らいと・ぶらうん
- Light brown eyes -

〜Present and future〜
<2>




「ただいま」
見慣れたドアを開けるとやっぱり佐伯さんが待ち構えていて。
「お帰り」
靴を脱ぐなり背中を押されて廊下を抜けると、そのままリビングのソファに座らされた。
「で、どうだったの?」
「どうって……別に。通帳もらってきただけだし」
聞かれるとは思っていたけど、なんだか少し滅入ってしまって、帰り道の間にまともな答えを用意することができなかった。
「もう、東騎クンたら、相変わらずダメね」
「そんなこと言われてもさ」
それじゃお金が欲しいから仕方なく家に来ただけだと誤解されるとか、お金を悪いことに使ったらどうしようって心配になるとか、あれこれ並べられたけど。
「使い道聞かれたから……大学に行くつもりだってことは話した」
それしか言わなかったけど。
でも、伝えたかったのはそれで全部だから。
「あら、そう。ならいいんだけど」
コーヒーの香りと、その後も心配そうにあれこれ質問をする佐伯さんと。
生まれてから今日までずっとこんな生活をしてきたと錯覚をしてしまいそうなくらい穏やかで優しい時間の中、やっと落ち着いて今日のことを振り返ることができた。
「それで、これがその通帳なわけね」
箱の中には通帳が何冊か入っていて、佐伯さんがその中の一冊を手に取ってパラパラとめくった。
手持ち無沙汰だったから、俺も同じように一冊取り出して何気なく開いた。
これといって変なところなんてなかった。
ただ毎月決二回ずつの振り込みが何回も繰り返されているだけ。
でも、毎月同じ日付だった。
「なんで20日と25日なの?」
佐伯さんが首を傾げたけれど、俺にはすぐに分かった。
「……父親と母親の給料日」
俺、まだそんなことも覚えてるんだなって、変なことに感心しながら。
また少しだけ子供の頃のことを思い出した。
幼かった頃、母親が楽しそうに口にしてた「お給料日」は、子供の俺にとっては好きな菓子をいつもより一つよけいに買ってもらえる日でしかなかったけれど。
「この金額からすると、きっと東騎クンが生まれた時からずっと貯金してるのね」
家に居付かなくなった時も、この通帳はずっとカードや印鑑と一緒に大切に俺の机の引き出しに入れられていた。
それには気づいてたけど、金に手をつけたことはなかったし、通帳を開いたこともなかった。
離婚する時にはきっとこれも二人の間で処分するんだろうって思ってたから。
「やだ、東騎クン、いくら入ってるか知らないでもらってきたの?」
そんな言葉とともに一番新しい通帳を見せられて、俺はひどく驚いた。
「……なんでこんなにあるわけ?」
目に飛び込んできたのは俺が思っていたよりもずっと多い額で。
「なんでかなぁ? でも、これ見たら東騎クンのこと知らない人でも誕生月がわかっちゃうね」
佐伯さんの言うとおり、最初の預金は俺が生まれた年、俺が生まれた月。
そして毎年の誕生日ごとに給料日に入れているのとは別の金が振り込まれていた。
「……そうだね」
「養育費」という名目のはずなのに。
「お母さん、途中でお給料日変わったんだね」
「……みたいだね」
今でも毎月二行ずつ、ちゃんと通帳に記載されていた。
佐伯さんが笑いながら言う「よかったね」の意味は進学には十分すぎる金額のことじゃなくて、俺に掛けられてるはずの愛情のことだってわかっていたけど。
頷くこともできないまま、俺はただ通帳に並んだ数字を見つめていた。
「大学に行くって話したとき、お母さん何て言ってた?」
まだ耳に残ってる。
声を詰まらせていた母親の返事。
「別に……ただ、『うちにも大学に行くような子がいたのね』って……」
そう言いながら泣いていたことも佐伯さんに話した。
その時はまともに顔を見ることができなくて、どんな表情だったのかわからなかったってことも。
なのに。
「そっか。お母さん、嬉しかっただろうね」
よかったね、ってまた笑って。
俺はただ頷いて。
それから、「頑張らなきゃね」って言われたから、
「……うん」
もう一度頷いて、半分俯いたまま少しだけ笑い返した。




颯が帰ってきたのは夕方。
佐伯さんが待島さんのところに行ってしまったあとだった。
俺はソファでうたた寝をしていて、またあの夢を見てた。
颯と初めて会った日のこと。
以前はどっぷりとブルーになったけれど、今はもうそんなこともない。
「東騎、どうした?」
聞き慣れた声に目を開けた。
「……颯……お帰り。俺、なんか言ってた?」
優しいキスと髪を撫でる大きな手。
「いや。だが―――」
心配そうに覗き込む深い色の瞳。
会った日から今日まで、たぶんずっと変わっていない。
「……夢、見てた……颯に初めて会った日のこと」
そんなことを言うと颯はいつだって「すまなかった」と詫びるけど。
「あの時のことってさ、思い出すたびにいろんなことが分かるような気がするんだ」
中学生だった俺には分からなかったこと。
でも、今、こうして颯と暮らしている俺には見える。

不安になるたびに差しのべられる温かい手。
もうこれ以上何もいらないと思えるほど穏やかな日々の中。
あの日のことだって「そんなこともあったよな」って笑って思い出すだけ。

なのに。
「大丈夫か?」
颯にとってはまだ苦い思い出なのかもしれない。
あの日、俺よりも大人だった分。
俺が今よりもずっと子供だった分。
罪の意識は重いはずだから。
「もう、いいのに」
何度そう言っても、颯は曖昧に顔を曇らせる。

弟を探してたと言ったあの日。その大切な相手は疾うに亡くなっていた。
そんな事実を聞いても、俺は他愛のない嘘だって思うだけなのに。
颯は今でも気にしている。
俺と同じ茶色い瞳の少年。
どんな関係なのかさえ知らないまま過ごした二年の間、俺がどれほどそれをうらやましく思っていたかを知っているから。

「でもさ」
あれが颯の弟で、もう死んだことを知ってたとしても俺の気持ちは同じだったと思う。
恋人なんかいないって分かっていたとしても、俺は颯に「好きだ」とは言えなかっただろう。
「だから、それはもう忘れてよ」
俺が何度そう言ったとしても、颯の気持ちはすぐには変わらないだろうけど。
いつか、二人が同じ温度で感じられる過去になればいい。
あの日、颯に会えたことが、今に繋がっているんだから。

「な、颯」
まだスーツ姿のままの颯を見ながら、ギュッと胸が苦しくなった。
いつだって着替えることさえしないで、真っ直ぐに俺のところに来る。
そんなことの一つ一つが嬉しくて。
「……俺、今日、家に帰ってたんだ。それで、養育費ってヤツをもらってきた」
颯にはちゃんと全部話そう。
不安だったこと、迷ったこと。
それから、金を受け取ることを決めたくだらない理由も。
でも、受け取ってよかったって心の底から思ったことも。
「……大学行くからって言ってきた。でも、また泣かれちゃったんだけどさ」
見上げると、そっと俺を抱き締める。
ベッドの中ではそうでもないけど、こんなふうにされるのは未だに照れくさくて、条件反射でまた少しだけ抵抗してしまうんだけど。
「本当に、いつまで経っても変わらないな」
「だって、なんかさ……」
世の中には甘え上手なヤツもたくさんいるけど、いつまでたっても俺にはそれができなくて、でも、颯が無理にそれ以上を求めることもなくて、結局今でもそのままになっている。
それは、もしかしたら普通に甘えるよりもずっとわがままで子供っぽいんじゃないかと思ったりもするんだけど。
「そういうところを好きになったからな」
どんな時でも俺の気持ちが追いつくのを待ってくれる。
覗き込んでいるのは、出会った時と変わらない瞳。
「颯、あのさ」
いつだって今日みたいに「よかったな」って思えることばかりじゃないだろうけど。
泣きながら帰ってきたとしても、颯はきっと変わりなく迎えてくれるだろう。
「俺、ちょっとだけ、もう大丈夫かもしれないって思った」
今までずっと思い出すのを避けてきたことも。
できれば触れずに終わらせてしまおうとしてきたことも。
「颯も、みんなもいてくれるから」
これからは、ちゃんと越えていけるような気がした。

頑張れよ、という颯の声はいつもと同じように穏やかで。
「うん」
なぜか泣きながら返事をしたことを、昨日のことのように覚えてる。






それから。
短い秋と、もっと短い冬が本当にあっという間に過ぎて。
「おめでとう」
颯と佐伯さんと待島さんが仕事を休んで大学の入学式に付き添うと言い出したのは、ようやく冬が終わろうとしている良く晴れた日の午後。
そして、
「え、本当に休み取ったわけ? 三人とも?」
その問いに当然のように頷いて俺を驚かせたのは、さらにそれより1ヶ月と少し後の4月初旬。

とても穏やかで暖かな春の日だった。



                                       end



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