Forever You
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とりあえず安澄のすぐ後ろに布団を敷いて、そこに寝かせてタオルケットをかけた。
起きるまでに候補地くらいは決めておこうとドライブマップを広げた時、姉貴が大声で叫びながら廊下を歩いてきた。
「安澄ちゃん、おやつどうするの〜?」
相変わらずノックもなくドアを全開にする。
安澄が目を覚まさないのが不思議なくらいだ。
「今、昼寝中。夕飯になったら起こせって」
ちらりと視線を投げるとやけに幸せそうな寝顔がある。
姉貴がそれを見てくすくす笑った。
「なんか一段と子供っぽいわね」
緩んだ口元がほんの少しだけ開いていて、今にも何かしゃべり出しそうだ。
「宿題しにきたはずなんだけど大丈夫なのかな」
「あんたが心配してもしょうがないでしょ」
確かにそうだが気になるものはしかたない。
「明之って意外と心配性なのねぇ。初めて知ったわ」
今度はケラケラ笑いながら、「夕飯になったら呼ぶから」と言い残して出ていった。
「……俺だって知らなかったよ」
面倒見がいいと評されることは今までにもあったけど、まさかここまで世話を焼くことになろうとは。
そんな自分に少しだけ苦笑しながら、夕飯になるまでずっと地図の向こうにある安澄の寝顔を眺めていた。



「ごはんよー」
階下から姉貴の声が聞こえるまで安澄は本当に爆睡していた。
こんな唐突に寝て、しかも姉貴の声にも起きないなんて、どこか体の調子でも悪いんじゃないかと思ったけど。
「安澄、メシだってさ」
そっと揺すったら、ぼんやりしたまま体を起こした。
「……お腹すいた」
目を擦りながら呟いて大きなあくびをする。顔色は普段と同じ。
むしろぐっすり眠ってすっきりしたって感じだった。
少なくとも健康状態には問題なさそうだが、だとすると眠れないほど悩むようなことがあったのかもしれない。
理由は……まあ、中谷さんのことだろうけど。
「ぜんぜん目覚まさないから心配したぞ?」
寝不足なのかという質問に安澄は少し首を傾げたけど、そのあとはまた大きなあくびをしただけ。
「おやつ食べてないもんな〜。腹減って死にそう」
能天気な反応で寝癖のついた髪をなでつけた。
母親の容態が悪くなった時のような重苦しいため息もないし、とりあえず大丈夫そうだ。
……と判断したんだけど。
「あ〜、あのさ、明之」
「ん?」
「ちょっと聞きたい事があるんだけど」
まだ眠いのか今ひとつはっきりしない口調でもごもごと呟いた。
「うん、なんだ?」
別に身構えることもなく軽く問い返したが、安澄は急に固まって。
「やっぱ、ご飯のあとでいいや」
延期を告げると先に居間に下りていってしまった。
「……なんとなくおかしくないか?」
本当に、安澄といると次々と心配事が湧いてきて困る。



今日はオヤジと恵実が不在のため、食卓は俺と安澄とおふくろと姉貴だけ。
とても四人分とは思えない料理が皿の上から跡形もなく消えた時、安澄がハッとした顔で俺を振り返った。
「なんだよ?」
「宿題やるの忘れた」
今頃言われても。
「泊まっていくんだからメシ食ってからやればいいだろ?」
「……あ、そうだ。忘れてた」
どうやら胃袋以外はまだ寝ぼけているらしい。
「じゃあ、早くお部屋に行って宿題やりなさいね? お母さんたち、これからドラマ見なくちゃいけないから」
デザートは後で持っていってあげるからという言葉とともに、俺と安澄は二階に追い払われた。


部屋に戻ったら当然すぐ宿題をはじめるんだろうと思っていたのに。
安澄はペタンと床に座ったままやけに神妙な顔で地図を凝視しはじめた。
「な、明之」
「なんだよ?」
「聞いてもいい?」
そういえば。
「夕飯の後」って言ってたっけ。
「……ああ、いいけど」
安澄がなんとなく真剣な顔をしているせいか妙な空気が流れ、今度は俺も少しだけ身構えた。
「明之、前にさ」
「うん?」
しかも安澄にしては歯切れが悪い。
言いにくい話なんだろうってことはすぐに分かったけど。
「好きな人いるって言ってたよね?」
「あ……ああ、言ったよ」
そういう方向の話を予想してなかったため、少々言葉につまってしまった。
安澄が弄んでいるのは俺が地図に貼った付箋。
「それとさ」
「うん?」
せっかく楽しい計画を立てている途中なんだから、面倒な話ならできればサラッと流してしまいたかったけど。
「いい加減な気持ちでキスなんかしちゃダメだって言ったよね?」
あの日以来、一度も口にしなかったその話題。
安澄の事だから、もうすっかり忘れてくれたんじゃないかなんて甘い期待をしてたのに。
「……ああ、言った」
いまさら、なんでそんなことを。
中谷さんと別れたことと関係があるんだろうか。
「だったらさ」
目線は地図に落されたまま。
でも、表情はいつになく複雑で。
その時すでに追い詰められる予感はしていた。
「なんでキスしたんだ? 俺がしたから? 練習だから?」
心の片隅ではいつか聞かれるだろうって思ってた。
けど、こんなふうに正面から切り込まれるとやはり困る。
安澄が納得してくれそうな理由なんて思いつかない。
だからといって正直に告げるわけにもいかない。
「ああ、それな……」
なんとなく濁しながら、次の言葉を探す。
安澄がキスなんてしたから俺の気も緩んだんだ。
けど、そんなの理由にならない。
「な、明之。練習だったら誰としてもいいのか?」
「……いや、そういうことじゃ……」
あの日、キスの後で安澄は『わからなくなった』と言ってた。
『したいと思わないならキスなんてしない方がいい』
自分にそう教えた俺本人がキスなんてしたからだ。
「安澄、あのな……」
やっと前と同じになって。
今更壊したくないのに。
どう説明したらいいんだろう。
頭をフル回転させている真っ只中に、安澄が俺のすぐ隣りに座った。
「明之……」
まっすぐ伸ばされた手が俺の頬に触れる。
「好きじゃない相手とは、キスはしないんだよね?」
その問いの間、やけに真剣な目がこちらに向けられていて。
だから。
もう、引けなかった。
「ああ……好きな相手としか、しないよ」
安澄の手をそっと掴んで、そのまま引き寄せた。
それから、ゆっくり唇を合わせた。
男の俺に好きだって言われて、安澄はどう思うんだろうとか。
この後、俺たちはどうなるんだろうとか。
頭の中をいろんなことが巡ったけれど。


安澄の体はぴくりとも動かなかった。
けれど。
じっとこちらを見つめていた目は、そっと閉じられた。


たかがキス。
でも。
俺にとっては告白で。
安澄からの返事でもある。
特別なキス。


女の子とはぜんぜん違う安澄の身体を抱き締めながら。
少しだけ唇を離して、もう一度キスをしようと思った時。
「安澄ちゃん、デザート持ってきたわよ」
ドアの外から姉貴のバタバタという足音と大声が聞こえて、俺たちは慌てて身体を離した。
その直後、勢いよくドアが全開になって。
「だから、ノックくらいしろって」
俺は怒ったんだけど。
安澄はもうテーブルに向かって広げられた地図を眺めていた。
本当に今までずっとそうしていたみたいに。
「ね、陽子さんも来る?」
しかも、さっきまでのことなんてすっかり忘れたって顔で、姉貴にシッポを振っていた。
いや、ガラスの皿に盛りつけられたモモと梨に目が眩んだだけかもしれないけど。
「でも、二人でデートなんでしょう?」
姉貴の言葉にはもちろん深い意味なんてない。
けど、安澄がいきなり少し赤くなるから、俺は慌てて話を逸らせた。
「水沢先生も誘ってみようって言ってるんだけど。先生が来るって言ったら姉貴も付き合ってくれる?」
そんな小手先の目くらましが通じるはずもない。
すっかり忘れていたが姉貴も女だ。
こういう空気には俺たちなんかより鋭く反応する。
「え〜? どうしようかなぁ? 安澄ちゃんたちみたいにラブラブじゃないしぃ」
からかうような目を俺だけに向けて、意味ありげに少し笑った。
気付かれたことを悟ったのか、安澄が困ったような顔で口を開く。
「でもさ、陽子さんも来てよ。憲政きっと喜ぶし」
そんなに低姿勢に頼まれてはたとえ気乗りがしなかったとしても断われないだろう。
なんと言ってもうちの女子は安澄に弱い。
「仕方ないなぁ」
予想通りそんな返事があった。
いや、なんだかんだ言いながらも実は意外と水沢先生を気に入ってるってこともあるのかもしれないけど。
……だとしたら、先生は思いっきり姉貴の尻に敷かれるんだな。
「じゃあ、車出してあげるわよ?」
姉貴は免許を取ってまだ1年。
ちょっと心配だけど。
まあ、危険を感じるようなら先生が運転するだろうからそれはいい。
「え〜? じゃあ、サイクリングにならないじゃん」
安澄はなぜか自転車がいいらしい。
けど、この暑い中、なんで自転車だ?
「自転車は車に積んでいけばいいじゃない。帰りだけ自力で帰ってきなさいって」
まあ、なんでもいいんだけど。
「なら、全部下って帰ってこられるところにしよう」
こんな夏場に必死で自転車こぎたくないよ、俺は。
「だったらさ、明之。どこか泊まってこようか?」
「え??」
もちろん安澄の誘いに深い意味なんてない。
そこでうろたえるのは怪しすぎるだろう、俺。
自問自答の中、
『ま、泗水も頑張って』
なぜかエロじじいの声が頭を掠めた。
「で、次の日の朝涼しいうちに帰ってくればいいよ、な?」
「え……ああ、そうだな」
俺がぼんやりしてたせいで姉貴の目がちょっと冷たかったけど。
一泊の誘いをしてるのは安澄で、俺がヨコシマな提案をしてるわけじゃないんだから。
「じゃあ、決まり〜っ!」
はしゃぐ安澄の無邪気さはあえて見ないことにして。
「な、明之、どこがいいかな? あ、恵実も誘おうよ」
それは絶対ダメだ。
二人で泊まらないと意味がない。
なんとか口実を見つけて、と思っていたが。
「あの子はドライブだって来ないわよ。お日様に当たるのキライなんだから」
姉貴が珍しく協力してくれた。
「だから恵実って焼けてないのか。そういえば通学で自転車乗るのも嫌だって言ってた気がする」
安澄がつぶやいていたけど、俺の頭の中はすでに二人きりの一泊旅行に占領されていて、それを見透かしたらしい姉貴にこっそり注意された。
「妙なこと企まない方がいいわよ。安澄ちゃん、自転車に乗れなくなるじゃない」
言葉の意味はイマイチわからなかったけど。
「何も企んでないよ」
とりあえず全面否定を返しておいた。
「な、明之ってば」
姉貴がいても堂々と俺に纏わりつきながら安澄が地図を広げる。
「じゃあ、行き先が決まったら教えてね?」
「は〜い」
安澄の元気過ぎる声にニッコリ笑って、姉貴は部屋を出ていった。
ドアが完全に閉まるのを待って、安澄を抱き締めた。
それから、もう一度キスをしようとしたんだけど。
安澄は笑ってた。
「目はともかく、口は閉じろよ」
これじゃあ、キスできないだろ。
「けど、なんかさ〜。楽しくない?」
俺に抱き締められたまま安澄は思いっきり笑ってみせた。
これ以上何を言っても口なんて閉じそうになかったから。
そっとほっぺにキスをした。
くすぐったそうに笑いながら、安澄も俺のほっぺにキスを返した。
「な、明之」
「なんだ?」
「やっぱ、川にしようよ。遊園地だと憲政が大喜びでちょっと悔しいからさ〜。あ、河原でバーベキューがいいよ、ね?」
今、安澄の頭の中はバーベキューに占領されているらしい。
俺としては、それをなんとか追い払ってもうちょっといい雰囲気にしたかったんだけど。
「その前に、副理事長のところに行く? 二人で一緒に来たら、もっといいことたくさん教えてくれるって」
安澄は無邪気に笑うけど。
何を教えたがってるのかくらい容易に見当がつく。
「安澄は絶対行くなよ」
当然、即座に止めておいた。
「なんで?」
改めて聞かれると説明に困るんだけど。
「えーっと……とりあえず、俺に……任せておけばいいから」
我ながらすっごい苦しい言い訳をしてしまった。
それでも安澄の素直な返事は変わらない。
「うん。わかった」
桃を頬張りながらにっこり笑った。
それにしても、アイツは安澄に何を吹き込んだんだ?
「そう言えば、明之ならきっとうまいから任せておけば大丈夫だって言ってたもんな」
「えっ、何が??」
いや、聞くまでもない。
ちょっとムッとした時、安澄が首を傾げた。
「……よくわかんないけど」
それを聞いてとりあえずホッとしたものの。
こういう展開は予想さえしてなかったから、唐突にいろんなことが心配になってきた。
月曜にひとりでこっそり教わりに行った方がいいんだろうか。
悩む俺の隣りで安澄は鼻歌を歌いながら地図を眺めている。
「おやつ、何にする?」
「好きなだけ持っていけばいいよ。どうせ行きは車なんだから」
「そうだよね〜。昼はバーベキューするとしてさ、朝はどうするんだろ?」
「食ってから行けばいいんじゃないか? 朝早く出るなら、姉貴とお袋が弁当作ってくれると思うけどな」
「じゃあ、弁当! 俺も手伝う〜。明之もね?」
「え??」
「だって、食べるだけなんてズルイだろ?」
じゃれつく安澄を受けとめながら。
俺の心配って、たぶんほとんどがムダなんだろうなって一人で笑ってしまった。

安澄を側に置いておきたくて、ずっと空回りしてた。
でも、俺が会いに行った最初の日から安澄はずっと変わらなくて。
俺とのこともキスのことも、まだちゃんとは分かっていないような気がするんだけど。
それでもこうして一緒にいてくれるなら。
「安澄」
受けとめた身体をギュッと抱き締める。
「明之〜、それはちょっとくすぐったい」
安澄が笑い転げて。
くすぐり返して。
また笑って。
散々はしゃぎ回った後、あくびをして。
その数分後。
「明之、安澄ちゃん、金曜だからってあんまり遅くまで起きてちゃダメよ?」
姉貴が部屋に入って来た時には安澄は俺にじゃれついたままの体勢で眠っていた。
「ノックしろって言ってるだろ??」
もう、いまさらだけど。
「面倒だもの。……あれ、安澄ちゃん?」
姉貴が笑いながら安澄の顔を覗き込んだ。
「また寝ちゃったの?」
「そうらしい」
「やあね、明之ったら。顔ゆるんでるし」
本当は、まだまだこれからなんだろうけど。
「どこ行くか決めたの?」
「まだ。でも、バーベキューがいいらしい」
「そう。じゃあ、たくさんお買い物して行かなきゃね。あんたも安澄ちゃんもバカみたいに食べるから」
またしてもニコニコしたまま眠っている安澄の髪を撫でてから姉貴は部屋を出ていった。
スリッパの足音が階段を降りるのを確認してから、安澄の頬にそっとキスをする。
ふんわりと香る甘い匂い。
「いつの間に桃も梨も全部食ったんだよ?」

もうすぐ夏も終わり。
秋になって、冬になって。
また春になって。夏になっても。
こうして一緒にいられたらいいと思いながら。
テーブルからはみ出るほど大きな地図に目をやった。



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