次回の打ち合わせ日時を決めた後、彼の事務所の前で車を降りた。
「それまでに写真は仕上げておきますから」
永海が手帳を開いて予定を書き込む。
マネージャー兼秘書の小池さんがいれば踏ん反り返っているだけだけれど、一人の時は真剣そのものなのが少し微笑ましい。
「じゃ、おやすみなさい」
タクシーを拾いにいこうとしたら、ツカサ君が寂しそうにこっちを見た。
「帰っちゃうんですか? 一緒に食事に行くのかと思ってました」
時計を見たら7時半。夕食にはちょうどいい時間だった。
ついでに彼の事務所の様子やこの先の仕事のことなども話せるし、別に構わないだろうと思って永海を見たが、目線で拒否された。
「写真の出来を確認したいので、今日はこれで」
誘われたら滅多に断らない永海にしては珍しいことだ。
でも、仕事に関してだけは厳しい面もあるから、何か気になることでもあるのだろうと思って頷いた。
「じゃあ、笹原だけでもどう?」
彼が笑いながら誘った時の永海の顔色で気づくべきだったのだけれど。
「え? ああ……そうですね」
うっかりそんな返事をした瞬間に、永海に腕を掴まれた。
「笹原、手伝ってくれるよな?」
しかも「それが今日のおまえの仕事だろ」と言わんばかり。
「……わかりました。現像のお手伝いをすればいいんですね」
全部を言い終わらないうちに、目の前に止まったタクシーに押し込まれた。
「じゃあ、気をつけて」
笑いながら見送る彼と少しガッカリした顔のツカサ君に軽く会釈をしてから車を出してもらった。
仕事を片付けるなら行き先は当然事務所だろうと思ったのに、運転手に永海が告げたのはマンションへの道だった。
「……写真、どうするんだよ」
確かにマンションの一室は仕事部屋になっているけれど、事務所と比べたら設備は劣る。それでも、
「もちろんやるよ」
永海が当然のことのよう答えるから、その言葉を疑ったりはしなかった。
部屋に入ってスーツの上着を脱いで、ワイシャツの袖を捲り上げていると、案の定、バスタオルが飛んできた。
「風呂入ってメシにしようぜ」
永海はすでにデリバリーのパンフレットを手に電話をかけ始めていた。
「仕事片付けるんだろ?」
咎めているつもりの言葉にも肩をすくめるだけ。
「月曜にやるよ。他に予定も入ってないしな」
あっさりとそう返して、電話に向かって住所を告げた。
「だったら、なんで断ったりしたんだよ?」
注文を終えて満足げに携帯を置く永海に、少しキツイ口調で問いただしたけれど。
「一緒に食うのがイヤだったから」
堂々と返されて閉口した。
「そんなの理由にならないだろう?」
彼もツカサ君も永海に対してはそれなりに気を遣っていた。
これといって失礼な態度を取ったこともなかったはず。
何が気に入らなかったのだろうと思った時、永海から次の言葉が降ってきた。
「笹原、アイツのことばっかり見るからな。モトカレだって新しい恋人がいるのに迷惑だろ?」
結局それかと思ったら、腹立たしいやら呆れるやらで絶句してしまった。
思えば一緒にいる時から様子は変だったのだ。
人前で無理矢理キスを迫ったり抱き寄せたり。
普段なら絶対にそんなことはしないのに。
「けど、あんなふうに帰ってきて、もし誤解でもされたら―――」
咎めるつもりの言葉の棘は、すぐに自分に返される。
「誤解って俺と笹原のこと? それ、本気で言ってるのかよ」
こんな空気が流れるたび、また最初に会った頃のように険悪な関係に逆戻りするような気がするけれど。
よけいなことを言ってるのは自分。
後悔するくらいなら口にしなければいいのに。
また、自己嫌悪になりかけたとき、
「笹原」
永海の声が溜め息とともに降ってきて。
それから、ゆっくりとカメラが向けられた。
こんなときにどういうつもりなのだろうと思いながらも顔を上げると、シャッターを切る音が軽やかに響いた。
「そろそろ羽、生えてきた?」
向けられていたレンズの向こうから、屈託のない笑顔が覗く。
「羽なんて生えてくるわけ……」
ないだろうと言いかけて、その先を飲み込んだ。
あまりにバカらしくて。
けれど、なんだか安堵して。
自分が笑っていることに気がついたのは何秒か経ってからだった。
「笹原、こっち」
明るい声と同時にまたカメラが向けられて、静かな部屋に心地よい音が広がる。
「本日のベストショット、かな」
おそらくもう何百枚もあるだろう自分の写真。
はじめはムキになって拒否していたが、いつの間にかそれもしなくなった。
『仕事には絶対に使わない』
最初に撮ったあの写真以外は誰にも見せないと永海があまりに真剣な顔で約束するから諦めたというのが正しいのかもしれない。
「そんなに撮ってどうする気だよ」
見るのは永海一人だけだし、第一、不機嫌な顔ばかり。
眺めたところで面白いとも思えない。
けれど、永海はその質問には答えずに肩を抱き寄せた。
「な、笹原……まだ、アイツのこと、好き?」
そっと唇を合わせながら切れ切れに問う。
「……いや」
多分、それは嘘じゃない。
彼らを見て少し気持ちが塞がってしまうのは、あの子のように素直に振舞えない自分への嫌悪のせいだ。
「なら、さ」
永海はその続きを口にしなかったけれど、手は勝手にシャツのボタンを外していく。
「……やめろよ」
何が嫌というわけではなかったけれど、断る以外どうしたらいいのか分からなかった。
「駄目な理由くらい教えてくれないか?」
最初にバーで会った日から、何度か永海の部屋に泊まったけれど、一度もそんな状況にはならなかった。
永海はいつだって「嫌なら無理にとは言わない」と約束してくれたし、ちゃんとそれを守ってくれたからだ。
「……気分が乗らないから……」
求められることに対しての不快感はなかったけれど、こんな気持ちで抱かれるのは流されているのと同じこと。
そう思うから、いつでも承諾はしなかった。
けれど。
「笹原」
今夜に限って永海にも余裕はなくて。
「……なんだよ」
「今日はOKしてくれないか?」
これまではこんなふうに食い下がることもなかったのに。
「じゃないと、どうしても……あいつとのこと―――」
少し苦しそうな表情で。
でも、まっすぐに。
それこそ穴が開くんじゃないかと思うほど真剣な眼差しを向けていた。
「……そんなこと……」
言葉に詰まっていると、永海の手に力が篭った。
「どうしても嫌だったら断っていい。けど、もし我慢できるなら……――」
このまま抱かせてくれ、と。
つぶやいた時、首筋にかかった吐息がひどく熱く感じられた。
何の返事もしないまま。
目を伏せると永海が耳元で名前を呼んだ。
「……笹原」
甘く掠れた声が身体の奥の熱を高める。
留めてあったボタンもいつの間にか全て外され、肌が露わになっていた。
唇は耳から首筋を伝い咽喉元に赤い痕を残す。
何度も何度も柔らかい感触が肌の上を滑って、そのたびに疼きが走った。
最初に永海に抱かれた日もこうだっただろうか。
懸命に記憶を手繰り寄せたが、思い出すことはできなかった。
ただ、悔しいくらいに余裕を見せていた永海の笑みだけが脳裏に浮かんで消えていった。
我に返ったのは、永海の手が止まったことに気付いたから。
他へ意識をやっていたのはほんの一瞬だったはずなのに。
「嫌か?」
視線を上げると真剣な眼差しとぶつかった。
「別に……そういうわけじゃ……」
言いかけて。
でも、結局、口を閉ざした。
「笹原」
吐息交じりの声で呼ばれ、強く抱き締められた時、永海の身体が妙に熱く感じられた。
「永海、熱あるんじゃ……」
疲れているのかもしれないと少し心配になって顔を上げたけれど。
「そりゃあ、な」
苦笑いを含んだ声で答えられ、その意味を考えたあと頬に血が上った。
「笹原、この状況でそういうこと確認するなよ」
笑ったままの口元で。
永海はまたゆっくりと唇を塞いだ。
絡みつく舌先。押さえられた肩。
呼吸もままならないような激しいキスに目眩を感じながらも身体を預けた。
中途半端にはだけた胸元から直接触れる熱。
身体を隔てる薄い布さえもどかしいというように永海が乱暴にシャツを脱ぎ捨ててる。
自分の上にいる男の重み。唇が触れるたびに漏れる熱い息。
全てが苦しくて、なのに―――
「……永……海」
その温度を確かめるように指先が肌を辿る。
最初に会った日から今日まで一度も自分から触れたことのない身体。
「笹原……」
熱を帯びて掠れた声がどうしようもないくらいに気持ちを煽る。
再び舌を絡め取られ、言葉を奪われて、意識さえ飛びそうになるほど。
「……ん……っ」
長い指が胸元を滑り、すでに硬くなった突起を爪弾く。その刺激に堪えかねて、ビクンと震えるたびに永海の身体がそれを押さえつけた。
「……あっ……ぅ……」
呼吸と喘ぎ声と。目眩と疼きと。
「永……海……っ」
わずかに開いた瞳に熱っぽい視線が絡みついて、また強く唇を押し当てられた。
お互いの熱に浮かされるように身体はどんどん高まっていく。
胸元で硬くなった突起を弄んでいた指先は、やがて下に滑り、濡れた先端を包み込んだ。
「……っ、やめ……―――」
口内を犯されたまま吐き出した言葉は、すぐに強く押し当てられた唇にすべてを奪われた。
絡めた舌と永海の手からクチュクチュという音が漏れ、部屋に響く。
耳から流れ込む淫猥な音が熱を煽り、勃ち上がった先端に与えられる強い刺激に身体は何度も仰け反った。
それを抱き留めながら、永海は再び手を滑らせた。
「……じっとしてろよ」
汗ばんだ背中を伝って固く閉ざされた入り口を探し当てる。
感触を確かめるように感じる場所を緩く揉み解していく。
その時、なぜかシャッターを切る時の永海の長い指が何度も脳裏を過ぎっていった。
「ぅ……ん……っ」
時折、唇は舌先で舐め取られ、飽きると肌を吸われて、熱が冷める時間など一瞬も与えられない。
「力抜いてろよ」
永海の言葉にももう余裕などなくて、耳に触れた唇からはただ熱っぽさだけが流れ込んできた。
理性とか思考とか、そういうものが薄れはじめた頃。
ゆっくりと埋め込まれた指先も次第に無遠慮に沈められていった。
「あ、あ……っ」
久しぶりに味わう痛みと圧迫感に呼吸が止まりそうになる。
「……笹原……大丈夫だから」
切れ切れの問いかけ。まぶたに当てられた唇。
ようやく少しずつ息を吐き出して、僅かに頷いた。
目を閉じ、時折り触れる唇のやわらかさだけに意識を向けているうちに身体から少しずつ力が抜け、それを確かめるのと同時に埋め込まれた指がゆるゆると動き始めた。
「大丈夫だから、俺に任せて」
宥めながら唇の横にキスを落とし、いっそう深く指を埋めた。
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