「紀和くん、こっち!」
代田さんが手を振った。
「来てくれてよかった。島野くんったら、もうすっかり酔っ払いなのよ」
「すみません」
「やだ。紀和くんが謝っちゃうのね」
うふふって笑う代田さんはとても楽しそうだった。
「とりあえずお店に寄って。みんな紀和くんを見たいって言うと思うから」
「え?」
「いいから、いいから」
代田さんに連れられて店に入ると、臣が隅っこで突っ伏して寝てるのが見えた。
「あれ、代田の弟?」
入り口に座ってた男の人が興味津々な顔で俺を覗き込む。
「違いま〜す。島野くんの」
「島野に弟なんていたか?」
いないよ、臣も一人っ子だから。
そう答えようかと思った時、代田さんがまた「うふふ」って笑った。
「弟じゃなくて、紀和くんで〜す」
そしたら、みんな一斉に「ああ」って頷いた。
そう言えばこの間もそうだったよな。
臣のヤツ、会社で俺の話をしてるんだ。
ワガママばっかりとか、子供っぽいとか、可愛くないとか。
きっとそんなことなんだろう。
「島野の『紀和君』ね。どうぞ、ここ座って。何飲む?」
「え? あ、いえ、すぐ帰りますから……」
なんだか居心地が悪い。
「でも、島野が目を覚まさないと帰れないでしょ」
誰かに手伝ってもらってタクシーに乗せてしまえばって思ったけど。
よく考えたら、臣のアパートに着いたあと俺一人で部屋に運び込むのは絶対にムリだ。
「一時間もすれば起きると思うから、もうちょっと待っててね」
だったら、俺、迎えにこなくても良かったじゃんって思ったけど。
今更だし。
ウーロン茶を貰って大人しく座っていることにした。
その間、退屈だろうって思ったのか、近くの席の人が話しかけてきて。
「島野って休みの日は何してるの?」
初めはそんな質問。
でも、臣は会社で自分のことを話さないみたいで、その後みんなにいろいろ聞かれた。
「えっと……掃除とか、洗濯とか。散歩したり、テレビ見たり」
昔はドライブしたり、買い物に行ったり、映画を見たり、外食したり、いろいろしたけど。
今はなんにもしていない。
「島野、子供好きってホント?」
「よく公園で近所の子と遊んでます」
それは悪いことじゃないもんな。話したって構わないはず。
「島野ってショタコンなんだろ? ショタってわかる?」
やけにはっきり聞かれたけど。
俺は首を振った。
嘘つくのも悪い気がしたし、かといって本当のことを言うわけにもいかない。
臣だって会社での立場ってものがあるだろう。
「いやだ〜、高校生ならショタって言わないわよ。紀和くん、島野くんとはいくつ離れてるの?」
「えっと、8つ」
この質問って。
なんか勘違いされてるっぽい。
「あの、臣、会社で俺のこと……」
なんて話したのか聞こうと思ったら、いきなり臣がむっくり起き上がって叫んだ。
「紀和、水〜」
寝ていたくせに、なんで俺が来てるって分かったんだろう?
でも、水を取りにいこうとしたら、代田さんに止められた。
「いいのよ、座ってて」
「けど……」
俺に言いつけてるのにって思って固まってたら、隣りに座ってた人がちゃんと臣に水をあげた。
臣はそれを飲み干すとまた突っ伏して寝てしまった。
「島野君、酔うといつもああなのよ。近くにいる人のこと、誰彼構わず『紀和』って呼んじゃって。面白いでしょ?」
面白いっていうか……。
なんで俺の名前なんか呼ぶんだろう。
「そうそう。紀和くんとケンカしてから島野、ホント大変でさ。仕事中までぼーっとしてて、今日なんて課長のことまで『紀和』って呼んだんだよ?」
「え……っ」
臣のバカ。
もしかして、キリッとしてたのって、この間だけだったんだ?
急に俺まで恥ずかしくなった。
「課長、大爆笑でさ。『振られたからって、幻覚を見るなよ〜』とか言ってて」
「俺、振ってなんか……」
言いかけた時、臣の隣りに座ってた人が席を空けてくれた。
「紀和くん、あとお願いね」
「……はぁ……」
そう言われても、臣は寝てるから、黙って隣りに座ってるだけだ。
出されたものをちょっとつまんで、ウーロン茶を飲んで。
でも、やっぱり手持ち無沙汰で。
しばらくしてから臣を起こした。
「……臣、帰ろ」
臣は一発でのっそりと起き上がったけど、目は据わってた。
「なんで紀和がここにいるんだよ?」
「臣が酔って寝てるから迎えにこいって言われて……」
いきなり俺の頬をつねるし。
「来なくていいぞ。誘拐でもされたらどうするんだ」
普通に話してくれたけど。
「誘拐なんてされるわけないじゃん」
やっぱり喜んではくれなくて。
「早く帰れ」
っていうか、迎えにきてやったのになんで俺が怒られるわけ?
「お母さん、心配するぞ?」
臣んちに行ってると思ってるから心配なんてしてないけど。
「紀和、返事は?」
それでも黙っていたら、つねっていたほっぺを離して、そっと撫でた。
臣の手の温度がふわっと広がった。
「……臣と……一緒に帰る」
それを聞いた後、臣はしばらく俺を見てた。それから、二人で居る時と同じ顔で笑った。
「じゃあ、帰るか」
席を立った時、臣はカバンも上着も全部忘れてた。
なのに、俺の手だけはしっかり握っていて。
会社の人が笑いながら臣の荷物を持ってきてくれた。
「島野、ちゃんと帰れるか?」
「大丈夫です」
って言っても足元がフラッとしてるし。
「紀和くん、島野君のことよろしくね〜」
代田さんに手を振られて、俺はちょっとだけ頷いた。
タクシーの運転手さんに行き先を告げて気が緩んだのか、臣がいきなり俺を抱き締めた。
「紀和、俺のこと嫌いになったんじゃなかったのか?」
「えっ……なんで?」
自分から質問してきたくせに、返事がない。
どうやらそのまま寝たらしい。
「臣、大丈夫なのかよ?」
……無反応。
話しかけたことを忘れた頃にやっと目を覚まして、またいきなり話し始めた。
「返事してくれなかっただろ?」
それだけ言って、また眠った。
「返事?」
ずっと前のメールのことなんだろうってことは分かったけど。
消しちゃったもんな。
臣のポケットからこっそり携帯を出して、メールの送信チェックをした。
あの日の日付で宛て先は俺。
けど、さすがに無かった。もうずいぶん前だもんな。
「……返事が欲しかったなら、もう一回メールしてくれればよかったじゃん」
でも、臣のことだから、もしかしたらそのつもりだったかな、って。
期待しながら未送信メールの一覧ボタンを押した。
開けた瞬間に固まった。
だって、無題のメールばかりがずらっと並んでたから。
変な感じだって思いながらも、上から一つずつ開けていった。
『ぐっすり寝ろよ〜。おやすみ』
『いつになったら機嫌なおしてくれるんだ?』
『日曜にジェットコースター乗りにいこうか』
いつもと同じ短いメール。
その全部が俺宛てで。
毎日、毎日欠かさず書いてるくせに。
全部、未送信のまま残ってた。
「臣……もしかして、俺のこと、好き……?」
聞こえてないだろうと思ってそっと聞いた。
臣は目を開けなかったけど、ちゃんと返事をした。
「……嫌いだったら、側になんかいないよ」
また、そんな期待させるようなことを言うんだから。
「俺のことなんか、ほったらかしだったくせに」
臣はすっかり寝ているような顔をしていたけど、ちゃんと言い訳もした。
「紀和は……もう高校生なんだから、俺となんか遊んでないで、学校で可愛い女の子、好きにならなきゃ……」
そこまで言って。
俺をギュッて抱き締めた後、また眠ってしまった。
勝手なヤツだ、って思った。
そんなの大きなお世話だって。
それに。
今更そんなこと言われても遅いんだよって。
でも。
俺のこと好きなんだって。
思ったら、涙が出た。
俺の下手な説明でようやくアパートの前まで辿り着くと、臣はちゃんと目を覚ました。
でも、まだ酔いは醒めてなさそうで、アパートの壁にべったり寄りかかっていた。
「紀和、」
「なに?」
ポケットをごそごそ探してキーケースを取り出しながら、臣が俺を抱き寄せた。
「明日、ドライブ行こうな?」
酔ってるのに。
そんなこと言わなくていいよ。
「臣が二日酔いにならなかったらね」
「……可愛くないなぁ、紀和は」
アルコールの甘い香りがして、臣の唇が頬に触れた。
軽いキスなのに、すごく長い時間離れなかった。
その間、臣の顔を見ることができなくて、ずっと自分のつま先を見つめてた。
「あのさ……明日、8時に臣の部屋に来るから」
「送ってかなくて大丈夫か?」
徒歩5分。
分かっていても、臣は必ず俺に聞く。
「大丈夫に決まってるだろ。酔っ払ってるくせに」
俺って、こういうところが可愛くないんだなって思ったけれど。
臣が眩しそうな目でニッコリ笑って「おやすみ」って言うから。
「……おやすみなさい」
なんだか照れくさくて。
それだけ言い捨てて、走って家に帰った。
翌日、やっぱり臣は二日酔いだった。
天気は良くて、絶好のドライブ日和だったけど、ずっと臣の部屋でゴロゴロしてた。
「こんな風に膝の上に抱いてさ〜」
二日酔いのクセに。
今日も臣は理想の子猫を語ってた。
しかも、夕べのことはあんまり覚えてなさそうだった。
「紀和、こっち来て」
それでも今日の臣はいつもよりちょっとだけ優しかったから、大人しく膝の上に座ってやった。
「そうそう、こんな感じ」
そう言うだけで、抱き締めてもくれない。
もちろん、キスだって。
酔ってたら遠慮なくする癖に。
なんでだよ……って思ったけど。
「臣、こっち向いて」
いつまでもこんなことばっかり言ってる臣のために。
俺は自分からキスをした。
臣はものすごく驚いて、赤くなったまましばらく固まってた。
「でも、俺、玄関まで出迎えて『さみしかった』なんて言わないよ」
どうせ可愛くないからね……って自分で思ってたのに。
臣は本当に溶けてしまいそうな顔で笑って、
「紀和なら、今のままで十分だよ」
そっとキスを返した。
「来週はちゃんとドライブに連れてってくれるよね?」
膝に乗ったままで最終確認。
なんか変な感じだけど。
俺の成長はもう止まっているから、この先、臣の膝に乗れなくなるほどデカくなることはなさそうだった。
「ん〜……土曜日は紀和が掃除と洗濯と買い物を手伝ってくれるだろうから、その後二人でゆっくり昼寝して、日曜の朝から出かけようかな」
「やっぱり家事は手伝わされるわけ?」
ぷうっと膨れた俺の頬を臣の両手が包んだ。
「無理に手伝わなくてもいいよ。けど、おやつは一緒に買いに行こうな」
って。
あまりにも嬉しそうに笑うから。
臣に弱い俺は、結局負けてしまう。
「……掃除も、手伝ってあげるけどさ」
臣が喜んでくれるなら。
少しくらいは、可愛い子猫でいてやろうかなって思って。
end
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