らいと・ぶらうん
- Light brown eyes -

〜Mother's Day〜
<1>




待島さんが講師をしている予備校に通うようになって、勉強も忙しくなった。
テレビなんて見てるヒマもなくて、夜は食事と風呂以外は全部勉強。
待島さんは俺のために毎日時間を割いて教えてくれるから、颯のマンションはすっかり男ばっかりで4人暮らしの状態だった。
風呂に入った後、短パン一枚でリビングを突っ切ろうとしたら、待島さんが俺の上半身を見て呟いた。
「東騎くんって傷が沢山あるんだね」
「うん。子供の時にね」
自転車で転んだとか階段から落ちたとか、もちろんそういう傷もあったけれど。
「でも、そんなところ、転んでもそんな風にはならないわよ」
佐伯さんの顔色が変わったから、慌てて説明した。
「誰かにやられたわけじゃないよ」
「そお?」
……あからさまに疑ってるし。
まあ、仕方ないか。良く見たら不自然だって思う傷が多すぎる。
理由を話すのがちょっと面倒だなって思っていたら、代わりに颯が答えた。
「自分でつけた傷らしいから、余計な心配はするなよ」
颯の声がとても静かに事実を告げて、少なくとも俺は驚いていた。
「え? なんで……」
颯がそれを知っているんだろう。
寝る時だって颯は一度もそんなことは聞かなかったし、俺も自分から話したりはしなかったのに。
「おまえ、最初に会った時に話しただろう?」
あの時、俺は酔ってたから、よく覚えていないだけで。
「あ……そっか」
でも、颯には本当のことを話したんだろうな。
「……忘れてたな。そんなこと……」
父親と母親に振り向いて欲しくて付けた傷。

最初は偶然で。
父親と母親のケンカに巻き込まれた俺がガラスで頬を切った時。
それまで喚き散らしていた両親がケンカを止めたから。
その後、ケンカのたびに俺はわざとケガをした。
子供だったから。
そうすればケンカしなくなるって思い込んで。
思った通り、初めは慌てて俺を病院に連れていった。
でも、繰り返すうちに二人とも心配などしなくなった。
とめようと思って部屋を飛び出して、階段から落ちて腕が折れた時も、父親も母親も俺には見向きもせずに言い争っていた。
あの夜、折れた腕を支えながら一人で病院に行った。
まだ10歳になっていなかった。
家族なんて箱はあの時に終わってた。
そして、その後、元には戻らなかった。

そんな経緯も颯は全部知っていて、佐伯さんたちに話してくれた。
最初にあった日なんて、もうずっと前なのに。
颯は全部をちゃんと覚えていた。
多分、俺が話した通り。俺の気持ちのままを伝えてくれた。
「ふうん、そうなの」
バスタオルを被ったまま固まっていたら、佐伯さんが俺の髪を拭いてくれた。
「東騎クン、大変だったのね。なのに、ちゃんと、こんなにいい子に育ったのね」
そう言って少し笑って。
でも、ちょっとだけ泣いてた。
「やあね。年取ると涙もろくなるっていうけど。まだ20代なのにね」
俺は笑い返したけれど。
少しだけ、どこかが痛い。
心臓なのか、気管支なのかわからないけど。
ふうっと息を吐いて、唾を飲み込んで。
また、深呼吸して。
「やぁね。東騎クンたら、そんな顔しないの。お母さん、会いたいって言ってたんでしょ?」
「……うん」


半月くらい前。
母親の代理という人がバイト先に尋ねてきた。
差し出された名刺は探偵社のもので、喫茶店で少しだけ話をした。
「よろしければ、貴方からお母さんにご連絡して頂けませんか?」
無理にとは言わないけれど、と微笑まれて。
返事ができなくて俯いた。
『会いたくないと言われても仕方ないと思っているから』
お袋はそう言っていたらしい。
「お母さんは現在再婚を考えている方がいらっしゃいます。お相手の方も、できれば東騎さんにお会いしたいとおっしゃっていました」
念のため、と言われて渡された連絡先。住所も電話番号も変わってはいなかった。
「少し……考えてみます」
その場を流すために適当な返事をし、引き取ってもらった。
何日も悩んだけれど、結論は出せなくて。
ずいぶん経ってから颯と佐伯さんと待島さんに相談して怒られた。
「すぐに電話しなさいよ。もうっ、信じられない。なにやってんのよ??」
やっぱり、というか。
一番怒ったのは佐伯さんだった。
颯はなんにも言わなかった。
「だって、」
「だってじゃないでしょう? お母さんのこと、嫌いになったの?」
「そうじゃないけど……」
いまさら何を話したらいいのかなんて分からなかったし。
万が一、戻ってこいって言われて颯と会えなくなってしまったらどうしよう、なんて余計な心配ばっかりしていた。
「と、に、か、く……電話しなさい。今すぐ」
佐伯さんに散々怒られて、しぶしぶ電話をかけた。
コール音、三回。
プツッと電話が繋がって。
「……あの……」
俺が言えたのは、たったそれだけ。
でも、お袋はちゃんと俺の名前を呼んだ。
『電話、もう来ないかと思ってたのよ……』
電話口でずっと泣いていた。
無事なのか、どこにいるのか、何をしてるのか、金は足りているのか、その他いろいろを泣きながら俺に聞いた。
何度も謝りながら。
許してもらえるなら、会って話しがしたいと言った。
『ごめんね、東騎。本当にごめんなさいね』
そんなに謝らなくてもいいのに。
「いいよ、別に。俺、普通に生活してるし、心配するような事なんて何も……」
その後、自分でも何を話したのかよくわからなかったけど、いつの間にか週末に会うことになっていた。
土曜日ならお袋も仕事が休みでゆっくり話せるって言うから。
「うん、じゃあ……ね……」
受話器を置いて、溜め息をついた。
振り返ったら、颯も佐伯さんも待島さんもこっちを見ていた。
「いまさら会ったって、話すことなんてさ……」
言った瞬間に颯にほっぺを掴まれた。
そう言えば『今更』は禁句だったっけ。
「家族なんだから、そんなこと心配しなくても大丈夫よ」
佐伯さんもそう言うけど。
「俺、家にいた頃だってロクに話なんて……」
今度は佐伯さんにほっぺを掴まれた。
「いいから。黙って行ってらっしゃい」
その日、佐伯さんと待島さんは大騒ぎしながら俺が着ていく服を選んでくれた。
「あんまり貧乏くさい格好もねぇ。お母さん、心配しちゃうし」
確かにそうなんだけど。
「貧乏くさい」って酷くない?
「それにしても東騎くんってば、まともな服持ってないわねぇ……」
「大きなお世話なんだけど」
佐伯さんは厳しいチェックの後、上下一式をクローゼットから出してベッドに並べた。
それは俺がまだホストをしてた頃、颯が買ってきた服だった。
「ほら、やっぱコレよ。可愛いって。なんでブランド物の服なんて持ってるのよ。しかも上下一式だけ。よそ行き? デート用?」
風邪を引いて、洗濯もしてなくて。
見かねた颯が買ってきてくれた服。
汚したくなかったからあんまり着てなかった。
あれから少し背も伸びたけど、まだ全然着られるのに。
「颯が……買ってきたんだよ。俺んちに着る物がなくなって」
懐かしいなと思った。
颯はあの頃よりもっと優しくて、服でもなんでも買ってくれるって言うんだけど。
俺にも一応プライドがあって、それは断わっていた。
居候な上に借金もまだ全部は返してないのに、そんなところだけプライドを発揮しても仕方ないんだけど。
「颯ちゃんの趣味なの? 意外」
「へ? 意外かな?」
とっても普通の服だと思うけど。
「颯ちゃん、自分の服はオーソドックスでシンプルすぎるくらいでしょ。可愛い系の服なんて買いそうにないもの」
颯の服はシンプルを通り越して素っ気ない。
なのにすごく良く似合う。
まあ、颯だったら何を着ても様になるとは思うんだけど。
「東騎クン、ちょっとこっち向いて。うん。可愛いわよ」
佐伯さんは俺に服を当てながら颯をからかった。
「もうっ、颯ちゃんの愛を感じるわね」
颯は相変わらず何も言わないし、無表情なんだけど。
多分、少しだけ照れていた。



母親に会いにいく日。
いつもなら週末も仕事でいない颯が珍しく家にいた。
「颯、会社は?」
「休みだ」
って、それだけ答えて俺の隣りに座った。
「珍しいね。……だったら、俺もうちにいたいなぁ……」
本気でそう思ったんだけど。
佐伯さんと颯の両方から頭を小突かれた。
「……行けばいいんだろ。もう……」
俺はまだどこかで決心がついてなくて、ちょっとしたことですぐに逃げの体勢になってしまう。
佐伯さんがぺちぺちと俺の頬を叩いて。
「そんな投げやりな態度じゃダメよ。もうっ、颯ちゃんが甘やかすからこんな子になっちゃうのよ?」
なぜか颯に怒ってた。

「じゃあ、行ってきます」
出掛けに佐伯さんに引き止められて、いろいろと注意事項を吹き込まれた。
「可愛く笑って挨拶するのよ」
「あんまりよそよそしいのもダメよ」
「少しくらいは甘えてきなさいね?」
……まあ、そういうようなことだ。
「それから、」
「まだあるの??」
ぶーたれる俺の耳を引っ張って、佐伯さんがこそっと告げた。
「颯ちゃん、今日、わざわざお休み取ったのよ」
「……へ??」
「東騎クン、相変わらずニブすぎるわよ」
待島さんと颯にはこの会話は聞こえてないから、二人して不思議そうな顔をしてたけど。
「そういうことで。いってらっしゃい」
そういうことで、って言われても。
俺にどうしろってことなんだよ??
「……いってきます」
半分、悩みながら颯と二人で家を出た。


実家の前まで颯に車で送ってもらった。
一人だったら途中で逃げたかもしれないけど、いつもは口数の少ない颯が何度も「大丈夫か?」って聞くから、「大丈夫」って答えているうちに本当に大丈夫な気がしてきた。
「じゃあね。早めに帰るから」
なんとなく落ち着かないままにそう告げたら、颯は俺の髪を撫でつけて。
「無理するなよ」
そう言った。
「うん」
心配そうな颯を見上げる気力もなくて、なんとなく足元を見てた。
「帰りも迎えにくるから、電話しろよ」
「うん」
俺の口数が妙に少ないのは、少し緊張しているからだ。
自分ちに帰るだけなのに。
なんでだろうな。


何年かぶりの家。
苦笑しながらインターホンを押すと母親が慌てて出てきた。
「いやだ、東騎ったら。自分の家なんだから勝手に入ってきていいのよ? 鍵、なくしちゃったの?」
鍵。
家を出た日に捨てた。
もう2度と帰ることなんてないと思ってたから。
「……うん」
そう答えたら、困ったような顔で迎え入れて。
なんだか既に少し居心地が悪い。
でも、久しぶりの家は何も変わってなかった。
「ごめんなさいね」
また謝るから、なんだか居心地の悪さが倍増したけど。
「あのさ、」
来てすぐっていうのもなんだけど。
他に話すことも思いつかなかったから。
「俺の子供の頃の写真って残ってない?」
ずっと前に颯と約束した。
一枚も残ってなかったら、颯が撮ってくれるって言った。
だから、どんな返事でもいいって思った。
「あったら、ちょっと借りたいんだけど」
俺の頼みに少し困ったような顔をしたけれど。
「本当に小さい頃のしかないわね、きっと……ごめんなさいね」
また謝られて。
俺もどうしていいかわからなかった。


アルバムは母親の部屋にあった。
俺が思ってたよりもずっとたくさんの写真が入ってた。
「……こんなに……あったんだ」
ペラペラとめくると途中、何枚か抜き取られている個所があった。
「お父さんが持っていったのよ」
そう言ってオヤジの新しい住所と電話番号を書いてくれた。
「今、お付き合いしている方がいるから、もしかしたら繋いでもらえないかもしれないけど……お父さんは東騎に会いたがってるから……だから、お休みの日にでも電話してあげてね」
オヤジの新しい家族。
今度はうまくやっているんだろうか。
優しい人ならいいけれど。
それから。
「あのさ、」
探偵社の人が言ってたっけ。
「……再婚……するんだよね?」
お袋の部屋にあった男物の衣類を見ながらなんとなく聞いた。
俺の言葉に少しだけ苦い表情になった。
「東騎が……許してくれたらって……」
俺の顔なんて見ないで、また少し俯いて。
「俺のことなんかいいのに」
気なんか遣わずに幸せになって欲しいと思うのに。
俺には颯がいるから。
もう、大丈夫だから。
「でも、相川さんがね。……覚えてるかしら。一度ここで会ったと思うんだけど」
その言葉に、身体の痛みと最悪の日の記憶が蘇る。
「……ああ、たまたま帰ってきた日にいた人ね」
颯と別れてきた日。
その人はリビングで寛いでいた。
親しげに挨拶をされて。
でも、俺は返事もせずにまた家を出た。
あれきり会うこともなかった。
「俺、挨拶もしなかったからな……」
嫌なヤツと思っただろう。
お袋の息子じゃなかったら、2度と会いたくないと思ったかもしれない。
「東騎のこと、とても心配してるのよ。だから、一度会ってもらえないかしら。もちろん、東騎が嫌なら……」
お詫びくらい、言っておかないと。
お袋の新しい家族になる人なんだから。
「別に……いいけど」
そう言ったら、お袋はホッとしたように微笑んだ。
昔はこんな風に笑う人だったかもしれない。
おぼろげな記憶と写真の笑顔が一致した。
もっと他にも、いろいろ思い出しそうだったけど。
それもなんとなく中途半端なまま。
懐かしいような悲しいような照れ臭いような。
不思議な気持ちで、俺はしばらくぼんやりと突っ立っていた。



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