「今日、俺の誕生日なんだ」
同行した帰り、溝口がそんなことを言い出して。
「なら、メシでも奢ってやるよ」
まだ午前中だったし、当然、昼メシのつもりだったんだけど。
「じゃ、7時半に本社受付の左エレベーターの前で」
溝口の指定はいきなり夜だった。
……まあ、それでもいいんだけど。
「けど、誕生日なんだろ? 彼女との約束はないのか?」
「ん? まあ、それはアレだな」
アレって何だよ?
「それじゃ、7時半によろしくな」
勝手に決めてあっさり帰って行った。
7時半を少し回った時刻。
裏口から受付に向かうと、約束の場所に片嶋が立っているのが見えた。
濃紺のスーツにブルーのシャツ。相変わらず人目を引く横顔。
少し冷たく見える仕事モードの表情にシンプルなメガネが良く似合う。
声をかけようと思いながら、うっかり見とれてしまった。
片嶋は真剣な顔で出入り口の人の流れを追っていた。
受付の女の子たちが片嶋に何か話しかけていたけれど、それさえ適当に流して、また正面玄関に視線を戻す。
毎日、顔を合わせているはずなのに。
それでも見とれてしまう。
俺の、恋人。
「片嶋」
緩んだ顔のまま声を掛けた。
「お疲れさまです」
片嶋は涼しく笑って少し頭を下げた。
ちょっと見はよそよそしいんだけど。
嬉しそうな瞳が俺を見上げていた。
「お忙しかったんじゃないですか? 後からゆっくり来ていただけるように店の場所をメールすればよかったですね」
いや、それよりも。
「片嶋が一緒って分かってたら、もっと早く来たよ」
溝口と二人なのかと思ってたから、油断した。
「でも、なんで片嶋まで?」
「……さあ?」
そんなにノロケられたいのか?
「で、溝口は?」
しかも、本人がいないし。
……と思ったら。
「他の人と先に店に行きました」
他にも誘ってるヤツがいるらしい。
「何人参加なんだ??」
溝口の誕生日祝いだと思っていたけど、どうやらただの飲み会なんだな。
「桐野さんを入れて男は4人です。もう一人は溝口さんの同期で営業管理部の末田さんです。ご存知ですか?」
末田……溝口の友達にしては真面目そうなヤツだったな。
「ああ、知ってる。けど、変なメンツだな」
溝口の誕生日会って名目で、その組み合わせで飲みってなんだ?
「聞いてないんですか? 溝口さんの彼女が友達連れてくるからって」
「いや、何も」
溝口の「アレ」っていうのは、そういうことだったのか。
それにしても。
「だったら、余計に変だよな。なんで俺と片嶋なんだ?」
事情を知ってる溝口がそういう場所に俺たちを誘うってどうなんだろ。
「溝口さんの彼女がカッコいい人連れてきて、って言ったらしくて。それで末田さんに声を掛けて……」
確かに末田はカッコいい部類に入ると思うけど。
そういう観点で話をするなら、どう考えても片嶋が勝ってるよな。
……『女性に興味がないんです』とか言わなければの話だけど。
「まあ、なんでもいいけどな」
そういう事情を知った上で、女に興味のない片嶋が出席する理由がわからない。
だいたい溝口の頼みっていう時点で簡単に断わりそうな性格なのに。
「溝口さん、桐野さんには何て言ったんですか?」
「今日、誕生日だって言うから、奢ってやるよって話になって……」
それだけだったんだけどな。
溝口はもともとこの話を振るつもりで切り出したのか。
じゃあ、俺、嵌められたんだな。
「けど、片嶋。おまえ、なんで断わらなかったんだ?」
片嶋まで言い包めるなんて溝口も案外策略家なんだなって思ったが。
「……桐野さんが出席するって言うから……」
俺で釣ったのか。
その気持ちは嬉しいし、そんなことを真面目な顔で言う片嶋はこの場で押し倒したくなるほど可愛いと思うが。
……でも、そんなことで釣られてちゃダメだぞ??
「それにしても、溝口さんって今日が誕生日なんですか? ぜんぜん知りませんでした」
溝口にメールをしながら、片嶋がそんな話を振ってきたけど。
「けどな、それって嘘だと思わないか?」
合コンセッティングの口実だぞ、きっと。
「どうしてですか?」
「今日、4月1日だぜ?」
溝口なら嘘をつきまくってても全然不思議じゃない。
何せ部長から『ウソツキ君』って呼ばれるくらいだからな。
「……そうですけど」
「それでも片嶋は信じてるわけ?」
「はい」
素直な返事がなんだかとても可愛くて、思わずその場でギュッと抱き締めたくなったんだけど。
俺の認識はちょっと甘かった。
「だって、溝口さん、エイプリルフールに生まれたって感じですよね?」
……確かにそうだが。
頼むから、それは本人には言うなよ?
「じゃあ、行きましょうか。店、すぐ近くですから」
俺が思ってるより片嶋の思考回路は奥が深い。
それよりも、片嶋が暴言を吐かないように見張ってないと。
溝口にだって男のメンツはあるだろうしな。
「ああ、桐野さん。遅かったですね」
店に入ってキョロキョロしていた俺に声を掛けたのは末田だった。
「わりい。ちょっと抜けられなくて」
しかも、片嶋と立ち話をしてたから、余計に遅くなったとは言えないが。
「片嶋君、お疲れさま」
「お疲れさまです」
片嶋は俺の後ろから少しだけ顔を覗かせて、末田にペコッと会釈した。
「桐野も彰ちゃんもとりあえずは座れって」
溝口はちゃんと俺と片嶋を隣りに座らせてくれたけど。
座った瞬間に、同席していた女の子4人を端から紹介しはじめた。
「こっちから、俺の彼女の絵里、んで、隣りが絵里の同期の……」
その後、ついでに俺と片嶋の紹介までしてくれた。
「おっきい方が未来の会社役員、桐野。こいつは俺と末田と同い年。こっちが片嶋彰ちゃん。3つ年下。桐野の会社から出向中だけど、今やうちの企画部で一番のエリート」
その後で、彼女たちに感想を求めた。
「どうよ? 桐野も片嶋も末田もレベル高いだろ? ルックス、将来性、性格とも文句なしのベストメンバー」
だから片嶋まで誘ったのか。
そりゃあ、片嶋ならどこに出しても恥ずかしくない。むしろ自慢の後輩だろうが。
……でも、片嶋はダメだぞ。
絶対、駄目だ。
俺が片嶋を死守しようと心に決めた時、
「お二人とも付き合ってる方いらっしゃるんですよね?」
女の子の一人がストレートに聞いてきた。
もちろん、俺も片嶋も速攻で頷いた。
『やっぱりね〜』という声の中、片嶋がこっそり末田に尋ねた。
「末田さんって彼女いないんですか?」
末田からは「そうなんだよ」と返事があって。
「実は今日の主賓はコイツだから。よろしくね、彰ちゃん、桐野」
溝口がニッカリ笑ってそっと付け足した。
「つまり俺たちはダシなわけだな」
「そうみたいですね」
その後、片嶋は少しホッとした顔で「よかった」と呟いた。
……それはお互いさまだな。
けど、俺は警戒態勢を怠らなかった。
後輩としてせっせと働く片嶋はちょっと健気に見えて、かなり可愛いくて。
だから、みんなが構うんだよな。
一応、オフなのに片嶋はメガネを外すこともなく、極めて仕事モードの顔で女の子の話相手をしていた。
よそよそしいくらいの丁寧語なんだけど、女の子には「紳士的ね」と評判がいい。
見慣れている俺でさえ目を奪われるほど、片嶋は涼しげに笑ってて。
ほんわかと家で寛いでるところもいいが、会社モードでキリリと座ってるところも捨て難いな、なんて考えながら、またしても見惚れてしまった。
「桐野さん、ワイン選んでください。溝口さんは日本酒の方がいいですか?」
野郎4人の中では片嶋だけが年下だから、あまり酒も飲まずに笑顔で働き続ける。
プライベートなんだから、気なんて遣うことないのにと思うけど。
上下関係がしっかりしてる片嶋には当たり前のことらしくて、全ての雑用を手際良くこなしていく。
こういう場では俺のただの先輩だし、甘えさせてやることもできないのが辛いんだけど。
「片嶋くん、お酒は嫌いなの?」
ぜんぜん飲まない片嶋に、溝口の彼女が心配して聞いてやってた。
「絵里、彰ちゃんに酒は勧めちゃダメだぞ。メチャクチャ強いから、彰ちゃんが酔うまで飲み続けたら異常に金がかかる」
溝口が説明してる間も片嶋は笑ってたけど。
「そんなに強いの? じゃあ、一杯だけどう?」
女の子たちが揃って酒を勧めてきた。
差し出されたのはサワーを入れるような大き目のグラスで。
しかも、「どうぞ」とか言ってぎりぎり一杯にワインを注いだ。
片嶋が酔ったら可愛いだろうなって、みんな思ったんだろうけど。
その程度のワインなんて片嶋なら飲んだうちに入らない。
本当に、全く、無駄。
「すみません。じゃあ、遠慮なくいただきます」
案の定、片嶋は困った顔もせずにそれを受け取るとクイッと一気に飲み干した。
それから何事もなかったような涼しい顔でまたオーダーを取ったり、水を貰ったりして働いた。
「うわあ、片嶋君、本当に強いんだね」
溝口の彼女だけじゃなくていつもはあんまり飲みに行かないという末田まで驚いていたけど。
「だから、彰ちゃんには飲ませなくていいよ。営業と企画で潰し合いした時も最後まで潰れなかったの彰ちゃんだけだったんだ」
「もう、潰し合いは止めてくださいよ。店の人に怒られて大変だったんですから」
「悪い、悪い。彰ちゃんいると安心しちゃってさあ」
のんきな溝口に彼女はちょっと呆れてたけど。
「営業と企画ってそんなことをしてるのか?」
それが本当だとすると何かと危険だ。
「たまに、ですよ」
片嶋があっさり肯定するから、心配になった。
「大丈夫だって、桐野。彰ちゃんなら絶対体壊したりしないから」
俺が心配してるのはそんなことじゃなくて。
……片嶋の酔ったところだけは、絶対に誰にも見せたくないんだ。
「おまえさ、」
ここが合コン会場だということさえ忘れそうになった俺を片嶋が笑顔で制した。
「どうぞ」
落ち着いた顔でワインを注いで、それから、溝口の彼女にも酒を勧めながら質問した。
「それより、溝口さんって本当に今日が誕生日なんですか?」
溝口じゃなくて彼女に聞いたのは、やっぱり溝口本人を信用してないからなんだろうけど。
その質問に溝口の彼女は一言。
「え〜? そうだったかな?」
酔ってるせいなのかもしれないけど、この反応ってあんまりだと思うのは俺だけか?
っていうか……ホントに彼女なんだろうか。
疑いの眼差しで溝口を見たら苦笑いしてた。どうやらあんまり大事にはされてないらしい。
仕方なさそうに財布から免許証を取り出して俺と片嶋に見せてくれた。
確かに4月1日。
「本当に今日なんですね」
片嶋は「やっぱりね」って顔をしてたけど。
「みんな信じてくれないんだよなぁ」
そりゃあ、エイプリルフールの当日に言うから信じてもらえないんだと思うけど。
「俺は信じてましたよ。ね、桐野さん?」
「ああ、そうだな」
けど。
彼女もいるんだし、『エイプリルフール生まれって感じですよね』なんて言っちゃダメだぞ、片嶋。
俺は片嶋の暴言フォローの準備をしてたんだけど。
女の子たちが免許証の写真の話で盛り上がってる隙に片嶋がこっそり囁いた。
「大丈夫ですよ。来る前に溝口さんに釘を差されたので」
「余計なことをしゃべるなってか?」
「ええ。いろいろありますしね」
そう言えばそうだった。
浮気の件もあったんだし。言えないことばっかりだろ。
「それと、『女性に興味がない』っていうのも駄目ってことになってるので」
「そっか」
まあ、その方がいいだろうな。
俺らの関係が疑われることもないし。
今時の女の子は笑って流すかもしれないけど、末田は卒倒しそうだもんな。
そんなわけで。その日、片嶋が暴言を吐くことはなかった。
終始絵に描いたような好青年ぶりで、ウィットに飛んだ話をしながらも控え目で紳士的。なのに、切れますオーラ出しまくりで。
メインゲストの末田が霞むほど片嶋は女の子たちに構われてしまった。
おかげで俺は別の心配をしながら2時間ちょっとの飲み会を過ごすハメになった。
「じゃ、2次会に行く人〜!」
溝口が主導で次の店に行く途中、俺と片嶋は抜け出すことにした。
「悪いけど、俺、今日はちょっと」
「あ、もしかして彼女が来てるんですか?」
聞かれたけれど、曖昧に笑って流しておいた。
だって、彼女じゃないもんな。
「俺、今日は実家に帰らないといけないので」
片嶋もペコッと頭を下げた。
「えー? ちょっとだけでも無理?」
末田が困った顔をしたけど。
「すみません」
片嶋はそういうのに流されるヤツじゃないから、丁寧な口調で遠慮なく断った。
「仕方ないよ。じゃあね、片嶋くん。桐野さんもお気をつけて。彼女によろしく。また飲みましょうね」
女の子たちと末田と溝口は半分酔っ払い状態で二次会に消えて、それを見送ってから俺と片嶋は駅に向かった。
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