パーフェクト・ダイヤモンド

その後―14




その夜、結構遅くまで飲んだ後、片嶋は当然のように俺のベッドに入ってきた。
何も言わずにキスをしてきて、俺の首筋に顔を埋めた。
当然、これから…って状況なんだけど。
「明日、部屋を片付けるのに大丈夫なのか?」
そりゃあ、本音はこのまま思いっきり抱きたいんだが。
やっぱり、心配になってしまった。
ここで嫌だって言われても今ならまだなんとか堪えられると思っての最終確認だったが、片嶋は顔を上げもせずに、俺の首筋に唇を押し当てたまま答えた。
「なら、このまま寝ます」
肌に触れた唇から声の振動がダイレクトに身体に伝わる。
片嶋の呼吸も、髪の甘い香りも、眩暈がしそうなほど。
……ったく、ここまでされて寝られるかよ。
勘弁してくれ。
「あのな、片嶋、これって、ものすごく生殺しだと思わないか?」
「桐野さんが寝ろって言ったんです」
片嶋は、今日もかなり飲んでたと思うんだが、この口調からすると酔ってはいないんだな。
「寝ろって言ったつもりはないんだけどな」
「じゃあ、どういう意味だったんですか?」
態度も冷静だ。
片嶋が明日辛いといけないと思ってあんまり飲み過ぎないように見張ってたのが間違いだった。
勝手に飲ませておくべきだったな。
「桐野さん?」
こんな何でもないやり取りで、微妙に擦れ違ったりしながら。
でも、これから毎日こうして過ごすんだ。
不思議な感じだけれど。
嬉しかった。
「片嶋なら、それでもいいって言ってくれるかと思ったんだけどな」
溝口や岸田にはあんなに冷たいんだけど、二人でいる時の片嶋は何でも許してくれそうな空気が漂っている。
「ダメか?」
頬に唇を当ててご機嫌を伺う。
「桐野さん、本当は俺がダメって言わないと思ってるんでしょう?」
片嶋は俺の気持ちなんてお見通しで。
笑いもせずにそう答えた。
でも、そんな可愛くない言葉とは裏腹に、そっと目を閉じて俺の頬に手を当てた。
相変わらず遠慮がちに触れた唇はふんわり温かくて、柔らかくて。
溶けてなくなってしまうんじゃないかと心配になるほど。
「本当に大丈夫か?」
また同じ質問をしたのは、このまま突入したら片嶋に無理をさせてしまうという確信があったからだ。
だから、少しでも冷静になろうと思った。
「片付けって言っても、そんな重い物なんてないですし。あったとしても本くらいで……あ、でも、パソコンデスクが届きますよね」
そんなの。
「いいよ。俺がやるから」
パソコンとプリンターを乗せるだけだろ。
「でも、」
「いいから」
まあ、片嶋が絶好調だったとしても、それは俺がやることになるんだろう。
きっと黙って見てられなくなって手を出してしまうに違いないから。
「桐野さん、過保護ですよね」
「俺もそう思うんだけどな」
こればっかりはどうしようもない。
「で、」
「ん、なに?」
いきなりのタメ口が、やっぱり可愛い。
「もう、抱いてもいいか?」
「そういうこと、確認しないでください」
はいはい。
でも。
「いいって言ってくれないんだな」
いつもこんな無理やりみたいなのも、どうかと思うだろ?
「言って欲しいんですか?」
片嶋は妙に涼しい顔をしていたけど。
「言って欲しいよ」
俺の返事に、少しだけ戸惑った表情を見せた。
「……じゃあ、もう一回、聞いてください」
いつも必ず抵抗するんだけど。
こうやって、最後はちゃんと受け入れてくれる。
本当は物凄く困っているんだろう。頬が赤くなってた。
その顔を手で包んで。
「抱いてもいいか?」
言い含めるように、そっと尋ねる。
片嶋は目を伏せたまま、「はい」と短い返事をした。




翌日は快晴の日曜日。
大騒ぎをしながら、二人で部屋を片付けた。
もともと少ない荷物だから、あっという間に片付いて、午後は二人でのんびりと過ごした。
窓際にソファを移動させて、陽射しでフカフカになりながら。
まるで何年も一緒にいるみたいに。
こうしていることが当たり前みたいに。
「適応能力ってすごいよな」
「なんのことですか?」
「他人がいても違和感がない」
誰かと暮らすことなんて今まで一度だって考えたことはなかったのに。
「それって、適応能力なんですか?」
片嶋は笑いながら本当に楽しそうに妙な手触りのクッションと戯れていた。
「あ、片嶋、」
クッションを抱いたまま、顔だけ俺に向けて。
「俺、明日は接待で遅くなるから。先に寝てろよ」
頷いて、何か考えてから口を開いた。
「そんなに遅いんですか?」
昨日はちょっとタメ口だったのに。今朝からまた丁寧語に戻ってるんだよな。
……まあ、いいんだけど。
「過去の統計からすると帰宅時間は2時だな」
接待が多くて面倒だから早く宮野に担当をおろしてしまおうと思っている取引先だった。
「わかりました」
片嶋は笑顔で返事をした。
なんだか俺が遅く帰ってくるのが嬉しいみたいに見えて、ちょっと淋しい気がしたが。
片嶋だってたまには一人になりたいってこともあるかもしれないし。
もしかしたら、仕事を持って帰ってくるつもりかもしれないし……
無理矢理そんな理由をつけて自分を納得させた。




そして、月曜日の夕方。
「桐野さん〜〜、接待、キャンセルになりました〜。早く帰れますね〜」
宮野の抜けた声を聞きながら接待が流れたことを片嶋にメールしたが、返事がなかった。
せっかく一緒にメシが食えると思ったけど、片嶋はきっと忙しいんだろう。
「帰りに軽く飲みに行きましょうか〜」
接待が流れて浮かれている宮野と阿部を無視して帰り支度を始めた。
夕飯なんて、一人で食うのが当たり前だったんだよな。
「俺、今日は帰るよ」
家にはまだ日曜に買った食材が残ってる。
それに、夕飯を作ってる途中で片嶋も帰ってくるかもしれないし。
そう思って。
なのに。
ドアを開けると電気がついていて、片嶋がいた。
玄関のドアを開けてすぐの所にあるキッチンで、片嶋は何故か真剣にキャベツを切っていた。
「……何してんだ?」
俺に気付くと急速に頬を染めて。ついでに、自分の状況を確認してから、耳まで赤くなった。
「えっと……夕飯の、……桐野さん、接待じゃ……?」
片嶋がシモネタ以外のことで慌てるのも珍しい。
「流れた」
片嶋の手元。
千切りのはずのキャベツは幅1センチから2センチくらい。
シンクにも床にもバラバラと散っていた。
「おまえ、何作ろうと思ってるんだ?」
「……コールスロー…」
自分でもそれが目指した物からかけ離れていることが分かるんだろう。
片嶋はちょっと複雑な表情で目の前のキャベツを見ていた。
「ふうん」
俺は返事の途中で笑ってしまった。
「笑うことないじゃないですか」
「悪い」
でも止まらなかった。
バーベキューの話で俺が片嶋に言ったことを気にしてたんだろう。
健気と言うか、負けず嫌いと言うか。
「俺もメシ食ってないんだ。手伝うよ」
話している間も、着替えている間も、笑いは止まらなくて。
キッチンに戻ったら片嶋がムクれていた。
「まだ笑ってるんですか?」
「だってな、」
笑い転げる俺に片嶋はムッとしながら言葉を返す。
「……確かに、女の子だったら、どんなに料理の苦手な子でももうちょっとマシでしょうけど」
ちょっと溜息なんかついてみたりして。
ああ、コイツでも自己嫌悪とかあるんだなと思って、また笑ってしまった。
「いや、そうでもないよ」
実際、片嶋より不器用な子だってたくさんいるしな。
「でも、」
そりゃあ、俺は笑ってるけど。
それは片嶋の不器用さ加減がおかしくて笑ってるわけじゃない。
「俺は食い物に釣られたりはしないし。料理が上手いとか下手とかは関係ないって」
「けど、」
「ほら、貸してみろよ。手本見せてやるから」
片嶋の手から包丁を取り上げた。
それも笑いながらだったから、片嶋はもっとムクれたけど。
楽しくて、楽しくて。
片嶋があんまり可愛くて。
「10年後にはもうちょっとマシになってるといいけどな」
そんな先のことまで考える自分も大概バカだと思うけど。
「もっと早くなんとかしますよ」
片嶋はそれをさらっと受けて。またムキになった。
「期待してるよ」
俺の返事に目線だけ上げて、なんだか物凄く勝気そうに笑った。
それが、なんだか片嶋らしくて。
思わず包丁とキャベツを放り出して、抱き締めた。
「桐野さん、キャベツ落ちましたけど」
足元に転がったキャベツを見送って、片嶋が顔を上げた。
「後でもう一回洗えばいいって」
そのおでこにキスをして。
「夕飯、食べないつもりですか?」
「食べるけどな」
唇にキスをしてから。
「桐野さんっ??」
羽交い締めにしたままベッドに引き摺っていった。
ベッドに横たえると周りにキャベツの切れ端が飛び散った。
「片嶋、なんかあっちこっちにキャベツがついてるんだけど?」
「手、洗ってこなかったんです。桐野さんだって……」
シーツに落ちた薄緑色の破片が髪につく。
「桐野さん、ちょっと……夕飯、……っ」
「後でベッドまで持って来てやるから」
「ダメです。今日は俺が……それに、明日、会社で倉庫の片付けが、」
またしても抵抗したけど。
「片嶋、」
耳元で呼ばれると体が反応した。
「キスしてくれよ」
俺はまだ少し笑ったままだったけど。
片嶋は言われるままに唇を合わせた。
それから、俺の服に手を掛けた。
服を脱がし合って、お互いの体温を感じて。
なんでこんなに高まるのが早いんだろう……って思いながら、また抱き締めた。
毎日一緒にいるのに、どんどん気持ちは深くなって行く。
「……んん…っ…ぁ…っ、」
耳に届く片嶋の声が俺を煽って、深く繋がったまま熱を吐き出す。
まだ肩で息をしている片嶋に口付ける。
何度もそれを繰り返して、いつの間にか眠り落ちた。



メシも食わずに随分早い時間に寝てしまったせいで、俺はまだ外が暗いうちに目を覚ました。
片嶋はまだぐっすり眠っていた。
そのまま寝かせておいてやりたかったが、キャベツの残骸も片付けないといけない。
それに、朝飯も食わないと。
仕方なく、いつもよりかなり早い時間に片嶋を起こした。
「片嶋、」
ぼんやりと目を開けて時計を確認すると、顔を顰めながら口を開いた。
「なんで朝になってるんですか?」
それが、なんとなくお姫様な感じで、俺はまた朝から笑いそうになった。
「悪い、俺も寝ちまった」
それにしてもまだ随分早い時間で、しばらくは片嶋を抱き締めたままベッドでゴロゴロしていた。
俺はまた何となくちょっかいを出したい気分だったが、片嶋は真顔で考え事をしていた。
仕事のことなんだろう。
時々眉間にしわが寄った。
「面倒な仕事なのか?」
そう言えば、片嶋が今どんな仕事をしてるのかは聞いてなかったと思いながら。
「そんなことはないんですけど。営業部の数字があまりにも酷いんで、何か速効性のあるものはないかなってことがテーマになってて」
親会社とて厳しいことに変わりはないんだろう。
もっとも、溝口を見てると全然そんな感じはしないんだが。
まあ、アイツはあんな性格だけど仕事はできるからな。
「企画で知恵を絞っても、いきなり数字は増えないだろ」
「そうは思いますけど。すぐに数字に反映されなくても、今から来期の下地くらいは作らないと。どんどん厳しくなる一方ですから」
来期なんてすぐだもんな。
「つっても、マーケットは変わらないんだし、同業他社との間で顧客を取り合ってる状態から脱却はできないだろうしな」
「でも、顧客データのやり取りができればグループ内で活用できると思いませんか?」
「そりゃあ、ちょっとどうかな。グループって言っても別会社なんだぜ? 無闇に情報を流すとトラブることもあるからな」
隣りの課に受け渡しただけでトラブったりしてるくらいだもんな。
取り扱いは難しいだろう。
「じゃあ、見込み先だけピックアップして、お互いに同行するなら? 溝口さんが片手間でしてることを営業成績に換算できれば、もっと本格的に優良先を抱え込めるんじゃないでしょうか?」
「まあな。……ってことは、代理店扱いにして手数料を払うことになるんだろうけどな」
まあ、連結決算なんだし、どの会社の商品でも売れるもんを売っとけばいいとは思うけど。
システム化されるまでは面倒だろうな。
「けど、そんなことして親会社の営業が客を引いてくるのに頼ってたら、うちのヤツらは輪を掛けてアホになりそうだな」
ただでさえボンヤリしてんのに。この上、さらに呑気になったりしたら、使い物にならない。
「大丈夫ですよ。親会社の営業はシビアですから。仕事のできない人には同行なんて頼まないでしょう?」
「まあ、そうだけどな」
世間ではドラスティックと評される体質の会社だから、うちと違って仕事には厳しい奴が多い。
まあ、それが普通だと思うけど。
「ってことは、お互いが出来る営業の取り合いをすることになるんだな」
まあ、刺激にはなるかもしれないし、数字が埋まるのは早くなるだろうけど。
根性のない奴だとそれだけでヘコんで逆効果かも。
そいつらを慰めるのも俺の仕事になるんだろうな……
「桐野さんなら、同行先を選べる立場ですから、大きな案件だけに絞ればいいですし。ご迷惑にはならないと思うんですが」
「……自分のことだけならな」
また宮野たちが大失敗をして、俺が尻拭いに行かされるんだろう。
脳の半分でそんなことを考えて、残りの半分は片嶋のことを考えていた。
話の内容はもちろんだが、片嶋の口調がまた一段と会社っぽくて。
朝から色気がなさ過ぎるよな……
「けど、あんまり数字が集中してもな」
忙しいのは嫌いじゃないが、また昇格でもさせられたら堪ったもんじゃない。
片嶋は俺が何を思ったのかが分かったようで、しっかりと嫌な予言をしてくれた。
「そんなことがなくても、桐野さんなら30で課長になりますよ。俺が保証します」
「そんな保証、しなくていいよ」
どうでもいいけど。
これってベッドでする会話じゃないよな。
しかも、お互い裸で。
腕枕しながら。
「そちらで先に稟議を回して頂けませんか? 桐野さんが上げた稟議なら、一発で通ると思うんですよね」
「どうだか」
まあ、無理な話でもないし。持って行き方次第だとは思うけど。
「100%行けると思いますよ。じゃあ、俺も稟議の下準備をしないといけませんね」
片嶋はベッドで稟議の話という不自然な状況に全く違和感を持ってなさそうだけど。
俺はそろそろ仕事の話から脱出したかった。
「稟議が出来たら先にメールで送信してください。必要な資料は俺が揃えますから」
これだけの至近距離で。
なのに、なんで片嶋はヨコシマなことを考えないんだろう。
キリッとした視線で俺を見上げた。
「ああ、いいよ。火曜に社長の所に予算を強請りに行くから、ついでに打診しておくよ」
「宜しくお願いします」
まだ仕事のことで頭は一杯らしい片嶋をプライベートモードに戻すために、顎に手を掛けて無理やりこっちに向かせた。
「……なんですか?」
そこで初めて状況に気付いた様子で、視線をさ迷わせた。
「あ、台所、片付けないと……昨日のままですよね」
しかも、逃げの体勢。
「10分もあれば終わるだろ」
「あ、でも、夕飯も食べてないし……」
ちょっと離れようとしたが、そんなこと、俺が許すはずはない。
「まだ5時半だぜ?」
「でも、会社に行くのに……」
さっきよりも強く抱き締めて。
「無理はさせないから」
答えながらも手は片嶋の肌の上を滑る。
「でも……」
「『でも』と『だって』は禁止」
それ以上の理由も思い浮かばなかったのか、片嶋は困った顔のままゆっくりと瞳を伏せた。



空が白んで、部屋がうっすらと明るくなる。
無理はさせないと言ったけれど。
「あ、ああっ、ん、んん」
むずかるような、甘えたような声が静かな部屋に響くと俺はそんなこともすっかり忘れてしまった。
おかげですっかり遅くなって、気がついたら7時。
「桐野さん、時間……」
狭い部屋で二人一緒に出社の支度をするのは酷く慌しい。
「いいから、おまえシャワー浴びて来い」
片嶋をバスルームに追いやって、俺は大騒ぎでキッチンを片付けて。
バタバタと着替えて、急いで部屋を飛び出した。
「メシを食う時間はありそうだな」
すっかり仕事モードの顔になった片嶋と一緒に駅前のカフェに入った。
「桐野さん、今日、早いですか?」
コーヒーを飲み終え、ゆっくりと駅に向かう。
「ああ、8時には帰ってくる」
接待もないし、面倒な案件もない。
あとは宮野たちがミスったりしなければ。
「もう少し遅くしてください」
「なんでだ??」
「……その時間だと、まだ出来てないと思うので」
どうやら片嶋はまだ諦めていないらしい。
「おまえ、またメシを作ろうなんて思ってるのか?」
そんなことしなくてもいいんだけどな。
必要なら俺が作ってやるのに。
「いけませんか?」
「いいけど。俺、それを食べさせて貰えるのか?」
「勇気があれば」
そうは言っても余裕の微笑み。
「わかったよ。夜までに覚悟決めておくから。胃薬もあるし」
「フォローなしですか?」
片嶋が勝気な表情を見せて。
「ん〜、まあな」
あいまいな返事をしながらも、そんな片嶋に煽られてしまう。
「昨日あれだけ笑われましたから。絶対、桐野さんを驚かせてみせますよ」
負けず嫌いの片嶋だから、きっとそれなりのものを作ってくれるだろうけど。
「その顔は信用してないですね」
「あれをコールスローって言われちゃな」
ちょっとだけ拗ねた振りをする片嶋の頬に、何食わぬ顔でそっとキスをした。
改札を抜けて、ホームに滑り込んできた電車に飛び乗る。
折り畳んだままの新聞を読むスペースさえない混雑の中で、堂々と片嶋の腰に手を回して。
ギュッと抱き寄せると柔らかい髪が俺の頬をくすぐる。
俺が降りる駅まであと少しになって、抱いていた手を渋々離す。
「一緒に出社すると、あっという間ですよね」
片嶋の勤務先はそこから更に二駅先。
ドアを見つめている俺の背中に声が響く。
「桐野さん、」
「ん?」
俺はもうちょっと別の言葉を期待してたんだが。
「稟議の件、お願いします」
別れ際に笑顔で言うセリフがこれだもんな。
それでも。
「分かってるって」
片手を上げて、笑い返した。
「それから、」
片嶋がポケットからキーケースを取り出して。
4本のうちの一つを外した。
「渡すの忘れてました」
当然のようにそれを差し出して。
ニッコリ笑う片嶋に見惚れながら、鍵を受け取った。
「サンキュ」
俺って、余計な心配ばっかりしてるんだなと思って、心の中では苦笑いだったけど。
「じゃ、仕事が終わったらメールしますね」
ドアが開いて人波に押し出される。
何となく背中に視線を感じながら流れていく。
いつもと同じ朝だけど。
俺と片嶋は、まだ上昇中。
そんな感じは悪くなかった。




                                        end




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