別にいいけれど…
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ピンポーンという明るい音とは裏腹に嫌な予感がした。
眉を寄せるのと同時にインターホンから聞き覚えのある声が飛びこんでくる。
『ドア開けて?』
予感的中。
三日前に来たばかりだというのに、またしても何の遠慮もなく押しかけてきた。
「今度は何だ?」
「頼みごと」
それは分かっていた。
なぜならコイツはそんな時しか俺の家に来ないからだ。
「金ならないぞ」
貧乏サラリーマンの財布から札を抜き取るのにも遠慮はない。
バイト代が入ればちゃんと返してくれるのだが、給料日前に他人に情けをかけられるほど俺も余裕のある生活はしていない。
だが、今日の頼みごとはそういう方向のものではなかった。
「ヤりたいんだけど」
……何を?
「SEX」
そう言うが早いか服を脱ぎ始めた。かき上げた髪からシャンプーのいい匂いがして、一瞬ふらっとしてしまう。
だけど。
「ちょっと待て!」
ここで?
いや、そういうことじゃなく。
玄関の鍵を閉めて……あ、そういうことでもなく!
「何? 嫌?」
「そうじゃなくって」
嫌じゃないけど駄目だ。
いつも押し切られるのではなく、今日こそはしっかり意思表示をしよう。
そう思いつつもコイツの唐突な行為を拒否できたことはなかった。
人と比べてものすごく意志が弱いとか、そういうことではないと思う。
けど、コイツの誘惑だけは別だ。
風呂にでも入ってきたのか、身体も妙にいい匂いが……。
いや。ダメなもんは駄目だ。
こいつの頼みごとがそんなモノであったためしはないのだ。
「椎原さん、俺のこと嫌いなの?」
「キライじゃないが、抱かせといてそれと引き換えに大きな頼みごとしようなんて性格悪いぞ」
「けど」
「なんだよ?」
「もう抱いてるじゃん」
―――……まあな
手が勝手に動いていた。すっかりヤツのシャツをめくり上げて直接肌に触れている。
先に頼みごとを言わないということは、きっと簡単には『うん』と言えない種類のモノなんだろう。
こんな行為で俺に貸し一回と勝手に決めるのはどうかと思うけど。
だったら、抱かなきゃいいんだよな。
「ん……あっ」
ヤツの身体もすぐに俺の愛撫を受け入れる。仰け反る身体から熱が伝わる。
首筋に張り付く髪がイヤらしさを増長する。
日に当たってもあまり焼けない肌と真っ黒な髪とそれには不釣り合いなほど明るい褐色の瞳。
なんでかそれに見とれてしまう。
そんな奴、いくらでもいそうなのに。
……それにしても、付き合ってる男がいるくせにこんなに乱れやがって。

まだ挿れてもないのにヤバイかも、俺。


「俺がミツルだったら怒るぜ」
あのあとベッドで更に二回抜いた。
合計3回。
頼みごとを聞くのがコワイ。
「何で?」
「他の男の家でこんなことしてさ」
「話してねーもん」
そりゃあ、言えないよな。
それにしても今日のコイツはちょっと変だ。いつもなら一回でサクッと終わらせて本題に入るのに、今日はいつまで経っても何も言わず、ベッドでグズグズしている。
このまま流してしまいたい。
けど、忘れた頃にミツルの前で「あの時の」とか言われたくもないし。
勇気を出して聞いてみた。
「で?」
「『で?』って?」
「頼みごとって何だよ」
「したじゃん。SEX」
それだけなんだろうか?
本当に??
まあ、俺としては歓迎すべきことだろうけど。
「なもん、ミツルとすればいいだろ?」
「ミツルとはしたくない」
コイツはヒトのモノだ。
気が咎めないわけじゃない。
「また何かやったのか? しょっちゅうケンカしてんな、おまえら」
ミツルとは大学時代の友人だが、とりわけ仲が良いわけでもなく、もう何ヶ月も顔さえ見ていない。
なのに元々知り合いでもないコイツとは一週間に一回は顔を合わせる。

そんなこんなで知り合ってから早三ヶ月。
出会いは久しぶりに大学時代のゼミ仲間と集まった日の夜。
そこにはコイツの彼氏であるミツルも来ていた。
俺とは同じ業界で仕事をしていることもあり、結構盛り上がった。
その後、「ゼミ時代の写真を渡しそびれているから」とミツルのマンションへ。
そこにコイツがいたのだ。
「コイツ? ああ、俺の」
「俺の……?」
弟? 従兄弟? 親戚? 友達?
脳内を巡った単語は次の瞬間にばっさりと切り捨てられた。
「付き合っているんだ」
大学時代のミツルのお相手といえば、俺が知る限りド派手でグラマラスな女ばかり。なのに、まさか男を紹介されるとは……。
俺は自己紹介をしたが、ヤツはペコッと会釈をしただけ。その時は話もしなかった。
ただ、ブルーのサングラス越しにジッと俺を見ていた。
それは、もう失礼じゃないかと思うくらいに。


その翌日、電話がかかってきた。
『椎原さん?』
電話の声が誰なのか俺にはわからなかった。
『ライター、忘れてったでしょ?』
そこでやっと声の主があのブルーのサングラスだと気付いた。
まあ、昨日は一言も発していなかったんだから分からなくて当然だが。
「そっか。よかった。ミツルの家に置いてきたのか……」
独り言のように呟くと、電話から切れのいい声が聞こえた。
『じゃあ、ついでに持ってってあげるよ。家、三鷹なんでしょ?』
そして、本当に俺のマンションの近くまで持ってきてくれた。
「ミツルに渡してこいって言われたんだ」
聞けば、この辺りでバイトをしているらしい。
お礼に飯くらいおごってやるよという誘いをコイツは軽くかわした。
「帰りに寄っただけだから。それに、この後また別のバイトあるし」
今日は黄色いサングラス。
ミツルには『俺の』と紹介されただけで、名前も年齢も不明。
今の会話から、フリーターらしいということが辛うじて分かるだけだ。
さらに共通の話題と言えばミツルのことくらいしかない。
一緒に居ても間が持たないし、そのうえいかにも軽薄な黄色いサングラスをするようなヤツだ。
明らかに自分と相容れない種類のワカモノに俺はちょっとばかり怯んでいた。
誘ったのだって本当は社交辞令のつもりだった。
でも、コイツはそうは受け取らなかったんだろう。
「じゃあさ、椎原さんちでコーヒー飲みたい。俺、この後のバイトまで一時間ちょっとあるんだよね。時間潰すにも金ないし。ダメ?」
意外にも人懐っこく話しかけてくるヤツに気を許し、コーヒーくらいならとOKしたのがそもそもの敗因だった。


「シャワー借りてもいい?」
コーヒーを入れている俺の背中に向かって遠慮のない声が飛んできた。コーヒーはまだドリップ中で、もうしばらくかかりそうだった。
「バイト先の倉庫で探し物してたらホコリかぶっちゃってさ」
言われてみるとTシャツの肩の辺りが埃っぽい。
「ああ、いいけど。タオル、そこに入ってるから」
「Tシャツも貸して欲しいな」
図々しいヤツだと思ったが、俺はクローゼットの引き出しから比較的新しいTシャツを出してヤツに投げた。
「Thanks」
サングラス越しに片目だけをぱっちりウィンクして、ヤツはバスルームに消えた。
そこまでは「なんだかなぁ」と思っただけだったのだが。


水音が止み、ドアが開いた。
「コーヒー入って……」
ソファに座ってヤツを見上げる俺の語尾が消える。
「どうも」
にっこりと笑ったヤツの顔に、一瞬驚いてしまった。
フロ上りなのでもちろん軽薄なサングラスはしていない。もともと整った顔とは思っていたが、想像していた素顔よりずっと大人びていた。
シャワーで温められて上気した頬が色っぽい。
「何? 見とれちゃって」
ヤツがしゃあしゃあとそんなことを言ったので、俺も正直に答えた。
「もっとアホっぽい顔かと思ってたんだよ」
ふうん、と言いながらまたにっこりと笑う。
「いいね、椎原さん。俺の思った通り。結構、正直で」
「なんだよ、『結構』っていうのは」
「ミツルのトモダチって回りくどいタイプが多いんだよ」
「ああ、そう」
どうでもいいと思いながら気のない返事をする俺の腹を探るように、また微妙な言葉が付け足された。
「それ言っちゃうとミツルもなんだけどね。……知ってた?」
「知らないね。実はそんなに親しくないから」
よかった、と意味ありげな笑い。その後ヤツがしたことは、ソファに腰掛けている俺の目の前で今着たばっかりのシャツを脱ぐことだった。
「……な、んだよ?」
男に押し倒されたのは初めてだった。
面食らった俺はしばらくフリーズ状態。
嫌悪感でもあれば即座に払いのけるとかしたんだろうけど、そんなものもなかったので、ただ呆然としているだけ。
自分の身に起こっている事がすぐには理解できなかった。
ようやく事態が飲みこめても次に何をすべきなのかわからない。
そういう情けない状況だったのだ。
「ミツルには言わないで」
小悪魔的な笑みにゾクッとし、同時に脳から危険信号が発せられた。
「ちょっ……待てよっ……」
俺の言葉なんて全然聞いちゃいない。
慣れた様子で唇を塞ぐ。歯列を割って入りこむ舌が絡みつく。
生乾きの髪から漂う匂いが本能を刺激し、シャツを捲り上げて肌を合わせると一気に体温が上がった。
手のひらに広がる滑らかな感触がたまらなく気持ちいい。
気がつくと俺は自分の服を脱ぎ、ヤツの身体を貪っていた。
「う、ん……あっ……」
吐息交じりの喘ぎ声が俺を煽る。
唇を吸い合う淫らな音が耳に飛びこんできて、気持ちも体もどんどん昂ぶっていった。
俺の体に覆い被さったままのヤツの口から押し殺した喘ぎ声が漏れると、たまらずその白い喉元に吸いついた。もう、完璧に勃っていた。
ゆっくりと舌を這わせ、肌の感触を楽しむ。
あちこちをまさぐっていた手ヤツの腹の下に滑らせると、苦しげな声がそれを止めた。
「……もう、挿れ……て……」
長い指が俺の腰に触れ、そっと導く。
それでも躊躇っていると、焦れたように自分から上に乗り、ゆっくり腰を落とした。
―――うあ……っ
俺の方が叫びそうになった。
さすがにキツイ。
けど。
「……う、んっ……椎原さんっ……イイっ……」
上気した頬で身体を仰け反らせるヤツを見上げながら、俺のモノは顕著に肥大した。
腰を抱きながら上半身を起こす。
間近で見るその顔は、俺の理性を吹き飛ばすのに充分なほど色っぽかった。
「……ん、……もっと……」
うっすらと涙で潤んだ目がこちらを見つめる。身体をくねらせ、吐息を絡みつかせて、泣きながら腰を振るヤツに欲情しまくって、俺はこの状況以外の全てを忘れてしまった。
ヤツがミツルのコイビトであることも、名前さえ知らないことも、忘れ物を届けにきただけだってことも、全部。


それからしばらくして。
気が付くと、脱力感と、ものすごい倦怠感の中で背もたれの倒されたソファに横たわっていた。
腕の中にはヤツが眠っている。
柔らかい髪が俺の頬をくすぐっていた。
近くで待ち合わせてライターを受け取り、部屋に案内してからもう二時間以上経っているだろう。
もぞもぞと動き出したヤツに俺は遠慮がちに尋ねた。
「……な、おまえ、バイトいいの?」
これのせいでクビになったりしたらと俺は本気で心配した。
だが。
「大丈夫、それ、嘘だから」
ヤツはしゃあしゃあと笑って答えたのだった。
「……なんだよ、それ」
自分の耳を疑いながら固まっている俺に、
「バイト、さっきので終わりってこと」
ご丁寧に補足説明をしやがった。
だったら、なんでこんなことを?
ここに至った経緯を思い出すことさえできずにいっそうフリーズしていると、いかにも悪魔的な笑顔が向けられた。
「ちょっと頼みごとがあるんだけど」
……そういうことか。
「おまえ、身体売って他人に頼みごとするのかよ」
「売ったわけじゃないよ。ちょっとしたくなっちゃっただけ」
「ちょっとぉ? ってなぁ、おまえ……」
「じゃあ、抱かなきゃいいのに」
確かにそうだ。反論の余地はない。
そんなわけで。
「……なんだよ、頼みごとって」
結局、聞いてしまう自分が情けない。
こんな手の込んだことをするくらいだ。どんなスゴイのが来るのかと身構えていたのだが、ヤツは意外にもしおらしく、そしてかなり遠慮がちに要望を述べた。
「今日……ここに泊めてもらえない?」
頭の中でその言葉を復唱する。
何度考えてもたいしたことじゃない。
「ミツルとケンカ中なのか? 他に行くとこないのかよ」
「あるけど……椎原さんのとこに泊めて欲しいなー」
その言い方にはまあまあ可愛げがあったんだが。
……なんかよくわかんねーな。
「そんくらいのことなら普通に頼めよ」
「断られたくなかったし」
「だからっていきなり男を襲うか?」
口説けば抱きそうな気がしたんだろう。
少なくともフロ上りのコイツを見てドキッとしたのは事実だ。
「よくなかった?」
「そういうこと言ってんじゃないだろ」
SEXの感想を言えというなら、滅茶苦茶よかった。
けど、そんなこと口が裂けても言えるはずがない。
「もう1コ頼んでもいい?」
「なんだよ」
「メシ食わせてくれない? 俺、金持ってないんだ」
俺も持ってない。
……とは、さすがに言えなかった。
「高いもんはダメだぞ」
「ついでに明日の電車賃借りていい?」
「ちゃんとミツルんとこ帰れよ」
「それから、」
「まだあんのかよ?」
こうなるともういくつ頼まれても一緒だという気がした。
「もう一回、しよ?」
ふざけてるのかと思えば、わりと真顔だ。
「バカ。できるかっ」
「ぜんぜん大丈夫そうだけど?」
ヤツがいたずらっぽい笑みを浮かべながら俺の下半身に自分の身体を押し付ける。こんな現実的な会話をしながらも、俺は目の前で裸体を晒しているコイツにまた欲情してしまっていたのだ。
「そーゆーこと言ってんじゃないだろーよ」
「頼みごと、もうコレで全部だから」
腕の中で見上げながら細い指が俺の頬に添えられる。
「だから、ね?」
少し微笑んだまま。
さっきみたいな無理やりで激しいものじゃなく、甘くて柔らかいキスが降りてきた。
仕方ねえなぁ……なんて顔はもちろん演技で、結局ヤツを抱き寄せてしまう俺。
なんでこういうことになるんだろうと思わなかったわけじゃない。
けど、なんか。
「おまえ、見た目より図々しいよな」
「そう?」
恋愛感情に似た気持ちが俺を支配していた。
腕に抱いて、キスをして、SEXをして、疲れたら眠って……
あまりにも自然で、まるで恋人同士みたいだった。
――――……ヒトのものなのに
絶え間なく喘ぎ声を漏らす半開きの口に自分の唇を押しつける。
柔らかい髪を絡めた指がヤツの頭を押さえつけ、もっともっと深い口付けを要求する。
ヤツは苦しげに眉根を寄せながらもそれに応えた。




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