パーフェクト・ダイヤモンド





午後いちで内線が鳴った。
『企画の片嶋です。今からお伺いしてもいいですか?』
ホントに同じ会社なんだな。
びっくりだ。
「ああ、いいよ」
久々の東京勤務と言っても社歴はそこそこ長いし、本社ビル内なら知っている者も多いのに、片嶋のことは全く知らなかった。
大人しくて社内でも目立たないタイプだからだろうなんて思っていたのだが、どうやらそんなこともないらしい。
だだっ広いフロアのエレベーター寄りの入り口から入ってきた片嶋を見るなり、宮野と飯島が囁き合う。
「わ、見てよ。あれ、企画の片嶋彰(かたしま・しょう)だ。営業部に何の用かな」
「それにしても、いつ見ても美人ですよね」
ひそひそと交わされる会話と溜息。
少なくともここでは片嶋はちょっとした有名人のようだった。
今朝まで掛けていなかったノンフレームの眼鏡が端正な顔に良く似合っている。
会社での片嶋は昨夜のようなちょっと色っぽい感じでもなければ今朝のようなちょっと頼りない感じでもない。
確かに美形だが見るからにキレそうで、小賢しいタイプとでも言えばいいのか。
平たく言うとかなり可愛くない印象で、いかにもエリートが集まると言われる「企画室」のイメージそのものだった。
「片嶋!」
呼び止めた途端に片嶋は冷たそうな表情を崩し、少し微笑んで会釈をした。
営業部のヤツらが一斉に俺の顔を見た。
っつーか、なんて露骨な反応……。
「営業部のフロアなんて滅多に来ないので緊張します」
そりゃあ、視線集中だもんな。緊張もするだろう。
だが、片嶋は極めて堂々と俺のデスクの横に突っ立って1万円札を差し出した。
「おまえに貸したの、千円だけど」
「着替えと宿泊料も込みです。どうせ家までタクシーで帰ったらもっとかかってましたし」
にっこり笑ってそう答えた。
話し方も今朝とは違って歯切れがいい。
メガネのせいか、ちょっと冷たそうにも見えるが、こんなふうに笑えば結構可愛いじゃないか。
まあ、もとがいいから当然と言えば当然だが。
多分、俺と同じ事をうちのフロアのヤツらも思ったんだろう。
向かいに座っている宮野なんて目がハートになっていた。
今の宮野は自分が男だってことか片嶋が男だってことをすっかり忘れているに違いない。
「じゃあ、金はいいから今度おごってくれよ」
「分かりました。いつならいいですか?」
「今日は? あ、金曜に男に誘われたくないか?」
それよりも、コイツ、二日酔いってことはないんだろうか?
起きた時、ダルそうだったような……
「いいですよ。ぜんぜん。予定もないですし」
今朝の様子が嘘みたいにキリリと涼しげに笑って見せた。
「じゃ、8時でいいか?」
「はい」
それを聞いていた宮野がいきなり口を挟んだ。
「桐野さん、僕も交ぜて欲しいなぁ」
「え? ああ、俺は構わないけど……」
ちらりと片嶋の顔を見る。
「なら、是非。大勢の方が楽しいですから」
ふうん。
それも、ちょっと意外。社交的なタイプには見えないんだが。
「え? じゃあ、俺もいいですか?」
「僕も」
飯島と阿部が手を挙げた。
遠慮ってものを知らんな、こいつらは。
「あのな、それじゃあ、昨日の飲み会とぜんぜん変わらないんだよ」
「いいじゃないですか、ね、片嶋クン」
ここぞとばかりに馴れ馴れしく呼びかけるあたりはさすがに営業部。
調子が良すぎる。
「ったく。営業会議もこれくらい積極的に参加して欲しいもんだな」
俺の溜息を片嶋はただニッコリ笑って聞いていた。
『ただニッコリ』と言っても極上の笑顔だ。
事務の女の子が遠くで見とれている。
美人は得だな。
顔だけで世の中を渡っていけそうだ。
「じゃ、8時にここに集合な」
片嶋は軽く会釈をしてフロアを出ていった。
その後、俺は宮野たちから質問攻めに遭い、しばらく仕事ができなかった。
「なんで、片嶋彰を知ってるんですか?」
おまえらだって知ってんだろーよ。
「昨日、飲み会の帰りに偶然会ったんだよ。おまえらタクシーに乗せた後で。どうでもいいけど、早く席に戻って仕事しろ」
一旦仕事に戻りかけたフリをして、小出しに質問を投げかける。
「それだけであんな笑顔見せちゃったりします?」
「別に普通だろ? いいから、早くそれを片付けろ」
頷くクセに、戻らない。
「だって、企画の片嶋彰ですよ?」
宮野のこんな真剣な顔なんて初めて見たかもしれない。
「それが何だよ。さっさと提案書まとめろって。チェックしてやらないぞ?」
「笑ったとこなんか見たことないですよ。ポーカーフェイスって言うのか……」
飯島も手元が留守だ。
「俺の話、聞いてないだろ、おまえら」
いい加減キツい口調になったら、慌てて前を向いた。
こんなことだから予算の8割もこなせないんだ。まったく、どいつもこいつも。
とは言いつつ。
引継ぎ書に目を通しながらも、夕べのことが頭を掠めた。
「……ポーカーフェイス、か」
そう言えばそうだった。
ヤバそうなやつらに両サイドを挟まれても涼しい顔で煙草をふかしてたっけ。
「エリート集団の企画室でも有名なキレモノで役員連中のお気に入りなんですよ」
「しかも、あのルックスでしょ。入社以来いろんな人に声をかけられまくってるんですけど、あの越川さんが落とせなかったっていうのも有名な話で……」
向かいに座っている宮野と飯島が俺の独り言を聞きつけて話を戻す。
「いいから仕事しろよ」
越川は俺の同期で、かなり有名な遊び人だ。社内社外問わず女も男も食い放題という噂だった。
だから片嶋も会社ではあんなつんけんとした顔で歩いてんのか。
美人は大変だな。
「桐野さんは軽く誘ってたけど、いつもは飲みの誘いになんか絶対応じないんですよ」
「へー。そう」
昨日は誘えばどこへでもついてきそうだったし、押し倒されても然したる抵抗もせず受け入れそうにさえ見えた。
「へー、じゃないですよ。だいたい、『着替えと宿泊料込み』ってなんですか? 聞き捨てならないなあ」
いくら言っても聞かないヤツらだ。
どうせ無理やりこの話を打ち切っても気になって手につかないんだろう。
手短に質問に答えて、さっさと業務に戻すしかないな。
俺だって金曜に長々と残業なんかしたくない。
「昨日、俺んちに泊めてやったんだよ」
「偶然会っただけで、なんで、そんなことになるんですか?」
「酔っ払って絡まれてたから、無理やりタクシーに乗せたんだよ。そしたら、車に乗ったとたん寝ちまってさ。そんで仕方なく」
宮野が恨めしそうに俺の顔を見る。
「なんだよ」
「寝顔、かわいかったですか?」
「あのなー……」
すっげー可愛かったと言ってやろうかと思ったが、やめておいた。
そんな事を言った日にはこいつは二度と仕事に戻れなくなる。
「男の寝顔が可愛いわけないだろ?」
宮野が片嶋を気に入っているのはよく分かった。
いつかコイツを虐める時のネタにしておこう。
「桐野さんは人と感覚が違いますからね。まあ、僕のはただの憧れですけどマジ狙いの人も多いんですよ」
そうは言うけど。
ただの憧れって顔でもあるまい。
「顔は良くても片嶋は男だぞ」
呆れ果ててそう言ったら、宮野が声のトーンを落とした。
「彼氏がいるんですよ。会社の近くの店から男に肩抱かれて出てきたって一時すっごい噂になったんです。だから、僕でもチャンスあるのかなあって思うんですよね」
それについても俺は「へえ」という気のない返事しかしなかった。
仮にそいつが片嶋の彼氏だったとしても、宮野にチャンスがあるとは思わないけどな。
まあ、わざわざ儚い夢を壊すこともないだろう。
「気が済んだら仕事しろ。8時までに全部終わらなかったら連れていかないからな」
その一言で宮野と飯島が素早く仕事に戻ったのを確認して、俺は引継ぎの挨拶回りに出た。


それにしても、「彼氏」ってなぁ……。



8時ちょっと過ぎ。
宮野も飯島も仕事はすっかり片付いていた。
いつもは手を抜いていると言うことを証明したようなものだ。
片嶋は手ぶらでふらりと営業部に降りてきた。
「カバンは持たない主義なのか?」
「昨日、知り合いの家に忘れてきちゃったんですよ。バッグと上着とネクタイ。財布も定期も全部。無事だったのは会社に忘れていった携帯だけです」
「それにしちゃあ、財布は持ってんじゃねーか」
「俺、酔うと毎回これだから、家に予備のが置いてあるんですよ」
ちょっと照れながらそういう片嶋に宮野以下大勢がアホ面で見とれている。
普段の様子からすると隙なんてなさそうなだけに、今の言葉を聞いてネクタイ外して乱れる片嶋を想像している奴とかいるんだろうな。
……あ、いたいた。
「宮野、顔がだらしないぞ」
「え? あ、すみません」
こいつもバカ正直な奴だ。
「か、片嶋くん、き、昨日、酔ってたんですよね??」
俺に聞いてどうする。
小心者。
「ああ、そうだな。人んちだってことも気づかずにぐーぐー寝てたな」
「あはは、すみません」
ぜんぜん済まなそうじゃない顔で片嶋が笑った。
意外と素直で屈託のない笑顔に、俺は何故かちょっと戸惑う。
「まあ、酔って絡んだり、道で吐いたりしないだけマシだよなぁ、宮野」
「すいませんっ!」
そうだよ。昨夜の二の舞はご免だ。
まあ、今日は片嶋がいるし、いくら宮野でも醜態を晒したりはしないだろう。
「昨日、コイツ、めちゃくちゃ大変でさ」
「桐野さん、そんなことここで言わなくてもぉっ!」
宮野があたふたしていた。
取り繕ってみても、すぐにバレると思うんだが。
「自業自得だろ? 今日は飲み過ぎんなよ。おまえタクシーに乗せるだけで一苦労なんだから」
宮野は『体格がいい』というよりは『緩んでいる』。引きずってタクシーに乗せるのは本当に大変だったのだ。
「分かってますよぉ」
俺はなんとなく夕べの片嶋の寝顔を思い出していた。
目の前にいる片嶋は確かに際立って整った顔だが、昨夜のような色っぽさはない。
なんてことはない、ちょっと格好いい普通のサラリーマンだ。
俺も今日はほどほどにしておかないと。
男に見惚れるほど酔うなんて史上最悪かもしれない。
「さ、行きましょう!」
宮野たちは妙に張り切っていた。
仕事の時とはエラい違いだ。
片嶋と二人で行くはずだった飲み会も、いつの間にか昨日と変わらない人数になっていた。
これでは店は選べない。仕方なくいつも営業部が押しかけていると言う居酒屋になだれ込んだ。


異色のゲストだけに片嶋の周囲は慌しい。
隣りの席を争うように入れ替わり立ち替わりいろんなヤツが酒を注ぎに来ていた。
酔うと財布も上着もネクタイも置き去りにすると言う片嶋の話を聞いて酔い潰そうとしているのか、注がれる量も半端ではなかった。
にもかかわらず、当の片嶋はほんのり赤くなっている程度で酔っ払っている様子もない。
実は、酒、強いんじゃねーか?
昨日の酔っ払い方からして酒は弱いのかと思っていたが。
ってことは、昨日は一体どんだけ飲んだんだろうな。
なんかあったのかな……。
傍観しながら余計なことを考えていると片嶋が俺の隣に逃げてきた。
「助けてください、桐野さん。俺、また潰れちゃいますよ」
ちょっと慌てて。
でも、華やかな笑顔で。
「いいじゃねーか。みんなおまえと飲みたがってんだから。心配しなくても潰れたら泊めてやるよ」
うっかりそんなことを言ったもので、俺に対するヤツらの視線が冷たい。
大きな声で話してるつもりはないのに、妙に回りが静かになるもんだから丸聞こえだった。
「助けてくれないってことですか? 酷いなぁ」
桜色の頬で笑い零れる片嶋が、俺にだけ特別に懐いていると思うのは気のせいか?
周囲の羨望の目が気にならないわけではないが、それもまた優越感。
いい感じだ。
俺って、実は自惚れやすい体質だったんだな。
「もう、飲ませるのやめました。桐野さんちに泊りに行かせたくないし〜」
宮野はそう言って拗ねていたが、隣ではせっせと酒を勧め、挙げ句の果てには自分の家に泊まれといって口説いている奴がいた。
「な、俺んち、ここからすぐだしさ」
速見は俺より一つ下でお調子者。会社ではのほほんとしているのに、まさかこんなに手が早い奴だったとは。
「どうでもいいけど、仕事もそれくらい気合を入れて手際良くやって欲しいもんだよな」
ちょっと視線を移すと、2つ年上の石村主任が片嶋を遠目に見つめている。超遊び人でうっかり目を離したらあっという間にお持ち帰り、なんて簡単にやってのけてしまうヤツだ。
うちの会社に変なヤツが多いだけかもしれないが、さすがにちょっと同情する。
昼間、つんけんしてるのも頷けた。
まあ、片嶋はバカじゃないから、そんなことはちゃんと分かっているんだろう。
さっきから俺の側を離れようとしないのがいい証拠だ。
「潰れたら、絶対に桐野さんが連れて帰ってくださいね」
俺の名前の部分を妙に強調するし。
周りに聞こえてるっつーのに。
「まあ、アイツらを連れてきたのは俺だから、そんくらいの責任は取ってやるよ」
そんな言葉に無邪気にホッとするところはなんだか可愛いが。
……俺を安全と思うのはどうなんだろうな。
片嶋はちょっと見よりも素直なのかもしれない。
話しているとそれがなんとなく分かるせいなのか、周囲も妙に可愛がる。
今日一日でそんな扱いがすっかり定着したようだった。



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