らいと・ぶらうん
- Light brown eyes -

〜Mother's Day〜
<2>





お袋はアルバムをリビングに置いてきてから、また二階に戻って俺の部屋のドアを開けた。
「東騎の部屋もそのままだから、必要な物があったら持っていってね」
部屋はカーテンもベッドカバーもみんな俺が家にいた頃のままだった。
机の引き出しを開けると昔と同じようにいくらかの現金と俺名義の預金通帳が入っていた。
「毎月、お父さんから養育費が振り込まれてるから、持っていきなさいね」
そう言われたけど、金は受け取れない。
「いいよ。バイトしてるから、金には困ってないし」
そんなことのために帰ってきたわけじゃない。
できれば、俺のことなんて忘れて新しい家族と幸せになって欲しいって言うつもりだった。
「でも、貴方のものだから……持っていってね」
少し寂しそうなお袋の顔を見ることができないまま、俺は黙って引き出しを閉めた。
キチンと掃除された部屋。カーテンも毎日開け閉めされてるんだろう。
そんな気がした。
お袋は昔からそうしてた。
俺がいても、いなくても。
何気なく開けたクローゼットの中も、夏服になっていた。
俺が出ていった時はまだコートやマフラーが掛けてあったのに。
「きっと、もう着られないわね。こんなに大きくなっちゃって」
言われて初めて、お袋の背を超えていることに気付いた。
なんだか悲しくなって。
そこにいることができなかった。
黙ってリビングに戻るとアルバムを紙袋に入れた。
「全部持っていくのは大変よ? 大丈夫なの?」
そりゃあ、これ持って電車に乗ろうとは思わないけど。
「電話して迎えにきてもらうから。……その人の家に住まわせてもらってるんだ」
きっと、俺のこと心配して休みを取ってくれた颯に。
まっ先に今日の感想を言わないといけないって思ったから。
「高槻さんって言うのよね……どこで知り合ったの?」
俺の居場所だって分かったくらいだから、ある程度のことは知ってるんだろう。
「……バイト先のバーで会って……颯の父親は会社を経営してて、颯もそこで働いてて……」
お袋は多分そんなことを聞きたいんじゃない。
深呼吸をしてから、口を開いた。
「颯のこと、好きなんだ。ずっと一緒にいたいって思ってる」
ずっと、迷ってた。
今日しか会わないんだから、言う必要なんてないって思った。
でも。
やっぱり、気持ちのどこかで家族だと思ってたから。
認めてもらえるなんて思ってないけど。
知っていて欲しかった。
「東騎……」
颯と会ったから。
やっと、自分の生活を始められたんだって思うから。
「反対してもダメだからな。俺、颯のこと……」
お袋の手がそっと俺の頬に触れた。
「いいのよ。東騎の事、大切にしてくれる人なら、母さんは反対なんてしないから」
涙ぐんでた。
でも、笑ってくれた。
「……大丈夫だよ、すごく大事にしてくれるから」
それだけは。
誰に聞かれても自信を持って言えるから。
「本当に、大きくなったのね」
「そりゃあね、」
後の言葉が思いつかなくて。
ちょっと逃げてしまった。
「……電話、借りるね」
「自分の家なんだから、断わらなくていいのよ」
淋しそうな顔になるお袋を見ることができなくて、無言で受話器を手に取った。
『東騎か?』
颯の声が耳の奥で響いた。
いつもは家にいても電話なんて取らないくせに。
コール2回目で出るなんてさ……


――――大丈夫だよ。俺、ホントに大事にされてるから……


「迎えに、来てもらえる?」
言葉に詰まる俺の耳に颯の心配そうな声が届いた。
『大丈夫か?』
どんな顔で受話器を持っているのか、見えるような気がした。
「……うん、思ったより写真がたくさんあって持っていけそうにないから」
心配させたくなくて、精一杯明るい声で言った。
『そうか。何時に迎えにいけば、』
安堵した颯の声が途切れて。
その後すぐに佐伯さんの声が聞こえた。
『お夕飯も食べてくるのよ? お母さん、きっとお買い物してきてるはずだから。ちゃんと“お母さんが作ったご飯が食べたいなぁ…”って言うのよ?』
俺よりもずっと真剣なんだもんな。
ホント、参る。
「……うん」
対面式のキッチンには佐伯さんの言う通り、一人では絶対食べ切れないほど野菜やフルーツが並んでいた。
佐伯さんって、なんでそんなことが分かるんだろう。
「……あのさ、夕飯どうする?」
受話器を遠ざけて聞いてみたら、やっぱり、「作るから食べていってね」と言われた。
電話口で佐伯さんが『そんな言い方じゃダメよ』って叫んでた。
「じゃあ、食べ終わったらもう一回電話する」
『ゆっくりしてこいよ。遅くなっても構わないから』
「うん」
せっかくの休みなのに。
佐伯さんも待島さんも颯も。
みんなちゃんと待っててくれるんだなって思ったら、また泣きたくなった。



テーブルクロスでさえ変わっていないダイニングテーブル。
でも、俺の記憶ではもっとずっとガランとした寒々しい場所だった。
「たくさん食べてね」
それよりも、もっと昔の記憶が少しだけ戻って。
俺はいろんなことを忘れているんだってことに気付いたのも、食卓に並んだ妙な組み合わせの料理のせい。その意味を考えて、やっと思い当たった。
俺が、子供の頃に好きだったもの。
誕生日をそんなメニューで祝ってもらったこともあった。
ずいぶん昔のことなのに、どんなに嬉しかったかまでちゃんと思い出せる。
俺、何で今までそんなことも思い出さなかったんだろう。
ずっと、どこを見てたんだろう。

夕飯にはあの人……相川さんも来た。
最初の印象通り、少し垢抜けないけど誠実そうな人だった。
「夏原東騎です。母がいつもお世話になっています」
挨拶をしたら、照れたように笑った。
「最初に会った時、嫌われてるんだと思ったから……よかった、嬉しいよ」
真面目で優しそうで。
「あの時は、すみませんでした。俺、外でちょっと嫌なことがあって、だから……」
年もお袋より下だろう。
温かい笑顔を向ける人だった。
「いいよ、全然、そんなこと。嫌われてなくて、良かった。ホントに」
本当はあの日、こんな会話をするはずだったのかもしれない。
俺が黙って家を飛び出さなければ。
この人は今日までずっと待っててくれたんだ。
お袋のために。それから、俺のために。
「俺も……相川さんが優しそうな方で良かったです。母の事、よろしくお願いします」
お袋が泣き出すのを見て、相川さんが慌てて慰めた。
そのちょっと不器用な慰めの言葉が、俺をひどく安心させた。

夕飯を食べながらいろいろ話をした。
その頃には俺も気まずさは感じなくなっていた。
「え? 相川さん、初婚なんですか? だったら、なんでバツイチでコブつきの……」
ついはずみがつきすぎて、言ってから「しまった」と思った。
けど、お袋は嬉しそうに笑ってた。
「東騎ったら、すっかり大人びた挨拶なんかするから、もう母さんの知ってる東騎じゃないのね、って淋しくなったのよ。でも安心したわ。あんまり変わってなくて」
そんなことで安心されてもな、って思いながら。
「あんまりどころか、颯には最初に会った時から全然成長してないって言われるよ。それって中学の時なのにさ」
今でもことあるごとにそれなんだよな。
進歩がないって。
「そんなに前から知り合いなの?」
お袋はすごくびっくりした顔をした。
でも、相川さんはもっとびっくりしてた。
「……うん。前に一度だけ会ったことがあって。颯もその時のこと覚えてたから」
相川さんはしばらく固まったままだったけど。
ようやく遠慮がちに口を挟んだ。
「颯さんて人は……その……一緒に住んでるっていう……?」
でも、俺じゃなくてお袋にこっそり聞いてた。
「東騎の彼らしいのよ」
お袋がそんなにはっきり言うとは思わなかったから、ちょっと焦って。
「そんなことわざわざ教えなくても……」
そうじゃなくてもバツイチで子持ちなのに、その一人息子に彼氏がいるなんて知ったら普通は引くよな。
「だって、家族になる人なのよ」
「そうだけど」
でも、相川さんはあんまり困った顔もしてなかった。
「僕も会いたいな、東騎君の彼に」
ニコニコしながらそんなことを言った。
おおらかで優しい笑顔だった。
「……颯なら、あとで迎えにくるよ」
そこで紹介しろとか言われても困るけど。
って思ってたのに。
「じゃあ、少し早めに来てもらってお茶でも一緒にどうかな。颯君、甘い物は好き?」
やっぱり言われてしまった。
「甘い物は食べると思いますけど……」
『颯君』って感じじゃないんだけどな。
「けど?」
「颯、27歳で、おれよりもずっと年上だから……」
いや、それよりも。
家に寄って挨拶してってなんて、俺、絶対に頼めない。
「あ、ごめん。ごめんね。じゃあ、君付けはダメだね。気をつけるよ。苗字は高槻さんだったよね、うん。わかった」
話は勝手に颯を紹介する方向に進んでいくんだけど。
「楽しみね」
「いいよ、楽しみにしなくてもさ、」
俺、颯になんて言えばいいんだろう?
『家族に挨拶して』って??
……ムリだって。絶対。
でも。
「もっとちゃんとした格好してくれば良かったなぁ」
相川さんが本当に楽しそうにそんなことを言うから、俺も少し頑張ってみようかなって思った。
相川さんはちょっと気が利かなくて、そんなに要領もよくなさそうだけど、家族の事は大事にしてくれる。そんな気がしたから。
仕事だけしか興味がなさそうだったオヤジとは全然違う。
だからこそ、お袋も結婚しようと思ったんだろう。
この人となら、もう一度やり直せるって思ったんだろう。



颯に電話をしている時、お袋も相川さんもニコニコしながら聞いていた。
「でさ、あの……」
『どうしたんだ?』
「颯、うちでさ、ちょっとだけ、挨拶とか、してもらっても、いい?」
言いにくくて仕方なかったんだけど。
颯は当たり前のように「そのつもりだ」と答えた。
電話を切ってから、俺一人で外に出た。先に颯に言っておきたいことがあったから。
ぼんやりと玄関で待っていたら、颯が爽やかに現れた。
多分、いつでも出られるようにして待ってたんだろう。
俺が思っていたよりもずいぶん早くきてくれた。
チノパンにシャツだけど、パンツも麻っぽい感じでシャツも爽やかな淡いブルー。
見るからに高そうで。品が良くて。
……しかも、花束なんて持ってるし。
「あのさ、」
そして、俺はまたしてもものすごく言い難いことを伝えなければならなくて。
「何だ?」
「お袋に、颯のこと、話したんだ」
「何て?」
さらっと聞き返したけど。
颯ってば、ホントはちゃんと分かっているんだろう。
目が少しだけ笑ってた。
「……とにかく、話したから」
気持ちは頑張ってたんだけど、それ以上の説明はできなかった。
「隠さなくていいって事なんだな?」
「……うん、まあ、ね」
颯は嫌な顔なんてしなかった。
そっと俺のほっぺにキスをして、その後、花束を差し出した。
「颯から渡せばいいじゃん」
花束を押し戻したけど、すぐに首を振られてしまった。
「何で?」
俺と違って花束を渡すのに照れるような性格じゃないのにって思ったけど。
「東騎、明日が何の日か知ってるか?」
そう言われて。
花束を見て。
カーネーションがまざってることに気付いた。
「……母の日」
答えたものの。
「でもさ、颯が持ってきたってバレバレじゃんか」
だったら颯から渡した方がいいと思うんだけど。
「喜ばないと思うか?」
改めてそう聞かれると、ちょっと考えてしまう。
「……喜ぶと思う、けど」
確かにお袋の今日の勢いなら、ほんのちょっとしたことでも感激しそうだけど。
「ほら」
笑いながら言われて。
颯の手から花束を受け取った。



ドアを開けるとお袋と相川さんが立っていた。
「お邪魔します」
スッと頭を下げた颯を見て、二人とも一瞬、固まった。
「……これ」
俺が花束を差し出してもまだ何の反応もしないから。
「颯が買ってきてくれた。明日、母の日だからって……」
なんとなく居心地が悪くなって、結局、全部しゃべってしまった。
それを聞いて、お袋は慌ててブーケを受け取った。
「ご丁寧にありがとうございます」
颯にぺこりと頭を下げて。
「……もう、やだ、東騎ったら……」
そう言いながら泣きそうになるのを堪えてた。
指で目頭を押さえながら、しばらく俯いていたけれど。
「……こんなに素敵な人だなんて、ひとことも言わなかったじゃない」
やっとそんな言葉を返した。
「そんなの、わざわざ話すようなことじゃないじゃん」
そんなやり取りを聞きながら颯は穏やかに笑ってた。
俺の顔を見ながら。
本当にホッとしたように。
それから。
俺よりもずっと嬉しそうに。
笑ってた。



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