微妙な夏休み
-1-



樋渡が家出した。

コトの起こりは先々週の土曜。
週末恒例の樋渡の攻撃に備えて、俺はちゃんと自分の部屋に鍵を掛けて寝てた。
なのに。
目を開けたらすぐ隣で樋渡が笑ってた。
「なんでおまえがここにいるんだよ??」
あせって飛び起きた。
「麻貴と一緒に寝たかったから」
そう言われ、慌てて自分の体を確認した。
まだパジャマも着てたし、ボタンも外れてなかった。
それにはホッとしたけど。
「……鍵かかってたはずだよな?」
そうだよ。昨日、しっかりと確かめたはずなのに。
「開けた」
「どうやって」
「壊して」
そりゃあ『開けた』って言わねーんだよ。
ったく……ニッコリ笑って答えやがって。
「どうやって直す気だよ??」
結局、修理するのは俺なんだろうけど。
休日にムダな仕事を増やされてムカつき倍増。
「別に直さなくていいだろ。鍵なんてかからない方がいいって。な?」
『な?』とか言ってんじゃねーよ。ったく。
「賃貸マンションなんだぞ? 自分ちと間違えてんじゃねーよ」
朝からコイツの脳についていけず、普通に怒ってみたんだけど。
「なら、マンション買おうか。俺と麻貴ちゃんの名義で。二人で一生を過ごす家ってよくないか?」
樋渡の思考回路は何が何でもそういう話に発展するんだよな。
「なんならローンは俺が全額払ってもいいぜ? な、どう?」
コイツとこれ以上話しても時間の無駄だ。
「麻貴ちゃんと俺の家かぁ……友達呼んでホームパーティーとかしてさ……いいよなぁ」
すでに遠くへ行っているわりには、さっきからなんとか腕枕をしようとしている樋渡を足で押して遠ざけた。
「……とにかく、俺、寝るからな。安眠妨害するな」
このまま一人で簀巻き状態になって寝てしまおうと思ったんだけど。
あと少しで樋渡がベッドから落ちるという時にいきなり足首を掴まれた。
反対側の足で蹴飛ばそうとしたが、そっちもしっかり掴まれてあっという間に身動きが取れなくなった。
「放せよ。怒るぞ??」
ってか、もう怒ってるけど。
「すぐに寝させてやるから。麻貴だって朝は勃つだろ?」
そういう問題じゃねーんだよ。
朝、5時だぞ。5時。どうかしてるよ、コイツ。
「それじゃ。すぐに気持ちよくしてやるから、パジャマ脱ごうな、麻貴ちゃん」
「ふざけんなっ」
「なら、脱がせて欲しい? それとも、着たままでパジャマプレイ?」
なんだよ、そりゃあ??
「ぜってーやらねえっ」
とは言ったものの、鍵が壊れてるんじゃ逃げ場は風呂かトイレか。
後は外だけど。さすがにパジャマじゃ出られねーしな。
……どうしよう。
「麻貴ちゃんがその気ならそれでもいいぜ。たまには抵抗されるのも燃えるんだよなぁ」
樋渡はもうすべてのスイッチが入ってるらしく、目がイッてた。
本当に面倒くさいヤツだ。
すぐ終わるならヤッてもいいけど、んなことあるわけねーよなぁ……
いろいろ考えてみたが結論は出ず。
「どうしたの、麻貴ちゃん。お返事は?」
そう言われてまたムカついて。
やっぱり絶対拒否してやるって思った時に、
「それとも無理やりがいい?」
そんなことを言われて、このままだと何も答えなくてもそうなるんだろうなと思ったら眩暈がした。
「ま〜きちゃん。お、へ、ん、じ、は?」
こういうところがムカつくんだけど。
「わかったよ。やりゃあいいんだろ……」

――――面倒だったので諦めた。

「なんかあったのか? 今日は素直だな。まあ、それも可愛くていいけど。真面目に可愛いよ、麻貴」
せっせと俺のパジャマを脱がせて、途中であちこちにキスマークをつけて。
「しかも全部俺にお任せなのか? いいよ、なんでもしてやるから、可愛い声たくさん聞かせろよ?」
ぐだぐだといろんなこと言うし。しかも、耳元だし。
「……いちいちうるせーよ。さっさと終わらせろ」
「はいはい。俺の可愛い麻貴ちゃん」
「いちいち『俺の』とか『可愛い』とか『ちゃん』とかをつけるなっ」
後で覚えてやがれ。
樋渡が最低1週間は立ち直れない反撃をしてやる。
絶対に。



「で。樋渡に何したんだ?」
中西が笑いながら聞いてきた。
「別にたいしたことしてねーって」
あの日以来、俺は毎日外食とコンビニの生活。
「でも、樋渡が家出するくらいだから、相当なことしたんだよね?」
進藤は真面目に心配してたけど。
「べっつにー」
ホントにそれほどのことはしてなかった。
まあ、多少のダメージはあるだろうと思っていたけど、家出するほどのことでもない。
マジで、なんで樋渡が帰ってこないのかわからなかった。
……まあ、俺にはラッキーなことだけど。
「けど、蹴飛ばされても無視されても麻貴ちゃんベッタリな樋渡が、森宮のそばを離れるなんてさ。絶対、すっげーことなんだよ。いいから、話してみろって」
中西はあまりにも楽しそうだった。
まあ、それがコイツの趣味だから仕方ない。
進藤じゃないけど、これが直らない限りコイツに彼女はできないだろう。
「話してよ、森宮。俺、明日樋渡に内線して様子を見に行ってくるから」
進藤は真剣に聞いていたけど。それほどのことじゃねーしなぁ……
「心配し過ぎじゃねーか?」
でも、同じビルで仕事をしていながら、樋渡とは一度も会ってなかった。
「森宮、電話もしてあげてないの?」
「当然だろ。樋渡が人の部屋のドアを壊すから悪いんだ」
俺の唯一の安全地帯を奪いやがって。
「でもさ、もうずいぶん経つよね?」
そう。樋渡は出て行ったきり、マンションに戻ってきてなかった。
もうかれこれ10日以上。
「いいんじゃねーの。会社には来てんだし」
まあ、当然だけど。
どんなにアホでも給料をもらわないと食っていかれないことくらい分かるからな。
「でも、最近ぜんぜん見かけないよね?」
「フロアが違うんだから当たり前だろ?? 普通は会わねーって」
っていうか、家出をする前の樋渡が人のフロアをフラフラしすぎてただけだ。
用もないのに「麻貴〜、仕事どう?」とか言いながら毎日毎日……
おかげでうちのフロアで俺らの関係を知らない奴は一人もいなくなった。
ったく、会社でなにしてんだか……
そんなことを思い出したら腹立たしくなってきた。
だいたい、樋渡が心配なら本人に聞けばいいものを。なんでこいつらは俺に聞くかな。
「だって森宮に聞いた方が面白いもんなあ」
中西がぷぷぷぷっと笑って答えた。
「樋渡なんて今頃、死にかけてると思うぞ。愛しの麻貴ちゃんに何されたか知んねーけど」
「だから、なんもしてねえっつーのに」
って答えたものの。
樋渡が死にそうな顔で仕事してるって話は俺も事務の女の子から聞いてた。
「この際、いっぺん死んだ方がいいんじゃないか。少しはまともになるかもしれねーよ」
少なくとも朝っぱらから人の部屋の鍵を壊したりはしなくなるだろ。
それも思い出すと未だにムカつく。
どうやって壊したのか知らないが、ノブを回さなくても押すだけで音もなく開いてしまう状態になってた。
それじゃあ樋渡の思うツボなんだけど。
面倒くさくて結局、ドアはまだ修理してなかった。
「また、森宮ったらそんなこと言うし。かわいそうだよ、樋渡」
俺を含めたこの3人の中でまじめに樋渡を心配してるのは進藤だけだった。
「別にいいだろ。実際、たいしたことはしてねーんだから。何度言わせんだよ」
ってか、理由を話すまではずっと聞かれ続けるんだろうな。
「それは分かったから。何したのか教えてよ、森宮」
「そうだよ、麻貴ちゃん。俺にも教えて〜」
そう言われて、あの日のことを思い出した。



『どう、麻貴ちゃん、気持ちよかっただろ? いっぱい出たし。2度もイッたし』
終わったあともなぜかあちこちをペロペロと舐められてて。
面倒くさいから、はじめは無視してたけど。
『やっぱり麻貴の中、気持ちいいよ。あったかいし、キツイし』
そういうことをニコニコ笑いながら言う樋渡にムッとした。
『麻貴ちゃん、こっち向いて。可愛い顔見せて』
俺がぐったりしてる横で無理やり目を合わせようとするのもムカついた。
『麻貴ちゃん、もう一回やろうか。今度はちょっと無理やりで。目隠ししてみるってどう?』
妙にはしゃぐのも俺の気分を逆撫でした。
だいたい人が寝てるのに、ドアを壊して起こした挙句、この態度。
絶対、おまえが間違ってる。
だから、言ったんだ。
『……もう、おまえとやるの飽きた。たまには女とやりてー』

その瞬間に固まった樋渡は何も言わずに部屋を出て行き、それから今日まで帰ってきていない。



「それだけ」
それを聞いて進藤だけじゃなくて中西も固まった。
「それだけって……森宮、それって、あんまりじゃないか?」
進藤にいたってはちょっと青ざめてた。
「そんなことねーだろ」
まあ、家出をする程度の衝撃にはなったようだが。
「可哀想っていうか……ひどすぎるよ。森宮がそんな奴だと思わなかった」
進藤、マジに非難するし。
「俺が悪いわけじゃねーだろ」
どう考えても、鍵をかけてる部屋にドアを壊して入ってくる奴が悪い。
って思ったんだが。
「森宮が悪いよ」
二人して声を揃えて言いやがった。
「なんでそうなるんだよ? おまえだって女の子と寝る方がいいだろ?」
そういう喩えもどうかとは思ったが。
「だって、付き合ってる相手がヤッた直後に面と向かって『他の相手とヤリたい』って言ったら森宮だってショックだよね?」
樋渡に言われてもショックなんて受けないと思うけどな。
むしろ嬉しいかもしれない。
週末くらいゆっくり寝たいからなぁ……
「森宮、なんとか言ってよ」
進藤がムキになっても仕方ないと思うんだが。
「んなこと言われてもなぁ。相手は樋渡だぞ」
そんなことくらいでヘコむわけねーよ。
絶対に。
……って俺は思ってたんだけど。
「だからこそだよ。森宮のこと世界で一番大事なんだよ? それを知っててよくそんなこと言えるよね?」
マジに怒られてしまった。
「んなこと言われてもな」
俺の返事に、「もういいよ」と進藤が言って。
「俺は知ぃ〜らない」と中西が言って。
その日は解散になった。



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