キスをしている時から、なんとなくそういうことになるだろうとは思っていた。
卓巳くんは真っ直ぐに俺の目を見て、遠慮なく言った。
「最後までして」
目の前が真っ白になる一言だった。
俺がいまだかつて一度も足を踏み入れたことのない未知の領域。
それをしてしまうことが俺の中では本当に『最後』だったので、踏み出す勇気がなかった。
それ。
つまり、挿入。
「どうしても、嫌?」
想像してみる。
頭の中に卓巳くんと俺を無理やり登場させる。
けど、思い浮かぶのはビデオの男優で、俺と卓巳くんじゃない。
「ガクちゃん、」
卓巳くんのことは好きだけど。
急にそんなこと言われても、できるもんじゃない。
ずっと幼なじみだったのに。
卓巳くんは、沈黙している俺の髪を撫でながら大人びた笑顔を作った。
仕方ないなぁ、ってそんな顔だった。
「ガクちゃん、無理しなくていいよ」
そう言ってくれるんだから、いつもみたいにあっさりと断ればいい。
冗談みたいに、さらっと言ってしまえば……。
ビデオのシーンが頭を駆け巡る。
増田さんとしていたときの卓巳くんを思い出す。
一人でするときとは比べ物にならないくらい淫らに喘いでいた顔が蘇る。
卓巳くんは痛そうじゃなかった。
でもそれは増田さんが慣れていて、だから、卓巳くんを気持ちよくしてあげられるだけなのかもしれない。
けれど、俺はきっとそんなふうにはできないだろう……
「ガクちゃん、いいよ。もう、やめよう」
悩んだ挙句、「ごめん」と言った。
卓巳くんはいつもと変わりない声で「いいよ」と返しただけだった。
嫌だったわけじゃない。
けど、勇気がなかった。
卓巳くんを抱いた後、今までと同じにしていられるのだろうか。
気まずくなったりしないだろうか。
俺に飽きたりしないだろうか。
そんなことばかり考えて、抱き締める事さえできなかった。
翌日、卓巳くんは真面目な顔で理由を聞いた。
なんで自分からはキスさえしてくれないのかと。
けれど、俺は言葉につまった。
自分の気持ちさえわからなくて、何も答えられなかった。
卓巳くんはそれ以上、何も言わなかった。
それから、キスすることも、じゃれ合うこともなくなった。
それでも卓巳くんは相変わらず俺の世話を焼いた。
「ガクちゃん、小さく切るから残さずに食べないとダメだよ?」
グリンピースが嫌いな俺のためにあの小さな粒をさらに4等分に切ってくれる。
前はなんとも思わなかった他愛もない行為が、ギュッと心臓を圧迫した。
大好きだよ、と言った卓巳くんの顔を思い出すのが苦しかった。
前と同じように、笑ったり、じゃれ合ったりしたかった。
なのに、どうしたらいいのかわからなくて、溜息をついたり、イライラしたり。
困った時はいつでも卓巳くんが相談に乗ってくれたから、俺は自分一人で解決することに慣れていなかった。
卓巳くんがどれほど俺を大事にしてきたのか、そんなことにさえ今頃気づいた。
それから、数日。
俺はめいっぱい悩んだ。
卓巳くんも何やら考えこんでいた。
なんだかボーッとしていたし、大学にもあんまり行ってないみたいだった。
俺がバイトから帰った時、卓巳くんはソファに寝転がってHビデオを見ていた。
いや、正確にはビデオをつけて、卓巳くんはぼんやり天井を眺めていた。
「卓巳くん?」
顔を覗きこむと慌てて起き上がった。
「お帰り、ガクちゃん」
にこっと笑ってそう言った。
けど、作り笑いだった。
「ごはん、食べてきた? なんか作ろうか?」
「……バイト先でちょっと食べてきたから」
ほんとうにちょっとつまんだだけだったけど、今は食卓を囲むアットホームな気分ではなかった。
卓巳くんはビデオを止めた。
いつも二人で見ているニュースが流れる。
「おやすみ、ガクちゃん」
まだ10時半だっていうのに、卓巳くんは自分の部屋に行ってしまった。
ちょっと気まずかった。
卓巳くんの背中を見送った後、シャワーを浴びた。
手早く、けど隅々まで念入りに洗った。
さっきの卓巳くんの態度を思い出すと気持ちが萎えそうだったが、自分を励ましながら買ったばかりのコンドームの箱を手に取った。
外に聞こえるくらい心臓がドキドキ鳴っていた。
部屋をそっと開けると
卓巳くんはぼんやりベッドに座って窓の外を見ていた。
「た、卓巳くん、」
勇気を出して話しかけた。
声が上ずっていた。
「どうしたの、ガクちゃん……」
そこまで言って、卓巳くんは俺の手に握られているものに気付いた。
口を開けたまま、俺の顔を見る。
「と、隣に、座ってもいい?」
気まずくなる前なら、座っていいかなんて聞かなかっただろう。
卓巳くんは不思議そうな顔のまま「うん」と言った。
でも、すぐに前の卓巳くんに戻ってにこやかに笑った。
「ガクちゃん、なんでコンドームなんか持ってるの?」
また、そんな答えにくい質問を、しかもそんなに嬉しそうに……
「あ、えっと、買ってきたんだ」
答えになってないじゃん、俺。
あー…でも、この後は何て言ったらいいんだろう?
やりたいんだけど?
抱きたいんだけど?
それとも……
卓巳くんが次の言葉を待っているのがわかって、焦りながら言葉を捜した。
でも、こんな場面に気の利いた言葉なんて思い浮かばなかった。
「……い……いいかな、しても」
口の中でもごもごと呟いた。顔がほてって、急に汗が出た。
卓巳くんが何も言わないのでダメなのかと心配になった時、俺の身体は卓巳くんにそっと押し倒された。
自慢じゃないが、俺は女の子との経験もあんまりなかった。だから、うまくできる自信がなくて、ときどき手が止まってしまった。
卓巳くんは焦れたようすも見せずに、俺の手を取って指を絡めた。
ゆっくりと唇を塞ぎながら、俺のパジャマのボタンを器用に外していく。
卓巳くんと気まずくなって以来、まともなキスもしていなかったから、簡単に高まってしまった。
なのに、卓巳くんの喘ぐような声が更に俺を煽る。
もどかしくて、パジャマを脱がせる手が乱暴になる。
肌が露わになると、すぐに首筋に唇を押し当てた。
増田さんの腕の中で仰け反っていた卓巳くんが鮮明に蘇った。
硬く立ち上がった胸の突起を舌で転がす。
ピクンと跳ね上がる体を押さえつけ、卓巳くんの体に自分の下半身を押し付けた。
同時に卓巳くんのモノが熱く俺の腹を濡らした。
もうグチュグチュに濡れていた。
躊躇う余裕さえなくそれを口に含み、強く吸い上げる。
「う、あ……んっ……」
初めて口に入れたそれは、硬いけれど生き物の一部なのだというナマナマしい実感があった。
くびれに舌を絡め、割れ目を押し広げながら舌でなぞる。
「う、ふ……っ、」
卓巳くんの腰が動き始めた。
その動きによって更に硬さを増したものが俺の喉の奥を一杯にする。
むせ返りそうになりながら唾液と混ざり合うヌルヌルしたものを何度も飲み下した。
喉の動きに反応してか、卓巳くんの体が震えて淫靡な声に変わる。
「あ、……ん、ガク……、だめ……」
口に含んだままの状態では返事などできなくて、喉だけがうぐうぐと動いた。
表皮は唇に咥えられて、ズルズルと固い部分を擦る。
繰り返される往復運動に卓巳くんの大きく開かれた脚が更に広げられ、内股がぴくぴく動くのがわかった。
筋肉に手を這わせながら更に喉の奥までくわえ込む。
「ガクちゃ……ん、ああっっ、」
体を硬直させて精を吐き出した。苦いようなしょっぱいような不思議な味と青臭い匂いが広がった。
飲みこむのに抵抗がなかったわけじゃない。
けど、卓巳くんには悟られないように思いきってゴクンと飲み込んだ。
口がべたついて咽喉が渇いた。
サイドテーブルに置いてあった烏龍茶を流し込んだ。
味がしなくなったのを確認してから、くったりとしている卓巳くんを抱き寄せる。
まだ、肩で息をしている卓巳くんの半開きの唇は艶めかしくて、ちろっと舌を差し入れてみた。
卓巳くんはまだなんとなく空ろだったけれど、舌を差し出して絡めてきた。
ぴちゃぴちゃと音がするキスは、いかにもセックスの一部だという気がした。
「ガクちゃん、ローション、ベッドの下だから……取ってもいい?」
潤んだ目のわりにはしっかりとそう言った。
俺は身体を起こしてベッドの下を覗きこんだ。
収納ケース以外は小さな箱があるだけだ。
ふたを開けるとゴムとかローションとか、「え、これはナニ??」というモノとかが入っていて、俺はあからさまに驚いてしまった。
「ガクちゃん、マジマジと見なくていいよ。後で説明してあげるから」
卓巳くんはローションのチューブとゴムを取ってから、俺を壁際に引き戻した。
ローションのキャップを開けて、手に取ろうとしていた卓巳くんを押し留めた。
それから、卓巳くんに四つん這いになるように言った。
「ガクちゃんがしてくれるんだ?」
俺は黙って頷いた。
もちろん、そんなことも初めてだった。
幸い増田さんから借りてきていたエロビのおかげで、やり方はわかっていた。
いや、もしかすると卓巳くんはこういうことを見越して、延々とあのビデオを流していたのかもしれない。
ビデオの場面があまりにも鮮明に思い出されて、苦笑した。
ホントは関心があったんだな、俺。
ローションを手に取り、指に絡めて、恐る恐る卓巳くんの後ろに触れてみる。
いきなりヒクッとうごめいて、ドキッとした。
卓巳くんのそこは、ビデオの男優なんかと違ってキレイだった。
反対側の手を形のいい腰のラインに沿って滑らせた。
内腿をゆっくりと撫で上げて、そのまま卓巳くんのモノに触れた。そこは、さっき放出したばかりだと言うことを忘れそうなほど硬く立ち上がっていた。
「ガクちゃん、」
卓巳くんが焦れて俺を急かした。けれど、意外なほど真っ赤になっていた。
「卓巳くん、顔、赤いよ」
そう言ったら、余計に赤くなった。
「当たり前だよ??……俺だって恥ずかしいんだから」
そっか……そうだよな。
なぜか少し安心して、同時に愛しさが込み上げてきた。
「痛かったら言って」
そっと指を差し入れてみた。
入り口はキツかったが、中は温かくて柔らかかった。
「……うわ、気持ちいいかも」
好奇心いっぱいで思わずそう呟いた。
それから我に返って、指を動かし始めた。
不思議な感触だった。
卓巳くんの口から声が漏れる。
背中が緊張する。
「ん……っ、ガクちゃん……気持ちいい……っ」
卓巳くんの入り口は簡単に柔らかくなった。
2本目の指がすんなり入った。
「あ、……ぁっ……」
三本目を埋めこむと、クチュ、と淫らな音が漏れた。
自分の指と埋められた場所との摩擦が立てている淫らな響き。
動かすたびに音が漏れ出て、俺の好奇心はあっけなく性欲に変わった。
腹につきそうなほどそそり立ってしまった自分のモノを早くこの中に埋め込みたいという強烈な欲求に勝てなくなっていた。
「卓巳くん……俺、もう、ガマンできない」
「いいよ、ガクちゃん…して……」
卓巳くんの許可の言葉がまだ途中だというのに、俺は入り口に先を押し当てていた。
あ、っと思ってローションを塗り直したのもその後だった。
卓巳くんがちょっと笑っていたような気がしたが、もうそんなことはどうでも良かった。
でも、傷つけないようにしなくちゃ……
気持ちをしずめながらゆっくりと腰を進めた。
卓巳くんがふうっと大きく息を吐く。
それから少しずつ息を吸う。
「痛い?」
「ん、大丈夫。最初だけだから……」
ってことは、痛いんだ。
それはどうやっても多少の痛みや苦しさがあるのだと前に卓巳くんが言っていたような気がする。けれど、実際、目の当たりにしてしまうと、気が咎めた。
華奢な肩越しに見える横顔が、少し歪んでいた。
痛いんだ……
どうしよう。
本当に大丈夫だろうか。
頭の中の心配とは裏腹に俺の下半身は卓巳くんの中で大きさを増した。
「……ガクちゃん、」
苦しそうに名前を呼ぶその声にまた昂ぶった。
うっすらと開けた瞳は潤んでいた。
色づいた口元が緩く開いて、ふうっと息を抜いた。
「いいよ、ガクちゃん、もう、大丈夫」
できるだけそっと動き始めようと思った。
けど、身体はそうじゃなかった。
「う、う……あ、ああっ……」
卓巳くんの腰も俺に合わせて動き始めた。
「イイっ……ガクちゃん、あ、ああっ」
背中を見下ろしながら、横顔を見ながら、ピクピクと動く筋肉を感じながら、俺はあっという間にイッてしまった。
卓巳くんを置いていってしてしまったのだ。
背中に汗が流れ、気怠い空気が身体を取り巻いた。
中から引き上げる時のズルリとした感触が、身体の芯を疼かせた。
ゴムの中には白い液体がたっぷりと溜まっていたけれど、俺のモノはそれほど萎えてはいなかった。
手早くゴムを替えて、卓巳くんを仰向けにした。
許可も取らずに卓巳くんの脚を持ち上げた。
「ガクちゃん??」
俺はすでに猪突猛進モードで、卓巳くんの声は耳に入っていなかった。
無言で脚を割り開いた。
「待って、ガクちゃんっ!!」
卓巳くんが叫んだ。
俺は我に返った。
「あっ……ごめ……」
こんな、ヤルだけみたいなSEXはダメだ。
慌てて謝ったが、卓巳くんはにっこりと笑った。
「その前に、キスして?」
「……うん」
卓巳くんは可愛い。
ずっとそう思っていたけれど、これほどまでに思ったこともなかっただろう。
卓巳くんはいつから、こんなふうに俺を好きだったのだろう。
本当はずっと、いろんなことを我慢してきたんじゃないだろうか。
その間、俺は何も知らずに無邪気に卓巳くんを傷つけたに違いない。
「卓巳くん、」
「……うん?」
「好きだよ」
そう言ってから、キスをした。
卓巳くんは、なぜかギュッと目を瞑ってしまった。
眉間にしわを寄せる複雑な表情が気になった。
「卓巳くん??」
俺、なんか、まずいこと……
「ガクちゃん、」
「なに??」
「俺、泣きそう」
瞳を開けると本当に涙がこぼれた。
桜色に染まった頬にポロポロと零れ落ちる涙。
愛しかった。
苦しいくらいに胸がキュッとなって、それを押さえるために泣いている卓巳くんを抱き締めた。
どんなに強く抱いても足りない気がして、ありったけの力で思いきり抱き締めた。
「苦しいよ、ガクちゃんっ……」
卓巳くんは泣きながら笑っていた。
腕の中の卓巳くんを華奢に感じた。
確かに俺の方がほんの少しだけ背は高いけれど、並んでも同じくらいにしか感じない。
それ以上に、卓巳くんはいつだって兄の立場だった。
だから、ダメだと思ったんだ。
恋人にはなれないって。
なのに……
もっと早く自分から抱き締めればよかった。
そしたら、二人とも悩まなくて済んだのに。
「……俺、なんで卓巳くんを好きだって気付かなかったんだろう」
卓巳くんはちょっとだけ首を傾げたが、すぐに笑ってあっさりと答えた。
「ガクちゃん、なんでも気付くの遅いし」
憎らしいほど兄貴面してそう言い放たれ、俺はちょっとムッとした。
……それは自分でもわかってるんだけどさ。
「ほら、ガクちゃん、あの時も……」
卓巳くんが子供の頃の話なんかするから、SEXの続きはお預けになってしまった。
「違うよ、卓巳くんが喋っちゃうからさー」
「そうだっけ?」
ベッドの中でじゃれ合いながら、いつの間にか眠り落ちた。
甘い夢に包まれて眠っている俺を、卓巳くんは朝の4時に叩き起こした。
「……ん〜、卓巳くん……なに??」
寝ぼけ眼で見ても、卓巳くんはキレイだった。
「寝られない」
卓巳くんがぶーたれている。
「身体、痛い?」
「じゃなくて、」
「なに??」
「Hしたい」
…………。
ちょっと苦笑。
でも、昨日、俺は一人でいっちゃって、卓巳くんはそのままだったんだもんな。
布団を被ったまま、俺の上に四つん這いになって見下ろしている卓巳くんを抱き寄せた。
頭は目覚めていないけれど、身体は拒否なんてしなかった。
ちょっと寝癖のついた卓巳くんのふわふわの髪を指で絡めながら、キスをした。
「ガクちゃんが起きる前に準備したから、」
「……ん??」
「すぐ挿れて」
きっぱり。
あ、そう?
いいの?
いいのかな??
ためらっていると俺のモノを掴んで口に入れた。
いや、口に入れたというか、口でゴムをハメたのだ。
口でしてくれなくても十分な状態だったのだ。
「ガクちゃん、ぜんぜん大丈夫だね」
そんな独り言の後、俺のものと自分の後ろに手早くローションを塗って、それから、いきなり跨いでゆっくりと腰を落とした。
「あっ??」
深く入り込んでいく感触。
埋め込まれたモノが体積を増す。
増田さんとの情事なんか記憶の中から吹っ飛ぶくらい、見上げた卓巳くんの滑らかな喉元は艶めかしかった。
それだけでイッてしまいそうになるくらい、激しくキレイだった。
上半身を起こし、卓巳くんの腰を支えた。
グイッと突き上げると体が仰け反った。
二人の腹の間を濡らしているものに指を絡めた。くびれや裏筋をなぞるとクチュリと濡れた音がした。
ヌルヌルとした透明な液体を溢れさせている割れ目を指の腹で刺激するとビクッと身体が跳ねて、俺を受け入れていた部分がきつく収縮した。
「あ、ガクちゃ……んっ、あ、イイっ……」
その声に煽られるように腰の動きを早めた。
「うっ……あ、んんっ……!!」
白い液体が俺の手の中に勢いよく飛び散った。
俺も卓巳くんの中に放っていた。
卓巳くんが満足するまで間に俺は三回もイってしまった。
卓巳くんが何回イッたかなんてことを確認する余裕は俺にはなかったけど、一回や二回じゃなかったことだけは確かだった。
明るくなり始めた頃には二人ともベッドで潰れていた。
さすがに俺もぐったりだった。
「ガクちゃん、」
卓巳くんが俺の髪を弄ぶ。
「んん〜……??」
「キスして」
卓巳くんはキス魔だ。
でも、俺にしかしない。
そんなことさえ増田さんに言われるまで知らなかった。
卓巳くんのことだから、能天気に誰にでもしてると思い込んでいたのだ。
「……ん……、ガクちゃん」
瞼にもおでこにも、ほっぺにも、いつも卓巳くんがしてくれるように何度もキスをした。
俺のファーストキスの相手は卓巳くんだと母親が言っていた。
卓巳くんのファーストキスの相手も俺だってことは、卓巳くん本人が言っていた。
柔らかい唇。
幼稚園の時も小学校の時も中学の時も高校の時も、卓巳くんは何度も俺にキスをした。
なのに今でもキスをねだる。
飽きないのかと思うけれど、言われてみれば俺だって飽きてないもんな。
「なに考えてるの、ガクちゃん」
どうやら俺は笑っていたらしい。
卓巳くんに頬を突つかれてしまった。
「……子供の頃のこと」
「ガクちゃんの子供の頃のことなら、おばさんより俺の方が詳しいよ、きっと」
卓巳くんはニッコリと笑いながら俺の背中に腕を回した。
うちの母親など比べるまでもなく、俺自身よりも卓巳くんの方が詳しいかもしれない。
「ガクちゃん、もうちょっと寝よう?」
「ん、おやすみ、卓巳くん」
「おやすみ、ガクちゃん」
ちゅっと軽いキスをして抱き合ったまま眠り落ちた。
物心がついたときには、卓巳くんは俺の側にいて、俺の世話を焼いていた。
だから俺の子供時代の記憶にはいつだって卓巳くんがいた。
泣けば走ってきて慰めて、機嫌が悪いと何も聞かずに甘えさせてくれた。
『ガクちゃん、おれになんでも言って。ガクちゃんのためならなんでもしてあげるから』
口癖のようにそんなことを言った。
『卓巳くんが甘やかすから、岳登はこんなになっちゃったのよ?』
母が言っても、
『ガクちゃんは、かわいいから仕方ないもん』
卓巳くんは堂々とそう答えた。
大学生になった今でも、きっとそう答えるだろう。
これから先も、ずっと。
卓巳くんは変わらない。
そんな気がした。
俺の目が覚めるのを待って、卓巳くんが真っ先にしたことは、箱の中味の説明だった。
「これがディルドで、これがバイブで、これがローターで、これが……」
「もう、いいよ。卓巳くん……」
俺は慌てて卓巳くんを遮った。
「せっかくだから使い方も教えるよ。なんでもできるよ。SMごっことか」
「いいって」
「なんで? 楽しいよ?」
卓巳くんってば、増田さんとそんなことしてたのかな……
卓巳くんの彼氏になるためには、そういうハードルも超えなきゃならないんだろうか。
一抹の、不安。
「それとも、倦怠期に備えて取っておく? まあ、俺はそんなこと絶対ないと思ってるけど」
絶対、なんて言ってしまう卓巳くんってすごいと思うんだけど。
「……俺も、たぶん、ないと思うけどさ。でも、また今度でいいよ」
対して、俺の返事は消極的だ。
いや、ほんとに倦怠期なんてないとは思うけど。
だって今更だし。
「うん、じゃあ、また今度ね」
ちょっと残念そうにも見える卓巳くんの横顔を見ながら、ほっと息を吐いた。
卓巳くん、そういうのが好きなのかなぁ……
下手でも笑って許してくれるとは思うけど。
……でも、当分は普通ので精一杯だよ……
end
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