東京営業部着任初日。部の連中が歓迎会をしてくれた。
「じゃあ。桐野(きりの)の出戻りを祝って乾杯〜!!」
古巣にはまだ見知った顔も沢山いて、三年も東京を離れていたという気がしなかった。
「ま、飲めよ。相変わらず酒は強いんだろ?」
勧められるままに飲み、注ぎ返して、の繰り返し。
木曜日だったが、7時から深夜まで大騒ぎ。みな強かに酔っ払った。
終いには今にも潰れそうなヤツらを置いてバラバラと解散。
立場上最後まで残った俺が何故かそいつらの面倒を見るハメになった。
「大丈夫か、宮野? 相変わらずだな、おまえも」
俺、今日は主賓のはずなんだけどな。
そんなことを思いながら密かに溜息。
「大丈夫ですよ〜。あ〜、気持ち悪い〜……」
「いいから、早く車に乗れよ。運転手さんが困ってるだろ? ほら、阿部も」
「うい〜っす」
後輩の宮野と阿部を無理やり車に押し込むともう一度ため息をついた。
「じゃあな、家に着くまで起きてろよ」
帰りの方向が違う俺は後輩達のタクシーを見送った後、道路の反対側に渡る。
周囲には酔っ払ってきゃらきゃらと笑い転げる子や赤い顔のオヤジがまだ溢れ返っていて、長いこと地方勤務だった俺にはかなり違和感があった。
東京にいると時間の感覚が狂うんだよな――
早く帰って寝よう。
タクシーを止めるため、あくびをしながら手を上げた時、シャッターの閉まったビルの角に寄りかかって煙草を吸っている若い男が目に映った。
柔らかそうな髪が目の前を通り過ぎるバイクの風圧で揺らぐ。
彼もかなり酔っているのだろう。うっすらと朱に染まった頬が随分と艶めかしかった。
クラクション、嬌声、店から漏れる音楽。
騒音の中に溶け込んだまま、男はまるで星でも見るかのように顔を上げた。
ネオンとビルでロクに見えないと分かっていながら、俺もつられて空を仰いだ。
昼間の熱気が嘘のように心地よく風が吹く。
視線を戻すと男の長い前髪が揺れた。
―――えらくキレイな顔だな……
タクシーを止めるのも忘れて見入ってしまう。
男に見惚れるなんて。
俺もかなり酔っているに違いないと思いながらも、何故か天に視線を投げた男から目を離すことができなかった。
放って置けないような、それでいて嗜虐心を煽るような不思議な気持ちにさせる虚ろな目。
……なんかヤバくねーか?
だが、そう思っていたのは俺だけではなかったらしい。
ちょっと歳を食ったホストのような、迫力のないチンピラ風の男二人が声をかけた。
「キミ、一人? ねえ、ちょっとだけ付き合わない? 時間は取らせないからさ」
はっきりとは聞こえないが、多分そんな会話だろう。
二人で男の両側を挟むように立つ。どう見ても逃げ場はない。
けれど、それにも別に焦る様子はなく、男はゆっくりと煙を吐き出した。
「かわいいコだねェ。歳、いくつなの? 仕事は何してるの?」
ベタベタと触られても知らん顔。
というか、そもそも焦点が合ってないような。
「それともコレが商売なの?」
かすかに聞こえた言葉にまた凝視してしまう。
確かに整った顔立ちだが、一晩いくらという仕事をしているようには見えない。
―――大丈夫かな……
ちょうどその時、ぼんやりと手を上げ続けていた俺の目の前でタクシーが止まり、ドアが開いた。
車を確認してもう一度振り返ると、両脇を固めた男達が顔を見合わせてニヤニヤと笑っている。
その口元が明らかによからぬことを考えている感じで。
だから、俺も意を決した。
「ちょっと待っててください。もう一人乗るから」
運転手にそう言い残してシャッターの方につかつかと歩み寄る。
壁に寄りかかっていたはずの男は既に拉致されていた。
酔いのせいで一人では立てないらしく、ときどきズルッと身体が落ちる。
「何やってんだ。帰るぞ」
俺は強引に二人からそいつを奪い取り、肩に手を回させた。力の入らない体を引きずるようにして何とかタクシーまで歩かせ、中に押し込む。
バタンという音と同時にホッと溜息をつくと、隣の男もわずかに顔を上げた。
身体はぐったりとシートに寄り掛かったまま気だるい視線をこちらに投げる。
切れ長の目、赤い唇、上気した頬。
見惚れるばかりで、尋ねるべき言葉が出てこなかった。
酒のせいで思考回路が働いていないのだ。
「お客さん、どちらまで?」
運転手に声を掛けられてハッとした。
「あ、吉祥寺。駅よりは少し西荻寄りです」
簡単な説明をしていると男が一瞬何か言いたそうに口を開きかけた。
ちょっと反抗的にも見える目が一瞬俺を捕えて。
だが、それもすぐに逸らされた。
それが何というか、あまりにもそそる感じで。
ちょっとヤバイなと思いながらも自分の理性を確認しつつ優しく話しかけた。
「おまえ、家どこだよ?」
近くならいいが、まるっきり反対方向だったらどうすればいいんだろう。
心配しながら尋ねたが、返事はない。
顔を覗き込むと長いまつげが伏せられていた。
あっという間に眠ってしまったらしい。
……まったく妙なものを拾っちまったな。
俺のマンションに着くまでの間、隣で微動だにせず眠っていた。
スーツのズボンにブルーのワイシャツという典型的なサラリーマンの服装。
怪しげなところもない。
それにしても、上着とかネクタイとかカバンはどうしたんだろう。
ズボンのポケットを探したが、財布もなければ名刺入れとか定期の類もない。
ワイシャツの胸ポケットに煙草とライターが入っているだけだ。
――これじゃあ、身元もわかんねーな……
車が止まってもなお眠り続ける男を、運転手に手伝ってもらいながら降ろし、何とか抱き上げて自分の部屋に運んだ。
「意外と軽いんだな」
背もそれほど高いわけではないが、それにしても宮野を引き摺ってタクシーに乗せた時とは大違いだ。
とはいえ、相手は成人男子。部屋に辿り着く頃にはうっすらと汗をかく程度には重労働だった。
玄関で適当に靴を脱がせ、とりあえずベッドに寝かせた。
ベルト、靴下、ワイシャツ。
ここまでは遠慮なく脱がせたが、あとはどうすればいいんだろう。
Tシャツ、ズボン……?
俺なら着たまま寝たいとは思わないが。
さすがに他人に脱がされるのは嫌だろう。
「……やっぱり、やめておくか」
第一俺の理性が持たなさそうだ。
そうでなくても細い首筋が妙に色っぽい。
男の鎖骨に欲情する自分に反省すべきだが、まあ、仕方ない。
―――酔っ払うって怖いことだな
心の中でそう呟きながらシャワーを浴び、髪を乾かした後ソファに横になった。
もう夜中の二時過ぎだったが、目覚ましはいつもより少し早めにセットするしかない。
それにしても、こいつ、明日は会社じゃないのか?
他人事ながら気になってしまう。
だが、そんな心配も一瞬で、その後はすぐに眠り落ちた。
朝はあっという間にやってきた。
けたたましくアラームが鳴って、気怠さ全開で起き上がる。
「……っつー……」
それほど酷くはないものの俄かに二日酔い。
無理やり気分をすっきりさせようとして、シャワーを浴びた。
バスタオルを巻きつけて着替えを取りに寝室へ入ると、男はまだ眠っていた。
繁華街で拾ったヤツを家に泊める俺もかなり無用心だと思うが、知らない男にタクシーに乗せられて爆睡するヤツも相当なもんだ。
しかも、朝までぐっすり。
いくら酔ってたからって、なあ……。
「起きろよ。おまえ、今日、仕事ねーの?」
つんつんと肩を突ついてみた。
「……う……っん……?」
思ったより目覚めは良く、いきなりパッチリと目を開けた。
2、3秒間そのまま固まっていたが、その後、俺の顔を見て思いっきり驚いた。
「……誰?」
―――それは俺が聞きたいよ。
「酔い潰れてたから拾ってやったんだけど。家、どこって聞いてんのに、ちっとも目ぇ覚まさないしさ」
男はガバッと起き上がって、周囲と自分を見比べた。
それから、もう一度マジマジと俺の顔を見ると、いきなり赤くなりながら俯いた。
「……すみません。思い出しました」
年は20代前半くらいか。
大人しそうなヤツだ。
「おまえ、今日仕事休み?」
昨日からおまえ呼ばわりだが、どう見ても年下。問題はないだろう。
「いえ……」
ベッドサイドに置かれていた時計にちらりと目を遣った。
「ここ、どこですか?」
「吉祥寺駅徒歩7分」
男が溜息と共に頭を抱えた。一度自分の家に戻ったら絶対会社には間に合わない場所なんだろう。
「休めば? 顔色も良くないし」
絶対、二日酔い。
誰が見てもモロにそう判る顔が、肩を落としながら頷いた。
「俺、あと40分くらいで出るから、おまえもシャワー浴びて準備しとけよ」
「……はい」
俺の手から新しいバスタオルを受け取る表情が暗い。
さしずめ自己嫌悪と言ったところか。
酔っ払ってた時は余裕かましてたくせにな。
まあ、そんなもんだろうけど。
「やるよ。おんなじ服は着たくねーだろ?」
新しい下着とTシャツと靴下をクローゼットから出してそいつに渡すと、チラリと一瞬顔を上げた。
それから、
「……すみません」
申し訳なさそうに、けれど素直に受け取った。
―――ふうん……
昨夜とは随分雰囲気が違う。
ゾクッとするほど色っぽいと思ったのも気のせいだったってわけか。
やっぱ、俺、酔っ払ってたんだな……
顔はまあ綺麗だけど。
大人しくて目立たない。
今朝はそういう感じだった。
30分後。いくらかすっきりした顔でそいつは俺の前に立った。
サラサラの髪。若干戻った顔色。
それを確認した後、テーブルに置いてあった鍵を取った。
俺が玄関に行った時、そいつは先に靴を履いていたが、うつむいたうなじがやっぱりちょっと華奢で、なんとなく放っておけないような気になった。
「おまえ、金、持ってないだろ?」
その言葉に「しまった」という表情が浮かび、俯き加減だった顔がさらに下に向く。
「これだけあれば家に帰れるだろ?」
差し出したのは千円札三枚。
けれど、そいつは俺の手から遠慮がちに千円だけ受け取った。
「あの……ご連絡先、教えてください。ちゃんとお返ししますので……」
「いいよ、別に」
「いえ、そういうわけには……」
別に千円くらいなら返してもらわなくても……と思っていたが、そいつの態度がなんだか必死で。
これ以上自己嫌悪に陥らせるのもなんだか可哀想に思えて、仕方なくポケットから名刺を出した。
その途端。
「……えっ……?」
目を丸くした後、ハッとしたように顔を上げて、俺とスーツの襟につけられている社章を交互に凝視した。
「なんだよ?」
その様子にただならぬものを感じてちょっとだけ怯んだけれど。
「……いえ、あの……今日の、午後、お返しします」
そんな短い言葉をそんなにつかえることはないだろうと思うほど、切れ切れに呟く。
「いいけど。俺、仕事終わんの遅いぞ」
昨日は全員が早く仕事を切り上げたから、目が回るほど忙しいに違いない。
宮野が昨日大騒ぎしていた見込み先の手伝いをしなければならないはずだ。
あいつに任せておいたら、楽勝なはずの案件も取り込めなくなる。
新しいシミュレーションを作って、チェックを入れて……
それにしても一つでも予想外のトラブルがあったら、もうお手上げだ。
まったくあのバカは……。
ってか、なんで着任二日目で俺はこんなにいろんなことを心配しなきゃならないんだろう。
「何時に終わるんだろうなぁ。……ったく」
うっかり愚痴をこぼすと、そいつはひどく真面目な顔で言葉を足した。
「あの、会社で、お返ししますから」
……会社?
一瞬その言葉が理解できなかった。
不思議そうな顔をする俺の目なんかぜんぜん見ないまま、ヤツはようやく自己紹介をした。
「企画室の、片嶋と申します。午後、営業部に、お伺いします」
やっぱり切れ切れで。
いや、それよりも。
「同じ会社ってことか……?」
頷く長い睫を見ながら、さすがに俺も驚いていた。
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