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 どこからわいてくるのか、この辺りにはガキが多い。
 『迷子区』と呼ばれるのもそんな理由からだ。
 もとはどこかの企業が資材や大型車を置いていた場所と聞く。
 長いこと放置されていたが、広い上に柵付きで物置がいくつかあるため、いつからか子供たちが住みついた。
 怪しげな業者、特にそういった子供を売買する者が立ち入りを禁止されている区域だから、なおさら居心地が良かったのだろう。
 今は政府の管理下に置かれ、公園のような敷地内は何ヶ所かに監視カメラが設置されており、ここを通るだけでも身分証の提示が必要となっていた。
 出入り口には監視員が常駐している。
 そうは言っても、このご時世だ。
 子供たちのために充分な施設を用意するだけの余力はない。
 この場所の管理と、一日一回わずかな食事を与えること以外は見てみぬふりをしているのが現状だった。
 柵の外には悪どい商人たちが目を光らせていて、高く売れそうな子供を捜している。
 それとは別に、子供を家族として迎えるために探しにくる大人たちがいて、本人が承知すれば、所定の手続きのあとで引き取られていく。
 だが、その場合でも子供の待遇は良くて『恋人』。それ以下の扱いがほとんどだ。
 それでも新しい主人を求めて子供らはここへ流れ込んでくる。
 身の安全を確保できる場所を得るため。そして、できるだけ優しい主人を見つけるために。
 少なからず屈辱的な扱いを受けると分かっていても、売り飛ばされて身体で金を稼がされるよりはずっとマシだ。
 誰だって、暖かい家が欲しい。子供なら、なおさらだろう。
 荒んだ時代の中ではこんなところで生きていくしかない。
 だが、『迷子』と呼ばれる子供たちの屋根のない家は外から見ても寒々しかった。
 
 
 
 近道だから。
 それだけの理由で最近はあまり通らなくなったこの区域を横切った。
 相変わらずチビたちが優しそうな大人を探している。
 そんな子供たちに交じって、不機嫌な少年の声。
 「あのね、俺、別に保護者を探してるわけじゃねーの」
 好色で金持ちそうな男に言い寄られているのは小生意気そうなガキだった。
 明らかに『迷子』。だが、迷子っぽくない。
 「じゃあ、こんなところで何してるの?」
 男はそれでも子供に話しかける時の甘ったるい口調で少年に付きまとっていた。
 「俺、ホームレスだもん。この辺でテキトーに暮らしてるだけ」
 「だったら、私の家に来ないか? 好きなことして生活できるよ?」
 「やなこった。俺、オヤジって嫌いなの」
 ポケットに手を入れて煙草をふかしながら、少年はするりと男の脇をすり抜けた。
 走り出す直前、俺と目が合った。
 何に驚いたのか、大きな目が更に大きくなる。けれど、すぐ悪戯っぽく笑いかけてきた。
 少し吊り目の印象的な瞳。
 見惚れていたら、いきなりウィンクされた。
 固まっている俺の存在など目に入っていない男がソイツに向けて手を伸ばす。
 「ちょっと、君。キミっ!!」
 男が必死で呼び止めたが、少年はあっという間にどこかへ消えた。
 それを珍しそうに見ていた俺に、迷子たちは興味津々で近寄ってくる。
 「お兄さん、誰かさがしてるの?」
 「え? いや、近道なんで通っただけだ」
 「なあんだ、ボク、お兄さんみたいなご主人さまがほしいなっておもったのに……」
 ご主人様なんて言い方が、以前の暮らしを覗わせる。
 「ごめんな。俺、貧乏だから誰かを養ったりできねえんだよ」
 『じゃあね、ばいばい』と手を振り、少年たちは屈託なく笑った。
 そんな笑顔が痛々しかった。
 金がないのは本当だ。誰かを養うなんてとんでもない。
 でも、あんなチビすけがいたら、殺風景な部屋もちょっとはマシに見えるかもな……
 そんなことを考えながら、アパートに帰った。
 
 
 
 翌日、出勤は午後からだった。急いではいなかったが近道をしてまたあの区域を横切った。
 迷子たちを訪ねてくる客のほとんどは夜、人目を気にしながら彼らを連れていく。それを知っているのでここの迷子たちは必然的に夜行性になっている。
 冬になる前に主人を見つけなければ、凍えて死ぬかもしれない。
 そろそろ木枯らしが吹く季節だ。この子達には切実な問題だろう。
 「寒くねーのかなぁ……」
 他人に同情できるような生活はしていなかったが、それでも空き地の隅っこに固まって眠っているチビ達を見るのは気分のいいものではない。
 気の毒に、と思いながらぼんやりと足を止めた時、いきなり物置の角を曲がって俺に衝突した子供がいた。
 「……ってー……」
 自分でぶつかってきたくせに、すっ転んでいるのは昨日の自称「ホームレス」。
 「条件反射で財布をスルってーのは感心しねえな」
 俺は後ろに隠した少年の手から財布を奪い返した。
 「なんだ、バレバレ? おにーさん、ナニモノ?」
 「貧乏だから金には敏感なんだよ」
 「あ、そう」
 少年はまじまじと俺を見上げていた。
 「仕事、何してんの?」
 「警備員」
 「どうりで、ガタイいいね」
 急いではいないが、ゆっくりもしていられない。これから仕事だと告げて少年の前を立ち去ろうとした。
 「おにーさん、今度はいつココ通る?」
 「明日の朝じゃねーか?」
 適当に答えた。なんでそんなことを聞くんだろうと思わなかったわけじゃないけれど、聞き返しはしなかった。
 関わらない方がいい。
 そう思ったからだ。
 ナマイキそうな目はさっきからずっと俺を見ている。
 何か言いたそうに見えた。
 「なんだよ?」
 口を結んだまま、首を振った。
 それから、悪戯っぽい瞳で「いってらっしゃい」と笑った。
 その言葉に妙なノスタルジーを感じて一瞬足が止まった。そんなことを言われるのは何年ぶりだろう。
 最後に聞いたのがいつだったのか、誰に言われたのか。そんなことは思い出せなかったけれど。
 ゲートの前でちらりと振り返ると、少年はもううずくまって眠っていた。
 長いまつげが揺れ、愛らしい口元が微かに開いている。
 昨日のようなエロオヤジでなくても可愛いと思うだろうその少年の容姿を遠くからしばらく見つめていた。
 
 
 
 今年の冬は寒さが厳しいのだろうか。
 まだ晩秋だと言うのに、冷たい風が肌を刺す。
 「だから、俺、オヤジは嫌いなの」
 ホームレスがまた同じような会話を繰り返している。
 先日と同じ男が言い寄っている。よほどコイツを気に入っているのだろう。
 「酷いことはしないよ。一緒にいてくれるだけでいいから。ね?」
 「オジサン、奥さんいないの?」
 「いないよ。女の人には興味がないんだ」
 家族のことを尋ねるくらいだから、貰われていくことも考えているのかもしれない。
 あんなヤツのところに……
 何をされるかわからないっていうのに……
 けれど、そんなことはアイツには分かっていたらしい。
 「俺、オジサンに興味ないよ」
 遠慮なく冷たい言葉を吐いた。
 「なんでも買ってあげるし、なんでも好きなものを食べさせてあげるよ。それでも嫌?」
 「イヤ。ほか当たって」
 男にして見れば理想の恋人を金で買うくらいの気持ちなのかもしれない。
 だいたい少年を見る目がマジだ。偏愛的で客観的には少しヤバイ感じにさえ見える。
 「どうしたら来てくれる?」
 「どうしたって行ってやんない。俺、飼われようなんて思ってねーもん」
 「ちゃんと家族として扱うよ。それでも?」
 男の手がアイツの頬に伸ばされる。
 「イヤ」
 スルリと脇をすり抜けて走り出した。
 「……また来るよ」
 後姿に溜息をつきながらも、諦めてはいない顔で引き上げていった。
 放置された資材の陰で座り込んでいる少年の疲れた横顔を少し離れたところから他の子供たちが心配そうに見つめている。
 だが、すぐに次の男が現れた。
 「探したよ、最近はこっちにいるの?」
 少年はもううんざりと言う顔でほかの迷子たちの間に消えていった。
 あれはあれで大変だな、と思いながらゲートの手前までくると、どうやって先回りしたのか、さっきの少年が立っていた。
 その姿が目に入った瞬間、遠い記憶の中で何かを探し当てそうな気がした。
 デジャヴってヤツだろうか……?
 「こんなとこまで来ると悪いヤツに売りとばされるぞ」
 なんとなく声をかけた。昨日、俺の財布をすろうとしたことなど覚えてはいないと思ったのに、人懐こい笑顔が俺を認識していることを告げていた。
 「うん。わかってる。でも、うざくてさ」
 「まあ、可愛がられてるんだからいいんじゃねーか? 他のガキなら羨ましがるだろ」
 「かもねー……」
 少年はどこか淋しそうな顔をする。
 「おにーさん、煙草持ってない?」
 「俺は煙草は吸わねーんだ」
 「ふうん。おいしいのに」
 「ガキが言うセリフじゃねーな」
 咎めたつもりだったのに、返ってきたのははにかんだような笑顔。
 「おにーさん、ネコ飼う気ない?」
 ネコ……?
 大きな瞳がじっと俺を見つめている。一度も見せたことのない縋るような目だった。
 自分のことを言ってるのだとやっと気づく。
 「俺はネコだって飼えねーほどビンボーなんだよ」
 関わらない方がいいんだ。俺にはどうすることもできないんだから。
 少年の表情は変わらなかった。けれど、大きな目が一度、伏せられた。
 きゅっと目を瞑ってから、また俺を見上げる。
 今度はナマイキな瞳で。
 「あのさ、おにーさん」
 「おにーさんと呼ぶな」
 「じゃ、名前教えてよ」
 ナマイキな口調もいつも通り。
 付き纏う大人には冷たいのに。なんでこんなに人懐こく話かけてくるんだろう。
 迷ったけれど、名前を教えた。
 「……風斗(ふうと)」
 「じゃあ、風斗」
 いきなり呼び捨てだ。
 「今日だけ俺、連れて帰って」
 人にモノを頼むときはもっと低姿勢になれよ。まったく、生意気なガキ。
 このまま連れて帰ってやれたらとさっきまで真剣に思っていたのが嘘のようだ。
 「何言ってんだぁ、おまえはぁ?」
 ちゃっかりしたガキだ。そのまま居座られたりしたら、たまらない。
 こんな暮らしをしているせいか、ガキは俺の顔色に敏感だった。
 「ホントに今日だけだよ。シャワー貸して欲しいんだ。公園の水道、お湯出ないんだもん」
 俺の目の前に差し出された細い腕。
 公園の裏にある鉄条網にでも引っ掛けてきたのだろう。まくられた袖からささくれた長い傷が見えた。
 良く見るとズボンも同じように破けて血が滲んでいる。
 ちゃんと洗わないと……と思ってもこの寒空に冷たい水道水では、そりゃあ、寒いよな。
 金網の外をうろうろしている男が少年を見ている。たぶん、迷子ブローカー。
 コイツなら高く売れる。俺でもそのくらいは分かる。
 「おまえ、名前は?」
 「なんて呼んでもいいよ」
 「俺はそーゆーのは苦手だ。名前教えろよ」
 「むかしのオンナの名前で呼んでもいいよ」
 このマセガキ。
 「教えないっていうならシャワー貸さねーぞ」
 「しかたねーなあ……『まふゆ』だよ」
 「年は?」
 「年なんて知らなくても困らないだろー?」
 「まあな」
 仕方なく俺はそのチビを連れて帰ることにした。
 たぶん12、3歳。
 管理室に行って事情を話すと管理員は面倒くさそうに俺の身分証をコピーした。
 「じゃあ、ここに名前を書いて」
 誓約書にサインをしてまふゆを外に連れ出す。
 何人かの子供が遠くから俺たちを見つめていた。
 
 
 
 
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