性格なのか、あるいは姉がそう呼ばせているのか。
何にしても、水沢弟はすぐ上の兄である勇吾以外とはそこそこ仲が良いのだろう。
脳内メモリにあれこれ記録を録っていたら、水沢姉がさらさら髪をなびかせて踵を返した。
そして、「なんで勇吾の友達やってんのかわかった。あーやだやだ」と言い捨てて去っていった。
その意味するところを教えてください、お姉さん。
咽喉元まで出かかったが聞けなかった。
毒舌かつ遠慮のない性格。
「勇吾の××に△△しようと思ってんでしょ」などと言われてしまった日には、末弟の教育上大変よろしくない。
水沢先生の耳にでも入ろうものなら、だたのクラスメイトとしてでも「以後水沢家には出入り禁止」と言われてしまうかもしれない。
さらに悪ければ、学校での付き合いも止められてしまうかもしれない。
「……けど、『わかった』と納得できるような理由は他にないからな」
恐るべし、水沢唯一の姉。
怖いのは毒舌部分ではなく、その眼力だ。
だが、思いのたけを正直に白状したところで、「キモイ」の一言で終了という気配も濃厚に漂っているので、実害はないかもしれない。
いずれにしても。
「水沢、俺らが話してるときに寝ないでくれる?」
もっと根本的な部分で、この恋が前途多難なことに変わりはない。
つついても蹴飛ばしても目覚める様子のない親友の背中を見ながら、「ケルベロス級の番犬いる家に、俺は必要ないんじゃないか?」と自問自答してみたのだった。
結局、その夜は妙に懐いた水沢弟とゲームをしたり、姉に「うるっさいなあ。静かにできねえのかよ」と怒られたりしながらサクサクと更けていった。
その間、水沢本人は夕食時さえ家族も友人も無視して本を読み続け、それに飽きると俺になんの挨拶もないまま先に寝た。
「勇吾ちゃん、せめて『おやすみ』くらい言おうよ。友達が遊びに来てるってわかってるか?」
客間どころか毛布の一枚さえ用意してもらえないまま、眼鏡を外した寝顔を見下ろす。
とりあえず『次回は水沢一人だけの日を狙うべし』。
遠慮なく隣りにもぐりこみ、眼鏡を外した顔を至近距離で眺めながら心に刻んだ。
何にしても。
先はまだまだ長そうだ。
-fin-
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