入り口を押し広げながら三本目の指が侵入してくると呼吸はさらに乱れた。
縋るように永海の背中に手を回して何度も名前を呼ぶ。
よほど苦しそうに見えたのか、永海は少し眉を寄せた。
「……頼むから、もう少しだけ我慢して」
宥めるように何度も唇を合わせながら。
「笹原、ここ―――」
深く入り込んだ指先が探し当てた場所。
覚えのあるその刺激と共に身体が震えて、熱を吐き出してしまいたい欲求に駆られる。
「……ん……ああっ」
身体を捩って収めようとしたけれど、肌をくすぐるシャツの感触にさえ過敏に反応してしまう。
「笹原……いい……？」
永海の少し上擦った声が耳に流れ込んできた瞬間、理性は消え去った。
唇を求め、舌を絡めて、お互いの身体に熱を擦りつける。
仰け反った咽喉にまた赤い痕が散った。
荒くなる呼吸と触れ合う肌の音。
こらえ切れずに時折漏れる喘ぎ声。
指の動きは激しくなり、あと少しで絶頂という時に身体から引いた。
弛緩する間もなく、熱い身体が両足を割って入ってきて、入り口に硬いものが当てられた。
「笹原―――」
その言葉が耳に届かないうちに、ゆっくりと先端が埋め込まれる。
「あ……っ……っ」
内壁が擦れる感覚に身体が震え、知らない間に声が漏れた。
思わず掴んだ目の前の腕に爪の痕が付き、その後しばらく永海は動きを止めていたけれど。
「……笹原、ごめん」
耐えかねたようにそれだけ告げると腰を沈めた。
「う……、ぁ……っ」
熱がその場所に届くたび、弾かれたように体が跳ねる。
執拗に何度も擦り上げられて身体の中にもどかしさばかりが溜まっていく。
「……っ、ん……あ……」
激しくなる呼吸も触れた体の温度も、永海のものなのか自分のものなのか分からないまま。
吐き出させて欲しいとねだるように視線を上げると永海が顔を歪めた。
「―――笹原……その目、やめろって」
苦しげに告げた言葉のあと、足を支えていた手に力が篭った。
激しく突き上げられ、強すぎる快感に意識が混濁する。
「……んっ、……っ」
何も考えられなくて、ただ永海の名前を呼ぶ。
その瞬間に高まったものが一気に弾けた。
「あっ、ああ……っ」
自分の声さえ遠くに聞こえるほど、全てが空白になる。
一瞬遅れて息をつめる短い声が聞こえ、永海も熱を放ったのを感じた。
ぐったりと覆い被さってきた体の重みは、不思議なほど心地よく軽い眩暈を運んできた。
耳元で「ごめん」という少し甘えたような声が聞こえたけれど、それには何の返事もしないまま、静かに意識を手放した。





朝の気配にゆっくりと目を開けると、最初に飛び込んできたのはカーテンから差し込む光。
そして、すぐ隣で微笑む永海の瞳。
「おはよう、笹原」
何時だ……と聞くのも億劫で、枕もとの目覚まし時計を取ろうと腕を伸ばした時、身体に鈍い痛みが走った。
堪えたつもりだったが、わずかに表情に出たのか、永海が代わりに小さな時計を取って差し出した。
「７時４８分です。お姫様」
久しぶりに聞いたその言葉を咎める気さえ起きないほど、全身に疲労感が残っていた。
それほど長い時間ではなかったはずなのに……と、思った時、無意識のうちに溜息をついていた。
「身体、痛むのか？」
永海が曇った表情で心配そうに顔を覗き込んだ。
「それほどでもない」と答えるつもりだったが、口を開くのと同時に咽喉の違和感に気づき、返事の代わりに首を振った。
声を殺していたのが却って負担をかけたのか、呼吸をするだけでザラついた感触が残る。
不自然にならないようにしようと意識した途端に咳き込んでしまい、永海が慌てて水を持ってきた。
「笹原、頼むから『もう嫌だ』とか言うなよ？」
朝から何の心配をしてるのかと思えば……と呆れたけれど。
「とりあえずもうちょっと休んでおけよ。そしたら大丈夫だって。な？」
こちらが返事をする前に慌てて宥めすかそうとしている永海がいつにも増して子供っぽく見えて、悪態を吐く代わりに笑っていた。
冷たい水を流し込んでホッと息をつく。
昨日、頼んだ夕食は箱のままテーブルに置き去りにされていて、隣には小銭が散らばっていた。
デリバリーが来たことさえ気付かずに眠っていたのだと思ったら、急に気恥ずかしくなったけれど、永海はそんなことに気付く気配もなく、ただこちらに伸ばした指先に髪を絡めた。
「な、笹原」
まどろみの中、耳元に届く声はいつもより少し弾んでいるように聞こえる。
「昨日の話さ」
昨夜の会話などもう記憶の彼方まで遠のいてしまっていたから、思い出す努力もせずに聞き返した。
「昨日？」
「写真、そんなに撮ってどうするんだって話」
言われてようやく記憶の欠片が戻る。
「ああ……それか」
その返事は自分の耳には本当に投げやりに響いたけれど、永海は静かに笑って受け止めた。
それから、
「どうもしないよ。俺の自己満足だから」
そんな言葉を返して、パジャマのズボンだけの格好でベッドを抜け出し、書棚からアルバムを持ってきた。
「ずっと笹原に見せようと思ってたんだ。モデルが愛想なしのわりにはいい感じに撮れてるから」
何冊もあるそれを膝の上で広げて、楽しそうに説明を始めた。
「これが最初。応接に飾ってある写真と同じ日に撮ったヤツ。それで、これが笹原と険悪過ぎて最低だった頃の。それから、こっちが……」
永海が説明と共にめくるページの全てが自分の写真。
何度も目の前でシャッターを切られたから、どれくらいの枚数になっているのかはそれなりに見当がついていたものの、まさかその全てを現像してあるとは思わなかった。
少しブレたものから、怒ってレンズの前に手を出したものまで、全てが凝ったレイアウトでアルバムに収まっている。
呆れるやら照れくさいやらで、まともに見ることさえできずにいたら、永海の手がそっと頬にかかった。
「な、笹原」
ひどく真面目な顔でこちらを見つめたまま。
「俺が死んだら、この写真もらってくれよ」
そんな言葉を告げた。
「もちろん全部なんて言わない。一番気に入ったヤツ一枚だけでいいから」
そんな行為にどれほどの意味があるのか。
考えてみても少しも分からなくて、返事に詰まった。

―――何十年も先の話に返事なんてできるわけないだろう……？

そんな言葉が口元まで出かかったけれど、さすがにどうかと思い、適当な返事を捜す。
深く考えずに、ただ「うん」と言えばいいようにも思えたけれど、それもなんだか解せなくて、しばらく考えた挙句、曖昧に濁した。
「……残りはどうするんだよ」
少し投げやりな口調だったなと自分では思ったけれど、永海は真面目な顔でそれに答えた。
「残りは俺が持っていく」
今でさえこんなにある写真が、一年後にどれだけほどの枚数になっているのか想像もできない。
ましてや、この先何年も撮り続けるかもしれないのに。
本気で言っているのだろうかと考える自分の隣で、永海は静かに言葉を続けた。
「その時、笹原と付き合ってなくても全部大切に持っていくから」
だから、自分の訃報を聞いたら事務所に電話して欲しい。
そう言われて、また言葉を失う。
疎遠になっていたら、報せなど受け取ることもないだろう。
「……訃報なんて」
言いかけた時、こちらの気持ちを見透かしたように余裕の笑みが遮った。
「大丈夫。全国ネットのニュースで流れるから、絶対笹原の耳にも入るよ。よけいな心配するなって」
いつもの笑みでしゃあしゃあとそんなことを言ってのけた。
「……ずいぶんな自信だな」
永海からは「当たり前だろ」という言葉の後、
「俺、死ぬまでずっと第一線でカメラマンしていくから」
だから忘れずに連絡してくれよなと言って、また明るく笑ってみせた。

地位も実力もあって、華やかで自信家で。
どう考えても釣り合うはずなどないのに。
なぜ自分なのだろう。
そう思った瞬間、また俯いてしまったけれど。
「笹原」
温かい手がやわらかくそれを止めて。
それから、
「……本当は、ずっと一緒にいたいけどな」
永海にしては控えめな言葉がそっと付け足された。

何を求められているのかは分かっていた。
けれど、やはり何も言えずに視線だけを落とす。
「……な、今日は返事聞いてもいいか？」
永海はいつものように茶化すこともなく、ただ真っ直ぐこちらを見ていた。
そして、
「嫌なら嫌って言えよ」
それならきっぱり諦めるから、と。
本当にこれで最後のような表情で言われた。

「……嫌じゃ、ないよ」

こんな返事なら聞いても嬉しくはないだろう。
そう思ったのに。
答えた瞬間、いきなり抱き締められた。
「やっと、ＯＫもらったな」
耳元で響く声は明るくて。
顔は見えなかったけれど、きっと満面の笑みなんだろうと思った。
何度目かにギュッと抱き締められた時、なんだか急に気恥ずかしくなって、永海の身体を押し戻そうとしたけれど。
「ずっと一緒にいような」
わずかに身体が離れた瞬間、思い切り無邪気に笑ってそう言われて、また何も返せなくなった。

音もなく降り注ぐ柔らかい日差しより、ほんの少し眩しい笑顔。
それから、静かに流れていく時間。
こんなふうに穏やかな気持ちで過ごしていけるなら、それもいいかもしれない。

「笹原、今日からここで暮らすっていうのどうだ？　もっと大きなベッド買って、そっちを笹原の部屋にして」
さっさと勝手に決めていく。
こういうところは未だに少し気に障るけど。
「……冗談はそれくらいにしておけよ」
言い返しながら。

―――ずっと一緒にいような

耳の奥に残った言葉に、そっと「Yes」を告げた。




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