パーフェクト・ダイヤモンド

〜・本日の片嶋1・犬(前編)・〜




片嶋は時々、どんなに大声を出しても起きない時がある。
ちなみにそれは前の日の酒量とは全く関係ない。
昨日は俺より早く帰って来て、缶ビールを飲んだ程度で、さっさと寝た。
疲れたのかと聞いても「いいえ」と答えたくせに、触らせてもくれずにベッドに潜り込んだ。
そして、そのままぐっすり眠ってしまった。
なのに。
「片嶋、そろそろ起きろよ」
なぜかまだ爆睡している。
現在、土曜の朝。9時45分。
もうかれこれ10時間は寝ているだろう。
別に用事があるわけじゃないから、無理に起す必要はないんだが。
「片嶋、聞こえてるか?」
呼びかけても。
「……ん、」
短い返事のみ。
「起きろって。朝飯、作るぞ」
作るって言ってもトーストとコーヒーなんだけど。
「片嶋、」
起そうとして肩を掴んでも、ふにゃふにゃと揺すられるままになっている。
片嶋は、たまにこういうことがあるんだけど。
ここまで起きない日は初めてだ。
しかも。
「な、起きろって」
「……やだ」
ちなみにこれは寝言だ。
片嶋はどんなに甘えた時でも、「やだ」なんて返事はしない。
多分、母親か誰かと間違えているんだろう。
答えた後はまたスヤスヤ眠り始めた。
「……ったく」
そうは言いつつも、可愛いので許してしまう。
俺も大概甘いよな。


とりあえずシャワーを浴びてスッキリしてから、コーヒーをセットした。
10時15分。
コポコポとドリップが始まったのを確認してからまた片嶋を起しにかかる。
寝かせておいてやりたい気もするが、片嶋が寝ている隣りで一人で朝食を食うのはちょっと淋しい。
一人暮しの時はそれが普通だったんだが、せっかく二人で暮らしているんだから、やっぱ一緒に食いたいよな。
「とりあえず、メシにしろ。食ってからまた昼寝すればいいだろ?」
結構大声なんだけど、片嶋は無反応だ。
「片嶋、起きないなら俺も一緒に寝るぜ?」
一応、脅し文句。
少しでも意識があれば、それが危険な警告だってことくらいわかるだろうと思って。
でも、片嶋は起きなかった。
顔を覗きこんだが、瞼はピッタリ貼り付いている。
「ったく、仕方ねーなぁ……」
煙草の一本くらいは乗ってしまいそうなほど長い睫毛を見ながら、頬にキスをした。
コーヒー香りが漂い始めた部屋は冬の日が差し込み、のどかな空気に満ちている。
そんな平和な休日の朝。
「片嶋、本当にいいんだな?」
俺は遠慮なく片嶋の眠っているベッドの中に潜り込んだ。
いつものパターンで、昼間は嫌がる片嶋を宥めながら無理やりすることになるんだろうと思っていたが。
片嶋の爆睡ぶりはハンパじゃなくて、抱き締めてもパジャマの下に手を滑り込ませても眠り続けていた。
それどころか。
「……ん、…×△@…」
何か言いながら抱きついてくる。
完全に夢の中だった。
「片嶋? 大丈夫か?」
返事ナシ。
でも、ニコニコしながら気持ち良さそうに寝ているのを見て、ムリやり起こすのを諦めた。
『×△@』は誰かを呼んでいるみたいに聞こえたんだが。
あまりに耳慣れない響きだったので、言葉として理解できなかった。
「ここにいるのが俺だって分かってるといいんだけどな」
母親とか他の家族だと思ってたら、抱きつきはしないよな。
……まあ、いいけど。


その後、俺はずっと片嶋をつついて遊んでいた。
それはそれで微妙に面白くて。
ついついエスカレートしそうになるのを何とか思い留まりつつ。
これだけぐっすり眠るって言うには、やっぱり疲れが溜まっているんだろうと思ったら、それも出来なかった。
結局、片嶋が目を覚ましたのは12時を少し回った頃だった。
俺が、頬をつついたり耳朶を触ったりしていることにようやく気付いたのだ。
「ん……や、……くすぐったいよ、」
片嶋はムズムズと動き出したが、まだ半分寝ぼけていた。
タメ口なのが何よりの証拠。
俺の手から逃れて片嶋が毛布を頭まで被る。
すると安心したのか、また寝息を立て始めた。
俺は懲りずにまたそっと毛布を剥がす。
どうやら眩しいのか、片嶋が手で顔を隠す。
そんなことを繰り返しながら、俺は声も出さずにしばらく片嶋を見守っていた。
動かなくなるとつまらなくなる。またしても、ほっぺをつついた時、片嶋が寝言を言った。
「……くすぐったいって……リジィ……」

―――リジー??

外人のボーイフレンドがいるのか??
いや、女性かもしれないけど。
でも、片嶋は女には興味がないんだ。
しかも、「くすぐったい」というセリフからするとやっぱり一緒に寝てるっていう前提なんだろう。
だとすると、男なんだろうな。
そういえば留学してたって言ってたもんな。
外人ボーイフレンドの一人や二人……
「な、片嶋、俺だって分かってるか??」
とうとう我慢できなくなって喋ってしまった。
「……んん……桐野さ……ん?」
その後、片嶋は目を擦りながら「おはようございます」と言った。
ごく、普通に。
やましいことなんて全然なさそうだった。
それでも聞かずにはいられない。
「な、リジーって誰?」
片嶋は俺の問いなど聞こえていないかのようにムックリと起き上がった。
まだ眠そうなくせに、鼻をくんくんさせて辺りの匂いを嗅いだ。
「コーヒー、煮詰まってませんか?」
確かに、入れてからもう随分と時間が経っていた。
いや、そんなことより。
「リジーって……」
言いかけたら、片嶋が伸びをしながら答えた。
「うちの犬です。ジェームズ・リジィが好きで……だから、リジィって名前になっちゃったんです」
また目をこすって。
あくびをして。
「あ、そう」
……俺って、本当に余計な心配ばっかりしてるよな。
けど。
「俺、犬と間違われてたわけ?」
「だって、桐野さん、あったかかったから」
何度も言うようだが。
そりゃあ、当然だろ。
「俺、犬と違ってフカフカしてないと思うんだけどな」
片嶋は俺の愚痴なんか気にも留めずに、顔を洗いに行ってしまった。
「俺の質問に答えてから行けよな……」
って言うか。
ジェームズ・リジィって誰なんだ?



ジェームズ・リジィが有名な版画家で片嶋の部屋にそれが飾ってあるってことを聞いたのは昼食のテーブルだった。
そう言えば、引っ越し荷物の中に絵が二枚あったよな。
「高いんだろ?」
留学中に絵を買うっていうのも、なんとなく片嶋っぽいけど。
「日本で買うよりは安いと思いますけど。日本円で10万くらいかな」
高いような、そうでもないような。
「シルクスクリーンですから、絵と違って手に入り易いですし」
そこまで言われても、全然わからない。
絵なんて買ったことないからな。
片嶋の持っている二枚の絵。どっちかがリジィってヤツなんだろうけど。
二枚とも鮮やかな絵だったな……って。
俺の認識と言ったらその程度。
「リジィがうちに来たばっかりの時、何が気に入ったのか絵の前から動かなくなっちゃって。本当は他の名前を考えていたんですけど、結局、リジィになっちゃったんです」
「他の名前って?」
単なる好奇心だったんだけど。
「聞かない方がいいと思いますけど」
片嶋がそんな返事をするから。
アイツの名前でもつけるつもりだったってことがバレバレだった。
「中野の名前、なんだっけ?」
確認のため仄めかしても。
「義則です」
否定しないもんな。
まあ、そんなことで嘘をつかれるのも嫌なんだが。
だからと言って、そこまで正直に答えなくても良くないか?
「ふうん」
別に、今更。
アイツに対して敵意もなければ、片嶋の気持ちが戻るんじゃないかなんて不安もない。
思うことといえば、アイツの名前で犬を呼ぶような事態にならなくて良かったということくらいで。
「良かったじゃねーか。別れた男の名前なんて呼びたくないだろ?」
「そうですね」
片嶋はこの会話よりもコーヒーに入れるミルクの量が気になるみたいだった。
ホントにマイペースな奴だ。
「それにしても、名前をつける時に『もし別れたら……』とか、考えなかったのか?」
そんな質問にも、躊躇なく返答した。
「一生、別れないと思ってましたから」
俺を通り越して、遠くを見ながら。
はっきりと。
それでも、片嶋は俺を選んだんだから。
少しだけ自分に言い聞かせて深呼吸。
片嶋は今、俺の目の前にいて、手を伸ばせばすぐに触れる事もできて。
何よりも、毎日一緒に生活しているんだから。
今更、焦ることなんてない。
余裕で笑うこともできたんだけど、俺はわざと拗ねた返事をした。
「あ、そう」
たまには片嶋にご機嫌を取ってもらおうなんてヨコシマなことを考えて。
その後は黙ってコーヒーを飲み干した。
片嶋はすぐに俺の異変に気付いた。
「……桐野さん、もしかして気分を害されました?」
「いや、別に」
それも、かなり不機嫌な顔で答えた。
「あの、桐野さん……」
思っていた以上に片嶋が慌てるのが可笑しくて。
更に冷たい口調で言葉を足した。
「おまえ、俺になら何を言ってもいいと思ってないか?」
俺って、性格悪いな。
「……って言うか……桐野さんなら、許してくれるんじゃないかと思って……あの、すみません……」
もちろん俺はぜんぜん怒ってないんだけど。
「まあ、どうでもいいけどな」
不機嫌な顔のまま言い捨てた。
片嶋だって俺がそんなことで怒るなんて思ってなかったんだろう。
「あの、」
普段なら冷静に突っ込んでくるようなところなのに。
こんなつまらないことで慌てる片嶋はかなり可愛かった。
「俺のこと犬と間違えるし」
「あれは……すみません、ちょっと寝ぼけていたので、」
片嶋の返事も聞かず、俺は食べ終えた皿をさっさと片付けてソファに移動した。
片嶋も席を立ち、テーブルを拭いて、洗い物を済ませてから俺の隣りに座った。
その時、俺は新聞で顔を隠してニヤついていた。
どうやってご機嫌を取ってくれるんだろうと期待しながら。
「あの、桐野さん……どこか行きませんか、天気もいいですし……」
片嶋からデートの誘い。
それも楽しそうだ。
外で思いっきり拗ねた振りをして、ムリムリ手を繋いだり、キスしたり。
って。
妄想は膨らむんだけど。
いくらなんでも、それはダメか。
真っ昼間だからな。
溝口にバッタリ会うくらいならともかく、取引先の奴だったりしたら笑えない。
意外と世間は狭いんだ。
だったら、家でノンビリまったり過ごした方がいいかもしれない。
「あの……えっと……」
俺から返事がないので、片嶋は一生懸命考えていた。
きっと片嶋は家族にも友人にも先輩にも可愛がられて育ったから、誰かの機嫌なんて取ったことがないんだろう。
新聞をめくる振りをして、チラリと盗み見たら、本当に困った顔をして俯いていた。
それが何だか可哀想に思えて。
俺は早々に降参してしまった。
「別に怒ってねーよ」
新聞を畳んでテーブルに置いてから、片嶋を抱き寄せた。
「ちょっと片嶋をからかっただけ」
怒るかなと思ったけど。
片嶋はホッとした顔で、
「面白がらないでください」
と言っただけだった。
「わりい。なぁんか、退屈でさ」
片嶋が立ち直ったようなので、ついでに、もう少しだけ困らせてみる。
「昨日だってロクに話もしないで寝たくせに、今朝もずっと気持ち良さそうにくーくー寝てて全然起きないし。やっと起きたんだから、少しくらいは俺の相手をして欲しいと思ってさ」
単なる意地悪なんだけど。
片嶋は素直に申し訳なさそうな顔をする。
「ホントにすみません。少し疲れてたみたいで……目が覚めなくて」
うろたえたせいなのか、部屋が暖か過ぎるのか。頬もほんのりピンク色。
具合が悪いわけではなさそうだった。
「じゃあ、今から」
「え?」
「俺の相手、してくれるよな?」
ニッカリ笑ったら、にっこり微笑み返された。
片嶋にしては珍しく全面的に承諾なのかと思ったんだが。
「じゃあ、先に掃除を済ませましょう」
思いっきり外れだった。
綺麗な部屋でゆっくりのんびり過ごせるのは喜ばしいことだけれど。
もしかして、俺の下心は今日も報われないんだろうか。
週末なのに。昨日もさせてくれなかったのに。
……夜までオアズケは結構、辛いんだけど。



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