お茶を飲みながら俺の子供の頃のことなんかを聞く颯は、誰が見ても満点の彼氏だった。
お袋もすっかり気に入ったみたいで、何度も「こんなに素敵な人がね」なんてため息をついていた。
相川さんはなんだか気後れしたみたいで、俺といた時と違って口数が少なかった。
1時間くらい話してから、アルバムと着られそうな服を持って家を出た。
お袋と相川さんも車まで見送りに来てくれた。
「すみません、すっかりお邪魔してしまって」
帰り際にも丁寧な挨拶をする颯に頭を下げながらお袋はちょっと悲しそうな顔をした。
「東騎、また電話してね」
「え? ああ……」
曖昧な返事をしたのは、そんなこと考えてもみなかったからだ。
なのに。
「よろしかったら、今度うちにも遊びにいらしてください」
颯が平然と二人を誘う。
「あの、でも……ご迷惑じゃ……」
お袋はやっぱり遠慮してたけど。
「ご都合がよろしければ来週にでもいかがですか?」
俺の顔さえ見ずにさっさと予定を決めてしまった。
「……いいのかしら……?」
チラリと二人の視線が飛んできたけど。
「いんじゃないの? 颯が来いって言うんだから」
投げやりに答えたら、颯に後頭部をぺちっと引っぱたかれた。
お袋と相川さんが笑ってるのは気配でわかったけど。
和やかなムードに浸ることもできないまま、車のシートとか駐車場に引かれた白いラインばかり見ていた。
「前日に東騎君の方から、ご連絡いたしますので」
勝手に決めた颯がペコリと頭を下げると、斜め前に立っていた二人も同じように会釈をした。
「……じゃあ、そういうことで」
なんだか変な感じだなと思いながら、渋々そう告げて車に乗った。
二人きりになったら怒られるんだろうなと思ってたけど。
やっぱりって感じで。
帰りの車の中でずっと説教された。
「おまえもいい年なんだから、少しは気を遣えよ」
いつもは子供扱いしてるくせに、こんな時ばっかり「いい年」になる。
「そんなこと言われてもさ……」
反抗的な態度に出たら、さらなる仕打ちが。
「来週までに部屋を片付けておけよ」
「面倒くさー……」
ふてくされた途端、また頭を小突かれた。
でも、マンションに着いて車を降りた時、颯は俺をギュッと抱き締めて、「お疲れさま」と言ってくれた。
ただいまもなしにドアを開けたのに、佐伯さんが玄関まで走ってきた。
待島さんもあとから歩いてきた。
「どうだったの? 久しぶりのお母さんは」
靴を脱ぐ間も佐伯さんはずっとそわそわしながら返事を待っていたけど。
こうやって遠慮しないで聞いてくれることが、俺にはちょっと嬉しかった。
「うん……」
でも、何から話していいのかわからなくて。
なんとなくうつむいたら顔を覗き込まれた。
「あら、元気ないのね」
「そんなことないけど」
「そう? ならいいんだけど。あ、おいしい紅茶買ってきたのよ。一緒に飲もうと思って。それからね……」
今日も楽しそうな佐伯さんに背中を押されながらリビングに入った。
「今日のこと、話したくなかったら無理しなくていいのよ? あとでこっそり颯ちゃんに吐かせるから」
それを聞いた待島さんが「めっ」って佐伯さんを怒ってたけど。
「別に全然大丈夫だよ。でもさ、」
入れてもらった紅茶を一口飲んで、やっと質問の返事をした。
「……なんか、俺が思ってたのと違った」
「どういうふうに?」
「写真もちゃんとあったし、部屋もそのまま残ってて、ちゃんと衣替えとかしてあって。昔とおんなじように机の引き出しに金とか入ってて……」
いつ帰ってきてもいいように。
準備して待ってたんだって思った。
「夕飯も俺が好きだったものばっかり作って……」
もうすっかり忘れてた。
子供の頃に好きだったもの。
「よかったじゃないの。おいしかった?」
「……うん」
自分で思ってたより、ホントはずっと大事にされてきたんだって。
なのに、家を出る前だって俺は父親とも母親とも口を利かずに。
たまに金を取りに帰るだけで、あとはずっと遊び歩いてた。
「お母さんね、きっと大変だったのよ」
「……うん」
いろんなことを思い出した。
まだ、こんなことも覚えてたんだなって自分でも驚くくらい、たくさん。
「東騎クン、一人っ子なんだもんね。ほら、写真だってこんなにあるじゃない」
佐伯さんが楽しそうに広げたアルバム。
ほとんどがお袋と二人で写ったものだった。
「お父さんが撮ってくれたんだね。東騎クンが生まれた時、嬉しかったんだろうね」
写真は小学校1、2年まではちゃんとあった。
その後はどんどん枚数が減って、中学になった時には、もう、先生や友達からもらったものしかなかったけれど。
「ちょっと上手くいかなくなると、全部ダメになっちゃうことだってあるからね」
佐伯さんがいちいち慰めてくれて。
そのたびに隣りで待島さんが頷いて。
その間、颯はずっと俺の肩を抱いていてくれた。
だから。
「……結婚するんだ。いい人だったよ、相川さんっていうんだ」
少しずつ気持ちの整理ができて、そんな言葉も素直に口に出せた。
「そう。良かったね。じゃあ、東騎クンも幸せにならないと。ね?」
「……うん」
そうだよな。
こんなにみんなが心配してくれるんだから。
俺も頑張って幸せにならないといけないんだって。
「ほら、颯ちゃんも何か言って。気が利かないわねェ」
佐伯さんがバシバシと颯の肩を叩いた時、
「何かってなんだよ」
颯は俺の顔を見てたから、ちょっとボンヤリした返事をしたけど。
「んー、もう。『俺が幸せにしてあげるから』とか。いくらでもあるでしょう?」
佐伯さんにつつかれて。
「そう言われてもな」
珍しく困った顔をした。
「もう。ダメよ〜、そんなことじゃ。お母さんにはちゃんと挨拶してきたの?
颯ちゃん、気に入ってもらえたの?」
佐伯さんは「まだまだこれからたくさん聞くわよ」って感じだったけど、それは颯に止められた。
「とにかく、写真は明日にして今日は早く休めよ」
俺の顔だけ、すごく心配そうに見つめて、またギュッと肩を抱いて。
「なぁに? それってベッドへのお誘いなの? でも、お母さんのところから戻ってきたばっかりじゃ、エッチな気分にはならないわよねェ?」
佐伯さんの突っ込みが色っぽい空気を思いっきり吹き飛ばした。
「え? んん……まあ……」
でも、今日はなんとなく一人で部屋にいたくない。
そんなことを考えているうちに、颯は一人で自分の部屋に行ってしまった。
「ダメね、もう。颯ちゃんったら。東騎クン、それでいいの?」
って言われてもさ。
「え、あー……うん」
颯と一緒にいたいけど、確かにやる気分じゃないんだよな。
「希望があるならハッキリ伝えないと。東騎クンはそういうところがマイナス30点なのよ」
思いっきりダメ出しされちゃってるんだけど。
「だって……」
なんて言えばいいかわかんないんだよな。
「やあね。『一緒に寝たいけどエッチはしないで』でいいじゃない」
そのまんまだ。
当たり前だけど。
「うん」
でも、やっぱり俺にはハードルが高い。
「あ〜、もう。ダメダメ。颯ちゃ〜ん」
人の手を勝手に掴んで颯の部屋に向かった佐伯さんは、ノックもせずにドアを開けると俺を颯に押しつけた。
「颯ちゃんと一緒に寝たいけど、エッチはイヤだって」
半分ムキになっている佐伯さんから、颯は黙って俺を受け取った。
「じゃあね〜、お休み、颯ちゃん、東騎クン」
しばらくの間、颯は佐伯さんの後ろ姿を無表情に見送っていたけど、ドアが閉まるとちょっと不機嫌な顔になった。
「佐伯に言えて、なんで俺には言えないんだ?」
まさかそんな質問が飛んでくるとは思ってなくて。
「え? あ……」
目いっぱいうろたえまくり。
「っていうか……佐伯さんの誘導尋問に引っ掛かっただけで……」
そうだよ。
結局、「うん」とか「だって」くらいしか言ってない。
「まあ、いいけどな。今度からちゃんと自分で話せよ」
「……うん」
颯は「俺だって我慢くらいできる」って真面目な顔をするんだけど。
「あのさ、そっちじゃなくって、」
俺が言えなかったのは「一緒にいて欲しい」ってほう。
「なら、黙ってベッドに入ってくればいいだろう?」
「うん」
そうなんだけど。
まだグズグズしていたら、ポンと頭を叩かれた。
「まあ、そのうちに慣れるんだろうけどな」
颯はあっさりそう決めておそろいのパジャマを取り出した。
でも。
「俺……どんなに時間経っても言えそうにないんだけど……」
だから、今の予想は軽くプレッシャーで、なんとなくうつむいてしまう。
けど、颯は少し笑っただけ。
「心配しなくても俺が慣れるから大丈夫だ。おまえの顔を見たらなんとなく分かるようになるだろ」
それだと颯に頼りきりだよなって思ったけど、おでこにキスをされたら、「まあ、あとで考えればいいか」って気になってしまった。
「オヤジさんの連絡先は聞いたのか?」
「あ、うん」
お袋から貰ったメモを見せたら、颯が携帯を差し出した。
「まだそんなに遅い時間じゃないからかけてみろよ」
早い方がいいからと言われ、書かれている番号を押した。
いつでも仕事ばっかりで家にいたことなんてない人だったから、きっとまだ帰ってないだろうとは思っていたけど。
『はい、信貴(しぎ)です』
電話に出たのは若い女の人だった。
優しそうで、綺麗な声で。
でも。
「夏原と申しますが、」
それだけ告げた瞬間にプツリと切れた。
多分、彼女は驚いたんだろう。
それが母の姓だと知っているから。
今更、何の用だと思ったのかもしれない。
携帯を握り締めたまま固まっている俺の肩を颯がそっと抱き締めた。
「どうした?」
「……切られちゃった」
もう、電話を掛けるのは止めようと決めて、颯に携帯を返した。
「オヤジさんが?」
「ううん。女の人だった」
オヤジの新しい家族を不安にさせるようなことはしたくない。
「そうか」
顔を上げたら、颯が心配そうに顔を覗き込んでいた。
だから、俺は少し無理をして笑って「大丈夫」と答えた。
「オヤジもちゃんとやり直せたんだなって思ったら、なんか安心した」
お袋とはうまくいかなかったけど。
あの人とは大丈夫だったんだろう。
今は幸せだから壊されたくないと思ったんだろう。
「だからさ、大丈夫だよ」
本当はオヤジの声も聞きたかったけど。
俺が自分の生活を始めたように、オヤジにもオヤジの生活があるんだから。
それに、会いたかったらいつだって会えるんだから。
だから、大丈夫。
本当にそう思ってたのに。
その後、颯はベタベタに俺を甘やかした。
何度もおでこにキスをして、抱きしめたままベッドに入って。
「もういいから」って何度も言ったのに、ずっと離してくれなかった。
いろんなことが少しずつ変わっていく。
「な、颯」
家を出て、一人で暮らして。
また颯に会って。
佐伯さんや待島さんと知り合って。
「なんだ?」
「俺が大学行ったら、みんな喜んでくれるかな」
親孝行しようなんて今までは少しも考えたことがなかったけど。
それで安心してくれるなら、悪くはないかなって思えるようになった。
「東騎みたいに絶対無理そうな奴なら、間違いなく喜ぶだろうな」
颯が笑って、俺も笑い返して。
「それ、ひどくない?」
じゃれあいながら、またキスをして。
少しだけいい雰囲気になってドキドキしていたのに。
「まあ、しっかり勉強しろよ。模試の結果はどうだったんだ?」
「それってなんかさ、色気なさすぎない?」
たしかに今日は何もしない前提でここにいるんだけど。
話の内容まで真面目にすることないと思うのに。
「普通の会話だろう?」
笑いながらもまだ少し心配そうにしている颯を見て、言わなきゃいけないことを思い出した。
「……あのさ、今日、ありがとう」
外で見る颯は、本当にキチンとしてて格好よくて。
なんで俺なんかと一緒にいるんだろうっていつも思う。
お袋だって「こんなに素敵な人が」って何度も言ってた。
そんなことを考えるのは、自分に自信が持てないせいなんだろうけど。
「それから、いろいろごめん。来週のことだって、俺……」
言いかけた時、唇を塞がれた。
短いキスと入れ替えに颯の指が頬にかかった髪を払う。
「おまえに『挨拶して欲しい』って言われた時、嬉しかったよ」
「……うん」
今でもホストをしていたら、親に会おうなんて思わなかっただろう。
でも、今の俺には颯がいて、佐伯さんや待島さんもいて。
たまに怒られたりして、ふてくされることもあるけれど。
それさえ楽しいって思うから。
「……予備校、来月から上のクラスに入ることになったんだ。もっと勉強しないとついていけないかもしれないし、バイトも調整してもらわないといけないけど」
ふてくされてフラフラしてたから、普通の高校生にはなれなかった。
先のことなんてもうどうでもいいって投げ捨てたつもりだった。
でも、まだまだこれからだよなって顔を上げる気になったのも、もう一度颯に会えたからだと思う。
「俺、ちゃんと頑張るよ」
今はまだ、何度颯に好きだって言われてもどこかに不安が残ってしまうけれど。
少しずつでも、変わっていけるなら。
いつか、自分から颯に『好きだ』って言えるようになりたいと思った。
end
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