樋渡はヤラれてる。
しかも、カンペキに脳髄まで侵されてるカンジだ。
原因は恋煩いで。
その相手が口の悪いマイペースな男だ。
まったく世の中何が起こるかわからない。
樋渡から最初に森宮のことを聞いたのは、入社して間もなくの頃。
もう何年も前の話だ。
「最近どうよ?」
ビールで乾杯の後、俺の質問に樋渡はにっこり笑って「まあまあ順調」と答えた。
ついでに「好きなヤツができると人生楽しいよな」とか言い出して。
それだけでもビックリ仰天だったが、あまりに面白いから根掘り葉掘り聞いておいた。
「そのコの名前は?」
「麻貴ちゃん」
彼女を「ちゃん」付けになどしたことのない樋渡が妙に可愛らしく呼ぶもんだから、またまたビックリで。
でも、気を取り直してフルネームを教えろと言ったんだ。
「森宮麻貴? 女優みたいな名前だな。もしかして、すげー美人?」
俺の何気ない質問に樋渡は真顔で答えた。
「男だぜ」
俺の頭上にパッとハテナマークが飛び散った。
「……あのさ、今の話題って樋渡のダーリンのことじゃなかったっけ?」
飲んでる時だったから、酔っ払ったせいで噛み合ってないんだと思ったんだけど。
「だから。森宮麻貴がその相手。ただし、男」
「はあああ??」
今度は自分の耳を疑った。
そりゃあ、驚くよな。
「樋渡に、男の、恋人?」
「まだ付き合ってないけどな」
そんなことを問題にしてんじゃないって。
だってさ、俺が昔、男と付き合ってた時に樋渡は言ったんだ。
『よく男に恋愛感情なんて持てるよな。男の体なんか触りたくないだろ』
ノンケなら普通のリアクションだ。別に腹も立たなかった。
けどさ、そんな過去はキレイさっぱり忘れて、しゃあしゃあと「男に惚れた」って言っちゃうわけ?
ホントいい性格だよな、樋渡。
「んー、まあ、いいかぁ……でー、それって同じ会社のヤツ?」
ショックから立ち直って現状の把握に努める。
「同じ会社の同期で同じ部署だ。年は二つ下」
「ふ、う〜ん……」
我ながら妙なリアクションだぞ。
頷くか疑問に思うかどっちかにしろって。
「『ふうん』って……それだけか?」
他になんて言やぁいいんだよ?
でも、樋渡は聞いて欲しそうだった。
樋渡とは長年の付き合いだ。親友だ。
だから頑張って聞いてやった。
「あ、え〜……と、どんなヤツ?」
返事を聞くのが怖いような、もったいないような。
複雑な気分で聞いてみたんだが。
「可愛いんだよ。とにかく全部」
その瞬間からして、樋渡は全体的にゆるく溶けていた。
そして、それは現在まで続いている。
「……あ、そう。……よかったな」
よっぽど好きなんだな。
それは俺にも分かった。
あの樋渡がデレデレの笑顔で話すんだからさ。
そんなわけで。俺も森宮麻貴に興味を持った。
「……麻貴ちゃん、ね」
大学の時からつるんでいたから、樋渡の好みなんてカンペキお見通しさ、と思ってた。
いつだってお相手は派手なオネエさま系の美人。
正直、ワンパターンなヤツだと思ってた。
『どうせ遊び相手なんだから、後腐れのない女がいいだろ?』
それが樋渡のポリシーだったし、俺も「まあ、いいか(そんなもんオマエの勝手だ)」と黙認してた。
おかげで大学時代、樋渡の隣りには常に人目を引く美人の姿があった。
別れてもすぐに次の男が見つかるような女ばっかり取っ替え引っ替え。
少しでも嫌になるとすぐに新しい彼女を作って、飽きると「じゃあな」の繰り返し。
『んーなことしてると天罰が下るぞ〜』
何度もそんな会話をしてた。
んで。
「……きっと、これがその天罰なんだな」
俺はしみじみと納得した。
実際、樋渡のノホホンな彼氏話も長くは続かなかった。
入社数ヶ月後で仕事も落ち着いてきた頃のこと。
「で、どうなんだよ。愛しの麻貴ちゃんとは」
その一週間くらい前までは随分と楽しそうだったんだ。
森宮と一緒に仕事を任されて、楽しくて仕方ないって感じが電話から伝わってきた。
だから、その日もその話を振ったんだ。酒の肴にって思ってさ。
それが大失敗。
「……押し倒して、振られた」
「へ? 押し倒して、振られた?」
聞いた事をそのまま復唱した。
樋渡が頷いた。
そりゃあもう、この世の終わりっていう顔で。
「振られたってさ……」
当たり前だ。
ノンケの男をいきなり押し倒すヤツがあるか。
樋渡、もしかしてバカだろ?
「無理やり迫ったのか? 合意だったけど途中で麻貴ちゃんが冷めたのか?」
無理にキスでもして引かれたんだろうと軽く考えていたが。
「いや。酔っ払って体が動かないのをいいことに、腕を縛って無理やり入れた」
……本物のバカだった。
しばらく開いた口が塞がらなかった。
でも、気を取り直して会話を続けた。
「どうでもいいけど犯罪だぞ、それ」
「ああ」
「訴えられなかったのか?」
「別に何も。仕事の話なら、今でも普通に口は利いてくれるよ」
おおらかなヤツなのか。
そいつもバカなのか。
それとも究極の無視なのかはわからんけど。
「後のこと、考えなかったのか?」
おんなじ会社で毎日顔を合わせる相手だっていうのにさ。
「我慢してた。ずっと。……けど、キレた」
「キレたって、なぁ……」
か〜っ。なんてバカ。
ホントにバカ。
信じられないバカ。
「一緒に俺の部屋で酒飲んでて、気がついたら押し倒してた」
今にも死にそうになってる樋渡には悪いけど。
さっさと忘れて、もっと建設的な話をしよう。
っていうか、コレ以上真面目な話なんてされたら、俺、吹き出しちゃうよ。
「もうダメだろ、それ。さっさと諦めるんだな。んで、会社にはそのままいるつもりなのか?」
ヘンタイ呼ばわりされながら仕事なんてできないだろうって思ったんだけど。
「辞表を出したら課長から返された。麻貴にも辞めなくていいって言われた」
この期に及んでまだ『麻貴』なんて呼んじゃうんだなぁ。
なんだか樋渡が可哀想になってきた。
「でも、まあ、優しいんじゃないのかぁ?」
普通なら激怒するだろ。
例え仕事のことだって口なんか利きたくないはずだ。
「優しいって言うか、俺の事なんてどうでもよさそうだったけどな」
う、う〜ん……そのセンもありか。
けど、その場合はよほど冷めた奴なんだろうな。
そういうヤツが樋渡の彼氏になんてなるとも思えず。
だとすれば、やっぱり天罰だな。
コレを機に悔い改めろよ、樋渡。
「でもわざわざ辞めなくていいって言ってくれたんだろ?」
それだけでもせめてもの救いだ。
神様にすっかり見捨てられてなくてよかったと喜んでおけ。
「それも同期のヤツに無理やり言わされてた」
どっぷり落ち込む樋渡なんて見たこともない。
可哀想だとは思ったが、人生なんてそんなもんだ。
だいたいコイツは本気で惚れた相手に振られたことなんてないだろうからさ。
若いうちにイロイロお勉強しておくんだぞ、樋渡君。
そんでお互い渋いオヤジになろうな。
「ま、さっさと忘れろ。で、さっさと次の相手を見つけろよ」
「……そうなんだけどな」
煮え切らない返事も樋渡の口から出たとは思えない。
しかも、暗ぁ〜い溜息つきだ。
バカだねーとこっそりつぶやき、さらに心の中でゲラゲラ笑いながら、その日は一晩中樋渡を励ましてやった。
俺って、いい友達だ。
そんなことがあったけど。
その後すぐに樋渡は東京から大阪に転勤になり、俺も森宮のことはすっかり忘れてた。
んで、3年後。
樋渡が東京勤務に戻った。
すぐに俺も札幌から戻って最初の電話。
「はぁぁぁ? マジ??」
どういう経緯かわからないが、なんと森宮との間はめでたく修復され、なおかつ付き合い始めたと言われ、脳がパニックを起こした。
仲直りしたという事実にも驚いたけど。
「おまえ、三年も諦めてなかったのか?」
その事実に驚愕した。
樋渡、人格変わったのか?
……いや、大人になったんだな。
一人でさっさと落ち着いていく樋渡に俺はちょっとだけ焦ったりもしたんだが。
「じゃあ、来週、俺の麻貴ちゃんを紹介するから」
ああ、そう。
今でも相変わらず『俺の麻貴ちゃん』なわけね。
「楽しみにしてるよ」
っつーか。
もう、今の段階で充分おかしいよ。
樋渡、最高。
「手、出すなよ」
「俺、最近は女にしか興味ないから」
「けど、すっげー可愛いんだぞ?」
はいはいはいはい。
そこでようやく俺も気付いた。
樋渡は大人になったわけではなく、脳がヤラれただけだってことに。
そんなこんなで。
俺はすっごく楽しみにしてたんだ。
『愛しの麻貴ちゃん』に会えるのを。
樋渡があれだけ骨抜きにされるって言うには相当の美人だろうと思ってさ。
脳内妄想爆裂で、『男だけど色っぽい美人ちゃん』を想像してた。
けどな。
……森宮はフツーの男だった。
顔は、まあ、そりゃあ、あの樋渡が惚れるだけのことはあるなと思ったけど。
予想してたのとは全然違った。
樋渡に無理やり押し倒されて、それでも友達に言われてわざわざ『辞めなくていい』って電話をかけて来るくらいだから、大人しくて優柔不断な感じを想像してたのに。
待ち合わせた居酒屋に森宮は遅れてやってきた。
で、「遅くなってゴメン」でもなければ、「待たせたな」でもなく、初対面の俺に不機嫌丸出し。
どうも樋渡に『麻貴』って呼ばれたのが気に入らなかったみたいなんだけど。
それにしても、なんていうか、そこまで態度に出すかってほど。
ついでに俺の事もあんまり気に入ってなかったみたいで、こっちが愛想ふりまいてんのに、目線だけ動かしていかにも「聞いてません」的ないい加減な相槌とか打つし。
一応、それなりに世間話はするんだけど。
なんだか全てが面倒くさそうで。
……面白いぞ、こいつ。
そう思った。
樋渡が俺の紹介をして、俺もよろしくって言って。
その後、森宮が自己紹介。
「森宮です」
簡単だろ?
樋渡が『麻貴』って呼んでるのに、わざと苗字だけ言うんだからさ。
それも最高にムッとした顔で。
こっちはもう笑い転げる寸前でなんとか止めてたって感じだった。
けど、あまりにも面白いから、ガマンしきれずに、あれこれ話しかけてしまった。森宮も一応返事はするんだけど、顔に『馴れ馴れしい』って書いてあんのよ。
片一方で、樋渡は俺が森宮を気に入ったこともお見通しで、別の意味でムッとしててさ。
今までの樋渡ってホントに抜かりのないヤツで、俺がヤツをからかうことなんて滅多になかったんだけど、その時ばっかりは突っ込みまくりで。
ムッとする樋渡が激面白くって。
森宮も俺の隣りでムッとしたままメシを食ってるだけ。しかも、樋渡に対しての言葉といえば「余計なことすんな」「面倒くせー」「ふざけんなよ」。
全体的にこんな感じで。
コイツを『麻貴ちゃん』と可愛く呼ぶ樋渡のセンスに俺は感動したね。
なんて言うか。さすが樋渡。
その上、森宮がぜんぜん樋渡に懐いてなくて。
ただの同期でも、もうちょっと仲はいいだろうって思うほど。
そこらへんにいる女どもに言ったら、卒倒されそうなほど光栄なことだろうに。
樋渡を思いっきりヘンタイ呼ばわりだ。
しかも恋人なんかじゃないと言い張るし。
樋渡の話とは180度違ってた。
聞いていたのは、毎日森宮の顔を見て生活している樋渡の甘い生活だったもんで、そのギャップに大爆笑。
しかも樋渡がいちいち『俺の麻貴ちゃん』って呼ぶんだ。
おかしいって。絶対。
そんで、森宮がそれを大迷惑だと思ってるんだ。
それって、ぜんぜん両想いじゃないじゃんよ?
樋渡がムキになって「俺のもんだ」とか言うと、それ以上に森宮がムッとして。
更に樋渡が続けて言った言葉がコレだ。
「毎日一緒にいて、キスして、セックスして、一緒に風呂入って、一緒に寝てんだぜ?
それでも違うと思ってんの、おまえ?」
森宮がどれだけ不機嫌な顔をしたかなんて、言うまでもない。
樋渡と森宮の間には、まあまあ深刻な空気が流れていたんだろうけど。
俺にはカンケーないし。遠慮なく笑った。
それでも「実は仲良いんじゃん?」って思ったんだ。
こうやって押したり引いたり、ムッとしたりするのが、コイツらはきっと楽しいんだなってさ。
だから、俺も楽しませてもらう事にした。
だって、あの樋渡がマジなんだぜ?
楽しまないでどうするよ。
お開きになる頃には森宮もそれなりに打ち解けてくれて、俺は飲み友達が増えた事を喜んだ。しかも、こいつらは格好のつまみになる。
森宮を可愛らしく『麻貴ちゃん』と呼ぶ樋渡が、自分の事も名前で呼んで欲しいとダダをこねた時には本当に吹き出したけど。
そんな話も何度かしてるんだろう。
森宮の顔に『またかよ』って書いてあった。
「苗字呼び捨ては恋人っぽくないだろ?」
真面目な顔で森宮に言う樋渡のヤラれ具合は、それだけで相当なもんで。
俺は家に帰るまで一人でずっと笑ってた。
それからも、コイツらはイロイロあって。
なのに今ではひとつ屋根の下。
樋渡に語らせると「可愛い麻貴ちゃんとの甘くてラブラブえっちな日々」なんだけど。
実際に遊びに行くと森宮専用マイペース爆裂の異空間だったりする不思議な家庭だ。
今でも森宮が樋渡を全面的に受け入れることはなく、かと言って樋渡が「俺の麻貴ちゃん」と公言するのを憚る事もないまま、なぜかコイツらは続いてた。
普通ならとっくに別れてると思うんだけど。
「麻貴が照れ屋なだけなんだよ」
って樋渡は言うけどな。
可哀想なので、そのドリームは壊さずにいてやることにした。
実際、樋渡はどんなに冷たくされても楽しそうに世話を焼いてた。
森宮も遠慮なく樋渡を足蹴にしながら、ちゃっかり世話になってた。
まあ、本人にそれを言ったら否定するだろうけど。
樋渡は本当にマメで料理上手な嫁さんって感じだったから、森宮はきっとすっごく楽なんだ。
なもんで、それでいいことにしたんだろう。
もともと森宮は繊細そうな顔立ちのわりに、面倒くさいことは深く考えないヤツだし。
最近じゃ樋渡が甘やかすせいで、マイペースに拍車がかかってるし。
樋渡は自分で苦労のモトを作ってると思うんだけど。
「麻貴ちゃん、今日は何食いたい?」
本人が楽しいなら、まあ、いいんじゃないの……ってことで今に至る。
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