Only to You
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B型番外 Side:Hiwatari



初めて麻貴に会ったのは、4月の初め。

グループ社員合同の入社式と一般研修の後、各社に別れて行われた業務研修の時だった。
桜の舞い始めた研修所にはまだ緊張の取れない新入社員が溢れ返っていて、俺から見ても微笑ましい光景だった。
「説明資料と必要書類です。中に入ったら、名札をつけて好きな席に座ってください」
受付でA4サイズの封筒とネームプレートを渡され、会場に入った。
大学の教室のように階段状になった部屋はざわついていて、新入社員らしい緊張と熱気が伝わってきた。
「いいね、初々しくて」
他人事のような気分で周囲をぐるりと見渡す。説明会開始まであと20分。
席に座って資料を読んでいる奴もいたが、俺はとりあえず可愛い女の子を捜した。
もちろん、隣りに座るためだ。
そんなことでもなければ研修なんて楽しくはない。
「軽めでノリのいい子がいいよな。真に受けられても困るし」
男女比は4:1ほど。やや少ないが、レベルは高い。
「うちの人事がメンクイ揃いって噂は本当だな」
座ってる子、立ってる子。全部を一通り見た。そこそこ可愛い。
……が、どうもピンとこなかった。
「コレって子は、なかなかいないもんだな」
やや落胆しながら壁にもたれていたら、同じ大学だった女が声をかけてきた。
「おっはよー、樋渡。早速、カワイコちゃん探し?」
付き合いが長いからそんなことはお見通し。そういう彼女だってしっかり野郎にはチェックを入れてるんだろうけどな。
「ま、そんなところ」
いつもは、その手前で止めて置けよと思うくらい派手な女だが、さすがに社長が挨拶に来るという今日はリクルートスーツ姿だった。
「で、収穫はあったの?」
「……いまいち」
「これを見てイマイチっていうアンタが信じられないけど。樋渡って昔っからチェック厳しかったもんね」
清楚なスーツ姿の女の子は確かに可愛いが、食指が動かないんだから仕方ない。
「石井こそどうなんだよ」
遊び慣れた彼女のことだから、ドキドキ顔の新入社員君では物足りないだろうと思っていたが、返事は俺の予想と180度違った。
「ふっふー。もうみつけた。キラキラの王子様」
キラキラの……王子様?
「なんだよ、それ」
そう言われて、俺の頭に浮かんだのは妹が持っていた星の王子様の本だったが、アレはどう見ても「ほのぼの」だ。彼女が言うような「キラキラ」ではない。
「彼ね、細身で涼しそうでさぁ、しかも、落ち着いた感じの美形。でも、派手じゃないから注意して見ないとわかんないってタイプ。目が肥えてないとチェック入らないと思うんだよね」
だから、「樋渡なら、すぐに見つけられるはずよ」とまで言われて辺りを見回したのだが、いかにも社会人初心者マークな奴らばっかりで、落ち着いた男なんて一人もいなかった。
「今のうちに青田買いしておこうかと思ったんだけど、女の子に興味なさそうだったんだよね。自己紹介したら、あくびされちゃって。しかも、普通に『わりい、寝不足なんだ』って言われちゃった」
そう言いながら華やかに笑うコイツも顔はけっこう可愛い部類だ。
派手だが、童顔でグラマーで明るくてノリがいい。大抵の男なら、ニヤけることはあってもアクビはしないだろう。
しかも、今日が初対面の相手だ。いくら興味がなくても普通は真顔で応対するよな。
「おまえに靡かない男って新鮮だな」
相当もてる奴で彼女レベルはお呼びじゃないのか。
それとも、女の趣味がマニアックで彼女はストライクゾーンじゃなかったのか。
いずれにしても少し変わっているんだろう。
「でっしょー? もう、私のイチオシよ。すぐにヘラヘラする男なんてイヤだし。何より、三日見たら飽きるタイプの美人じゃないんだよねー、コレが」
男の顔なんてどんなに綺麗でもすぐに見飽きそうだけどな。
まあ、俺がそんなことを言っても仕方ない……
「よかったな。せいぜい頑張れよ。で、それってどいつ?」
もちろん、彼女の話を鵜呑みにしたわけじゃない。
けど、そこまで言われたら興味も湧くってものだ。
「えーっと……あれぇ。さっきまで、その辺に……」
キョロキョロと辺りを見回す彼女の視線の先を追いかけたが、やっぱりそれらしい男はいなかった。
「幻覚でも見たんじゃないのか?」
からかい半分で笑ったその時、俺と彼女の目の前を静かに横切った男がいた。


―――え……?


その一瞬、すべての音が消え去って。
そいつが通り過ぎるのを不思議な気持ちで眺めていた。
俺には、『キラキラの王子様』なんかには見えなかったけど。
でも。
「……よ。どう? ちょっといい感じだと思わ―――」


もう、彼女の声なんて聞こえなくなってた。


窓に降る桜と、途切れたざわめき。
それから、少し気怠さをまとう整った横顔。
今でも記憶に焼き付いている最初の瞬間。




――――あれから、もう5年





「よし、完璧」
金曜正午。怒涛の如く押し寄せていた仕事をすっかり片付けて、昼食を取った。
時間を惜しみ、自席でパンを食べながら今日の午後に使う予定の資料を読む。その合間にいそいそとメールをする。
『夕飯はロールキャベツとサーモンのムニエルとえびピラフとにんじんのグラッセ。早く帰って来いよ』
冷蔵庫の残り物を思い出して考えたメニューだが、麻貴の好きなものばかりだ。
返事だってちゃんと来るだろうと思ってはいたが、麻貴も仕事中ではなかったようで、いつになく素早く返ってきた。
『たぶん8時過ぎ』
短い返事に笑みがこぼれる。
なんのことはない帰宅時間の予告。でも、この時期、麻貴の部署は忙しい。相当気合を入れて残務を片付けないと8時に家に着くのは難しいはずだ。
それでも帰ってくるというそのメールに愛しさがこみ上げた。
「麻貴、家でメシ食うのが好きだからな」
ついでに『サラダも作るか?』とメールしてみる。
返事はとても簡単で『うん』の一言だけ。
たとえばこれが『愛してる』とか『今日はOK?』と言った内容だったら、返事は100%返ってこないのだが、食い物の話だけは毎度しっかりとした反応がある。
「わかりやすいよな、俺の麻貴ちゃん」
画面を見ながらふやけていたら、後輩の女の子たちがこっちを見ていた。
だが、そんなことはどうでもいいので、俺はニコニコしながら『愛してる』とメールを送った。
……もちろん麻貴からの返事はなかったが。
今頃、きっと『バカじゃねーの?』なんて吐き捨てながら、携帯を見ていることだろう。
「じゃ、残りの仕事もさっさと片付けて5時に帰るかな」
甘い気分に浸っているのがあまりに心地よくて、携帯の画面を閉じるのは名残惜しかったが、5時に帰るためなら仕方ない。
「やだ、樋渡さん。まだお昼なのにもう帰りのこと考えてるんですか?」
「ああ、ちょっと用事ができたんだ」
そう答えるだけでまた顔が緩む。
「あ、また森宮さんですか?」
一日一回はこうして冷やかされるが、それにももう慣れた。
だいたいこれは俺と麻貴に対する祝福なんだから、素直に喜んでおくべきだろう。
「ああ。今日は洋食。レタスがないから買ってこないとな」
ニッカリ笑って答えると女の子たちが大騒ぎする。
「やだ、もう。ホントに奥さんみたいです」
なれるものなら、奥さんとやらになってみたいものだが。
所詮は男。法律がそれを許してはくれない。
それでも、俺にとっては念願叶っての同居だから。
「俺を見習っていい嫁さんになれよ」
俺の席の周りできゃあきゃあ言っている女子を追い払って食べ終わったゴミを片付けた。
そのまま仕事に戻ろうとしたのだが、重要なものが全部片付いてしまったせいか、今一歩身が入らない。
「……サラダにはカリカリのベーコンを入れて……ん、待てよ……だったら、ほうれん草の方がいいか……あとで麻貴に聞いてみるか」
メニューの見直しをしながらも、時計ばかりが気になった。
退社時刻まであと4時間と少し。
楽しい週末は目の前だった。



残りの仕事が片付いたのが、3時55分。
このまま来週やることにしていた仕事に手をつけようかとも思ったが、集中し過ぎて気がついたら5時を過ぎていたなんてことになったら笑えない。
「企画書の出てない部署に催促しに行って来るかな……」
今日の仕事はそれで終わりにしようという気持ちを込めて、わざとらしくそう言いながら立ち上がった。
もちろん、本当の目的は帰りに麻貴のいるフロアを覗いてくることだ。
麻貴が本当に8時に帰ってくるつもりなら、もう会社に戻ってデスクワークに取り掛かっているかもしれない。
真剣な顔でパソコンに向かう整った顔が目に浮かんだ。
「樋渡、ついでに3部1課の稟議を引き上げてきてくれ。協議先にうちが入ってるらしいんだ」
ちゃんと俺のひとり言を聞いていた課長が使いを頼む。そうやって席に座ってばっかりいるから中年太りになるんだと思いつつも、快く引き受けた。
3部1課は進藤のいる部署。その隣りが麻貴の課だ。
ということは公然と麻貴の可愛い顔を見に行けるわけで。
「わかりました」
緩みそうになるのを押さえつつ、さっさと席を離れた。


階段で2フロア下に降りて、ドアを開ける。
美味しい物は後に取っておく主義の俺は、最初に企画書を回収してから進藤のところへ行った。
「あれ、樋渡。どうしたの?」
進藤はいつでもこんな感じでポケポケしている。
まともそうに見えるが、どこか少しズレているのが特徴だ。
『そうじゃなかったら森宮と仲いいはずないって〜』などと中西が言うのだが、まあ、それもまったく外れてはいないということだろう。
「稟議の引き上げ。うちが協議先なんだろ? 早く出せ」
稟議書はこのあと課長に回して承認をもらって、その後で部長に渡る。月曜10時が締め切りで、火曜の役員会にかけられる。本当は今から出してもギリギリだ。なのに。
「ああ、そうだったよね」
進藤は暢気に笑いながらファイルを持って来た。しかも、パラリと表紙をめくったら、初っ端に誤字。
「進藤、ちゃんとチェックしたのかよ。27にもなって小学校レベルの漢字を堂々と間違えるな」
それに気づかないこの部署の課長と部長もどうかとは思う。もっとも、研修会開催の稟議なんて否決されるわけはないんだから、斜め読みもいいところなんだろうが。
呆れ果てる俺の隣で、進藤は楽しそうに誤字の上に2本線を引くと訂正印を押して正しい字を書いた。
「俺、漢字苦手なんだよね。他にも間違ってたら教えて」
普通はもう少し慌てるものだが。
「苦手とかいうレベルじゃないな」
バカだぞ、バカ。
俺もそこまでは言わなかったが、この会話が聞こえていたらしく目の前に座っている後輩が笑ってた。
だが、進藤はそれさえ気づく様子もなく、麻貴の方を見てた。
「樋渡、お昼ごろ森宮にメールしてたよね?」
「ああ。麻貴、会社にいたのか?」
進藤の席から見ると、麻貴は隣りの島の斜め前。けっこうお互いが良く見える位置関係だ。
「うん、森宮、仕事しながらお昼食べてたんだけど……樋渡からのメールってすぐにわかるんだよね」
ニコニコと笑われて、俺もついつい笑い返す。
「なんか言ってたのか?」
本当は聞かなくても分かっていたんだが。
「うん。『バカじゃねーの、ったく』って」
やっぱりなと思うのと同時に、こそっと吐き捨てる麻貴の絶妙に照れくさそうな顔が浮かんできた。
「……可愛いよな、俺の麻貴ちゃん」
思わずふやけたら進藤に止められた。
「樋渡、仕事の話が済むまで遠くにいかないでね。森宮の邪魔しにいくのもダメだよ」
進藤の目線が麻貴に飛んで、俺もつられて視線を移した。
「麻貴、忙しそうだな」
麻貴はどちらかと言わなくてもマイペースで、あまり慌てたりはしない。だから、麻貴本人を見ても忙しさの度合いなどさっぱり分からないのだが、周囲に目を遣ると妙にバタバタしているのであっけなく状況が把握できる。
「うん、先月、係長が異動になってからずっとね」
進藤が同情しながらため息をつく。
そんな中途半端な異動のおかげで、課長の下はいきなり主任の麻貴という状態だった。そして、下にはゴロゴロと抜けた後輩がいる。
課長がいなければ部長からダイレクトに飛んでくる仕事と、ことあるごとに泣きついてくる後輩に挟まれ、思うように自分の仕事もできない環境でも、麻貴は日々飄々とそれを捌いていた。
「進藤、麻貴の心配はいいから、さっさと誤字を直せ。パソコンの変換を信頼しすぎだな」
チェックだらけになった書類を進藤に返して時計を見る。
この分だと今日は本当にこれで終わりそうだった。
「直したらすぐに課長印と部長印もらって来いよ。待っててやるから」
「悪いね、樋渡。忙しいのに」
「いや。ぜんぜん」
これが終われば、待っているのは楽しい週末。
稟議が出来上がるまで麻貴の顔を眺めて、あとはサラッと流して帰るだけだ。
そう思って寛いでいる俺の心が読めるかのように、
「あ、でも、森宮は今日遅いと思うよ。今、後輩が客先と大揉めしてるから」
進藤はほんわかした笑顔でそんな言葉を返した。

俺の週末に暗雲が立ちこめた。



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