夏休み。



-2-


雑草どもがのびのび育ちすぎていたせいで、仕事がすべて片付いたのは夕方になってから。
普段使わない筋肉がギシギシと軋んでいた。
「すっげー働いたよなぁ。ぐあー、腰が伸びねー」
体中を占拠する疲労感のせいでコンビニに行くのさえ面倒だなと思っていたら、それを察したかのようにばーちゃんとばーちゃんの娘だというおばちゃんが夕飯を持って現れた。
「うっわ、すげー」
のり巻きとか唐揚げとか煮物とかサラダとか枝豆とか、その他いろいろ。
買い置きのカップ麺でも食ってるつもりだった俺の目には、「お皿とタッパは洗っといてね」と言いながら帰っていくおばちゃんズが女神様に見えた。
というか、これも小山先生の配慮だとするなら、忘れないうちにお礼を言っておかねばと思い、とりあえず草むしりが終わったことと、部屋はしっかりと掃除がされていて大変キレイだったこと、そして豪華な食事をご馳走になったことをメールした。
先生からはすぐに返事が来た。
『夏には毎年ゼミ生の誰かが掃除に行ってくれるが妹が気に入った学生にはサービスが良いと聞いているよ』
句読点がまったくない文面はともかく、文末には脈絡のない絵文字が大量に飛び交っていてなんだかやけに和んでしまった。
「センセーのメールおもしれー。冷酒、うめー。でも、ビールもうめー」
畳の部屋に丸いちゃぶ台を出し、体育座りで携帯をいじる。
目の前には宮添。部屋の造りが違うだけで、それ以外はまったく普段とおんなじ光景だ。
「違う種類を交互に飲むなっての」
「いーじゃん。唐揚げうめぇー」
ギシギシになった節々にアルコールがじんわり染み渡り、ほどよい疲れとともに夜は心地よく更けていく。
このままぐっすり眠って……と思ったのだが。
「今、『ぷーん』って言わなかったか!?」
「そうか?」
「言った! 絶対『ぷーん』って言ったぞ!!」
そう。
人類の宿敵。
蚊だ。
「よし。ばーちゃんが置いていってくれた蚊取り線香の出番だな!」
部屋の片隅に用意されたぐるぐる渦巻きのそれは、なんだか懐かしい感じだった。
しかも。
「ブタだぞ、ブタ。本物はじめて見た」
かの有名なそれは漫画やドラマで見たまんまの形だった。
「こーゆー感じなのかぁ。ちょっと良くね? てか、こんな広い部屋なのにコイツだけで頑張れるのか?」
「だったら、皿でも持ってきて反対側にも一つ置けばいんじゃないか?」
「よし、そうしよう!」
面白いので一気に5つほどに火をつけたら、宮添が眉を寄せた。
「それは『こんなに点けたら俺らも蚊と一緒に死ぬかも』って意味の顔だったりする?」
「……んなわけねぇだろ」
5つ一緒につけたくらいで人間が死ぬような危険な物を売るはずがない。
宮添の言い分はもっともだが。
「じゃあ何が不満なんだよ? いっぱいあったほうが効きそうじゃね?」
縁側方向にひとつ、枕元に一つ、廊下の出入り口に一つ、足元に一つ、床の間に一つ。
まさにカンペキ!
……って感じだと思ったのに。
「煙いだろ」
ビールの味がしねえとまで言われ。
仕方ないので二つだけにした。
「これでよし。うーん、なんかばーちゃんの家っぽい匂いだな。つか、仏壇くさい?」
畳の部屋と障子、その向こうに縁側。
子供時代に転げまわった和室を思い出す配置だ。
でも、宮添にはそういう記憶はないらしい。
「仏壇なんて生で見たことねェ」
「マジで? じーちゃんちにないのか?」
「どうだったかな」
母方の祖父母は既に他界。父方の家は母親と折り合いが悪く、幼稚園の時以来訪ねたこともないと言う。
さすがに正月でさえ家族が誰一人集まらない宮添家は一味違う。
「すげー遠くに住んでンの?」
「いや。隣の区」
「あー。近いと逆にわざわざ遊びに行こうって思わないものかもしれねーな」
とかなんとか言いながら、なんかホントに仲が悪そうなのでその話はそこでやめておくことに。
「ま、仏壇なんてたいしたことねーよ。線香つけんの面白いけど。あ、あと、ちっこい茶碗にご飯盛るの楽しいけど。それと、菓子とか果物とかも置いてあって盗み食いできるけど。……そう考えると侮れないな、仏壇」
「そうだな」
あんまり賛同してないような口調だったが、まあ、いいだろう。
相手は宮添。思いっきりバカをやる時でもテンションは低めなのがフツーなのだ。
「じゃあ、次、缶チューハイ!」
「ビールと冷酒、飲み切ってからにしろよ」
「一緒に飲むのがいいんだろー」
「ぜんっぜん分かんねェ」
その日は草むしりの疲れのせいかいつも以上に酒の周りが良く、おかげで「布団が一組」ということを気にすることもなく爆睡した。


目が覚めたのは朝と言うにも早すぎる時間。
部屋はまだ薄暗かったが、俺も宮添も頭部分だけ布団の上に乗っかっている状態で爆睡していたことだけは認識できた。
蚊取り線香はもう消えていて、途切れ途切れになって皿に落ちている。
「灰って触るとちょっとふんわりしてンなー。つか、セミって早起きなんだなー。まだ明るくなってねーっつの」
独り言のつもりだったが、不意に隣から返事があった。
「一生が短いと朝寝坊なんてしてられねェんだろ」
今起きたばっかりって感じのかすれ声で面倒くさそうにつぶやいた後は大あくび。
「セミって大変だよなー。よかったー、俺ら9月まで遊び放題だし。今のうちにすげー頑張って楽しんでおかないとな。よし、今から海だ!」
勢いをつけてガバッと上半身を起こしたが、隣の宮添はゴロンと寝返りを打った。
暗いうちに行っても泳げないだろ、ということなんだろう。
「じゃあ、7時出発ってことで!」
携帯のアラームをセットして二度寝をすべく、俺もゴロゴロと布団に上陸した拍子に、宮添の足の付け根辺りに手が当たってしまった。
いや、正確には股間と言うべきその場所は確かにしっかりと反応済みで、さすがにちょっと固まってしまった。
俺は別に「う」とか、そんなことも口にしなかったし、変な顔もしてなかったと思う。
でも、宮添は律儀に理由を述べた。
「……隣で好きなヤツがそのカッコで寝てたら誰だって勃つだろ」
言われて自分の姿を確認したが、短パンみたいな下着とTシャツ姿で、どう考えても色っぽくない。
「そっかなぁ……」
まあ、これが女の子だったらシャツと下着というのはなかなかイイ感じだとは思うんだけど。
宮添はこちらに背中を向けて、蚊取り線香入れのブタを手に取りつつ、すっかり燃え尽きたそれをぼんやり眺めていた。
「久乃木、実はおまえ未だによく分かってないだろ」
「うぁ?」
われながら動揺がミエミエな返事だ。
好きだと言われた当日よりはかなりマシになったとは思うけど、まだあんまりピンと来てないのは事実で。
それは宮添から見ても一目瞭然なんだろう。
「……まあ、しかたないんだろうけどな」
久しぶりの重苦しい「ふうう」が聞こえて、なんとなくビミョーな空気が流れた。
だが、もうそれにも慣れつつある俺はいつの間にかぬくぬくと二度寝していたのだった。
宮添はおそらく「人の気も知らないで」と思ったに違いないが、それについて何か言われることもなかった。


7時に起こされ、車で海に行った。
早朝という時間にもかかわらず、すでにビキニ群がキャッキャうふふと弾んでいらっしゃったのだが、そちらへはあまり近寄らず純粋に海を満喫しようと決意し、まずはがっつり泳ぐことにした。
「久乃木、あんま遠く行くなよ」
「ういーっす」
それでもひたすら泳ぐ。
疲れるまで泳ぐ。煩悩とか妄想とか野望とか、そういうものまで疲弊するくらいに泳ぐ。
宮添に気を使ったつもりはないけど。
やっぱり手放しで女子の水着にドキドキする気分にはなれなかったのだ。
「みーやーぞーえー。俺、ちょっとトイレ行ってくる」
昨日の作業による筋肉痛もあり、なんとなく身体が重い。
このあとは砂の上でゴロゴロしよう。
トイレからの帰路、ぼんやり歩いているとパラソルの向こうで宮添が女子二人と立ち話をしているのが見えた。
「……なんか今日に限ってやけに愛想良くね?」
カラフルな傘がジャマで女の子たちの顔はよく見えなかったが、結構いい感じの子なんだろう。
「宮添の好みのタイプだったりすんのかなー」
たったそれだけのことで浜辺に打ち上げられたクラゲの気分になってしまうのは何故だろう。
なんとなくモヤモヤしながら、ちょっとだけ眉間にシワ。
長年一緒にいる俺には見慣れた光景のはずなのに。
「みーやーぞーえー。そろそろ帰ろー」
わざと少し離れた場所から叫んでみた。
普段の宮添なら「待ってました」とばかりにさっさとその場を離れただろう。
なのに今日に限ってどういうわけかそこから動かず、「誘われてるけどどうする?」という目線だけ返してきた。
その反応も俺にはちょっと「え?」って感じで。
それでもザクザク歩きながら当たり障りのない言い訳をした。
「俺ら、近くの家にバイトで来てて、昼には戻らないといけないから。ゴメンね」
女の子たちに向かってそう言うと、宮添も「ああ」って顔でそのへんに放り出していたビニール袋を拾い上げた。
「それじゃあ……バイト頑張ってくださいね」
ちょっと残念そうに去っていく女の子を見送ってから、二人してトボトボと車に向かう。
どういうつもりなのかを尋ねようか迷っていると、宮添のほうから口を開いた。
「たまには久乃木に付き合ってやろうかと思ったのに」
ボーダービキニの子は巨乳だっただろと言われたけど。
「ふーん……そうだったんだ」
なんとなくふて腐れたような返事になってしまう。
「おまえが胸見てねェとかありえねえ」
「水着の柄があんまし好みじゃなかったのかもなー」
「関係ねェだろ。まだ寝惚けてんのかよ」
普段は女子の誘いなんて素っ気なく断わるのに。
『俺が喜ぶから』なんて理由だったら……と思ったら、なんだかまた少し寂しい気持ちになってしまった。
「……前と全部おんなじってわけにはいかないってか」
思わずポロリと出てしまった言葉に自分でドキリとする。
宮添が聞き流してくれることを願ったけど。
「気まずいならムリしなくていいぞ」
まるっきり別れ話みたいな口調が返って、ふられる一歩手前みたいな感覚に陥ってしまう。
「いや、そーゆーことじゃなくて」
どう説明したらいいのか分からなくて。
言葉を捜しながら、また空白になって。
どうしようもなくなった頃、やっと。
「ってか、別にこれくらいならぜんぜん普通じゃね? つか、宮添とマジで気まずくなるとか、あんましピンとこねーもんよ?」
わざと明るい声でそう言ってみた。
頼むから「これで終わりにしよう」みたいなのはやめてくれって思いながら宮添の顔を覗き込んだら、いきなりふいっと目をそらされてしまって。
その瞬間、寂しいのと頭にきたのとがごちゃ混ぜになった。
「うわ、なんだよ。一回好きって言ったんだから、ずっと好きでいいじゃねー。もう、おまえ、よく分かンねーよおおお」
叫びながらザクザクと早足で砂浜を歩いて。
蒸し焼きになりそうなほど熱くなった車に乗って。
水着の上から短パンとTシャツだけ着て、窓を全開にしてエンジンをかけて。
風から潮っぽさが消え、短い帰り道が終わる頃。
宮添がポツリと口にした言葉は「あんまり期待させんなよ」だった。



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