迷子区の子猫たち
-番外-




「お帰り、風斗〜」
ドアを開けるとまふゆが待っていた。
「なんで俺が帰ってきたって分かったんだ?」
「窓から見てた」
確かに部屋の窓からは道路が見える。
けれど灯りもロクにないような通りだ。
「暗くてわからないだろ?」
「わかるよ。風斗だもん」
くりくりした瞳が俺を見上げて笑った。
「な、風斗、風呂わいてるよ?」
俺の手を引っ張ってバスルームに連れていく。
その続きはいつも同じ。
一緒に入ろうという誘いだ。
この間、うっかり一緒にフロに入ってからと言うもの、ずっとこの調子だった。
「前は一人で入ってただろう?」
「やだよ。ひとりじゃつまらないもん。それとも風斗、俺が嫌いになった?」
この質問はやや卑怯だと思う。
そんな問いに俺が頷くはずないと分かっていながら聞くんだからな。
俺は溜め息をつきながら、まふゆの頭をかき混ぜた。
「今日までだからな。明日からは一人で入れよ?」
「えーっ、やだなぁ」
こんな子供っぽい返事をしても、育ち盛りのまふゆは日に日に成長していた。
ナマイキ度も確実にアップしていたが、見た目もそれなりに大人びてきた。
こうして一緒に風呂に入ろうと言うのも「ひとりじゃつまらない」と言うのも、子供っぽさからではない。
「風斗、早く」
まふゆは何の遠慮も無くパッパッと服を脱いで、勢い良くシャワーの湯を出した。
わずか数十秒で、スラリとした身体がほのかに色づく。
もっとガキ臭い時ならまだ容易くガマンもできたが、こうなるとそうもいかない。
その上……
「ね、そろそろ、ダメ?」
思いきり泡立てたスポンジで背中を流しながら、まふゆは堂々と俺を誘惑する。
「ダメだ」
「なんで? いいじゃん。俺、もう13歳だよ?」
可愛らしく言ってくれるが、誘われている内容がセックスだから始末が悪い。
「13歳は子供なんだ。わかってねーな」
けれど俺の体は正直だった。スポンジを放して、自分の体を俺に擦り付けるまふゆの犯罪的行為にしっかり反応してしまった。
「ほらぁ、風斗だってさ〜。それに、言わなきゃ誰にもわかんないよ、な?」
まふゆは最近、妙にコレにこだわるようになった。
そういう年頃だからなのか、単なる退屈凌ぎなのか。
「それでもダメだ」
自分の身体からまふゆを引き剥がして、いつものようにキスだけした。
まふゆがどんなにしっかりして見えても、所詮は中学生だ。
この先をするってことは一緒にフロに入ったり、同じ布団で寝るのとは訳が違う。
「つまんないのー……」
文句を言いながらも俺の体を文字通り隅々まで洗ってくれる。
しかも、いつの間にかスポンジは消え失せていて、自分の手を滑らせていた。
どうやら、まだ諦めていないらしい。
「スポンジで洗えよ」
俺の言葉はしっかり無視して、さらにボディーソープを追加する。
「風斗も、そんなつまんないガマンしない方がいいよ。だってカラダに悪いと思わない?」
まったく、子供のセリフじゃねーな。
俺から返事がなかったからか、まふゆはその後しばらく考えていた。
だが、不意に『いいことを思い付いた』という顔で俺の前に回り込んだ。
「じゃあさ、口でしてあげるよ?」
そんな俺を絶句させる言葉を吐きながら、妙に楽しそうに笑った。
本当に、まふゆの言動はいつでも簡単に俺の想像を超えてくれる。
「それも、ダメだ」
少しくらいの厳しい口調はまふゆには効かない。
堂々と言い返してくる。
「なんで? 入れてないんだからいいじゃん」
学校でもこんな問題発言をしていたらと思うと気が気じゃない。
「まったく……」
一緒にフロに入るのはもうやめよう。
本当に体に悪い。
精神衛生上も最悪だ。
「なあ、風斗〜。いいじゃん、しようって〜」
「そういうことを言うなら、二度と一緒に風呂に入らないぞ?」
まふゆの身体にシャワーを当てて、モコモコの泡を洗い流した。
「ちぇ〜、けち」
今に始まったことじゃないが。
こんな調子で成長されたら、前途多難だな。


それでも一緒に湯船に浸かり、はしゃぐまふゆが茹で上がる前に風呂から出た。
子供にするみたいに体を拭いてやり、髪を乾かしてセーターを着せてやる。
まふゆは構われるのが好きらしく、笑い転げながらジャレついてくる。
「風斗にも着せてやるよ」
まだ子供子供した指が不器用にトレーナーを被せようとする。
自分で着た方が早いんだが、楽しそうなまふゆを見るのは好きだから、いつも黙ってされるままになっている。
支度が終わっても、まふゆはまだはしゃいだまま。
「じゃあ、風斗は先に向こう行ってて」
そう言いながらキッチンへ走る。
狭い家の中を走るなんて、つくづく子供って感じだが、それだけで部屋が明るくなる。
「はい、風斗」
風呂上りにビール。
こういうところだけ気が利くっていうのもどうなんだろうとは思うが。
一口飲んだ後で、俺の隣りに行儀良くちょこんと座って待っているまふゆに缶を渡す。
「一口だけだからな?」
まふゆはそんな言葉などまるで聞いてはいない。
「ぷはーっ! おいしいっ!!」
俺よりもずっと美味そうに飲んで嬉しそうに笑う。
ガキのくせにオヤジくさいよな。
しかも、ビールは一気に半分くらいなくなっている。
「未成年のくせに飲みすぎだぞ」
「風斗、最近ケチばっか。ぜんぜん遊んでくれないしさ」
言いながらブラシを取り、立ち上がる。
子供って言うのは、行動が唐突で流れがない。
髪をとかしながら、俺の勤務表を見て書き写し始めた。
「ちぇ、今週は朝帰りなのかぁ。俺と擦れ違いじゃん……」
まふゆは、いつもこうやって俺のスケジュールをチェックしている。
早い時間に仕事が上がる日は「一緒に帰ろう」と言って、会社まで迎えにくることもある。
一緒に帰ろうなんて言うが、中学校はまったく反対方向だ。
わざわざアパートを通り越してくるから、同僚にまで知られてしまった。
「結婚もせずにいきなり子持ちか」とみんなに冷やかされたが、そのおかげで勤務地を近場にしてもらえた。
「まふゆ、迎えにきてくれるのは嬉しいけどな……」
そこまで言ってまふゆの顔を見ると、急に不安そうな瞳で俺を見上げた。
「ふらふら外を歩いて迷子ブローカーにでも捕まったらどうする気だ?」
ブローカーの中にはまふゆの顔を覚えているヤツだっているだろう。
何にしても子供の一人歩きが安全な街じゃない。
「だってさぁ……風斗、最近家にいないし……」
淋しいんだろうってことは分かるんだが。
それも、まふゆのためだ。仕方ない。
「あ、」
それまで落ち込んでいたまふゆの顔が明るくなった。
「なあ、風斗、一日会社休んでよ。俺も学校休む。それでさ、」
まふゆをどこへも連れていってやれないことは可哀想だと思っているんだが。
「なに言ってるんだ。まったく。仕事なんだぞ。簡単に休めるわけないだろう? 学校だって……とにかく、あんまり俺の心配事を増やさないでくれよ」
つい厳しい口調になってしまった。
「……うん」
大きな瞳が、ガッカリしたように俯いた。
いつもはとびきりナマイキそうなのに、こんな時には妙に淋しそうな顔を見せる。

以前、「学校が終わったら友達と遊べばいいだろう」と言った時も、「友達はみんな塾に行ってるから」とまふゆに言われた。
その日暮らしに何の疑問も持っていなかった俺も、その時はさすがにマズイと思った。
こんな生活では、塾どころかまふゆを高校に行かせてやることもできない。
仕事をかけ持とうかとも思ったが、それよりは会社の試験を受けて資格でも取った方がいい。昇格も早くなる。
幸い勤務年数や過去の勤務態度には問題がなかった。
ただ、試験のための研修やら講義やらで家にいられる時間が激減してしまった。
その上、家でも勉強をするものだからまふゆの相手はしてやれない。
まふゆを引き取った頃に比べたら、一緒にいられる時間は半分以下になってしまった。
それでもまふゆは黙っている。いつでも俺が布団に入るまで起きて待っている。
先に眠るように言っても、「眠くないもん」と口を尖らせるだけだ。
今にも眠ってしまいそうな目で何度もあくびをしているくせに。
「春になれば今より時間もできるから。まふゆも、もうちょっとだけ我慢しろよ」
そんなことを言いながら、試験に落ちたら洒落にならないんだが……。
「うん……風斗なら、大丈夫だと思うけどさ」
まふゆの独り言は時々妙に少し淋しそうに聞こえる。
「俺のことはいいから、まふゆもちゃんと学校の勉強しろよ」
だが、それに対する返事はなかった。
その代わり。
「……あと、2年だよ」
まふゆが少し思いつめたように唇を噛み締めた。
「何がだ?」
「俺が働けるまで」
大きな瞳がじっと俺を見つめていた。
「まだ高校があるだろう?」
「俺、働けるもん。中学出たら」
こんな時ばかりは自分の不甲斐なさに腹が立つ。
なんで13の子供に金の心配なんてさせているんだろう。
「卒業まで、まだ2年もあるだろ。とにかく今はしっかり勉強しておけよ」
二年の間にもっとまともな生活ができるようになれば、まふゆだってそんなことは言わなくなるだろう。
「でもさ、」
泣きそうな声で、まふゆがギュッとしがみついた。
「……俺、風斗と一緒にいたいよ」
いつもはナマイキそうな瞳が淋しそうに俯いていた。
「まふゆ、」
慰めの言葉を考えている俺に、まふゆはもう一度同じセリフを言った。
「俺、風斗と、ずっと一緒にいたいよ」
会社に来るのも抱いて欲しいと言うのも、全部そのせいだったのかと思ったら可哀想になった。
「……そんなこと……まふゆは心配しなくて―――」
「だって、」
俺の言葉を遮って、見上げた瞳から涙がこぼれた。
「だって……こんなことしてたら、俺、風斗に忘れられちゃうよ」
忘れるはずなどないのに。
そんな不安まで抱かせてしまっていたなんて。
「バカだな、そんなわけないだろう?」
慰めてはみたものの、勤務表を見ながら溜息をつく。
連日の夜勤。
この先の10日間、まふゆとは擦れ違いだ。ゆっくり顔を見られる日は一日もない。
頑張っても今すぐどうにかなるわけじゃない。
試験は三月。昇格辞令は早くても四月。
それまではまふゆに淋しい思いをさせるんだな……。
「まふゆ」
涙で濡れた頬を拭いてやりながら、溜め息を飲み込んだ。
「来週、土曜か日曜に半日だけ休みをもらうから、一緒にどこか行こうな」
睡眠時間は減るけれど、これ以上まふゆに淋しい思いはさせたくなかった。
「風斗、ムリしなくてもい……」
泣いてるくせに、こんな時だけ子供らしくない返事なんてするから。
そっとキスをしてギュッと抱き締めた。
「この先もずっと、おまえと一緒にいるから。つまらない心配なんてするなよ」
真ん丸い目からまた涙がポロポロこぼれたけど。
「……うん」
まふゆはやっと安心したように笑って頷いた。


その後、試験勉強をする間もまふゆはずっと俺の背中に張り付いていた。
「風斗、俺、いつになったらコイビトにしてもらえるの?」
小難しい単語が並ぶテキストと俺の顔を見比べながら、まふゆが小さな声で尋ねた。
「高校生になったらな」
高校生になれば、まふゆだってもう少しは世間一般のことも分かるようになるだろう。
その時、まだ俺のコイビトになりたいと言うなら、その時は……と思うけれど。
それにしても、せめてもうちょっと身体が大きくなってからじゃないとな。
あとは……
細かい事を言い出したらキリがなさそうだった。
気持ちだけでいいなら、今すぐ「うん」と言ってやりたいけれど。
「ちぇ、まだ2年もあるのかぁ……」
不満そうなまふゆにサラリと告げる。
「ちゃんと高校に合格したらだぞ?」
それには何の返事もしなかったけれど、小さな溜め息がこっそり聞こえてきた。
「まふゆ、学校、嫌いか?」
「……そんなことないけど」
それが本当だとすれば、まだ余計な心配をしているんだろう。
「なら、いいけど」
会話はそこで途切れた。
しばらく問題集に没頭していたら、まふゆの体が急に重くなった。
チラッと振り返ると、大きな目が伏せられていた。
「まふゆ、風邪引くから布団で寝ろよ」
声を掛けたらもぞもぞと動いた。
あくびをしながら顔を上げた途端、ただでさえ大きな目がさらに丸くなった。
「どうしたんだ?」
あまりに突然だったから何事かと思って聞き返したが。
「外、見てよ。雪だよ、雪」
まふゆがはしゃぎながら窓の外にフワリと降りる雪を指差した。
「なんかこうやって見るとふわふわしててあったかそうだよなぁ。な、今から外行ってもいい?」
もうすっかり目は冴えてしまったらしい。視線が窓の外に釘付けになっている。
「駄目だ。明日の朝にしろよ」
「明日になったらとけちゃうよ」
背中にしがみついたままバタバタ暴れるまふゆを背負ったまま運んで布団に下ろした。
「風斗、勉強、頑張ってね」
まふゆはとりあえず大人しく布団に入ったが、寝る気はなさそうだった。
「やせ我慢してないでちゃんと寝るんだぞ?」
「……眠くないもん」
言いながら、あくびを噛み殺して眠そうな瞬きをする。
その大きな瞳を見ながら、早く春になればいいと思った。

                                        end

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