- 七夕ゆうれい -


-1-

バカみたいな話だが、コイツの初恋の相手は幽霊なのだという。
しかも性別は男で、ついでに父親の親友らしい。
「後から気付いたんだけど、オヤジのことが好きみたいな感じだったんだよな。ってことは、俺なんていつまで経っても『久我(くが)の子供』ってポジションから脱出できねーって話じゃね?」
そして、今でもコイツはその幽霊に片想いだ。
自分の友達だが、あまりにバカすぎて笑ってしまう。
体だけは人並み以上にデカくなったが、頭の中身はお子様のままだ。
「別にいんじゃないか? なんにも間違ってねぇし」
学校帰り、うだうだ文句を並べるアホ面を眺めながら自転車置き場を目指す。
「ああ。間違ってねーよ。そのまんまだよ。つか、もう一生そのまんまだっつーの」
幽霊相手の話で「一生」ってのもなんだか妙なんだが、コイツはいたって真剣だ。
「けど、好きな人に触れないって、やっぱ堪えるよなぁ」
おまえとならやりたい放題なのにと言いながら、ペチペチと俺のあちこちを叩く。
当たり前だが、幽霊である意中の相手には実体がない。
触ろうとすると思いきりスカッと空振りするという。
そんな愚痴をこぼされたところで、俺が言えるのはただ一つ。
「そりゃあ、幽霊だからな」
まったくバカらしすぎてやっていられない。
「でもキスくらいしたいよなぁ?」
「その前に最近会ってないんだろ?」
「うん。小学校以来会ってない。でも、たまに夢に出てくんだよな」
「それ、ただの願望だろ」
「えー、けど七夕の日だけなんだぞ?」
「んなこと俺が知るかよ。つか、会いにきてくれたとか思ってんのかよ?」
「実際会いに来たんだと思わね?」
「いいや。まったく」
そんなに昔のこと、さっさと忘れてしまえばいいのに。
なんでここまで固執するのか。
この世ならざる者というのは何か特別な魅力があるのかもしれないなどと考えつつ、一般的には「実在しない」と分類される相手に嫉妬してしまう俺はコイツ以上にバカだと思う。
「んでさー、室川(むろかわ)」
「なんだよ。また運命の出会いの話か?」
百万回聞いたぞと予防線を張ってみたが、久我の頭はもう切り替わっていたようだ。
「じゃなくって。おまえんち、今日ねーちゃんいる? おまえにそっくりだけど美人のねーちゃん」
両親は二人そろって北海道。はじめは父親だけ単身赴任していたが、正月明けに体調不良を訴えてからというもの母親も向こうで暮らしている。
普段は姉貴がメシを作ってくれるが、その頼みの綱も今日は出張だ。
「いない。姉貴になんか用かよ。つか、少しも美人じゃねーよ」
「そりゃあ、自分のねーちゃんだと美人とは思わないかもしんねーけど……じゃなくて、用ないけど泊まりに行っていい? 一緒にテレビ見よ?」
久我の家は父親が教師で母親は医者。
今でも仲のいい友人同士のような雰囲気だが、ずいぶん前に離婚している。
そんなわけで現在はオヤジと二人暮し。
帰ってもポツンと一人きりなのが嫌なのか、やたらと人の家に来たがる困ったヤツだった。
噂では子供の頃からずっとそうらしい。
「久我んちのオヤジは? 帰り遅いのか?」
「別にいつもと同じくらいだと思うけど」
「だったら自分ちでテレビ見ればよくねーか?」
「今の時期はダメなんだって。七夕が近くなるとオヤジはなんだかぼーっとしてるし。俺には隠してるだけで、実は島谷(しまや)さんがどっかに来てるような気がするし」
『島谷さん』というのが件の幽霊氏だ。
久我の読みでは、七夕の前後にこちらに「滞在」してこっそりオヤジさんと会っているんじゃないかってことだった。
実際、オヤジもその日の夜は家に帰ってこないことが多いというので、それが事実ならあながちコイツの妄想と言い切ることはできない。
教師という職業だし、なにより生真面目な性格を考えると不謹慎なことをしているとは思えないんだが、滅多に外泊などしない父親が毎年その日に限ってというのはやはり気になるんだろう。
「どう考えても怪しくねぇ?」
「怪しいって言えば、まあ、そうかもしれないけどな」
一晩だけなんだから大目に見てやればいいのに。
それよりも。
「おふくろさんも知ってるんだろ? いくら離婚してるとはいえ、キライで別れたわけじゃないんだし、妬いたりしないのか?」
実はそれが離婚の原因なのでは、と思う俺とは対照的に久我は平然としている。
「なんでだよ。相手はただの幼なじみなのに。女ならまだしも思いっきり男だぞ?」
……それ以前に幽霊だがな。
とはいえ、コイツの話を聞く限り、オヤジさんのほうも幽霊氏に未練たっぷりだ。
久我はその点を見逃しているようだが、取られるのが悔しいから意図的に考えないようにしているのか、それとも恋が盲目過ぎて気付いていないのか、そのあたりはわからない。
何にしても幽霊が相手。浮気したくても触ることすらできないのだから、その先を考える必要はないだろう。
「ま、せいぜい頑張れよ。プラトニック・ラブ」
「好きでプラトニックにしてんじゃねーよ。俺だってヤリたい盛りの高校生なんだぞ」
それはちゃんと俺がしてやってんだろ。
……とは言わないが。
まあ、俺と久我の間柄というのは、つまりそういうことだった。
「で、うち来るのか?」
「行く」
現状、俺はおこぼれに預かっている状態なわけで。
幽霊に負けているのは悔しいが、この状態なら他のヤツに取られる心配はない。
苦渋の選択だが、こうしているうちに気持ちが少しでもこちらに向けば……という消極的な現状維持なのだった。
まあ、コイツが男OKの思考と身体に育ってくれたのは幽霊氏のおかげなのだから文句は言うまい。
向こうの想い人がコイツのオヤジで、浮気心なんて持ち合わせてなさそうなのも感謝すべき点のひとつだ。
実らないと分かりきっている片思いなら、どんなバカでもそのうち諦めるだろう。



鍵を開け、家に足を踏み入れた途端、視界に惨状が広がった。
「姉貴、相当慌てて出てったな」
風呂場もトイレもドアが半開き。
脱衣所のカゴからは洗濯するはずの衣類が溢れ、洗面台の化粧品の容器は倒れまくっていた。
「……ったく」
蹴散らされた靴を端に寄せ、久我を通す。
普段はあまり思わないが、俺も久我もけっこうな体格だ。
狭苦しい玄関に並んで立つと本当に邪魔くさい。
「ぼーっとすんな。早く入れ」
誰もいない家なので俺は「ただいま」なんて言わなかったが、久我はちゃんと丁寧語で「おじゃまします」と一礼して上がりこんだ。
親が教師という家庭に育つと礼儀正しくなるんだろう。
パッと見はかなりチャラい部類なのだが変なところが律儀で、そのギャップがまたなんとも言えなくよかったりする。
……まあ、俺の個人的な好みだが。



先にササッとシャワーだけ浴び、ペットボトルごと緑茶を持って二階にある自分の部屋に上がる。
一応、姉貴には久我を泊めるというメールを入れて許可をもらった。
夕飯は冷蔵庫に入ってたし……などと考えつつ茶をのどに流し込んでいると、腰にバスタオルを巻いた久我が脱いだ物一式を持ってやってきた。
「髪、ちゃんと拭けよ」
俺の言うことなど全く聞いていないのか、久我は当然のようにベッドに上がって、タオルを床に投げ捨てた。
後はいつもどおり。
適当に触って、適当に準備して、「早く」と急かされて後ろから久我を抱く。
「島谷さん、童貞かなぁ」
背中を少ししならせて久我がつぶやく。
「おまえ、ヤリながら他のヤツの話をするな」
少しでも振り返ったなら俺がムッとしたのもわかっただろうけど、そんな余裕もなかったらしい。
「他のヤツって……ただの、幽霊……だろ、おまえがいつも……言ってる通り………っ」
「幽霊でも男は男だ」
「バっ……カか。触ったら素通りすンだぞ。こんなふうに……するのなんて、絶対……っ、んん」
コイツはいつだって幽霊氏のことを考えている。
話している時、メシ食ってる時、授業中はもちろん、こうしてヤってる時でさえ。
そして、何の遠慮もなくそいつの顔を思い浮かべながら俺の手の中に吐精する。
本当にムカつくんだが、どうしようもない。
「あー、すっきり」
「『すっきり』じゃねーだろ。ヤッてる時くらい幽霊の話やめろ。萎えるっつーの」
「思いっきり人の背中に出したの誰だよ?」
幽霊だろうと化け物だろうと、好きになってしまったものは仕方ない。
それは分かってる。
同じクラスで、男で。
しかも、ぜんぜん俺なんて目に入ってないヤツを好きになってしまったもの仕方ないことだ。
それでもコイツの話を聞くたびに自分は幸せなんだと実感する。
顔を見たい、話したい、触れたい。
それくらいのことならいつだって簡単に叶えられるんだから。
「幽霊氏、七夕以外の期間はどこで何してるんだ?」
「知ってたら北極でも南極でも会いに行ってる。7月7日が休みの年は墓参りにも行った。……けど、会えなかった」
「本気でバカだな、おまえ」
「なー、室川」
「なんだよ?」
「なんか寂しくね?」
「ぜんぜん」
でかい図体で寂しがり。
そうじゃなければこうやって頻繁に泊まりにきたりもしないだろうけど。
「なー、室川」
「なんだよ?」
「もう一回やろ?」
普段は「どうせヤリたいだけ」とか「俺のことなんて好きでもないくせに」とか、ちょっと気が緩むと不満タラタラだけど。
「……しかたねーなぁ」
たとえ毎年確実に会えるとしても、何時間か向かい合って話をするだけで翌日には消えてしまうとしたら、俺はきっと耐えられないと思う。
「久我」
「ぅ……ん……っ」
『俺のこと、好きか』って。
時折りものすごく聞いてしまいたい衝動に駆られながら、果たせたことはない。
「こっち向きで大丈夫かよ。背中痛くねぇ?」
「だいじょ……ぶ、けど、なんか……も、イキそう」
「早ぇよ」
「ちょっとは、ガマン、してるって、あっっく」
間違って「島谷さん」などと言って果てることがあったりしたら、俺も穏やかじゃないと思うけど。
「あ、室川っ、ヤバいっ」
さすがにそんなことは一度もない。
「もう少し待てって」
「じゃあ、動くの、やめ―――」
「それ、は……無理」
息が上がって、声が掠れて。
ものすごい不自然な体勢で唇を合わせた瞬間、久我の身体がビクリと跳ねて、生温かいものを俺の肌にも飛ばした。
不覚にもそれに煽られて俺も同時に吐き出す。
急に襲ってくる疲労感と睡魔。
それさえ幸せの端っこなのだと思えた。


適当に体を拭いて、だらだらとベッドで過ごして。
そんなことをしているうちに二人して眠ってしまい、久我に「テレビを見忘れた」と文句を言われた。
そのままもう一度寝直したが、夜中に突然叩き起こされてコンビニに連れていかれた。
「久我、おまえ自分勝手すぎ」
「一人でコンビニ行ってもつまらなくね?」
「じゃあ、あのまま寝てればよかっただろ」
「それもつまらねーし」
ひどく当たり前で、少し腹立たしくて、残りのほとんどはものすごくバカらしい、そんな時間だけど。
久我の幽霊氏なら『羨ましい』と言うだろうか。
同じ立場なら俺だってきっとどんな姿でもいいからここにいたいと願うだろう。
「久我」
「んだよ?」
「もしも死んだヤツに『好きだ』って言われたらどうする?」
そんなこと聞いてどうするんだと心の中で突っ込みながらも、心臓は勝手に鼓動を早める。
「島谷さんになら是非とも言われたい」
「知り合った時から幽霊だったヤツからじゃなくて、生きてた頃から知ってるヤツ。……たとえば俺とか」
薄暗い路地。
チラリと隣りを盗み見ると、久我は思いっきり眉を寄せてブンブンと首を振っていた。
「何言ってんだよ。ねーよ。ありえねー。おまえだけは絶対ない」
しかも力いっぱい否定しやがって。
「そんなに告られんがイヤかよ」
やることやってんのに、そこだけ拒否って随分だな……と咽喉まで出かかったけど。
「じゃなくて、幽霊とかムリ。冗談でもダメだっつの。怖いこと言うなよ。おまえが死んだら泣くぞ?」
「脅しになってねぇよ。ってか、んなデカい図体でそのセリフはやめろ。暑苦しい」
街路灯の下、こちらに向けられた捨て犬モードな表情に笑いながらも、コイツが寂しがり屋なのをすっかり忘れていたことを深く反省した。
気持ちを試すつもりなんてなかったはずなのに、本当は思いっきり期待していた自分のバカさ加減に呆れて。
それと同時に、「もしも幽霊になったら久我も俺を好きになってくれるんじゃないか」って。
心のどこかでそんなことを考えていたことに気付いて情けなくなった。




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