「ん……っ……」
聞いただけで脳が溶けてしまいそうな声がときどき耳に飛び込んできて、そのたびに10%ずつ理性が減っていく。
深く口付けながら片嶋のシャツのボタンを外したが、珍しく抵抗されなかった。
唇から離れて首筋に舌を這わせる。
滑らかな肌の感触が心地いい。
「……あ……っ」
喉もとを吸うと、声がダイレクトに唇に伝わってきた。
その場で押し倒したい衝動に駆られた時、邪魔が入った。
内線だ。
しばらく無視していたが鳴り止む気配がない。
仕方なく片嶋を解放して受話器を上げた。
「……はい。東京営業部です」
電話はビルの管理室から。
帰宅の催促だった。
「ええ。もう帰るところです。……はい。わかりました」
そう言ったからには施錠して管理室に退出のサインをしに行かなければならない。
……せっかくいいところだったのに。
「片嶋、」
まだ何となくぼんやりしている片嶋の額にキスをする。
「明日の朝、ネクタイ結んでくれよ」
片嶋は俯いたまま少しだけ頷いた。
端末を落として、ファイルを片付けて。
明日の指示の確認をして。
窓を閉めて、カバンに必要な物を詰め込んで。
ついでに片嶋にマフラーを巻いてやって。
「じゃ、管理室行ってくるから、裏口で待ってろよ。寒いから外には出なくていいからな」
片嶋を先に行かせて管理室でサインをする。
「こんな時間まで大変だねェ」なんて警備の人に話し掛けられたけど、適当な返事をして退室した。
急いで裏口に回ったが片嶋の姿はない。
ひんやりとしたドアを押した瞬間、息が白くなった。
「片嶋、」
通りに立っている背中に呼びかける。
振り返って微笑む片嶋の前にタクシーが止まった。
「さすがに寒いな」
暖かい車内に転がり込んで、そっと片嶋の手を握る。
ほんの数分立っていただけなのに、指先がすっかり冷たくなっていた。
「早く帰ってシャワー浴びて、あったかい布団で寝たいよな」
愚痴をこぼす俺の手をコートで隠しながら遠慮がちに握り返して。
「お疲れ様でした」
それだけ言って微笑んだ。
本当に。
世界一良く出来た恋人だと思う。
「悪かったな。クリスマスなのに」
二人で楽しく食事のはずだったのに、とふてくされる俺とは反対に。
「いいんです」
片嶋はやっぱりニッコリ笑って。
「俺、仕事してる桐野さん、好きですから」
眩しそうな目でこちらを見上げた。
最高の笑顔と柔らかいキス。
走り去る夜景を背景に、甘い甘いクリスマス・イブ。
タクシーの運転手がこの会話をどう聞いたかなんてことは。
この際、俺には関係ない。
「やっぱ、うちはいいよな」
家に入っての俺の第一声を聞いて片嶋が笑った。
「何かおかしいか?」
「だって、桐野さん、会社も仕事も嫌いじゃないでしょう?」
「そうだけどな。でも、おまえとクリスマスの方がよかったよ」
今日は妙に機嫌のいい片嶋はまたしてもふんわり笑う。
そして。
「朝までまだ少しありますから」
そんな返事をした。
それはつまり、『OK』って意味だろう。
俺の気分は急速に上昇した。
「じゃあ一緒に風呂入ろ。な?」
勢いで「うん」って言うんじゃないかと思ったんだが、そこまで片嶋は甘くなかった。
「お先にどうぞ」
ごく普通にそう返された。
「冷たいな、相変わらず」
いたずらっぽいニッコリ笑いが俺に向けられて。
「俺、冷たいベッド、嫌いなんです」
先にシャワーを浴びて布団を温めておけってことらしい。
……まあ、いいけど。
さっさと風呂から出て、新聞を片手にベッドに潜り込む。
熱いシャワーの後はベッドも冷たいくらいが丁度いい。
それにしても。
「片嶋、遅いよ」
風呂で倒れたりしてないかと心配になった頃、ようやく出てきた。
長々とシャワーを浴びていたわりにはあんまり温まった顔もしていない。
しかも、お預け状態の俺を放って、のんびりとドライヤーをかけ始めた。
「片嶋、早く」
何度も俺に急かされてやっとベッドに入ってきた。
「うわ、暖かい」
無邪気に嬉しそうな顔をされると押し倒す気が半減するんだけど。
そんなこと言ってたら、こいつはホントに寝ちまうだろうし。
少し冷えた身体を抱き締めて、すぐに唇を塞いだ。
パジャマを着込んだ背中を撫でながら下に手を滑らせる。
どうやら下着はつけていない気配だ。
こんなに協力的なことは滅多にないから、サンタのプレゼントだと思って遠慮なく頂くことにした。
唇を離しても、片嶋はもうすっかり目を瞑ってしまっていて、俺の顔なんか見てくれないんだけど。
「片嶋、」
呼んだらなんとか目を開けてくれた。
暗い部屋で見ると、いっそう黒目がちの片嶋の瞳。
それがいっそう可愛らしく見えて。
ちょっとポワンとしている隙を狙って、片嶋の後ろに指を這わせた。
「……っわ、」
驚いたのか目がまん丸になる。
それがあまりに可愛くて笑ったら、やっぱり怒られた。
「俺、先に寝ますよ?」
そんなことを言うんだけど。
どうやら長々と風呂場にいたのは、準備してくれてたせいらしくて。
「ごめん、って」
深い深いキスをしながら。
片嶋の中に飲み込まれた指を動かす。
「……ん、……んんっ、」
苦しそうな唇を離れて、仰け反る首筋に赤く痕を散らす。
それからゆっくり両足を割った。
片嶋の身体は俺が思ってるよりもずっと敏感で、本人の意志とは関係なくあっという間に高まってしまう。
硬く立った乳首にそっと唇を当てると、舌先をわずかに動かしただけで身体がビクンと跳ねた。
熱を持ち始めたものを手のひらで覆うと、先端から溢れ出す液体が遠慮なく腹を濡らし、待ちきれないと言うようにヒクヒクと動く。
「もう大丈夫か?」
聞かなくても分かっていたけど。
片嶋は返事の代わりに俺の首に手を回した。
入り口に押し当てた物をゆっくりと沈めていく。
「あぅ……んっ……」
少し苦しそうに顔を歪めるのもいつもと同じ。
けれど、やっぱり疲れているみたいで、深く受け入れるたびに切れ切れの喘ぎが漏れた。
「……あっ、んっ……」
いつもならギリギリまで声は殺しているのに。
今日はもう呼吸もままならない様子だった。
視線の先にある白い喉が俺の脳を簡単に麻痺させる。
突き上げるとギュッと目を閉じる、その表情に俺自身も恍惚となる。
揺り動かされるたびに柔らかく撓る体が緊張して。
「あっ…っ、」
短い叫びの後、白い液が腹に散った。
締め付けられる快感に、俺も我慢できなくなって片嶋の中で果てた。
腰を抱き支えていた腕が急に重みを増し、倦怠感が襲ってくる。
「大丈夫か?」
自分もまだ呼吸が整わないままだったけれど。
わずかに頷く片嶋に安堵して、ギュッと抱きしめ直した。
そのまましばらくそうしていたけど、いつの間にか眠ってしまった。
至福の時は残酷なほど短い。
少し微睡んだだけで、あっという間に朝が来た。
目覚ましがけたたましく鳴って、その瞬間に俺は今日の仕事のことを考えはじめた。
必要最低限は片付けたものの、稟議の説明と残務の指示が残ってる。
どう考えても電話だけで済むとは思えなくて、結局、出社することに。
「さすがに、ダルいよなぁ……」
少し寝坊したせいで、いつもより慌しい朝の身支度をしながら、もらったばかりのネクタイを差し出す。
「これ、よろしく」
俺の隣りで着替えていた片嶋は、別に疲れた顔もしてなくて。
涼しげに笑って受け取ると、手際よく襟に通した。
「なあ、自分で結ぶならまだしも、そっちからってヤリにくくないか?」
男が他人のネクタイを結んでやることなんて普通はないだろう。
なのに片嶋の細長い指は、自分でやるのと同じくらいのスピードで動いている。
「そうでもないですよ」
最後はキュッと音がしそうなほど、キリッと結ばれた。
感心している俺の目の前。
至近距離に立つ片嶋は、そっと襟元から手を離しながら小さくつぶやいた。
「……よかった」
伏目がちにネクタイに視線を注ぐ、片嶋の口元は少しだけ笑っていた。
「ん? 何が?」
「よく、似合います」
そりゃあ、片嶋が選んだんだから、選択ミスなどあるはずもなく。
「サンキュ」
少し染まった頬にキスをしたあと、うつむく片嶋にまた見惚れた。
「まだ眠いだろ?」
問いかけに首を振ると、サラサラとした髪が揺れる。
「でも、あとでガム買ってくださいね」
朝っぱらからそんな可愛いことを言う片嶋に、支度をしながら何度もキスをして。
普段より一本遅い電車に間に合うように家を出た。
いつもと同じ。
でも。
クリスマスの朝。
会社に着くなり、事務の女の子に囲まれて。
何事かと思ったら仕事の話だった。
「桐野さん、あれ全部片付いたんですか?」
「ああ、なんとかな」
「うわ〜……すご過ぎ〜」
歓声が上がったけど、すごいのは俺じゃないんだよな。
まあ、そんなことは口が裂けても言えないが。
「宮野、これ。あと、資料が必要だから、案件ファイルから必要な個所抜いてコピーをつけておけよ。阿部、F社の稟議、これで行くから。役員に説明できるように内容を確認して。わからなかったら俺がいるうちに聞けよ」
さっさとあちこちに指示を飛ばして。
このペースなら午後は休める。
早く帰って買い物に行って、夕飯でも作ってやろうかなんて考えながら。
ベンダーにお茶を取りに行ったついでに片嶋にメールした。
朝は元気だったけど、席に座ったとたんに眠くなったりしてるといけないし。
そう思ったんだけど。
『大丈夫です。ちゃんとガムも持ってますから』
速攻で可愛らしい返事がきた。
駅で買ったのは眠気覚まし用のきついミント味。
片嶋は俺の顔を見上げてにっこり笑って、それを大事そうにポケットにしまってた。
相変わらず妙なところが子供っぽくて、朝からちょっと笑ったんだけど。
普段の片嶋は仕事をしてる時と全然違うんだよな。
『岸田に食われるなよ』
冗談のつもりでメールしたのに。
『今日はシャツのポケットに入れてるから大丈夫です』
片嶋は真面目に返事をしてきた。
まったく、どこまでも可愛いヤツ。
携帯の画面を見てニヤニヤしてたら、通りかかった今井さんに笑われた。
「彼女にメールですか?」
不意打ちだったから急に引き締めることができなくて、俺はもっとニッカリ笑ってしまった。
今井さんは半分呆れながら肩を竦めて。
「やだなぁ、桐野さん。今日、バレバレなんだもん」
そんなことを言った。
バレバレって。
「何が?」
「ネクタイ。彼女からのクリスマスプレゼントですよね?」
「……ああ。なんで分かるんだ?」
「桐野さんの趣味っぽくないですもん」
「変?」
「いいえ。さすが桐野さんの彼女。センスいいです。いつものネクタイも素敵ですけど、今日はちょっと雰囲気違いますよ」
もちろん彼女の誉め言葉は嘘じゃないと思うんだけど。
『雰囲気が違う』という言葉にはもっと奥深い続きがあった。
「朝からキスマークとかついてるし」
「え??」
「首。横向くと、見えますよ」
昨日?
そんなもんつけられたか、俺?
「マジ??」
「マジです。朝から女子社員騒然。あんなに積もってた仕事をすっかりこなして、しかもちゃんと彼女とデートして。しかも、朝つけたばっかりみたいな生々しいキスマークですもんね〜」
仕事をすっかりこなせたのは片嶋のおかげなんだけど。
恋人に手伝ってもらったなんて言ったら、社内恋愛まるわかりだもんな。
いや、それよりも。
今井さんならそれが片嶋だってことまで分かるかもしれない。
稟議書の構成で作成者が判別できるという特技の持ち主だ。
起案者の名前がなくても、間違いなく本人に「不備」の一言と共に返してくれる。
「女の子ってよく見てるよな」
「当然です。今日は頑張って残りの仕事片付けなきゃって、昨日の帰りにみんなで打ち合わせて。だから、ちょっと早めに来たんですよ。なのに、すっかり終わってて。カッコいい〜って騒いでる最中に彼女お見立てのネクタイで颯爽とご出勤。しかも、キスマークつき」
それに拘るなよ……
「まあ、クリスマスだからな」
って。
俺、結局すべてを肯定してるけど。
「それで彼女にメールですかぁ。いいなぁ。幸せいっぱい」
「今井さんだって、それ、彼氏に貰ったんだろ?」
ピカピカのピンキーリング。
「薬指じゃないところなら買ってやってもいいとか言うんですよ〜。ヒドイですよね〜」
そんなことを言いながらも笑う今井さんは本当に幸せそうだった。
「桐野さんなら、指輪ねだられたら買ってあげます?」
片嶋に?
指輪??
「……そういうものは欲しいって言わないと思うけどな」
まあ、片嶋なら指輪だって似合うとは思うけど。
「もし、欲しいって言われたらですって。『薬指にはめる大きなダイヤのついたリングが欲しいなぁ〜』って言われたら、どうします?」
それよりも、ワインでも買って帰った方がよっぽど喜びそうだ。
でも、まあ。
「そんなもんで喜ぶなら、いくらでも買ってやるよ」
迂闊にそんな返事をしたら。
「うわ〜、聞いた? ね?」
今井さんの声と同時にパーティションの陰にいた女の子たちが顔を出した。
「いくらでも、とか言っちゃってますよ〜」
「そんな簡単に返事しちゃっていいんですか? だって彼女と一生過ごすことになる指輪ですよ?」
女の子たちはものすごく楽しげなんだけど。
俺にはそれが重い現実。
片嶋といつまで一緒にいられるんだろうなんて、ふと考えてしまうこともある。
「……できればそうしたいんだけどな」
うっかり呟いたら更に大騒ぎになって。
「桐野さんの彼女ってシアワセ〜」
キャアキャア言う声に引き寄せられて課長まで登場してしまった。
「どうしたんだ?」
「桐野さんの今日のネクタイ、彼女のプレゼントなんですって」
それで盛り上がるのは全然かまわないけど。
課長にまで報告しなくていい。
「桐野君のことだから、恋人の一人や二人はいるだろうけどね」
仕事の話はナマ返事なくせに。こういう話題なら悪乗りするんだよな、この人は。
「一人だけですよ。ったく」
俺は普通に返したのに、また「きゃあ」と声が上がった。
「もう、いいから。仕事戻って。ほら」
言いながら席に戻ろうとした時、また片嶋からメールが入った。
『言うの忘れてましたけど、首、気をつけてください』
キスマークの件なんだろう。
けど、手遅れだ。
『もう見つかったよ。今、冷やかされてる』
すぐに返事を送ったら。
『すみません。帰ったらお詫びしますから』
文面からは反省の気持ちも読めた。
だから、ちょっと利用させてもらうことにした。
『じゃあ、俺の頼みごと一つ聞いて』
何をしてもらおうか考えてる、その真っ最中に返信が。
『一緒に風呂に入れとかじゃなかったら』
……俺って。
もう完全に読まれてるんだな。
なんだかおかしくて。
笑ってしまった俺を女の子たちがニコニコしながら見てた。
「桐野さん、お仕事モードに戻れますかぁ?」
今井さんに冷やかされて。
「わりい。ちょっと緩んだ」
苦笑しながら席に戻る。
「今日、この営業部で一番シアワセそうなのは桐野さんですよね〜」
宮野や阿部にまでそんなことを言われたけど。
「まあ、おまえらよりはな」
適当な返事をしてファイルを開く。
「宮野、先にこっちからチェックしろよ。俺、午後帰るからな」
「え〜? ホントですか〜??」
相変わらず情けない。
俺のことを冷やかしてる場合じゃないだろ。
「さっさと片付けろ。ったく。飯島も昨日の残りやれよ」
「あ、はい……っ」
周囲を無理やり仕事に戻したけど。
俺自身は、帰ったら片嶋に何を頼もうかって、そんなことばっかり考えてた。
本当に緩みまくりなんだけど。
まあ、クリスマスだから。
こんな気分もありってことで。
end
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