Only to You
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B型番外 Side:Hiwatari



「やだな、樋渡。いいじゃない、ちょっとくらい帰りが遅くても。どうせ毎日一緒にいるんだから」
進藤はそう言うんだが。
「駄目だ。週末なんだぜ?」
麻貴にも俺にも予定がない金曜の夜なんて月に1回あるかないかだ。
なのに、自分がミスったわけでもない仕事で大事な時間を潰されて堪るか。
「おまえこそ彼女とはうまく行ってるのかよ?」
聞けば進藤は今日も中西と二人で飲むらしい。
彼女がどんな女かは知らないが、週末だろうと年末だろうと進藤は放っておかれている。
「大丈夫だよ。樋渡たちと違って信頼関係があるから」
「信頼関係なんてあろうとなかろうと、俺ならずっと一緒にいるけどな」
好きな相手ならそれが当然だろうと思ったが。
進藤からは「それがダメなんだよ」という返事があった。
「好きなのは分かるけど、樋渡もいい加減にしておかないと。相手が森宮じゃなかったら警察に訴えられてるかもよ?」
進藤に言われるまでもない。
麻貴との間には最悪の過去があって、あの後の三年間は今でも思い出したくないくらいなんだけど。
「……分かってるけどな」


――――あの日

絶対にやってはいけないことをしてしまった後、麻貴は体調を崩して一週間会社を休んだ。そして、俺は辞表を書いた。
どんなに謝っても、このまま側にはいられないと思った。
2度と口を利いてもらえないと思った。
なのに、
『大丈夫だから、会社辞めんなよ』
風邪のせいで声はかすれていて、電話越しに聞こえた呼吸も苦しそうだったけれど。
電話をかけてきた麻貴はなんてことはなさそうな口調でそう言った。
俺はなんの返事もできなかった。
口ではそう言ったとしても、もう元に戻れるはずはないと思ったから。


そのまま逃げるように大阪に転勤した。
それでも忘れられなくて、離れている間、何度も進藤に電話した。
麻貴は元気なのか。
今までと変わりないか。
あんなことがあったせいで性格が歪んでしまったらと思うと心配で仕方なかったけれど。
『今日はちょっと眠そうかも』
『まだ11時なのに席でお昼食べてる』
『課長とケンカ中』
『女の子からおやつをもらって嬉しそうにしてた』
何も知らない進藤が教えてくれる麻貴の様子は、以前と何も変わらなかった。
「そうか……よかった」
麻貴が今までと変わらずに過ごしてくれるなら、それでいい。
ずっとそう思ってきた。


3年経って、俺はまた東京に戻った。
心の準備はしてきたつもりだったが、関連部署に挨拶回りをしていた時、進藤に呼び止められて心臓が止まった。
隣に麻貴が座っているのが見えたからだ。
真正面から視線を合わせる勇気はなかった。それどころか何と声をかけたらいいのかさえ分からなかった。
最初に口を開いたのは麻貴だった。
なんだか少しぼんやりしているように見えたけれど、でも、普通に挨拶をしてきた。
『久しぶり。元気そうだな』
素っ気ないけれど。
声も口調も表情も、全部、俺が覚えている麻貴と同じ。進藤に聞いていた通り、少しも変わらずにそこにいた。
『森宮も変わってないな。……よかったよ』
本当に心の底からそう思った。

そのあと、麻貴は進藤との会話も聞かずによそ見を始めた。
そんなところも相変わらずで、なんだか笑みがこみ上げた。俺の気持ちなど知ることもなく、少し物憂げな視線があさっての方向を見ていた。
それを眺めながら、俺はまた出会った日のことを思い出して。


やっぱり、好きだと思った。
どうしようもなくらい、好きだと思った。




「……樋渡、大丈夫?」
いつの間にか課長と部長の印をもらって、進藤が戻ってきていた。
「ああ、ちょっと考え事」
過ぎたことだとは思いつつも、忘れることができない。
麻貴との過去は、そんなことばかりだ。
「はい、じゃあ、稟議よろしくね」
印鑑だらけになった稟議書が俺を現実に引き戻す。
「今度からは早めに持ってこいよ」
「分かってるって」
とにかくこれで今日の仕事は終わり。さっさと済ませて自分のフロアに戻って、後片付けをしてスーパーに行けばいい。
「あ、そうだ……」
その前にサラダの種類を確認しようと思って、隣の島で仕事をしている麻貴に目をやったのだが、どうやら進藤の言う『大揉め』の後処理をしているらしく、1年目か2年目くらいの社員が麻貴の隣に突っ立ってうなだれていた。
けっこうな大失敗なんだろう。よく見ると半泣きだった。
麻貴は怒ってるわけでも呆れているわけでもなくて、いつもと同じようにダルそうに後処理の説明をしていた。
「手順どおりにやれよ。気持ちは分かるけどな、泣いてるヒマがあったら、さっさと片付けた方がいいんだから」
静かなフロアに麻貴の声が流れた。
「そうなんですけど、でも、」
やってしまった本人はいろいろと申し開きしたいことがあるんだろうが、トラブルは処理が第一。しかも、スピードは大事だ。ぐずぐず言ってる場合じゃない。
いや、そんなことより。
「トラブルなら、麻貴じゃなくて課長に相談しろよな」
思わず声に出して文句を言ってしまった。
「まあまあ、樋渡。森宮だって立場的にはいろいろあるんだから」
進藤に宥められても今一歩気持ちは収まらないのだが。
俺の心配をよそに麻貴は机に肘をついたまま、真面目にそいつの相手をしてやっていた。
「文句も愚痴も言い訳も理由もあとで全部聞いてやる。謝りに行く時もついていってやるし、部長に呼びつけられたら一緒に説教聞いてやるから。とにかく今は後処理をしろ。話はそれからだ」
「……はい」
うなだれた後輩以上に、俺の気持ちはブルーだった。
これでコイツの後処理がさっさと終わらなかったら、麻貴は8時には帰ってこない。
「少しでもわからなかったら確認しろよ。多少神経質なくらいでちょうどいいからな」
「わかりました」
もう4時過ぎ。
サラダの心配なんかしている場合じゃないなと思っていたら、背後からまた麻貴を呼ぶ声。
「森宮、先日のアレだけどな、なんだか数字が合わないようなんだ」
課長だった。どうやら、案件報告らしい。麻貴は仏頂面のままファイルと手帳とペンだけを持って席を立った。
その後はフロアの隅のミーティングスペースで数時の詰め。それだって普通は課長と係長でやるものだ。けど、麻貴の課は課長の下がすぐ麻貴なのだから、仕方ない。
「エライよね、森宮。俺なら泣くかも」
進藤がまたぽけぽけとそんなことを言うんだが。
「俺の課から係長一人あげるのに」
進藤の課には係長が二人いる。どうしてそういう人事をするのか、会社というところは全くもって謎なんだが、俺たちに理由が分かるはずもない。
そして、そんな会話の合間にまた。
「あの……すみません、森宮さん、前に新商品会議で使われた他社比較の資料、お持ちじゃないですか? 今、商品部に聞いたら、古いのは残してないって言われて……」
心配そうに麻貴の様子を見守っている女の子に対して、顔も上げずに、「ああ」とそっけない返事をした。
しかも、仕事の手を休める気はないらしく、右手で電卓を叩き、左手で転記しながら会話を続ける。
「今年に入ってからのヤツなら、俺の机。一番下の引き出し開けて前から2つめのブロックに『新商品会議資料』ってファイルがあるから、日付で探して。それより古いヤツはキャビネットに移した。A6の一番右。ファイル名は同じで日付が入ってるからすぐわかるはず……課長、足し算が違ってますよ」
いつも思うが、麻貴は会社ではけっこう几帳面だ。自分の机の中身などあまり把握していないような奴が多い中、机もキャビネットも隅々まできちんと整理している。
「よかった。じゃあ、お借りします」
女の子が去ると今度は部長が遠くから声をかける。
「2課は今月の進捗報告は誰が書くんだ? 森宮なのか?」
よくもまあ、次から次へといろんなことを言われるもんだと思いつつ、やや憤慨する。
「今、数時詰めてますから。5時までに出します」
麻貴が飄々としてるのをいいことに、なんでもかんでも言いつけるなよ。
そんなことだから、週末に近づくにつれて麻貴の寝起きが悪くなるんだ。
「森宮、4番にさっきの客から電話〜」
「森宮さん、これなんですけど」
毎日こんなではないとは思うが、見ている俺の方がキレそうだった。
このまま麻貴を連れて帰ってしまいたい心境だったが。
「まあ、まあ、樋渡。落ち着いて」
見透かされて、進藤に止められた。
「じゃ、これ預かっていくからな」
稟議を持って席を立った。
ミーティングスペースには麻貴一人が座っていて、話しかけるにはちょうどいい感じだった。
「麻貴、本当に8時に帰ってこられるのか?」
ニヤけても大丈夫なように営業部に背を向けて腰掛けた瞬間、
「……ああっ、もう。計算してる時に話しかけんなよっ」
麻貴に怒られてしまった。
女の子が資料を借りに来た時には普通にしゃべっていたくせに、俺には甘え全開なんだよな。
「いくら仕事だからって無理して身体壊すなよ? 帰ったらゆっくりマッサージしてやるからな?」
過保護なのは分かっていても心配で仕方ない。なのに。
「だから、話しかけんなっつってんだろーよ」
麻貴にまた怒られてしまった。
さすがに忙しすぎて機嫌が悪いんだろうと思い、遠慮がちに夕飯の確認をした。だが、
「ベーコンサラダにするけど、レタスとほうれん草、どっちがいい?」
そんなどうでもいいような質問に、麻貴は真顔のままで、
「レタス」
ちゃんと即答した。

……話しかけるなって言ってたんじゃなかったのかな、俺の麻貴ちゃん。

思わず微笑みながら、麻貴を見つめる。
その真剣な横顔があまりに可愛くて、キスの一つくらいしてしまいたい気持ちになったが、間違いなく殴られるので、それは思いとどまった。
「じゃあ、8時にな」
「ああ」
その代わり、席を立つ時、そっと麻貴の手を握ったんだけど。
それは無言で払い落とされた。




そして、待望の5時到来。
「じゃ」
勢いよく席を立ったら、周囲の目が一斉に集まった。
「樋渡、もう帰るのか? まだ5時だぞ。自分の企画書はどうした?」
俺の楽しい週末を阻むかのように先輩連中が声をかけてくるのだが。
「今朝、承認を頂きました。次回の会議にかけますよ」
この日のために普段は脇目も振らずに仕事をしてるのだから当然だ。
「マジ? 一発OKだったのかよ?」
「もちろんです」
くどいようだが今日は金曜日。
一週間、我慢に我慢を重ね、麻貴の寝顔だけで一人で抜いてきたものを、ギュッと抱き締めながら放出できる日。
残業も仕事の持ち帰りも論外だ。
「樋渡、チャラけてるわりに仕事は早いんだよな」
この日に人生かけてるんだから当然だ。
麻貴ちゃんと二人で過ごす甘い週末。麻貴の大好きな夕飯と、ハーブ入りの風呂と洗いたてのシーツと……あ、コンドームを買って帰らないと。生で出したら2回目はさせてもらえないからな。
「じゃ、お先に失礼します」
ついでだから、この間買った新しいローションも試してみよう。
乱れる麻貴の喘ぎ声が脳裏を掠めて、思わず怪しい笑みをこぼしそうになりながら、スーパーを目指した。



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