冬休み -1-




12月25日。
俺は土曜出勤の振替で休みだった。
なのに、早朝。
うなされるほど気色悪い感覚で目を覚ました。
首筋をナメクジが這うような……
「やめろっ!! 朝っぱらから何してやがるっ!!」
久々にいきなりパッチリ目が開いた。
「なにって。俺のカワイイ麻貴ちゃんの味見」
首に唇を当てたまま返事をしやがった。
「バカ! やめろ! 気持ち悪ィっ!!」
「いいだろ。舐めてるだけなんだぜ?」
言いながら、また舐める。
しかも、俺の体をがっちり抱き締めているため、身動きも取れない。
「『だけ』ってなんだよ?? あ〜っ!?」
「ん〜。ほんとは食っちまいたいくらいんだけど」
コイツの相手をマトモにしちゃダメだ。
さっさと逃げるに限る。
「くっそー……」
なんとか樋渡の手を引き剥がして起き上がることに成功した。
まだ6時だって言うのに。
せっかくの休暇だって言うのに。
朝っぱらから、なんでこんなことに体力使ってるんだよ、俺は。
「麻貴、起きるのか? 今日、休みなんだろ?」
そう言えばコイツも休みだったんだ。
一人でゆっくり寝てようと思ったのに。
「おまえが起こしたんだろ??」
文句を言いながらベッドを抜け出そうとして。
樋渡にまた押し倒された。
「もう一回寝ようぜ」
「誰がっ……」
そんな危険なこと。
「そんなこと言わないで。な?」
甘い口調とは裏腹に俺を羽交い締めにしている腕には力が篭もる。
「おまえ一人で寝てろ」
涼しい顔をしているくせにビクともしない。
「冷たいんだな。昨日もヤラせてくれなかったくせに」
「疲れてんだよ。離せ」
それでも、思いっきり振り切ろうとしてるんだけど。
「だから、昼まで寝ようって」
「もう目が冴えちまったんだよ」
おまえのせいだろ。
俺の心地よい夢を悪夢にしやがって。
「大丈夫だよ、麻貴」
「何が?」
「ぐっすり眠れるようにしてやるから」
その一言に俺の頭の中で警報が鳴った。
「ふざけんなよっ」
掴まれた肩に樋渡の全体重がかかっていた。
もはや、手遅れ。
着ていた物はすでに脱がされかかっていた。
「バカ、樋渡! やめないと休みの間ずっと中西んちに家出するぞ?!」
叫んだら、手が止まった。
ホッとしてベッドを出ようとしたら、やっぱり止められた。
「じゃあ、なんにもしないって約束するから昼まで寝ようぜ。な?」
こんな言葉を信じていいはずはないんだが。
樋渡が妙に落ち込んだような顔をするから。
「その言葉、嘘だったら同居は解消するからな」
予防線を張ってから寝ることにした。
樋渡はもう服を脱がせたりはしなかったけれど、背中を向けている俺の耳や首筋を相変わらず舐め回していた。
「……やめろって。怒るぞ」
「あと3分」
そう言いながら、俺の身体を仰向けにして喉に噛み付いた。
いや、もちろん、痛みを感じるほど強く噛んだりはしなかったけれど。
こんな危険なところで寝られるはずはない。
「俺、自分の部屋で寝るから。入ってくんなよ」
引き止める樋渡の手をビシッと払い落として部屋に駆け込んで鍵をかけた。
あのまま寝てたら、ホントにいつか食われそうだ。
ったく、あのヘンタイ野郎。
……家にいる時の方が疲れるっていうのは、いったい何なんだろうな。


そして、翌日。俺の安全圏である会社では後輩はもちろん部長までスキーだの旅行だのと年末年始の話で盛り上がっていた。
クリスマスが終われば後は年末年始の休みくらいしか楽しみはない。
その後は決算の処理が終わる4月の半ばまで死に物狂いで仕事して、ゴールデンウィークを待つだけの日々だから、まあ、当然と言えば当然なんだが。
そんなちょっと浮かれた空気の中、進藤がこっそり俺に話しかけた。
「なあ、森宮」
「ん?」
「正月、どうするの?」
「別に……家でゴロゴロしてるだけだろ」
実家に帰ろうかとも思ったが、それもかったるいから、俺は一人で寝正月を決め込んでいた。
「樋渡はどうするって?」
「さあ、知らねーな。実家に帰るって言ってたような気もするけど」
そんなことはどうでもいいんだよ。
いや、出来ればいない方がいいんだが。
正月早々、自分の身を守りながら生活するんじゃ堪らねーもんな。
「進藤、彼女と一緒だろ?」
「……と思ってたんだけどさ。飛行機が取れたから帰省するって」
相当がっかりした顔で進藤が溜め息をついた。
仕事もそうだけど、進藤は予定が狂うことが苦手なんだよな。
「なら、おまえも実家に帰れば? 近くだろ?」
進藤がまだ家族と同居してた頃に一度だけ実家に行ったことがある。進藤んちには進藤にそっくりなお袋と姉貴がいる。顔が違うのはオヤジだけだった。
「森宮だって。すぐそばなのに」
「やだよ。帰ると親戚とか来てんだろ。ガキにお年玉くれ〜とか言われるだろ?」
お年玉より何より、小うるさいガキの遊び相手は面倒だ。
それ以上におばちゃん連中の相手はもっとイヤだ。
ガキの頃から毎年毎年言われ続けているあの「麻貴ちゃん大きくなったわね〜」が、俺は嫌いなんだ。
「……でね、森宮。年末、ヒマ?」
「ああ。別になんにもねーよ」
あるわけねーじゃん。進藤と違って彼女もいないのに。
「じゃあさ、鍋しようよ」
「鍋??」
……っていうか飲み会だな。
「いいけど」
どうせメシは食わなきゃならないからな。
「でも、俺と森宮だと、たとえ鍋でも心配だよね」
確かに二人とも料理からは縁遠い。材料を切って入れるだけとは言え、じゃあ、どっちが切るんだということになると、かなり『う〜ん…』な状況だ。
中西でもいればまだマシだけど。
「なら、中西に聞いてみるか」
アイツなら彼女もいないし、どうせヒマだろ。
「うん。そうしよう。俺、中西に聞いておくから。森宮、樋渡に聞いといて」
「なんで俺が」
分担すんなよ、そんなこと。
「さっき樋渡に内線かけたんだけど今日は戻らないって言うし。森宮、どうせ家に帰ったら顔合わせるじゃない?」
ああ、そうだよ。
どんなに嫌な時でも、樋渡は同じ家にいる。
と思ったら、首筋を這うナメクジの感覚が蘇って背筋が凍りついた。
「……わかったよ。じゃあ、明日な」
「うん」
そんなわけで、進藤と鍋大会の約束。一人でメシを食うよりは楽しいとは思うけど。
俺と進藤だけでやるとしたら、準備より後片付けが面倒だよな。
……まあ、どうしてもやる気にならなかったら樋渡が実家から帰ってくるまでそのままにしておけばいいんだよな。
一週間くらい放っておいても平気だろ。


家に帰ったら、樋渡がいた。
直帰したせいで早かったらしく、楽しそうにメシの準備をしてた。
テーブルにはすでに皿が並んでいた。
「お帰り、麻貴。メシ食うだろ?」
「ああ、サンキュ」
それについては礼を言って、手早く着替えてテーブルについた。
けど。
「ちっ、面倒くせーな……」
樋渡に聞こえないように悪態をついてから、進藤との約束を果たすことにした。
「樋渡、年末年始家に帰るんだろ?」
コイツと一緒に過ごしたいから聞いているなんて思われたら心の底から不本意だから、かなり否定的な口調で聞いてみた。
樋渡は別段、それをどうか思うわけでもなく。
俺の焼き魚の大根おろしにポン酢をかけながら返事をした。
「う〜ん、休みなぁ。麻貴と一緒にいたいけど。今年は実家から召集がかかってんだよなぁ」
本当にかったるそうに呟いた。
「そっか。ま、気ィつけて帰れよ」
ってちょっとホッとしながら答えて。
でも、樋渡んちなんて俺の実家よりずっと近いんだ。
気をつける必要なんか全くない。その気になれば今からでも帰れる。
「麻貴、帰らないのか?」
「ああ、面倒だからな」
誰が帰るか。面倒くさい。
「俺がいない間、メシとか大丈夫か?」
「べっつに〜。コンビニでも外食でも。食えればいいだろ」
まあ、樋渡の作ったものの方が美味いってことは否定しないけど。
「けど、そんなメシばっかりじゃ……」
コイツときたら、また保護者面すんだよな。俺をいくつだと思ってんだよ。ったく。
「別にいいだろ。それに年末は進藤と鍋するし」
「進藤と鍋? なんで?」
「さあな。進藤がやろうって」
彼女が田舎に帰っちまうからつまらないってことだろうけど。
んなことまでイチイチ説明しなくてもな。
「それにしても進藤と麻貴で鍋? おまえら包丁なんて持ったことないだろ?」
またしても保護者面。だが、悔しいけどその通りだ。
「進藤よりは俺の方がマシだと思うけどな」
アイツと違って目玉焼きくらいは作れるし。不揃いでもいいなら野菜だって切れる。
「まあ、中西も来るかもしれねーし。なんとかなるだろ」
そしたら樋渡が急に眉間にしわを寄せた。
どうやら樋渡を煽ってしまったらしい。
「なら、俺も残る。帰ってもやることないし。麻貴ちゃんと同じベッドで新年迎えたいし、年越しエッチしたいしな」
なんでそうなる。
絶対させねーよ、そんなもん。
「だったら、二人っきりがよかったよな。酒でも飲んで、麻貴を乱してから濃厚なヤツを思いっきりな?」
『な?』……じゃねーよ、ったく。
「おまえって、ヤルことしか頭に無いのかよ?」
ってか、口に出して言うかよ、そういうこと。
「いいや。俺は常にその時一番大事なことを考えてるつもりだけどな」
真顔で答えるなっつーの。
「で、麻貴ちゃん」
「なんだよ」
「年末年始の予定も決まったことだし」
「だから、なんだよ」
「一緒に風呂入って、ベッドに行こうな?」
ナンの脈絡もない。
しかも、断わられると分かっていても真正面から聞く。
潔いと言えばそうなんだろうが。
……無駄な会話だよな。
「風呂くらい一人で入れ」
フツーにヤルより、一緒に風呂に入る方が疲れる。
それというのもコイツが変態野郎なせいだ。
「あのな、麻貴ちゃん」
俺をちゃん付けで呼び止めた樋渡は、意外とマジメな顔をしてた。
「なんだよ」
けど、俺もそれくらいでは怯まなくなった。
「俺、最近大人しくしてたけど、そろそろ限界なんだ」
ご丁寧に予告までしてくれたから。
俺は食いかけのものを全部口に押し込んでお茶だけ持つと、そのまま部屋に駆け込んで鍵をかけた。
確かに最近、忙しかったりして樋渡とやってないけど。
「明日も会社なんだぞ?」
ヒトの体だと思ってムリばっかり言いやがって。
一人で文句を言ってたら、ドアの向こうで樋渡が俺を呼んだ。
「麻貴、りんご剥いてやるから出て来いよ」
猫撫で声なんだけど。
そんな手に引っ掛かる俺でもなく。
「剥いたら部屋に持って来いよ。一瞬だけドア開けるから」
そう言ったら、樋渡はちゃんと向いて皿に乗せたりんごを楊枝つきで持って来たけど。
皿だけ受け取ってドアを閉めようとしたら、樋渡はちゃっかりドアの隙間にスリッパを挟んでいた。
「お邪魔しま〜す、麻貴ちゃん」
「バカ、入ってくんなっ!!」
「りんご食い終わるまで待ってやるから。それとも食わせてやろうか?」
いきなり腕を掴まれて、顎に手を掛けられて。
ついでに首筋にきっつーいキスマークをつけられた。
「そーゆーことをするんじゃねーっ!!」
「わかったって。何にもしないから、リビングで一緒に食おうって」
「おまえの言葉なんて信用できるか」
「ホントに大丈夫だって。休みになるまでガマンするから。な?」
樋渡が笑ってなかったので、一応、信用してみた。
リビングでりんごを食ってる間も樋渡は相変わらずペタペタ俺を触ってたけど、それ以上のことはしなかった。
「麻貴、何にもしないから一緒に寝ような?」
食い終わってからしつこく誘われたけど。
「誰が」
それだけは振り切って部屋に駆け込んだ。

……俺、なんでこんな危険を冒してまでコイツと住んでるんだろうな。
来年はイチからじっくり考え直そう。



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