らいと・ぶらうん
- Light brown eyes -

番外-1 (前編)



「最近、颯って休日出勤が多いよね」
のんきにあくびをしたら、佐伯さんにほっぺを抓られた。
「やっぱり気付いてなかったのねぇ。可哀想な颯ちゃん」
「って?」
「平日、無理して早めに帰ってくるからに決まってるでしょ?」
それを聞いて、俺はちょっと焦った。
「なのに東騎クンたら一緒に寝てあげるどころか話もしてないんじゃないの?」
このところ夜のバイト先は人手不足で、出勤日も終業時間も不規則だった。おまけに休みも予定通りにはならず、行けば早く上がれる事もない。おかげで、颯とはすっかり擦れ違っていた。
「だってさ……仕方ないじゃん」
店長に言えば早く帰してもらえるだろうけど。
店も大変なんだと思うと、なんか悪くてさ。
「たまには電話をかけてあげるとか、メールしてみるとか。……まったく、気が利かないって言うか、鈍いって言うか。治らないものかしらねぇ」
「俺、そんなに鈍くはないと思うけどな……」
そう言う俺の目の前に差し出されたのは真四角のメモ用紙だった。
「なに、これ?」
「東騎クンにあげるわよ」
佐伯さんが悪戯っぽく笑う。
「あげるって言われてもさ」
これで何しろって?
無意識のうちに四角い紙の角を合わせる。
佐伯さんがまた笑った。
「なんで笑ってんの?」
「この間、颯ちゃんに渡された電話番号を書いた紙をきっちり4つに畳んだでしょ?」
佐伯さんたらそんな細かい所まで見てるんだな。
「……それって、今の話となんか関係あんの?」
「最初に会った日も、東騎クン、電話番号を書いた紙を同じように畳んだらしいわよ。きっちり四隅を合わせて」
「そうだっけ」
もちろん覚えてない。
けど、癖だから。多分その時もそうしたんだろう。
「でも、東騎クン、最初に貰った時は結局破いて捨てたんでしょ?」
捨てたよ。
翌日。
颯が『ごめん』なんて言うから、これきりにしたいんだと思って。
「それも颯が言ってたの?」
「ううん。この間分かったのよ。颯ちゃんが『今度は破いて捨てるなよ』って言った時に。前は破かれて捨てられちゃったんだなぁって」
そう言えば、そんなこと言ってたような……
「ほら、気付いてない。今頃わかったって遅いわよ。遅すぎる」
「だってさ、」
「東騎クン、いっつも人の話、ちゃんと聞いてないんだから」
聞いてるつもりなんだけど。
でも、きっとそうやって俺はいろんなことを見落としているんだろうな。
もっと注意していたら気づくようなことを。
「東騎クンには注意力が足りないのよ」
「そんなこと言われてもさ」
俺だっていい加減に聞いてるつもりはないのに。
「ニブ過ぎるわよ」
「しょうがないじゃん。気付かないんだから」
佐伯さんも随分はっきり言うよな。
なんだか最近、厳しいし。
まあ、全部当たってるんだけど。

「他にも俺、気づいてないこと、あるのかなぁ……」
ぼんやり考えていたら、颯が帰ってきた。
「今日は早いわね」
まだ10時なのに。本当に珍しい。
俺のバイトが突然休みになったこと、佐伯さんが教えたのかな。
そう思いながら佐伯さんの顔を見たら「そうよ」って言われた。
なんで俺の考えてることが分かるんだろう??
「バイトが休みになったんだ〜って、東騎クンがメールしてあげればいいじゃない。颯ちゃんだって喜ぶわよ?」
「だってさぁ……早く帰ってきてって言ってるみたいじゃん、それ」
しかも仕事中にさ。
「早く帰ってきてって言われるの、嬉しいわよ」
「でも、颯、忙しいんだろ?」
「無理して帰ってくるのも楽しいのよ。今からそんなこと言ってると家庭を顧みない嫌なサラリーマンになるわよ」
颯の耳には俺たちの会話なんて入っていない。
着替えながら留守電のメッセージを確認し、どこかに電話して、メールのチェックをして。
颯の帰宅後は20分くらい慌しくて俺も佐伯さんも静かに眺めているだけ。
「お帰り」
颯がやっと全てを終えて、リビングに戻ってきてから声をかけた。
颯は『ただいま』も言わずに俺の向かいに座った。
俺はちょっとがっかりした。
楽しい雰囲気じゃなかったから。
しかも、何故かいきなりちょっと説教モード。
相変わらずの保護者口調で切り出した。
「おまえも少しは先々のことを考えろよ」
何でいきなりこいう話になるんだろう?
唐突にその日暮しではダメだと言われて、俺は曖昧に頷くだけで。
「分かってるのか?」
「……うん」
そりゃあ、俺には定職もないし、貯金もないし、居候だし、家賃だって申し訳程度にしか払ってない。その上、借りた金はまだ半分も返してないけど。
俺のこれまでの生活を考えたら、今が一番まともなのに。
いきなりそれを否定しなくてもいいと思うんだけど。
しかも、颯はそれだけ言ったらさっさと電話をかけに行ってしまった。
また、仕事の話らしい。
佐伯さんも不思議そうな顔をして部屋に戻る颯を見送った。
「颯ちゃん、会社でナニか言われたのかしらね」
「会社?」
「颯ちゃんのパパに東騎クンのこと知れたんじゃない?」
「浮浪者を囲ってるって?」
だったら、最悪。
俺、もしかして追い出されるのかな。
「バカね。歳の離れた可愛い恋人と暮らしてるってコトよ」
「恋人っていうか……」
言い淀んだら佐伯さんに「めっ」と叱られた。
まるっきり子供を怒るみたいに。
「颯ちゃんは付き合ってるって思ってるんだから。素直に受け取りなさい。もう、東騎クンはそういうところが子供なのよ」
「また、子供とか言うし」
「当たり前でしょ。子供なんだから」
最近は颯だけじゃなくて佐伯さんや待島さんまで俺を子供扱いするんだよな。
「だって、東騎クンにはいい子に育ってもらわないとね」
佐伯さんに「うちの子なんだから」と言われて、なんだか少しくすぐったい気持ちになった。


そんなわけで。
理由はわからないままに俺は勉強させられるハメになった。
「でもさ、今はめちゃくちゃバイトが忙しいし、そんなに時間ないよ」
「やる前から言い訳しないの」
これじゃあ、ますます颯と話す時間なんてなくなりそうなんだけど。
颯はそれでいいんだろうか?


翌日、実は予備校の先生をしている待島さんが俺のために教科書を揃えてくれた。
「どの辺までちゃんと学校行ってたかわからなかったから、復習も兼ねて、ね?」
中学1年から高校3年まで。いきなり6年分。
見ただけでお腹が一杯になった。
「しばらくみっちり勉強してから、僕のところにおいで。学力試験の結果を見て、ついていけそうなクラスに入れるから」
「だって、バイトあるんだよ??」
いつまで経っても借金が返せないから、増やそうかと思っていたのに。
とてもそんなことを言える雰囲気じゃなかった。
「大丈夫だよ。夜のクラスと昼のクラスを上手く割り当てればいいから。個人授業制度もあるし、空いてる時間には家でも教えてあげられるしね」
「けど、俺……」
待島さんにそこまでしてもらうほどのことじゃないのに。
それより、そんな金……
心配していたら、案の定、颯が口を挟んだ。
「学費は出すから、しっかり勉強しろよ。大学を出て就職してから返せばいい」
っていうか、予備校だけじゃなくて大学も行けって??
「……俺、そんなに頭よくないんだけど……」
中学からして後半はまともに行ってないって言うのに。
いきなり大学受験の勉強しろって??
「人間、努力よ、東騎クン。先に諦めてどうするの?」
「そうだけどさ、」
人間には限界って言うモノが……
「そんなに勉強が嫌いなのか?」
颯に聞かれて考えた。
勉強なんていつ以来だろうって。
随分と昔のことに思えた。
でも、そんなに経ってないんだな。
高校の教師という男と付き合ってた時、勉強を教えてもらってた。
学校ごっこで、テストとか授業とかして。
……わりと楽しかったっけ。
「嫌いじゃ、ない、と思う、けど」
あまりにも自信がなさそうな俺の返事に佐伯さんたちはもちろん、颯まで笑ってた。


勉強は思ったよりもずっと楽しかった。
本を読んでる時と違ってずっと寝転んでやるわけにはいかなかったけれど、一週間くらいで机に向かうことにも慣れてきた。
「東騎クン、紅茶飲まない?」
部屋に入って2時間くらい経った頃、佐伯さんが顔を覗かせた。
「うん。ありがと」
ちょうどキリのいいところまで終わったので、問題集を片付けた。
紅茶の入ったポットと温められたカップが二つ、テーブルに並べられた。
「大変だと思うけど、頑張ってね」
「うん」
もちろん今でも大学に入れるなんて思ってなかった。
「颯ちゃんの側に居るのは大変だからね」
「うん」
問題はそれなんだよ。
いくら気持ちが前向きでも、中学もまともに行ってないような俺じゃ、やっぱりダメだろ?
「あれでも、まあまあ大きな会社の跡取り息子なんだから」
会社の名前とかそんなことは未だに知らなかったけれど、会社の跡取りってだけで俺には絶望的だった。
「勉強なんて頑張ってもさ……俺じゃダメじゃん」
恋人にだってなっていいものかどうか。
「いいのよ、東騎クンはそんなこと考えなくても。ダメかどうかは颯ちゃんが決めるんだから」
「だって、ゆくゆく社長になるんだったらちゃんと結婚して、子供作らないとさ」
「結婚ねぇ……しないと思うけど。東騎くんと別れたらヤケになって結婚するかもね〜」
「颯がヤケになるはずないよ」
慌ててるところだって見たことないのに。
「東騎クンを探してた頃の颯ちゃんを知らないんだもんね」
そりゃあね。俺が知ってるはずはない。
「不機嫌で大変だったんだから。なに話してても笑いもしなかったのよ」
そんなこと言われても。
颯がずっと探してたのが俺だってことさえ、未だに信じられないくらいなのに。
「でも、ちゃんと巡り会えるものなのね〜」
佐伯さん、なんだかうっとりしてるし。
「神様っているのね〜」とか言うし。
「俺、信じてないけど」
神様なんて、子供の頃から信じてなかった。
「あら、七夕とかサンタクロースとか流れ星とかにお願いしたこともないの?」
怒られたんだ。
小学校の時。
七夕の短冊に願い事を書かなかったから。
『だって、叶うはずないだろ?』
先生にそう言って。
子供らしくないとか、そんなことを言われて、ムクれて教室を飛び出した。
先生は後から俺んちの事情を知って、申し訳なさそうに謝りにきたっけ。
『先生にできる事があれば遠慮なく言って』と言ってたけど、本当は関わりたくなかったんだろう。
以来、そういう話題は避けていた。
「……ないよ。七夕もサンタクロースにも流れ星にもお願いしたことない」
佐伯さんは別に驚きもしなかった。
「あら、そうなの。偉いわね。でも、自分でなんとかする気なら余計に努力しなきゃね」
佐伯さんがあっさり口にする『努力』という言葉は、俺には縁のないものに思えた。
「努力……したことないんだけど」
なのに、佐伯さんは俺の髪をそっと撫でてニッコリ笑った。
「してるわよ」
そう言われていろいろ考えて見たけど、一つも思い当たらなかった。
「俺、何も……」
言いかけたら、佐伯さんに遮られた。
「してきたじゃない」
佐伯さんの長い指が俺の頬を包む。
「ずっと一人で頑張ってきたんだから、勉強くらいどうってことないわよ」
頑張ってきたかどうか、俺には分からなかったけど。
佐伯さんにそう言われたら、どんなに大変なことでも何とかなるような気がした。
「……じゃあ、頑張ろうかな」
俺も相当単純だけど。
たまには頑張ってみるのもいいかなと思って。
それに、俺が勉強してると颯の機嫌もよかったから、それが嬉しくて空いてる時間は全部机に向かった。
問題集をやって、待島さんが採点してくれて、いい点を取ると颯が誉めてくれて。
少しだけ子供の頃を思い出した。
小学校に上がったばかりの頃は、テストでいい点を取るとオヤジもお袋も喜んでくれたっけ……
だから、俺、学校が好きだった。
昔のことを普通に思い出せるようになったのも、今が楽しいからなんだろう。
オヤジやお袋のことも、たまに考える。

―――……幸せならいいけれど。





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