パーフェクト・ダイヤモンド
〜・クリスマス(前編)・〜





目が覚めて、すぐにカレンダーを確認した。
世間はまさにクリスマス・イブ。
会社だって何事もなければ今日は早帰りになる。
営業部は部長と課長を除けばみんな35歳以下。平均したら26、7歳だ。
まだまだクリスマスが楽しい年齢。
残業なんてさせたところで、身が入らないに決まっているからだ。
まあ、宮野みたいに彼女がいないヤツはどうかわからないが。
「片嶋、仕事どうなんだ?」
ベッドに並んで寝ているくせに俺をほったらかしてクッションと戯れている背中に話しかける。
片嶋も早く帰れるなら二人で食事くらいはしたいんだけど。
「ん〜…そうですね。もう今年最後の企画会議も終わったので、それほど忙しくはないはずですけど」
片嶋はもともと「クリスマスなんか興味ありません」といった雰囲気だから、特別な約束はしていなかった。
「なら、終わったら電話しろよ。メシ食って帰ろうぜ」
「いいですけど」
「けど?」
「クリスマス・イブですよ。男二人で外食ってどうですか?」
「あのなぁ……」
世間からどう見えようと俺らは恋人同士なんだから、と思うんだけど。
「桐野さんが気にならないなら俺は別に。……じゃあ、出来るだけ早めに終わらせて電話しますね」
ちょっと不満な俺を宥めるように片嶋が振り返ってにっこり微笑む。
なのに。
何気なく抱き寄せようとしたら、俺の手をスルッと避けてベッドを抜け出した。
「まだ起きなくてもいいだろ?」
慌てて片嶋の腕を掴む。
ほんのちょっと抱き締めるだけでよかったのに。
「会議の資料のもとネタを忘れないうちに自分のPCから落として来ます」
にっこり笑ったまま掴まれてた腕をやんわり解くと、頬にそっとキスをしてきた。
こんな時でさえ、片嶋は柔らかく目を閉じるもんで。
俺の理性はまたしても半減した。
「片嶋、」
ベッドから抜け出ていた身体を抱き寄せて、唇を合わせる。
「んん……っ、ダメ……ですって。桐野さん、」
ちょっと拒否体勢なのはいつものことなので、俺も最近は気にしなくなってるんだけど。
今日は本気で押し戻された。
「忘れちゃいますから、先に取って来ます」
俺のご機嫌を取るようにチュッと軽く唇をついばんで、自分の部屋に行ってしまった。
まあ、「先に」取ってくるだけだから、「後で」してもいいってことだし。
まだ十分時間はあるし。
数分間の辛抱だと思ってベッドで大人しく待ってた。
10分が過ぎ、さらにもう10分経って。
なのに、片嶋は帰ってこない。
「何してんだよ……ったく」
あっという間に焦れてしまって、部屋まで様子を見に行った。


パジャマのまま通路に出て3つ隣りのドアを開ける。
ベッドもないし、ソファもない。
パソコンと机だけが妙に目立つ殺風景な部屋は、山積みのファイルのせいでまるっきり仕事場といった雰囲気だった。
「まだ終わらないのか?」
背中に向かって話しかけたが、片嶋はどう見てもすっかり仕事モード。
こんな朝っぱらから、なんでそんな真剣に仕事ができるんだよ?
俺を置き去りにして。
涼しい顔で。
「すみません。どうしてもこれだけ……」
そう返事する間も振り向くことさえしない。
どうやったらそんなにキーが早く叩けるのかというくらい軽快に飛ばしていた。
「仕事が押してるなら食事も無理に今日じゃなくていいけど」
「今日の会議で使うんです。午前中に仕上げないといけなくて」
今夜のデートのために頑張ってくれているわけじゃないのか。
だったら、ちょっと嬉しかったんだけど。
「桐野さん、俺に構わず寝ててください」
そう言われてもなぁ……
「別に眠くはねーよ。……どうでもいいけど、エアコンくらいつけろよ。風邪引くぞ?」
ピッピッとリモコンのボタンを押して、片嶋に直接風が当たらないように角度を変えた。
「すみません」
手を止めた片嶋が立ち上がって、俺の肩に手を置いた。
今度はちゃんと唇に深いキス。
でも、いまだになんとなく遠慮がち。
片嶋はいつまで経っても変わらない。
「……ん、」
唇を離すのは名残惜しかったけど。
片嶋の手が結構な力で俺を押し戻すもんで。
「じゃあ、続きは帰ってきてからだな」
仕方なくそう言ったら、片嶋はポッと赤くなった。
こういうところも、ホントに変わらない。
まったく。
この状況でガマンしなきゃならないって、結構つらいんだけど。
まあ、一日なんてあっという間だ。
出来るだけ早く帰れるようにガンガン飛ばして仕事しよう。
そう自分に言い聞かせた。



なのに。
会社に着いたら朝から異様な雰囲気で。
「どうしたんですか?」
課長に聞いたのに、阿部から「すみません」の返事があった。
また何かやったらしい。
嫌な予感がした。
「それで、今日、先方に謝りに行って、提案書を作り直して、契約書を差し替えて……稟議も。あと、予算も……」
本当にバカだな。
タダでさえ暮れの忙しい時に。
「注意力散漫。忘年会、覚悟しとけよ」
一芸披露くらいじゃ済ませないからな。
「じゃあ、宮野、提案書再作成。阿部は課長とすぐに先方に謝罪。飯島、稟議書。速見、予算申請の再作成。終わったら俺にチェック回せ。それから自分の仕事な」
「え〜〜っ!?」
非難と言うよりは、死にそうな声で俺のシマのヤツらが叫んだ。
「文句を言うな」
「すみません。ほんとにすみません」
阿部がみんなに謝りながら。
けど。
いつまで経っても仕事に戻らず、俺の前でもじもじしてた。
「なんだよ。早く準備しろって」
不幸のどん底みたいな顔で、ちらちらと視線を飛ばしてくる。
「……あの〜……謝罪って、課長が同行なんですか?」
「ああ。今、そう言ったろ?」
なるほどな。それが気に入らないか。
「……桐野さんが一緒に来てくれるんじゃないんですか? これ以上トラブったら、俺ホントに泣きます」
涙目で訴えられて、渋々同行するはめになった。
課長はあからさまに喜んでた。
くそっ……
後で覚えてやがれ。

昼過ぎ。仕方がないので片嶋にメールをした。
今日は遅くなるかもしれないって。
実際、俺に目から見ても状況は最悪で。
ただでさえ忙しいのに、いろんな仕事が降って湧いてきて、どんどん積もっていくという有り様だった。
のんきに笑ってる課長と部長に山積みになっている稟議を押しつけたい心境に陥ったが、そんなことをしたら余計な仕事が増えるだけなので我慢した。



終業時間をとっくに過ぎても状況はあまり良くなってなかった。
それどころかシワ寄せがあちこちに来て、目も当てられないほど忙しくなっていた。
「帰りたい〜〜っ」
速見が大声で泣き言を言う。
「だって、クリスマスですよ〜?」
彼女なんていないはずの宮野までそんなことを。
おまえは仕事が嫌いなだけだろうというツッコミをなんとか堪える。
なのに8時を回ってもそれぞれが思いっきりテンパっていた。
「俺、彼女にふられちゃいますよ〜」
あちこちから本気の泣きが入ると、さすがにちょっと可哀想になった。
「仕方ねーな。今日、フラれたら後がない奴は帰っていいぞ」
彼女のいるヤツなんてそう何人もいないだろうと思ったのに。
俺の一言で、揃って帰り支度をはじめた。
おまえらホントに彼女がいるのか??
見栄だったら許さないぞ。
それにしても。
「おまえらって、どこまでも情けないヤツらだな」
そりゃあ、彼女は大事だろうけど。
ヤバイ時さえ待ってくれないような相手じゃ、この先いいパートナーにはならないだろう。
っていうか、それ、本気で惚れられてないぞ。
「桐野さん、手伝うことあったら言ってください。大丈夫ですから」
女の子たちが残って手伝ってくれると言ったけれど、さすがに悪いので適当なところで切り上げさせた。
「桐野さんは大丈夫なんですか?」
みんな心配してくれるんだけど。
「ああ。朝までには終わるだろ。どうせ明日は日曜出勤の振休だし」
とは言っても、この様子じゃ休めるかどうかわからないが。
「そうじゃなくって。……彼女、怒りませんか?」
「怒らねーよ。そんなことくらいで」
たとえば片嶋が「今日はどうしても二人で過ごしたい」って言うなら、俺だって速攻で帰るけど。
淋しいことだが、絶対にそんなことは言わないだろう。
なにより、この時期は目が回るほど忙しいってことはわかってるはずだから、食事の約束をあっけなくキャンセルしたことについても何も言わないに違いない。
などと考えていたら。
「あ〜、やっぱ、彼女いるんですね〜」の声が上がった。
もしかして、俺を心配してくれていたわけじゃなく、単にカマをかけただけなのか。
……まあ、どうでもいいけど。
「でも、さすがは桐野さんの彼女。オトナですね〜」
みんながそんなことを言うんだけど。
片嶋はどっちかって言うと子供っぽいんじゃないかと思う。
犬のおもちゃを真剣に選ぶし。
ガムを食われたくらいで怒るし。
妙なクッションを大事にしてるし。
「そうでもないけどな」
可愛いというか、ナンというか。
「……とか言って、顔が緩んでますよ、桐野さん」
「やだぁ〜」
キャッキャッという笑い声に包まれて、やっと自分がニヤけていることを自覚した。



みんなが帰った後、片嶋にまたメールをした。
『仕事が立て込んでて、もしかしたら今日は帰れないかもしれない。ごめんな』
片嶋は今日まで一度もクリスマスの話なんてしなかった。
そんな世俗的なイベントに固執するような性格じゃなさそうだし、こんなことで怒るはずもない。
安心して仕事は片付けられるんだけど。
……さすがにちょっと淋しいよな。
ガランとしたオフィスで一人で朝まで黙々と仕事するなんて。
ホントなら今頃は片嶋と楽しくメシ食って、その2〜3時間後には……
そう思っていたら片嶋から電話がかかってきた。
『営業部は全員居残りなんですか?』
デパートにでもいるんだろうか。
クリスマスソングが聞こえた。
「いや。俺以外は全員帰った」
残りの仕事のことを考えるとさすがに気は重くなるけど。
あとでぐちぐちとフラれた話を聞かされるよりはずっとマシだ。
『じゃあ、桐野さん、』
片嶋の声は何故か妙に明るかった。
反対に俺はちょっと不機嫌かもしれなかった。
今朝はオアズケくらったから。
帰ってゆっくりって朝からずっと思ってたんだ。なのに。
「……なんだよ」
そんな気分だったから、ちょっと冷たい返事になった。
けれど、片嶋は楽しそうな声のままそれに答えた。
『俺、もう仕事終わったので、よろしければ手伝いに行きます』
会社にいるわけじゃないだろうに。
またしても、完璧な丁寧語で。
けど。
こう言ってはナンだが、片嶋が手伝いに来てくれるならさっさと全員を帰したことは大正解だ。
「わりい。頼むわ」
マジ、ほっとした。
これで朝までには余裕で終わりそうだ。
上手くいけば一緒に帰れる。
そうとなったら、できるだけ早く終わらせなければ。
脳裏にチラッと片嶋の微笑んだ唇が浮かんだ。
拘るようだけど、今朝は軽いキスしかさせてもらってないんだ。



Home    ◆Novels    ◆PD-menu          ◆Next