微妙な夏休み
-8-



「ふぁ〜……疲れる」
ついこの間まで樋渡は家出をしていて、俺は毎日一人でぐーたらしていたんだけど。
それはただ樋渡が留守だっただけで、本当に一人だったわけじゃない。
「だから、こうやって簡単に元に戻っちまうんだよな……」
風邪なんて引かなかったら、家出したままだったんだろうかと考えてみたりもしたけど。
「……んなこと絶対にねーよな」
それはそれでなんだかホッとするようなダルくなるような妙な感覚だった。
「まあ、いいか」
天井を見上げてふうっとため息をついた時、樋渡の声が降ってきた。
「麻貴ちゃん、牛と豚と鳥、どれがいい?」
なんだそれは……と思ったが。
ああ、カレーが食いたいって言ったんだったと思い出して、
「別になんでも」
それだけ答えて昼寝に突入した。
目を閉じて、ふっと息を抜いた瞬間に、
「おやすみ、麻貴」
耳元で樋渡の声がして。
その後、また「愛してる」の言葉とともに柔らかい感触が唇に広がった。
いちいちそれをやってからじゃないと台所に行かないところがマイナス30点なんだよなと思いつつ、樋渡が掛け直していった柔らかいタオルケットに包まった。

程よいエアコンとカレーの匂い。
こうやって、夏休みもなんとなく過ぎて行くんだろうと思った。


……けど。




「そんで? 樋渡はいつから自分の部屋にこもってるんだ?」
翌日の日曜、しかもけっこう早い時間に中西と進藤が押しかけてきた時も、樋渡は自室にこもったまま出てこなかった。
「昨日の夜。メシ食った後」
本当はヤッた後なんだけど。
まあ、それは説明しなくてもいいだろう。
「森宮、何したの?」
進藤にいきなり容疑をかけられて思い返してみたけど。
「別に」
これと言って思い当たることもなかったから、そう答えた。
「とか言って〜。また『女とやりてー』とか言ったんだな?」
「言ってねーよ」
……と、思うんだけど。
まあ、樋渡のスイッチが何に反応するのかはよく分からないから、原因が俺じゃないという確信もない。
「いいから、思い当たること全部話してみて」
って言うか、なんで最初っから俺のせいにするのかも分かんないんだけど。
「ちゃんと仲直りさせてあげるから」
進藤の気持ちは嬉しいが、仲直りなんてしなくても俺はぜんぜん平気だ。
でも、進藤と中西は樋渡に酒の肴を作ってもらうつもりで遊びに来たので、夕飯までにはどうしても仲直りさせないと気が済まないらしい。
だったら、自分たちで作ればいいと思うんだけど。よく考えたら、進藤は俺よりも料理がヘタだった。
「森宮、もしかして俺たちにも言えないようなことしたの?」
「んなわけねーだろ」
そこまで疑われたら、容疑は晴らしておかないと。
なので、面倒くさいとは思ったが、夕飯以降のやりとりを思い出しながら話してみた。



昨夜。と言ってもまだ結構早い時間。
「麻貴、ちょっと」
30分くらい眠った後で起こされた。
「んー……」
台所に行ってみるともうサラダは出来上がっていて、あと少しで米が炊き上がるという状態だった。
「これ、味見して」
程よく火の通った一口大のジャガイモが箸に挟まれた状態で差し出されたから、条件反射で口を開けた。
それを見た樋渡はゆるゆるの笑顔で2、3回ジャガイモを吹いて冷ましてから俺の口に入れた。
「辛さどうだ? 甘い?」
樋渡がすでに溶けかかっているのが嫌なんだけど。まあ、カレーを作ってる途中で何かをしたりはしないだろうし。
「いんじゃねーの?」
甘くても辛くても美味ければなんでもいい。
「うまい?」
答えたら、コイツがまた遠くに行ってしまうことは分かっていたけど。
嘘つくのもなんだし。
「……うん」
正直に答えたら。
「麻貴って本当に可愛いよな」
抱き締められて、撫で回されて、その後、無理やりキスをされた。
「んんーっっ!!」
俺はまだもぐもぐしてて、キスなんてできる状態ではなかったから、とりあえず飲み込むことに集中した。
「……食ってる時にするのだけはやめろ」
文句を言っても、樋渡の耳には入っていない。
一人で弾みながら夕飯の用意を続けていた。
「ったく、ホント暑苦しいヤツだよな」
まあ、もとから滅多なことではヘコまないから、そこまではいつも通りだった。


多分、問題はその後で。
食べ終わった後、リビングでくつろいでいたら、昼間のアレで味を占めた樋渡がまた悪戯をしはじめた。
「麻貴、もう一回一緒に達こう、な?」
どこへ行くんだと突っ込みたくなる気持ちは抑えて、ストレートに釘を刺した。
「いい加減にしろよ」
多分、こいつは俺が昨日まで風邪を引いていたことをすっかり忘れている。
「いいだろ? 明日もあさってもずっと休みなんだぜ?」
そりゃあ、そうだけど。
だったら何をしてもいいのかと言うとそんなことはないわけで。
「おまえってヤレればあとはどうでもいいんだな」
非難を込めて文句を言ってみたところで樋渡からは相変わらずの脳天気リアクション。
「そんなことないぜ。麻貴のこと愛してるって言ってるだろ?」
だから、それが違うんだ。
俺の言い方が悪いのか、樋渡の理解力に問題があるのか。
とにかく全く通じていない。
……まあ、それもいつものことだけど。
「とにかく、休みだからって毎日やろうとか思うなよ」
しかも、1日に何回も。
「なんでだよ。俺の可愛い麻貴ちゃんと二人きりで1週間の愛欲生活。イロイロとやることがあるだろ?」
何をしようと思ってるのか知らないが、相当ヤバイ感じなんだけど。
「大丈夫だって。もうそんなに溜まってないから、麻貴ちゃんご希望のプレイでしてやるぜ?」
こうなると何を言っても効き目がなさそうだ。
しかも、すでに樋渡の手はパンツの中を目指していた。
「触るなよっ」
それもいきなり股間ってどうなんだ?
「麻貴ちゃんはそのカワユイお口と違って体は素直だから。直接聞いてみただけ」
何にだよ……ったく。
「ここでする? ベッドがいい?」
俺が何を言っても、何も言わなくても、話は勝手に進んでいくから。
「1回だけだからな」
仕方なく寝室に行ってさっくりと終わらせた。
当然、俺はさっさと先に達ってしまってフテ寝態勢だったんだけど。それでも樋渡は異常にゴキゲンで。
「麻貴ちゃん、今日は素直で可愛いよな。ホントは俺のこと大好きだったりする?」
ゆるゆるの笑顔を見るのも、ふざけた会話をするのも相当にダルかったから。
話を逸らそうと思ってこの間から疑問に思ってたことを聞いてみた。
「おまえさ」
呼びかける間も樋渡は俺をペタペタ触りまくって、その上、ちょっと油断するとすぐにキスマークをつけて。
ついでに。
「なんだよ、俺の麻貴ちゃん。もしかして、もう一回やりたい?」
返ってくる言葉も脳天気を炸裂させてた。
「んなわけねーだろ??」
「じゃあ、なに?」
また耳を舐めようとする樋渡を足で押し退けて。
「おまえ、この間、自信満々に言ってたけどさ」
ちょっとムカついてたから、ややキツイ口調になったような気はするけど。
「うん?」
聞いた内容は本当にたいしたことじゃなかった。
「家出中になんのテク磨いてきたんだよ」

たったそれだけ。
なのに、その後、樋渡は自分の部屋にこもってしまったのだった。



「な? ぜんぜん俺のせいじゃないだろ?」
どこで何のスイッチが作動したのかは不明。でも、それからずっと部屋にこもりきり。
実は寝てるだけなんじゃないかと思ってたんだけど。
「それだけってさ……森宮……」
進藤は呆れ果てていた。
「なんでだよ。別に変なこと言ってないだろ??」
「テクを磨いてきた」とか言われたら、普通は「何の?」って聞くよな?
しかもあんだけ自信満々に言ってたんだから、よけいに。
「だって、それって面と向かって『ヘタ』って言ってるのとおんなじだもんなあ」
中西が本当におかしそうにケラケラ笑った。
「んなつもりでもなかったんだけどな」
ただ、自信満々だったわりには前と全然変わってないとは思ったけど。
「とにかくご機嫌取ってあげないと樋渡がかわいそうだよ。男のプライド傷つきまくりだし」
俺なら泣いちゃうね、と進藤が言って。
中西が笑い続けて。
「なんで俺が樋渡の機嫌を取るんだよ?」
どうも納得がいかないんだけど。
「だって森宮のせいだよ?」
進藤にあっさりと決め付けられて、背中を押されながら樋渡の部屋まで迎えに行く羽目になった。
「ったく、面倒くせー……」
言った瞬間に進藤に小突かれて、仕方なくノックした。
「樋渡、進藤たちも来てるんだから、いいかげんに出てこいよ」
別にそのままずっとこもっててくれても俺は全然かまわなかったんだけど、それは進藤が許してくれなさそうだった。
「聞いてるのか?」
しばしの沈黙のあとで返ってきた樋渡からの返事は。
「麻貴ちゃんが膝枕してくれるなら行く」だった。
「……脳天気かましてんじゃねーよ」
もう出てこなくていいから、永久にそこで寝てろと思ったが。
俺の気持ちなど知るはずもない進藤が、
「いいよ、それくらいなら、ね、森宮?」
無理やり返事をさせるような問いかけをしたので、とりあえず、でも、とてもしぶしぶ「ああ」と返した。
その次の瞬間に樋渡がスキップで部屋を出てきたことは言うまでもない。
進藤も中西も視界の外に放り出して、ベタベタと触りまくってキスをして、それからようやくカーペットの上に横になった。
もちろん頭は俺の膝の上。
身動きの取れない俺に進藤がビールをついでニコッと笑った。
「よかったね、仲直りできて」
無邪気な言葉が俺の脳を素通りしていく。
「……実はおまえらってグルなんじゃねーの?」
そんな愚痴をこぼしながら視線を落とすと、樋渡は気持ちよさそうに俺の腰にしがみついて眠っていた。
「おまえ、さっきまで寝てたんじゃねーの??」
ったく……なんだかなぁ……。



夏休みはまだまだ残っているんだけど。
「……俺、明日から会社に行こうかな」
そんな気分になってしまう微妙な日曜日だった。


                                      end

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