今年最初の雪が降った日、予定外の仕事が舞い込み、非番のはずが真夜中になってしまった。傘も持っていなかった俺はやむなく迷子区を突っ切ることにした。
幸い広場には人影も見えなかった。
出口まで一気に走っていくと、後ろから幼い子供の声が俺を呼び止めた。
「ふーとっ……?」
なんで俺の名前を?
驚いて振り返ると、男か女かも分からないような小さい子供が3人、倉庫の陰からこちらを見ていた。
「ふーとぉ……」
よく見ると3人ともぐちゅぐちゅに泣いていた。
「……どうしたんだ?」
一番小さい子供が俺の足元に抱きついた。
「まふ、しんじゃう……」
しゃくりあげながら必死でそれだけを俺に訴えた。
「まふゆ……?」
3人が泣きながら一斉に頷いた。
そう言われて気にならないわけではなかった。だが、濃厚なキスシーンが頭に蘇ると、ついキツイ口調になってしまう。
「俺には関係ないだろ?」
それだけ言い捨てるとすがりつく視線を振り切るようにゲートを出た。
泣き叫ぶ子供たちの声が耳に残り、胸が締め付けられた。
おかげで、部屋に戻ったものの気になって眠れなかった。
厄介なものに関わっちまったと溜め息を吐きながら、結局、着替えて迷子区への道を辿る。
コートを着ていても身を切るような寒さ。
嫌でも薄いシャツ一枚で震えていたまふゆを思い出した。
まふゆが死んでしまうと言っていた子供たちの泣き顔を冷たく突き放した自分が信じられなかった。
最後にまふゆを見かけた日のことを思い出すと今でも言いようのない不快感に襲われる。
何故こんなに腹が立つのか自分でもわからないというのに。
夕闇に毎日違う相手と舌を絡ませるまふゆがどうしても許せなかった。
迷子区に人影はなかった。
まふゆの居場所を聞く相手さえも見つからない。
物置小屋も倉庫も中から鍵がかけられていて、叩いても叫んでも何の返事もなかった。
散々歩き回ってようやくかすかに子供たちの泣き声を捉え、声を頼りにそっと近づいていった。
奥まった倉庫の裏のそのまた後ろに見えたのは小さな物置。ひび割れた小窓から覗き込むと一塊になっている子供たちが見えた。
ひと頃に比べたらずいぶんと数が減った。他の場所で同じように丸まっているのか、貰われていったのか。
もしかしたらブローカーに連れ去られたのかもしれない。
隙間を塞がれた戸口に立つと、中からまふゆの声が聞こえた。
「風斗に……会ったら、俺、どっか、にもらわ……れてったっ……て言っといて、よ……」
「そんなこと言ってないで、我慢してあの金持ちのとこ行けよ。おまえ、ほんとに死んじゃうぞ」
泣きながら話す少年はまふゆよりも少し年上だろうか。
「あ……んなヤ、ツのとこ、行くくらいなら、死んだ方がマシ……」
妙な咳をして苦しげにつぶやいた。
「俺、クスリ買ってくる」
「……外……出るな……ヤツら、まだゲートに……んでるぜ、きっと……」
そう言えば、いつもよりたくさんのブローカーが車で張り込んでいた。
寒くなると耐えかねて迷子区から出てくる子供がいる。収穫があがるのだと笑っていた薄汚い男達の声が耳に残っていた。
「だって、おまえにあんなことまでさせて、クスリ買ってもらったのに、俺たち、おまえに、なんにも……」
「……も……う、い……いよ……」
見知らぬ男とキスをしているときの、まふゆの辛そうな顔が過った。
「だって、おまえ、ふーとに」
「い……んだよ……そんなこ……となくても、おんなじ、だから……」
切れ切れに話しながら、無理をして笑う。
「……男とガキは、キライ、だってさ……」
まふゆがそんなことを真に受けているとは思わなかった。
「ごめん、……そ……れより、寝させて……」
「まふぅ……ひっく」
「まふゆ、おまえ、ふーとさんちわかるだろ?
場所教えてくれれば、俺、呼んでくるから」
「いいよ、……もう、これ以上、嫌われたく……」
足が震えて動けなかった。
なぜ、俺なんだろう。
見るからに金もなさそうで、ガキにも興味なんてなさそうな俺がまふゆに好かれる理由なんて何一つないはずなのに。
まふゆのことだって、話し掛けられるまではたまに見かけるナマイキそうなガキとしか思っていなかった。
―――おにーさん、ネコ飼う気ない?
その目は俺が思っていた通り、とても生意気そうで、迷子だという気がしなかった。
「……ま、……まふゆっ……」
俺は叫びながらドアを開けた。
「……ふーと……?」
子供たちは泣き顔のまま俺の名前を呼んだが、まふゆは目を開けなかった。
「まふゆ、しっかりしろっ! まふゆっ!!」
ゼエゼエと嫌な音がする荒い呼吸を繰り返すばかりで、どんなに呼んでも意識は戻らなかった。
俺はまふゆを自分の着ていたコートでくるんで抱き上げた。
「病院へ連れていくから」
パッと顔を輝かせる子供たちと一緒にゲートまで走っていった。
まふゆの身体はシャワーを借りにきたときとは比べものにならないくらい軽く骨張っていた。
迷子区の出口で監視員に呼びとめられたが、追いかけてきた子供たちが事情を話してくれた。ぐったりとしているまふゆを見せて、ようやく連れ出す許可をもらった。
はやりのウィルス性の風邪。だが、かなりこじらせており、あと少し遅ければ冗談ではなく命に関わったと言われた。
「で、見たところ迷子のようですが、お支払いは貴方が?」
健そう言われると言葉に詰まる。正直、保険もきかない入院費用を払えるかどうかは疑わしかった。
「今から籍を入れれば家族として扱えますか?」
「本当は駄目なんでしょうけれど仕方ないですね。支払い時に貴方の被扶養者であれば構いませんよ」
問題はまふゆが何と言うかだった。
「おっ、目ェ覚めたか?」
「……風……斗?」
一瞬、妙に素直そうな目で俺を見上げたが、すぐにもとの生意気な顔になった。
「なにしてんの?」
「おまえを病院に連れてきたに決まってんだろ? まったく、一週間も寝てたクセに涼しい顔しやがって」
そんな言葉にまふゆの顔が曇った。
「なんだよ、眉寄せて。そんなに具合悪いのか?」
熱はもう下がっている。体力が落ちているから起き上がるのは辛いはずだが、寝ている分にはそれほどでもないと医者は言っていたのに、まふゆはどんどん浮かない顔になる。
でも、その理由はすぐにわかった。
「……金、どうしたんだよ」
「金?」
「入院費用」
「ああ、そのことなら、おまえの体調がもうちょっと良くなったら話すよ」
「俺、ちゃんと金作るから、風斗は心配しなくていいよ」
ガキに金の心配をされるほど俺は頼りなく見えるんだろうか。
それよりも。
「身体を売るとか、そういう汚いマネはするなよ」
それを聞くと、まふゆは淋しそうな目を俺から背けた。
「まふゆ?」
「……やっぱ、そう思ってんだ……キスしてる俺を見て、そーゆー顔してた」
「嫌だったんだよ。なんかさ」
「うん。そうだと思ってたけど」
まふゆは弁解なんてしなかった。
「でも、俺だって、やだったよ」
そう言いながら涙をこぼした。
「だったら、もうするなよ」
まふゆは頷かなかった。
まだ、金の心配をしているのだ。
「なあ、まふゆ。……俺んちに来ないか?」
髪を撫でるとビクッと怯えたように身体を震わせた。
「……風斗も、ペット探してた?」
「なんだよ、ペットって」
「……迷子拾いにくる奴が、俺らのこと、そう呼ぶんだ」
――――おにーさん、ネコ飼う気、ない?
まふゆが最初にそう言った。
「それで、おまえはネコなのか?」
「……犬よりは、ネコかなって……」
気まぐれで、わがまま。傍目にはそう見える。
「ま、そうだな。かわいくシッポ振ったりはしなさそうだ」
冗談めかして笑ってもまふゆは何も答えない。
「あのな、俺にはネコを飼う金なんてないって話しただろ?」
「じゃあ、なんで風斗んちに来いなんて言うんだよ」
「飼うわけじゃないからな」
「それって、俺は何になるんだ?」
なんだろうな。
そこまでは考えなかった。
ただ、一緒にいたら楽しいかもしれないと思っただけだ。
「んー……まあ、おまえが嫌がることはさせないから、とりあえず『うん』って言っとけよ」
「……恋人にも、なれるのか?」
そんなことを聞くのは何故なんだろう。
少し不思議な気持ちのまま。
「もう少し大きくなったらな」
そう答えると、大きな目に次々と涙が溜まって溢れていった。
「けど、風斗、男とガキはキライだって……」
「『嫌い』じゃなくて『興味がない』って言ったんだ」
「おんなじことじゃんかよ」
「同じじゃねーよ。ガキは抱けねーんだ。法律で決まってる」
「男もダメなんだろ?」
「それは嘘だ」
涙でぐちゃぐちゃになった頬にキスをすると、ぷいっと顔を背けた。
「汚いって、思ってたくせに」
「好きでもない通りすがりのヤツとキスなんてしてるから腹が立ったんだ」
俺のものみたいな気がしてた。
養えなくても近くで見守る時間はあるはずだと。
「おまえみたいな奴を好きになると大変だな。ぼうっとしてると他のヤツに取られちまう」
笑う俺とは対照的にまふゆはわんわん泣き出した。
「で、返事は?」
答えを急かしてもまふゆは泣いているばかりだった。
「嫌なら遠慮せずにそう言っていいぞ。無理にとは――」
「イヤなんて言ってないだろっ……」
大きな声で俺の言葉を遮った。
「じゃあ、いいんだな?」
まふゆは涙に濡れた瞳でこっくりと頷いた。
けど、それからまた泣き出した。
「風斗、」
ようやく落ち着くと、まふゆは唐突に告白した。
「……俺、ずっと風斗のこと好きだったんだ」
5年も前から俺のことを知っているのだと言った。
「今みたいに管理の人なんかいなくて、風斗は毎日あそこを突っ切ってた」
まふゆが最初に見かけた日、俺はネコを抱いていたらしい。
「あの猫、どうしたの? 捨てちゃった?」
「いや。友達の家の猫なんだ。旅行の間だけ預かった」
白い毛足の長い仔猫はふかふかで見るからに幸せそうで。
まだ小さくて力加減が分からずに、ジャレつきながら引っかく仔猫に「しょうのないヤツだなぁ」と笑っている俺を好きになったのだと言った。
「俺、風斗んちのネコになりたいってずっと思ってた」
それから毎朝、ゲートのところで待っていた。
『いってらっしゃい』
そういえば、何年も前に出口で俺に手を振るガキがいた。真ん丸い瞳であまりにも人懐っこく笑うからすぐに顔を覚えた。
「あれって、おまえ……?」
素直そうで愛らしくて、疑うこととか薄汚れた生活になんて縁のなさそうな普通の子供に見えた。
話しかけてみようかと思ったこともあった。
けれど、何週間かすると突然いなくなってしまったんだ。
「あのあとすぐブローカーにつかまっちゃって」
なんとなくそうじゃないかと思っていた。
だから、そのことは考えないようにしたんだ。
迷子区を通らなくなったのもそれからだった。
「どうやって戻ってきたんだ?」
「逃げてきただけだよ。そんなに遠くなかったし」
説明はそれだけ。あとは言葉を濁した。
おそらくそこでのことは話したくないのだろう。
「俺、風邪が治っても、風斗と一緒にいられるの?」
「ああ」
「ずっと?」
「おまえが嫌にならなければ」
それを聞くとまたぐちゃぐちゃに泣き出した。そんなまふゆは妙に子供らしくて可愛かった。
「早く風邪治せよ」
なだめるだけなら法律違反にはならないだろう。
そんな風に言い訳をしながら、まふゆを抱き締めた。
「……うん」
日向の猫みたいな茶色い髪は柔らかくて甘い匂いがした。
end
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