45°

forty-five degrees

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おまけ-

<chapter 5>  弟を釣ってみた

約束どおり、放課後に水沢家を訪ねた。
オヤジは普通のサラリーマンらしいが、高給取りなのだろう。
玄関にさりげなく置かれた小物や額が高級感を漂わせていた。
だが、片付けはあまり行き届いておらず、足元には盛大に脱ぎ散らかされた靴。
リビングに入ればポンポンと置き去りにされたカバンと靴下と上着。
それ以外もなんだかいろんなものが点在している。
「ずいぶん思い切りのいいレイアウトだな。誰のだ?」
「弟」
水沢は5人兄弟だが、弟は一人しかいない。
そう。食い物で簡単に誘拐できるという、そして電話がやけに子供っぽかったあの弟だ。
「ためしに釣ってみてもいいか?」
初めは「何のことだ?」という顔をしていた水沢だったが、途中のコンビニで買ったものとテーブルに置いてあった菓子袋を数メートルほどの間隔で点々と置くのを見て納得したようだった。
そして、5分後。
「勇吾の部屋に人がいる」
開けっ放しのドアの前には落としておいた菓子を両手いっぱいに抱えた中学生の姿が。
「どうも、弟君」
「うわ、しゃべった!」
どうやったら俺が幻に見えるのだろう。
もともと霊が見える体質か、あるいは未だにサンタクロースを信じているようなファンタジー思考の持ち主なのかもしれない。
「俺は志野真先。勇吾君と同じクラスで、ライバル兼親友」
その自己紹介に対して、弟は一言。
「うそだ。勇吾に友達なんているわけない」
恐ろしいくらい自信たっぷりだった。
水沢との仲はあまり良くないと考えるのが正解だろう。
「本当にライバル兼親友だよ。俺の成績、学年で2番なんだ」
俺の説明を聞きながら、パッチリした目をクルンと一回りさせた。
そして、若干の間の後でそこそこ力強く頷いた。
「わかった」
どうやらライバルであることは理解してくれたらしい。
だが。
「じゃあ、変なヤツなんだな」
納得の仕方がちょっと違う。
というより、普通そう思ったとしても本人の前では絶対に言わないはずだ。
まあ、水沢家の末弟なのだから、少しズレているのがあるべき姿なのだろう。
血の繋がりとはそういうものだ。
「安澄、菓子は置いていけよ」
ようやく口を挟んだ勇吾は意外にも若干兄らしい雰囲気を醸し出していた。
「えー、俺が拾ったのに。全部食っても夕飯食えるよ?」
弟は口を尖らせたが、勇吾が譲る気配はなさそうだ。
それを悟ると急にしょんぼりした弟がなんだか可哀想になった。
「だったら俺が買ってきたヤツ一個だけやるよ。どうせ先生は合宿で戻らないんだし、一袋くらい大丈夫だろ?」
水沢の顔を見たが反応はない。
強いて推測するなら「おまえが買ったものだ。好きにすればいい」くらいの感じだろうか。
まあいいだろうと思いつつ、5つの中から1つを選ばせた。
「ありがと。俺、安澄っていうんだ。また遊びに来てよ」
満面の笑みに八重歯が光る。
なるほど。
こうして目の当たりにすると確かに弟は素直で可愛い。
……菓子一袋で簡単に魂を売りそうなのが難点だが。
もらったものをその場で頬張りつつ、「じゃあね」と言い残して部屋を出て行く後ろ姿も、ペタペタパッタンという落ち着きのない足音も子供子供している。
「人懐こい弟だな。まあ、先生もそんな感じだけど」
次兄雅臣は人懐こいのとは違うかもしれないが、少なくとも無愛想ではない。
むしろ無駄に――特に女子には――愛想がいい。
「姉貴は?」
「よく喋る上に口が悪い」
それはある意味兄弟の中で最悪なんじゃないだろうか。
毒舌は人を殺すことができる恐ろしい武器だ。
……と思いながら、差し出された兄弟たちの写真を覗き込んだのだが。
「すげー美人だな。……派手だけど」
これなら多少の毒は許されるだろう。
というか、この口で罵られたいと思う男も少なくないかもしれない。
むしろMっ気のある男が一発で落ちるに違いない。
まあ、モテまくりだった次男はもちろん、弟も顔はなかなか可愛らしい。
水沢先生も見た目は爽やかな好青年だし、容姿については兄弟全員が恵まれているってことなんだろう。
「水沢って父親似? それとも母親?」
ついでだから両親の写真も見せてもらおうなどと思った矢先、俺はとても基本的なことにようやく気がついた。
「……だから、俺が話してる時に寝るなって」
しかもちゃっかりベッドの上にいた。
「勇吾ちゃんってば」
帰ろうかと思ったが、無断でいなくなるのも何なので、時間つぶしにあの弟に茶でも入れてもらおうかと階下に降りた。
リビングにいなければすぐに戻ってこようと思っていたのだが。
「本当だって。勇吾の友達。学校の。ううん、普通の人。顔? かっこいいよ。背? 座ってたからよくわかんないけど、たぶん雅臣くらい」
電話の相手は誰だろう。
先生なら俺のことは知っているから説明する必要はない。
会話の中に次兄の名が出ているが、本人と話している感じでもない。
とすれば、消去法により電話の相手は両親のどちらか、もしくは毒舌を有するという姉ではないかと思われた。
「え? 幻覚じゃないよ。さっき勇吾の部屋覗いたら、お菓子くれたんだ」
すごくいい人だよという説明は、多分、食い物をもらったという事実によって捏造されたイメージだろう。
まあ、評価は良いに越したことはない。
それだけを確認して、再び部屋に戻った。
「勇吾ちゃーん」
そして、眠ってしまった水沢は全てに対して無反応だった。
「そういう態度を取るなら俺もそこで寝るぞ」
水沢が横たわっているベッドにもぐりこんだ。
もちろんシングルなので、高校生として標準以上の体型である俺と水沢が寝るのはかなりキビシイのだが。
「……なんかな」
当たり前だが水沢は温かかった。
どんなに常人離れしていても基本は人間だから体温があるのはとても自然なことなんだが。
「水沢、えらく手触りいいんだけど」
本を読むために遅くまで起きているせいで、肌も荒れてるんじゃないかと思ってたが、さすがは高校生。そんなことはなかった。
というか、水沢の場合、神経・体ともにデリケートな箇所などないのだろう。
夜更かしぐらいで荒れる肌ではなさそうだ。
あれこれ思い巡らしつつ、触れた手を滑らせてみる。
「それにしても意外と肌理が細かいんだな。すっげー、気持ちいい」
先生につき合わされて鍛えているだけあって、無駄な肉のない身体の触り心地は予想外に良いものだった。
というか。
「……ここって乳首だよな」
シャツの下から滑り込ませていた手がその突起物に触れた瞬間、俺はしっかりと欲情してしまった。
何をされても水沢は爆睡中。
世の中にこんなに興奮し、なおかつ心弾むことがあっていいのだろうか。
「誰かに触られることなんてないんだろうな」
ぺロッとめくりあげた水沢のシャツの下、控えめに存在するその突起に舌先で触れてみた。
しばらくその状態を堪能したのだが。
「頭に血が上ってきたような……」
鼻血でも出たらやっかいなので、とりあえず舌で味わうのはやめて、また指を押し当てた。
「眠ってても触られたらやっぱり硬くなるんだな」
ツンと存在を示すそれをそっと弄ぶ。
このまま誰も止めてくれなかったら、俺はきっと最後までヤってしまう。
もう自制心などではどうにもならなかった。
だが。
「……志野?」
夢のような時間はその一言で終わりを告げ、俺は現実のド真ん中に立ち尽くした。
陳腐な言い回しだが、心臓が口から出そうなほど驚く俺を裸眼の水沢がぼんやりと見上げた。
そして。
「まだいたのか」

この貴重な時間の中で一つだけわかったことがある。
「今……帰ろうと思ってたところだ」
俺のライバル兼想い人水沢勇吾は。
俺の認識よりさらに高レベルで、他人の気配には鈍感だ。


そんな水沢と、菓子一袋で釣れる弟。
ドロボウにとっては盗み放題の天国だろう。
明日、水沢先生にしっかりとその事実を伝えなければと思いつつ。
「水沢、戸締りしたか? 俺、本当に帰って大丈夫か?」
善意の問いかけは静かな部屋に虚しく消えた。



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