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先生の家に戻ったらまたしてもばーちゃんたちがいて、ついでに鍋いっぱいのカレーが用意されていた。
「あらあら、午前中だけなのにすっかりいい色になって」
きれいに焼けるものねえ、なんて暢気な声で笑われながら和室のちゃぶ台に向かう。
「いただきまーす! これなら夕飯も買いに行かなくて済むな。俺、三食カレーでもいいし!」
夏はやっぱりカレーだ。この昼ごはんには心の底から花マルをつけたい。
そうめんとか冷やし中華もイイ。あとはカキ氷とスイカがあればさらにイイ。
「あー、アイスとか買ってくればよかったなぁ」
山盛り二杯のカレーを平らげて、膨れ上がった腹部をさすりながら大あくび。
早起きしたせいなのか、それとも漂う夏休みムードのせいなのか、まだ昼過ぎだというのに眠くてしかたがない。
「アイスは買ってなかったわねえ。これ食べたらお昼寝するといいわよ」
そんな言葉と共にお盆に乗って現れたのは、なんとスイカだった。
まるで俺の頭の中が読めてるような素晴らしいタイミングだ。
デザートは別腹なので勢いよく顔を突っ込んで食べていたら、ばーちゃんとおばちゃんが急に笑い出した。
「二人ともずいぶん下のほうまで食べるのねえ」
たくさんあるからおいしいところだけ食べなさいと言われたが、俺も宮添もスイカにかぶりついたまま首を振った。
うちでは『スイカは白いところが見えるまで食べるのが義務』だったのだ。
相手が俺の友達であっても容赦はないので、宮添も俺んちの家訓を守って義務を果たしてきた。
そう話すとばーちゃんとおばちゃんがまた遠慮なく笑った。
「いいお母さんねえ」
それは果たして長所なんだろうかとは思うものの、心底褒めてくれているようなので一応礼は言っておいた。
そして、スイカ1玉の4分の1ほどを食し、残りは冷蔵庫に大切に保管。
これで夕食後のデザートにも困らない。
なんなら、明日の朝食はスイカでもいいとまで思ったが、俺の心の中を読んだらしい宮添が怪訝そうな目を向けたので、おそらく却下されるだろう。
「それじゃあ、私はこのへんで。あとはお願いしますね」
ばーちゃんたちはこれからみんなで出かけるらしい。
食べ終わったら鍋と皿は洗ってとか、戸締りはしっかりとか、ガスは元栓も締めてとか、鍵はドアポストに入れておいてくれればいいからとか、生ゴミは裏の畑の隅に掘ってある穴に埋めておいてとか、いろいろ説明してから去っていった。
俺は覚え切れなかったが、宮添がいるから多分大丈夫だ。
そのまま畳に横になり、ちょっと昼寝。
起きたあと、食い散らかしていたスイカの皮を埋めにいった。
「久乃木、蚊に刺されるぞ」
短パンとTシャツ姿だったので、忠告に従い軽く虫よけスプレーをしてから裏庭へ。
穴はすでに開いているので、そこに放り込んで軽く土をかけてくるだけ。
簡単な仕事だった。
「よし、終わり!」
よそ見をして歩いていたら隣にあいていた穴に足を取られた。深くはなかったから派手に転んだりはしなかったが、手と足が汚れてしまった。
「ただいまー。よごれたー」
てへっとごまかし笑いをしてみたが、宮添には思いっきり呆れ顔をされた。
「なにドロ遊びしてんだよ」
「ちょっと転んだ。つか、寝てる間に雨降ってたんだなー」
「ったく、子供じゃねェんだから」
そんな声も聞こえたが、宮添はちゃんと風呂までタオルと着替えを持ってきてくれた。
本当にいいヤツだ。
「ここ置いとくぞ」
「あー、みやぞえー」
「なんだよ。つか、気の抜けた呼び方すんな」
「風呂場の電気切れた」
「コンビニ行ったら買えばいいだろ」
「そーだけどー。覚えといてくれね?」
半透明のドア越しに小さな「ふう」。
いや、水を出しっぱなしにしてる俺に聞こえるくらいだから小さくはなかったんだろうけど。
「ああああっ!みやぞえー」
「今度はなんだよ?」
「蚊に刺されてた!」
聞こえてないかもしれないと思い、薄くドアを開けて顔を出したら、宮添がますます眉を寄せた。
「分かったから、シャワー止めろ」
「なんで? でんこちゃんに怒られるから?」
確かにザーザー流しっぱなしで地球には大変優しくない感じだったので、ドアを開けっぱなしにしたまま水を止めた。
「水道局にでんこはいねェだろ」
「じゃあ、すいこちゃん?」
「やめろ。字面を考えると怖ェよ」
言われてみると確かにちょっとアレな感じだ。
「つか、ここ東京じゃねーもんな。でんこちゃんじゃねーか」
ちゃんと汚れが落ちてるかを確認しつつ、脱衣所に足を踏み出すと宮添が背中を向けた。
「ばーか。でんこは意外と守備範囲広いんだぞ」
話してることはいつもと同じなのに、宮添はあれ以来なんとなく微妙なのだ。
「マジで? なかなかやるな、でんこ」
俺が笑っている間にさっさと出ていってしまった。
「……なんかよそよそしくね?」
そういえば飲んでた時も海に行った時もちょっとココロの距離が開いてたような気が……。
遠慮してるんだとは思うけど、やっぱりちょっと寂しかったりする。
体を拭いて居間に戻った頃、該当箇所を触るとうっすらと膨らんでいた。
「みーやーぞーえー」
足のつけ根、しかも後ろ寄りの内腿だ。
自分ではよく見えないので薬を塗ってくれと頼むとイヤそうな顔をされてしまった。
「なんか機嫌わりぃ?」
俺の質問には「別に」と答えたくせに、薬を塗る手は投げやりな感じだった。
しかも。
「久乃木、おまえさ」
「あー?」
肩越しに振り返ったら、なんかビミョーな表情で。
なんだろうとちょっと身構えた時、ちゃぶ台の上に置き去りになっていた俺の携帯が能天気な音で鳴り響いた。
ウィンドウにはお手紙マーク。その隣に思いっきり「北畠真帆香」と出ていたけど。
「あー、ゼミ幹事からだ」
あえて役職名で呼んでメールを開けた。
宮添に気を使ったというよりは、妙な誤解をされたくなかったという感じだけど。
すぐに返事をすると思ったのか、宮添はわざとこっちを見ないようにしているようだった。
内容はゼミ関連のことで、来年小山先生のゼミを取るなら後期からは特別講義があるから9月25日に研究室に来いというもの。ごく普通の事務連絡だったが、最後にちょっとだけ私信があった。
『久乃木君、宮添君がバイトしているカフェの子と付き合ってるってホント?』という、どこからそんな根も葉もない噂を聞いてきたんだと言いたくなるような質問だった。
板橋さんと立ち話をしているところでも誰かに見られて誤解されたとか、そんな感じだとは思うけど。
「勝手に話を作るなっての」
うわーと思いながらも簡単な返事を書いた。
連絡のお礼と『カフェの子ではないが告白されて気になってる相手はいる』というようなことだけをさらっと短く。
そして、書きながらちょっとだけ決心がついた。
「よし。送信完了」
送ったあとで、広い意味では宮添だって「カフェの子」だよなとは思ったけど。
その瞬間にひらひらのエプロン姿が頭に浮かんで笑ってしまった。
いや、実際男のスタッフが着てるのはタイトスカートみたいな筒状の黒いエプロンで、可愛くもなんともないんだけど。
「なー、宮添」
今度バイト先へ遊びにいってみよう。
宮添に限って笑顔を振りまきながら接客なんてしてないだろうけど。
「うん?」
「俺ら、ちゃんと付き合ってみたりする?」
その提案に宮添は思いっきり「はあ?」という顔をした。
意味が分かりませんという表情だったもんで、補足説明をしてみる。
「だーかーらー。『この際、ためしにそーゆー感じで一回付き合ってみねぇ?』……って話」
軽い気持ちで口にしたのに、今になって少しドキドキしてきた。
なのに、宮添ときたら。
「怖ェこと言うなよ」
真顔でこの返事だ。
「怖いってなンだよ?」
理解不能なのは俺の頭が悪いせいか?
一瞬、そんなことも思ったが。
「うまくいかなかったらどうすんだよ。それこそ元に戻らねェだろ」
「あー、そういうことな」
一応頷きつつ。でも、俺はその時だってぜんぜん問題なく友達に戻れそうな気がしてるんだけど。
宮添はなぜだかムリだと信じ込んでいるらしくものすごく渋い顔。
普段は適当なことばっかり言ってるくせに、今回に限りなぜかやたらと慎重だ。
「まあ、それはそん時に考えればいんじゃね?」
今から心配してもしょうがない。
「な? な? な?」と立て続けに3回くらい同意を求めたら、宮添はやっぱり「ふうう」だったけど。
三分くらい経ってからやっと承諾の言葉を返した。
「……まあ、久乃木がそう言うなら」
目の前の顔にはまだ怪訝な表情が残ってたけど。
「じゃあ、そういうことで!」
俺の頭の中はやけにスッキリ片付いて、『なーんだ、最初からこうしとけばよかった』という感じだった。
そのあとは畳の上でゴロゴロしながら、「お付き合いするに当たってまずは何をするか」という話になったんだけど。
「やっぱデート? ビアガーデンと花火とアイスの食い放題。カキ氷でもいいけど」
宮添がまたちょっと固まった。
「それって、休み前に聞いたのと変わってなくねェか?」
一個も違ってないぞとツッコミが。
「いんだよ。つか、最初から宮添と遊ぶ用に考えてるンだから変わるわけないっつの」
「結局なんにも変わらねェのかよ」
「いーじゃん、同じでも」
とにかく学生の間にできるだけたくさん遊んでおくんだからと力説しつつ、頭のすみっこでは社会人になってもやっぱり一緒に遊んでるんだろうなと思ったりもする。
「就職しても週末空けとけよー。土日祝日は当然休み。んでもって夏休みが10日くらいある会社に入れば余裕だし?」
……と思った矢先。
「それ以前にちゃんと就職できんのかよ、久乃木」
なんだかやけに根本的なところを心配されてしまった。
「あー。それはなんとかなるんじゃね?」
宮添はやっぱり呆れ顔で「まったくおまえは」って言ってたけど。
まあ、そんなに深刻にならなくても。
就職も、それから宮添とのことも、きっと大丈夫だって気がしてた。
とにかく。
今はまだ休みの真っ只中。
「カレーとスイカ食い終わったら宮添ンち帰ってー、次がビアガーデン?」
携帯のスケジュール表を覗き込みながらもう一回予定を立てる。
宮添の言うとおり、実際はまったく何にも変わってないのかもしれないけど。
「それとも、もっと付き合ってるっぽいことしてみる?」
「えっ……それ、って……何するってことだよ?」
「なんだろうなぁ? 俺、ちゃんと付き合ったことないから分かンねー」
それでも楽しい夏には違いない。
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