俺に気づくこともなく、樋渡はじっと森宮の寝顔を見つめてた。
そりゃあ、もう『今すぐ食っちまいたい』って顔でさ。
しかも、こっそり森宮のパジャマの襟元を開け始めた。
ヘンタイ樋渡君がしそうなことなんて考えなくても分かったけど。
やっぱり、森宮の胸元に『うちゅ〜』っとキスマークをつけた。それも一個や二個じゃない。
このまま拝見しようかと思ったけど。
一応、自粛。
「や〜い、樋渡のヘンタイ〜」
ドアの隙間から小声で言ったら、冷たい視線が飛んできた。
「何しに来たんだ。いいところなんだから邪魔するな」
しかも、森宮にササッと布団をかけた。
俺には寝顔も見せたくないってか?
自分はヤリたい放題なくせに?
そりゃあ、樋渡にとって麻貴ちゃんは自分のものかもしれないけど。
きっと、愛しの麻貴ちゃんはそんな風に思ってないぞ?
「早く出てけよ。麻貴が起きたらどうするんだ」
樋渡、マジ切れ寸前。
気持ちの問題なのか、下半身の問題なのか。
「いいだろ〜。もう朝なんだし〜」
そんな会話の間もモゾモゾと布団が動いている。
樋渡の手が中に入ってるから、何をしてるのかは想像に難くない。
それにしても、森宮ってよくそれで寝てられるよな。
どこを取っても、さすが森宮だ。
「でさ。樋渡、朝飯は〜?」
「おまえが作れよ」
間髪入れずに樋渡の不機嫌な声が飛んできて。
次の瞬間、森宮が目を開けた。
「……ったく、なんだよ……朝っぱらから……うるせーな」
文句を言っても、樋渡の腕の中。
あれほど樋渡を拒絶するくせに、こんな自分の状況にはあんまり疑問を持ってないらしい。
いいよ、森宮。
その性格が好きだ。
いや、樋渡もそんな麻貴ちゃんが大好きなんだろうけど。
「おはよ、麻貴。もう少し寝てていいぜ。それとも腹減ったか?
のど乾いた?」
朝っぱらから、ベタベタに甘やかしまくる。
「んー……よくわかんねー」
とだけ言って、また寝る森宮。
そんな森宮をムギュッと抱き締めてから、キスの嵐。
「樋渡、俺、見てるんだけどー」
ってか。
森宮、爆睡してるんだけど。
「出て行けばいいだろ」
「俺は別に気にならないけどさぁ」
なんで寝てられるんだろ?
「いいから、出て行け」
あとで森宮に「寝てる間にあ〜んなことやこ〜んなことをしてたぞー」って言ってみようかな。
樋渡、当分、森宮と同じベッドでは寝かせてもらえないに違いない。
なんてことを楽しく考えてたら。
「出、て、行、け」
樋渡のトゲのある口調で俺を追い出しにかかった。
「え〜、そんなぁ〜。樋渡君のけちィ〜」
「すぐ出て行かないなら、殴るくらいじゃ済まないぞ?」
俺にはメチャ冷たくても。
「……ん、」
森宮がちょっとでも動けば。
「悪い、麻貴。起こしたか?」
樋渡はまたムギュギュッと抱き締める。
……ヤラれてる。
間違いない。
でも。
ニコニコしながら森宮を見守る樋渡は、とても幸せそうだった。
……ふうううううん。
っていうか。
『あ、そう。そうなの。いいね、幸せで』
そういう感じだ。
どうせ俺には彼女も彼氏もいないもんなぁ……って、ふて腐れてた途中で。
後ろから進藤の手が伸びてきて。
「中西、性格悪いよ。そんなんじゃこの先一生彼女なんてできないよ?」
俺はズルズルとリビングに戻された。
「なあ、進藤。樋渡って何が楽しいんだと思う?」
それ対して進藤は非常にまっとうな返事をした。
「好きな人と一緒にいたら、それだけで楽しいよ」
「う〜ん、まあな〜……」
そういう常人レベルの発想が当たってるのかは、ちょっとばかし疑問だが。
「中西も久しぶりに彼女作ったら楽しい気持ち思い出すんじゃない?」
あのさ、進藤君。
最近、ちょっとキツくなったよね。
それから10分後。樋渡はすっかり着替えてリビングに登場した。
「早起きだな、おまえって〜」
「麻貴が腹減ったみたいなんだよ」
あ、そう。ごちそうさま〜。
「で、肝心の麻貴ちゃんは?」
まだ寝てるんだろうなとは思ったけど。
樋渡の返事はいつもと同じ。
「いい加減、森宮を名前で呼ぶのはやめろ」
はいはいはいはいはい。わかりましたよ。
けど、それって樋渡が連呼するせいで俺の脳に染み込んだんだぞ?
もとはと言えば、おまえのせいだ。
「パンより米がいいよな」
昨日まで風邪を引いていたはずの樋渡は、すっかり元気な顔でキッチンに立っていた。
「森宮、和食が好きなんだよな」
そうですか。よかったですね〜。
愛しの麻貴ちゃんのために頑張って作ってね。
ついでにちょっとだけ多めに作ってくれれば、俺も進藤も嬉しいぞ〜。
「味噌汁、何にするかな」
冷蔵庫を開けながら真剣に考える樋渡は、やっぱり幸せそうで。
「俺、豆腐とワカメがいいな〜。ニッポンの朝って感じで」
素直な気持ちをぶつけてみたが。
「おまえには聞いてない」
あ、そう。
そうね。
いいよ、別に。
全ては麻貴ちゃんのためだもんね。
「それにしても樋渡がメシ炊きを喜んでするとはなぁ。ま、俺には関係ないし、どうでもいいけど」
ぶつくさ言いながらキッチンをあとにした。
そろっと寝室に行ってみると、森宮はまだクークー眠っていた。
「いいねえ、森宮。上げ膳据え膳」
寝顔を覗き込んで笑ってる俺に進藤が聞いた。
「でもさ。森宮は寝てるのに樋渡はなんでお腹空いたって分かるんだろうね?」
不思議そうに首を傾げるんだけど。
「顔見たら分かるんじゃないの〜? あんなに愛しちゃってるんだし」
俺と樋渡は、もう、かれこれ十年の付き合い。
でも、こんなに幸せそうな樋渡を見るのは森宮の件が初めてだった。
つくづく、変われば変わるもんだ。
「俺も彼氏作ろうかなぁ?」
ついそんなことも呟きたくなるだろ。
なのにさ。
「なんで男なの? 女の子でいいじゃない?」
もちろんいいよ、女の子でも。
って言うか、なんでも。
俺も『○○ちゃんとホワイトデー』とか言ってデレデレしたいだけなんだから。
「でもな、男同士だと障害も多い分、燃えるんじゃないか〜?」
樋渡がそのせいで森宮に惚れたとは思わないけど。
まあ、いろんなことが作用してるんだろうな、なんて真面目に考えた……が。
「やめておきなよ。女の子でさえ付き合ってくれないのに、男の恋人ができるわけないよ?」
……進藤君、キミ、やっぱりキツくなったね。
森宮のが感染ったの?
「う〜ん……朝ご飯〜、まっだかなぁ〜」
やさぐれながら進藤との会話を切り上げてリビングへ向かった。
「麻貴、メシできたぜ?」
ぐっすり寝ていたところを起こされた森宮はちょっと不機嫌そうだったけど。
メシの匂いには釣られたらしい。
のそのそとリビングに向かった。
「はい、麻貴ちゃん、『あ〜ん』して」
ホワイトデーは恋人の行事。
それが週末ともなれば、その翌日だって『らっぶらぶ〜』なわけで。
こいつらも例に漏れず。
「いらねーよ。おまえ、いい年してバカなことばっか言ってんなよ」
かなり一方的なのが、ちと疑問だが。
作ってもらった飯を食いながら、よくそこまで樋渡を邪険にできるなと思うんだけどさ。
森宮はナンとも思わない。
樋渡もそれは同じで。
「麻貴ちゃん、怒った顔も可愛いよな」
またしてもレロレロに溶けてた。
ついでに、わき目も振らずにメシを食ってる森宮のほっぺに『うちゅ〜』っとキスなんかして。
男同士で。朝っぱらから。ついでに友人の目の前で。
まったく二人だけの世界。
いや、森宮には俺たちも見えてるはずだけど。
と思ってたら、テーブルの下で樋渡を蹴飛ばしてた。
ザマアミロ。
それでも笑ってる樋渡って、結構すごいよな。
……脳のヤラレ具合が。
「味噌汁、うまい?」
樋渡はさっきから自分はあんまり食べてなくて。
ただ、森宮が食べてるところをずっと眺めてた。
「うん、うまいよ」
そんな返事に顔を緩ませる樋渡の脳内は間違いなくバラ色なんだろうけど。
樋渡以外の人間が聞いたら、その返事に森宮の愛情はこもってないってことくらいはすぐに分かるんだよな。
いいか、樋渡。
森宮はメシにしか反応してないんだぞ??
おまえのことが好きで「うまいよv」と言ってるわけでもないし、おまえに感謝してるわけでもないぞ?
なーんて言ったところで。
「昼は何がいい? それともたまには二人で食いに行くか?」
「いらねー。俺、もうちょっと寝る」
「じゃ、一緒に寝ような?」
そのセリフを森宮がさらっと聞き流す。
「じゃあ、夕飯は外で食おうか?」
そのセリフまで聞き流して、さっさとメシを食い終えた。
その後、すぐに食器をキッチンへ運んだ。
『ごちそうさま』でもなければ、『うまかった』でもない。
さすがは森宮。
感謝の気持ち、ゼロ。
「……まあ、樋渡がそれでいいって言うなら仕方ないよな?」
進藤に同意を求めたら、またこんな返事が。
「でも、中西よりはずーっと幸せだと思うよ?」
あ、そう、そうね。
きっとそうだよ。
ナイスフォロー、ありがとね、進藤君。
「なー、樋渡、新聞は?」
相変わらずマイペースの森宮は家の中の事を全部樋渡に確認する。
「取ってくるから座ってテレビでも見てろよ」
当たり前のように樋渡が答えて。
「いいよ。おまえ、まだメシ食ってねーじゃん」
さっさと玄関へ向かう森宮。
「麻貴、外寒いから。座ってろ」
マジに心配してるらしい樋渡に。
「アホか」
一言だけ投げつけて森宮は新聞を取りに行ってしまった。
「いいよね、楽しそうで」
進藤はマジにニコニコしながら箸を置いて。
「そうなのかなぁ〜〜?」
俺はちょっと引っ掛かりながらもメシを食い続けた。
その間、樋渡は玄関でシッポを振りながら待っていた。
そして、新聞を読みながら戻ってきた森宮にまた『うちゅ〜〜』っとお帰りのキスをした。
新聞を取ってきただけの森宮にお帰りのキスだもんな……
もう隅々まで漏れなくヤラれてる。
森宮はそんな樋渡を遠慮なくビシバシッと振り払ってソファに座った。
多分、気付いてないんだろうけど首筋にキスマーク3つ。
あの位置ってワイシャツ着ても見えると思うんだけど。
「アレ、森宮に教えたらどうなるかなぁ?」
「中西、最低」
俺のヨコシマな考えは進藤に却下されてあえなく断念。
「はい、麻貴ちゃん」
食後のコーヒーも森宮にだけ。
俺と進藤はセルフサービス。
「なんか面白い記事あったか?」
「持ち株年初来安値更新」
「麻貴ちゃんの?」
「樋渡のに決まってるだろ」
すでに二人の世界に突入した樋渡と、樋渡さえ自分の世界から排除する森宮と。
噛み合ってないけど、こうやって毎日を二人で過ごしてるんだなって思うと。
……ホントに不思議だ。
樋渡と森宮の普通の休日。
テーブルには昨日樋渡が買ってきたクッキー。
森宮が今着てるセーターも昨日樋渡が買ってきたヤツで。
森宮がそれについて礼を言った様子も、感謝してる気配もないけど。
ハタからは、それなりにいい雰囲気に見えた。
俺と進藤がキッチンで洗い物をしてる間に樋渡は森宮の隣りに座って。
何か話しかけて、キスしようとして。
やっぱり森宮に嫌がられて、蹴飛ばされて。
「中西、そっちは見ないの。いいから洗い物して」
進藤に怒られたから、残念ながらその先は見れなかった。
きっとムキになって『うちゅ〜』なキスをしたんだろう。
……残念。
洗い物を済ませてリビングに戻ったら。
ほっぺに『うちゅ〜』では済まなかったらしく。
「森宮、キスマークが増えてるぞ〜。しかも、3つも〜」
うっかり口を滑らせたせいで。
「二度と来るな。特に中西」
俺と進藤は樋渡君と麻貴ちゃんの愛の巣を追い出された。
その先はきっと。
「……う〜ん。愛しの麻貴ちゃんと一緒にお昼寝かぁ。いいなあ、樋渡。楽しそうで」
俺の脳ミソじゃ、100%は想像できないが。
でも、樋渡がベタベタに森宮に纏わりついて、思いきり蹴飛ばされて。
それで、どうやってHまでコトを運ぶのかは、ものすごく謎だが。
その辺は樋渡のことだから、抜かりなく、あの手この手でなんとかするんだろう。
森宮は面倒くさがりだから、しつこく迫られたら途中で諦めそうだし。
……そう考えると、樋渡と森宮ってちゃんと釣り合ってるんだな。
「ね、中西、彼女が友達紹介してくれるって。どうする?」
「まじ?」
俺に同情の視線を向ける進藤の誘いにホイホイ頷きながらも、樋渡を羨ましく思う俺。
なぁんか、ちょっと末期かもな。
でも、まあ、樋渡を見習って。
「可愛いコだといいな〜〜」
人生一度くらいは脳がヤラれるくらい本気になってみたいもんだと思ったホワイトデーの週末だった。
end
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