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「なあ、麻貴……」
思った通り、樋渡に起こされた。
腹が減っていたことを除けば、普通の朝だった。
「……ん〜、なに? メシ食いに行く?」
昼にはまだ早い。けど、朝食には遅い時間。
時計から目を移すと、樋渡が情けないほどマジメに俺の顔を覗き込んでいた。
「……なに? どうしたんだ?」
「おまえってホント、ぜんぜん平気なんだな」
「何が?」
わからない振りをしたわけではない。
俺はまだ寝ぼけていた。
「それとも本当に俺とするのが嫌なのか?」
昨日までのすれ違いは、俺の中ではもうすっかり過去になっていた。
「……ああ、そのことか」
くどいようだが、俺は本当に寝起きで頭が働いていなかった。
だから、その言葉に深い意味はなかったのだが、樋渡の耳にはまるっきり無関心そうに響いたに違いない。
のっそりと起き上がると気だるくベッドに腰掛けた。
「樋渡、もうちょっと寝てれば? 休みなんだし」
寝転がったままの俺からは樋渡の背中しか見えなかった。
「……いや、いいよ。起きる」
くぐもった声の理由など考えなかった。
「じゃあ、俺も起きようかな。腹減ったし。なんか買ってくるよ」
なんとなく元気のない樋渡に朝飯を作ってもらうのは気が引けた。
たまにはコンビニ朝食もいいだろうと思った。
「いや、適当に作るから。麻貴はもうちょっと寝てろよ」
樋渡は振り向きもせずにそう言って自分の部屋に消えた。
「変なヤツ」
仲直りしたんだからいいじゃないか、と俺は思った。


俺がシャワーを浴びてすっきりしたところで、食事の用意ができた。
「いただきま〜すっ」
俺は既に食卓しか目に入ってなくて、樋渡が見つめていることなど気付きもしなかった。
「麻貴」
「……んん?」
トーストを目いっぱい頬張ったまま顔を上げると樋渡が少しだけ微笑んだ。
「うまいか?」
「んっ」
ハムエッグを食べ、オレンジジュースを飲み、サラダを詰め込み、あっという間に俺の朝食は終了した。
対照的に樋渡はゆっくりと食べていた。
「おまえ、腹減ってないの?」
樋渡もいつもはそこそこ早く食べ終わる。
「昨日の酒が残ってんだ」
「そっか。珍しいな」
どんなに飲んでも二日酔いにはならないヤツだと思っていたのに。

樋渡が食べ終わるのを待って、テーブルを片付けた。
その間に樋渡がコーヒーを入れた。
マグカップを持ってソファに行き、新聞を広げる。
樋渡の視線が気になった。
「樋渡、ちょっと休んだらどうだ? 茶碗洗い、俺がするから」
「いや、大丈夫だ。具合が悪いわけじゃないからな」
「けど、おまえ、変だぞ?」
樋渡はいつも変だ。だが、今朝はいつもとは違う意味で変だった。
そんなことを言われても黙っているのが、本当に変だ。
昨日までのことを気にしてるわけじゃなさそうだ。
だとすると今朝の会話か……?
「樋渡」
試しにちょっと誘ってみることにした。俺だって溜まらないわけじゃなし、することになってもまあいいかと思ったから。
「おまえもシャワー浴びて来いよ」
樋渡が訝しげに目線だけ動かして俺を見た。
嬉しそうでもない。
ってことは、外れか?
「嫌なら、いいけど」
言い終わらないうちに樋渡が着替えを取りに部屋に行った。
すぐに部屋から出てくると鼻歌を歌いながらバスルームに消えた。
俺は手早く洗い物を済ませた。
手を洗って、歯磨きをしていると樋渡が出てきて俺を後ろから抱き締めた。
既に下半身は一杯一杯だった。
「麻貴、リビングでやらせて」
「なんでリビング?」
「リビングが一番明るいから」
「ソファの上じゃ狭いだろ? カーペットの上とか、やだぞ??」
「大丈夫。ソファからは落とさないから」
「……俺、明るいのも好きじゃないんだけど」
「カーテン、閉めるから」
「当然だろ」
既に嬉しそうな樋渡を見て安堵した。
ヤリたかったんなら、そう言えばいいのに。
なんだろうな、まったく。
らしくない。いつも、有無を言わさず押し倒していたくせに。
変な物でも食べてあたったのかもしれない。
俺はマジメにそう思った。
樋渡は濡れた髪を乾かす事もせず、ソファの背凭れを倒してベッドに変えた挙句、カバーを掛け直した。
「そこまでしなくてもさ……」
「久しぶりだからな」
にっこり笑うと俺を座らせた。
いきなり押し倒すのかと思いきや、隣りに座るとしばらく俺の顔を見つめていた。
「……なに?」
クリーム色のカーテンから朝の陽射しが柔らかく差し込む。
至近距離でこんなに長い時間見つめられることなどなかったから、俺の視線はあっちこっちをさ迷っていた。
「樋渡さ、……しないわけ?」
「ん? するよ」
「だったらさ……」
焦らされてるのか、俺。
「もう少し、このままでもいいだろ?」
「……いいけど」
なんか、調子狂うよな。
妙にドキドキして、息苦しいような気がした。
なのに、樋渡は微笑んだままだ。
視線を感じるけど、見返すことも出来ない。
何を見てるんだろう。
かすかに微笑んでいる樋渡の口元を不思議な気持ちで眺めていた。

「麻貴、」
どれくらい経ったかわからないけど、ようやく樋渡が俺に触れた。
右手は頬に、左手が肩に。
「こっち、見て」
「……うん、」
ドキドキが収まらないまま、顔を上げた。頬が赤くなるのを感じた。
樋渡は笑わなかった。
いつものように「可愛い」と言って茶化すこともなかった。
ただ緩やかに微笑んだまま、そっと唇を合わせた。
深く入り込む事をしないまま、長い時間そうしていた。
ときどき唇を離し、またそっと触れて、それを何度も繰り返した。
「……樋渡」
「なに?」
また正面から見つめられて続きの言葉を失った。
陽射しに透けて明るい褐色になった髪がさらりと額に降りてきた。
それを樋渡の長い指が掻き揚げた。
「……なんでもない」
最初に俺の髪を後ろに流して、それから自分の髪を無造作に払った。
俺は、自分の鼓動を感じながらも樋渡を見ていた。
整った顔に、長い指に、涼しい目元に、目が行ったきり離れなかった。
「麻貴、」
不意に樋渡が笑った。照れたように、困ったように……。
「そんな風に俺を見てくれたこと、なかったよな」
少し淋しそうにも見えた。
そうなのかもしれない。
「……俺、あんまりちゃんと、樋渡のこと、見てなかったかもな」
好きになってはいけない相手だから、できるだけ目を逸らしていたのかもしれない。
けれど。

やっと受け入れられるような気がした。
樋渡が好きだと言ってくれることを。
それから、自分の気持ちも。


なのに。
Tシャツを脱がせた辺りから、樋渡はいつもと同じになった。
唇を逸れた舌先は、首筋を通って鎖骨のくぼみに下りる。
「樋渡っ、変なとこに痕つけんなよ?」
「大丈夫だから心配するな。それより、もう少し集中してくれよ。久しぶりなんだから。ほら、麻貴、腰上げて。それじゃあ、脱げないだろ? 少しは協力しろよ」
一度はいいと言ったものの、やっぱりリビングは明るすぎる。
快晴の空がカーテンの隙間から覗くような部屋ですることに抵抗があった。
俺は樋渡の言うことを完璧に無視した。
「ふうん」
不満そうな声が降って来る。
無理やり脱がせはしなかったが、あまりにも非協力的な俺に焦れて、樋渡が身体のあちこちを舐め回しはじめた。
それも、内腿とか、膝の裏とか、変なところばっかりだった。
「あ、んんんっ……」
足の指の間を舐められた時、全身に痺れが走った。
「……ちょっ……樋渡っ、そういうところ、舐めるなって……」
ピクッと震えた内腿の筋肉に指を這わせながら、樋渡が俺の身体に覆い被さった。
「麻貴。この期に及んでなんで抵抗するんだ?」
今度は耳朶を舐める。
「……樋渡が、変……なことばっ……かりする、からだろ……」
俺、耳はダメなのに。
もう、考えることなんて出来ない。
今度は耳の後ろ。それから、また首筋。でも、今度は下から上に舐め上げた。
またゾクリと肌が粟立つ。
「なら、変なことさえしなければ、積極的に応じてくれるんだな?」
……俺、墓穴を掘ったか?
樋渡の誘導尋問か?
「麻貴、返事は?」
舌先がまた耳に戻った。
「……ベッドに……行くなら、考えてもいい、けど……」
樋渡はにこやかに笑って俺の身体を起こした。
「じゃあ、決定。俺の部屋で」
気が変わらないうちにとでも思ったのか、さっさと俺を部屋に引っ張って行った。
「カーテン、閉めろよ」
樋渡の部屋は遮光カーテンだから、閉めればほとんど見えなくなる。
「真っ暗になるだろ?」
「変なこと、しないんだろ?」
それを聞くと樋渡は肩を竦めた。
「変か?」
「変だろ。絶対。なんで明るい所でヤルんだよ??」
仕方なさそうに「まあ、いいか」と言ってカーテンを閉めた。
「麻貴がどのくらい積極的に応じてくれるのか、楽しみだな」
意地悪い笑みが浮かぶ口元を無意識のうちに睨んでいた。
俺がそんなことするわけないと思ってわざと言っているだろ、コイツ。
「じゃあ、始めようか?」
薄暗くなった部屋で、お互いの服を脱がせた。
それも樋渡が『自分で脱ぐんじゃ面白くない』と言い張ったからだ。
人の服を脱がせるのが面白いとは思わなかったが、変なことでもないので言う通りにした。
樋渡の指が鎖骨をなぞる。
俺の手を掴んで、自分の胸に当てた。
鼓動が手のひらから伝わってくる。
肌に直接触れると、身体に熱が押し寄せた。
意識しないように大きく息をついてみたが、結局すぐに我慢できなくなって、自分から身体を合わせた。

静かな部屋に呼吸音と肌の擦れ合う音だけが響いた。
肌の上を滑る樋渡の手が胸の突起に触れた時、電気が走ったようにビクンと身体が弾かれた。
甘噛みされていた舌先が樋渡に吸い取られた。
「ん、っく……」
胸に与えられた刺激が強まると、無意識のうちに腰が動いた。
何もつけていないお互いの下半身が直接触れ、押し付けあって、硬さや熱で高まりを確認する。
どちらの物ともわからない透明な液体が、身体を汚して行った。
ヌルヌルと滑りながら刺激し合うものに指を絡めて愛撫する。
そのまま膝を割られ、樋渡の体が腿の間に入り込む。
いきり立ったものが股間をなぞった。
唇はずっと塞がれたままで、麻痺しそうなほど強く吸われていた。
自分から反応を返せば返すほど、樋渡は深く強く求めてくる。
呼吸さえ止まってしまうような錯覚に陥り、めまいがした。
深いキスから逃げないように片手で俺の頭を抑えつけ、もう一方の手は休むことなく手淫を続ける。
このまますぐにでも出してしまいたい気持ちと、奥深くまで突かれて果てたいという気持ちがない交ぜになる。
葛藤の間に身体はどんどん熱を高め、限界に近づいて行った。
「はっ……ん、ああっ……」
苦しくて、樋渡の身体を押し退けた。不意に肺まで吸い込まれた生温い空気が頭の中を空白にする。
「麻……貴……」
再び樋渡の腕にきつく拘束され、身体の自由を奪われた。
耳元で呟く甘い声が、後孔と性器に耐えられないほどの疼きを与える。
気が狂れるほどの快楽を欲して、腰をすりつけた。
「……欲しいのか……?」
熱に浮かされたまま頷いた。
待ち切れないように身体を絡みつかせながら。
「……いい子だ。可愛いよ、麻貴。」
呪文のように同じ言葉が巡って行く。
もっと、深く、激しく――――――
絶頂を極めるために、留めている時間の苦痛。
「……早く……っ」
奥深くまで、満たされたかった。
焦れて口にすると見下ろしていた瞳が笑った。
「いいけど、すぐにはイカせてあげないからな?」
そんな言葉も頭を通り抜けて行くだけだった。


いつまでそうしていたのかわからない。
意識がはっきりした頃には、もう日は傾きかけていた。
ベッドの中でぼんやりしていると、隣りで樋渡の笑い声が聞こえた。
「麻貴ってさ」
そう言った樋渡の顔は、いつも面白がって『可愛い』を連発する時と同じだった。
「なんだよ?」
俺は条件反射で不機嫌になった。
宥めるように樋渡の手が髪を梳く。
「カラダと脳みそ、繋がってないだろ?」
「……どういう意味だよ??」
「触ったモン勝ちだってこと」
「なんだよ、それ??」
俺の問い掛けを無視して、樋渡は顔を顰めた。
「心配だな……」
そんなことするヤツ、他にはいねーよ。
まったく。


そんなこんなで週末は最悪だった。
土曜も日曜もわからなくなるくらい、樋渡の部屋でゴロゴロしていた。
というより……起き上がれなかった。



月曜もまったりした気分が抜けず、またしても樋渡に支えられながら電車に揺られた。
ダルいとか、そんな言葉で片付くような状態でもなかった。カラダが重くて、あちこちが痛む。
樋渡がすっきり爽やかに「おはよう」なんて挨拶をするたびにムカつくほどに。

気だるくパソコンに向かっていると、後輩に声をかけられた。
「なんだ、もう仲直りしたんですか?」
そう言えば、ケンカしてたんだっけ。
他人のことなのに、良く覚えてるよな。
「……そうだけど」
わざわざそんなこと言わなくてもいいのに、と思っていたら、どうやら言いたいことがあるらしい。
「あのですね、森宮さん……」
なのに言いよどむ後輩たち。
進藤がワイシャツの襟元を指し示した。
嫌な予感がした。
トイレに行って首筋を見ると、やっぱりだった。
「あのヤロー……。あれほどつけるなって言ったのにっ……」
俺の独り言を個室にいた課長が聞いていた。
「樋渡が相手じゃ、何を言ってもムダなんじゃないか?」
手を洗いながら鏡越しに首筋の痕を見て苦笑していた。

取引先に行く前に、バンドエイドを貼り付けた。
聞かれたら、ひげを剃る時に手元が狂ったとでも言おうかと思って。
樋渡には警告のためメールを送った。
『痕はつけるなって言っただろ? そういうことするなら、もう二度とやらねーからな』
会議中のはずなのに、すぐに返事があった。
『悪い。俺のモノだって思ったら、嬉しくて、つい』
俺も即行で返した。
『おまえのモノなんかじゃないって言ってるだろ??』
それについてのコメントはなかった。
代わりに来たのは、
『夕飯はシチューだから、早く帰って来いよ』
というメールだった。
適当にはぐらかしやがって。


……まあ、どうでもいいけどな……



結局、イマイチ曖昧なまま、俺と樋渡は続いて行くのだと思った。
どこまで続くかなんて、見当もつかないけれど。

                                        end



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