かぼちゃの話



外国暮らしのハーフの従兄がいるということは、かなり小さな頃に聞いていた。
「名前? 遙(はるか)だったかな」
「おんなのこ?」
「ううん、男の子。でもね、お人形さんみたいに可愛い子よ」
そんな言葉のせいで、たった一人の従兄のイメージはずいぶん膨らんでいたと思う。
おかげで遙が日本に戻ってくると知った時は姉弟二人で大騒ぎだった。
「茉莉亜(まりあ)と同い年だから、遙君も一年生ね」
自分だけ一つ下で幼稚園。そんなことさえ悔しく思うほど、「お人形さんみたいに可愛い」従兄は僕らにとって特別なものだった。
「ねー、おひっこししてきたら遊んでいい?」
一番気に入っているリボンをつけていくと言いながら姉が手鏡を覗き込み、僕は椅子の上に立ち上がった。
「車のおもちゃ持ってく!」
「はいはい。お行儀よくするのよ?」
椅子からはすぐに下ろされてしまったけれど、近いうちに会えるという約束はリビングを何周もさせるほど僕らを大はしゃぎさせた。


伯父さんの仕事の関係で、遙は十月になってから帰国した。
引越し先は家からすぐのところ。子供でも余裕で歩ける距離で、喜びは倍増だった。
最初の日は父さんが仕事だったから、僕と姉さんと母さんの三人で真新しい家を訪ねた。
「おじちゃんも会社だって言ってたから、のんびりできてちょうどいいわね」
インターフォンを押す母さんの暢気な声を聞きながら、僕はちょっと心配になった。
だとすれば、今いるのは外国の人であるおばさんと遙だけ。
ちゃんと話せるだろうかってドキドキしながら母さんの後ろに隠れた時、玄関のドアが開いた。
「いらっしゃい、エナ。会うのは4年ぶりかしら? そちらがマリアにリオね? こんにちは」
金色の髪のお母さんに流暢な日本語で出迎えられて、僕はもっとドキドキしてしまった。
だって、外国の映画に出てくる人みたいに細くて背が高くて長い髪がキラキラしてたから。
「ハルカ、あなたもお茶の用意を手伝って」
僕らが玄関で靴を脱いでいる間に、おばさんが大きな声で2階に呼びかけた。
返事はなかったけれど、代わりにドアを閉める大きな音とドタドタという足音が聞こえてきた。
いよいよ従兄の登場という場面。
僕はわくわくしながらその子を待ったんだけど。
「なんだよー。俺、パイなんてつくんないぞ」
文句を言いながら降りてきた男の子を見た瞬間、僕はひどくがっかりしてしまった。
金髪でもなかったし、お人形さんみたいでもなかったからだ。
でも、隣りを見たら姉さんは最高に機嫌よく笑ってた。
「あなたのイトコのマリアとリオよ」
「マリア? リオ?」
ものすごく変わった名前というわけではないんだけど、遙は怪訝そうな顔をした。
おばさんの発音が英語風だったために日本人の名前っぽく聞こえなかったからだと知ったのはずいぶん後になってからだ。
「こんにちは」
あらかじめ母さんに言われていた通り、僕らは行儀よくお辞儀をした。
でも、返ってきたのは「ふうん」というそっけない反応だけ。
従姉弟になんて少しも関心がないって感じだった。
「もう、ハルカったら。ちゃんとご挨拶して」
おばさんに怒られても知らんぷり。
もう本当にどうでもいいって顔でクルリと背中を向けた。
黒い髪と黒い目。
だけど、結婚する前はモデルをしていたというおばさんに良く似た顔の遙。
確かに大人から見たら「お人形さんみたい」で可愛いんだろうけど、当時の僕の目にはちょっと冷たそうに映った。
しかも。
「あー、もう、めんどうなことばっかさせんなよなー」
なんだかとても口が悪くて、いつも不機嫌。
「ハルカ、テーブルに足を上げないの!」
ついでに行儀も悪かった。
それでも姉さんは遙のことがずいぶん気に入ったみたいで、学校のことをいろいろ教えてあげていた。
歩いて何分くらいだとか、どんな先生がいるとか、クラスはいくつあるとか。
その間も遙はバカにしたみたいに笑いながら僕の顔を見ているだけ。
姉さんが「わかった?」って返事を求めてもまるっきり無視して、思いっきりおばさんに怒られていた。
「もう、ハルカったら。ちゃんと仲良くするのよ。マリアとは同じクラスになるかもしれないんだから」
おばさんの隣で姉さんがニッコリ笑ってもぜんぜん見てないみたいな顔をしていたくせに、何を思ったのかいきなり僕を指差した。
「こいつは?」
いくら年上だからって、いきなり「こいつ」とか言われてちょっとムッとしたけど、最初だったし、その時はなんとかガマンした。
「リオは1つ下よ」
名前のところだけやっぱりなんとなく発音が違うおばさんの説明に、遙はまた「ふうん」と言ったあと、おもむろにニヤッて笑った。
「だからチビなんだな」
確かに当時は同い年の子と比べても小さくて、幼稚園でも背の順に並ぶと前から三番目くらいだったんだけど。
面と向かって言われると、さすがにちょっと傷ついてしまう。
しかも、「遊んでやるよ」って言ってたくせにそのあとは意地悪ばかり。
髪を引っ張ったり、わざと通り道を塞いだり、足をかけたり、つついたり。
だけど、「行儀よくする」っていう約束で遊びに来た手前、僕はずっとガマンしていた。
姉さんはおばさんの手伝いをしにキッチンへ行ってしまったし、母さんは「すっかり仲良しね」なんて笑ってるだけでぜんぜんあてにはならないしで、本当のことを言うとかなりいっぱいいっぱいだったんだけど。
「な、リオ。ハロウィーンって知ってるか?」
いいかげん険悪になりかけた頃に遙から突然の質問。
おばさんと同じで遙もカタカナのところだけちょっと発音が違って、幼心にそこだけはカッコいいなと思ったけど。
「……あんまりしらない」
幼稚園では教室にかぼちゃの絵を飾っておやつを食べたけど、うちではハロウィンなんてまったくよその国の行事って感じだったし、友達ともそんな話はしたことがなかった。
興味はあったけど、ハルカに聞いたらバカにされそうだったので、かぼちゃを片手にキッチンから戻ってきたおばさんを捕まえて尋ねてみた。
「かぼちゃが関係あるの?」
「ふふ、そうよ。さあ、なにができるでしょう?」
カットされたものでパイを作るんだってことはさっき姉さんが広げていた本の写真で分かっていたんだけど。
大きなダイニングテーブルには丸のままのカボチャ。しかも中身だけくり抜かれた状態で鎮座していて、ちょっと不思議な空気が漂っていた。
「オレンジのはたべないの?」
「これはそのまま使うのよ」
おばさんはそう言ってウィンクした。それから、
「リオはこのパンプキン、何になると思う?」
逆に僕に質問した。
おばさんが指を差していなかったら、「パンプキン」がかぼちゃだってことさえ分からなかっただろう。
「えっとねー……」
ぐるぐるいろんなことを考えて、やっと思いついたのは幼稚園のお遊戯発表会のこと。
「馬車?」
もちろんシンデレラの話だ。
そしたら、おばさんは僕をギュって抱き締めて、
「リオみたいな可愛い子が生まれるなら、すぐにでもハルカの弟が欲しいわ」
ほっぺにチュッてしてくれた。
ふんわりととてもいい匂いがして、ちょっと恥ずかしくて、ちょっと嬉しくて。
そのままぽわんとしていたら、後ろから笑い声が。
「バカなだけじゃん」
答えが外れてたのは本当だから、普段なら別に気にならなかった。
でも、ずっと意地悪をされつづけていたせいで爆発してしまったのだ。
「ぼく、はるかのこと、だいっキライ! 世界で一番きらい!!」
火がついたように泣き出して、そのまま走って家に帰ってしまった。
姉さんがすぐに追いかけてきて、母さんも間もなく戻ってきて。
僕はさんざん怒られたり慰められたりしたんだけど、気分は最悪のまま。
「でも、キライ」
もう絶対に遊びにいかないからって言い張って、そのまま自分のベッドの下に立てこもったのだった。


夕方、おばさんと遙がパンプキンパイを持って謝りにきた。
「いいのよ。笑われたくらいで拗ねる利央がいけないんだから。ほら、利央も謝りなさい」
ベッドの下から引きずり出されて頭を押さえられたけど。
おばさんの横で知らん顔してた遙が僕を見て「ふふんっ」って笑うから。
「やだっ。キライ。だいっきらい!」
母さんの手を振り払い、再びベッドの下に逆戻り。
「……あらあら。ハルカ、あなた本当に嫌われちゃったのね」
本当は「お詫びに晩御飯を一緒に」って誘いに来たみたいだったけど、僕が泣き止まなかったせいで楽しい夕食会は流れてしまった。




あれから9年。
もちろん今はハロウィンが何なのか分かってるし、かぼちゃのランタンだって見慣れたけど。
「今でも遙のこと嫌いだから」
ハーフにしてはわりと日本人っぽい顔なのに、遙はやっぱりおばさんに似ている。
背も高くて手足も長くて、すれ違うときに振り返る人がいるほどだけど。
「じゃあ、勝手にひとんちにきて食うだけ食って帰るなよ」
性格は前より一層悪くなってるような気がする。
「勝手に来たわけじゃないよ。ちゃんとおばさんに招待されてる」
ムキになって言い返すほど、遙の口にはバカにしたような笑いが浮かぶ。
何かと人をムカつかせるところも全然変わらない。
「あーあ、なんで今日に限って遙がいるんだろ」
姉さんは僕とはまるっきり反対で、見た目だけはいいハーフの従兄のことが大のお気に入りだ。
クラスの友達に頼まれるのか、頻繁に買い物やイベントに誘ったりしているけど、遙はぜんぜん一緒に行こうとしない。
今日だってそうだ。
先週、姉さんが「映画に行こう」って声をかけた時は、「その日は用事がある」って断ってた。
なのに、遊びにきてみたらちゃっかり家にいて、普段と変わりなくテレビを見ていた。
姉さんは予定通り友達と映画に行ったから、おばさんの招待に応じたのは僕一人。
おかげでこうして同じテーブルに座るはめになってしまった。
「意地悪な上に嘘つきなんて最悪だよな」
角を挟んで斜め前にいる遙には当然聞こえたんだろう。
言い終わらないうちに食べかけのパイを取り上げられてしまった。
「返せよ。まだあっちにたくさんあっ……?」
キッチンカウンターには大きな皿があって、でき立てのパイが何種類も並んでるというのに。
「普通、他人のもの食べないよな?」
取り上げた挙句、当たり前のように自分の口に押し込んでしまった。
もちろん即座におばさんの声が飛んでくる。
「もう、ハルカったら。どうしてそうやってリオにだけ意地悪するの?」
カウンターの向こうですごく呆れてたけど、すぐに焼いたばっかりのパイを持ってきてくれた。
「ごめんなさいね、リオ。今度はハルカのいない時にご招待するわ。……ハルカ、意地悪するなら今すぐ自分の部屋に行きなさい」
結構きつく叱られてたけど、遙はふてぶてしい態度で無視しただけ。二階に上がろうとはしなかった。
「もう、同じ男の子なのに、ハルカは本当にダメね。なんでこうなっちゃったのかしら」
愚痴をこぼしながらも僕にパイの乗ったお皿を渡して、
「熱いから気をつけて食べるのよ」
それだけ言い残すと隣の家におすそ分けに行ってしまった。
「いってらっしゃい」
思わず「早く帰ってきて」と付け足しそうになったけど、遙にバカにされるのは悔しいのでやめておいた。
「あー……行っちゃった」
遙と二人きりだとなんとなく憂鬱になる。
おばさんはすぐに戻ってくるだろうし、その間だけ暴言を聞き流せばいいんだけど。
ため息を飲み込みつつ皿に向き直ると目の前には長方形のパイ。
サクサク軽そうな見た目からは想像できないくらい充実した重みがあって、ここに流れる微妙な空気も吹き飛ばしてくれそうなほどいい匂いが漂っていた。
「いただきます」
生地もキレイなかぼちゃ色だなと思いながらザックリ半分にちぎった時、中のクリームが思いっきり手にドロリと落ちてきた。
「……う、わっっ……!!」
反射的に椅子を引いたものの、手を振ったらあちこちにクリームが飛んで部屋が汚れるという気持ちがどこかにあったせいなのか、熱いのさえガマンして立ち尽くしてしまった。
「バカ、何してるんだっ! 早く冷やせっ!!」
怒鳴りながら立ち上がった遙はいきなり僕の腕を掴むと皿の上でクリームを払い、有無を言わさずキッチンへ引きずっていった。


ジャーッと勢いよく水が散る。
我に返った時にはもうベッタリついていたはずのクリームは跡形もなかった。
「ボーッとしてたから、やるんじゃないかと思ったけどな」
僕の後ろに立っていた遙が水を弱めながら呆れた声でつぶやく。
だったらもっと早く教えてくれればいいのにと文句を言いそうになったけど、悪いのは自分だ。八つ当たりはよくない。
「ちょっと熱かっただけで、ぜんぜん大丈夫だから」
実際、親指の付け根とその周辺が少し赤くなっているだけでまったく問題はなさそうだったけど、肌はまだ少しヒリヒリしている。
これくらいで騒ぐのは子供っぽいので、「もういいよ」と手を振り払おうとした時、
「痛むか?」
耳のすぐ近くでいつになく優しい声が聞こえて、急に心臓がドキッと跳ねた。
「そ……うでもない」
遙の長い指は僕の手首を一周してもまだ関節一つ分以上余ってて、それに気付いた途端、なぜだか急に恥ずかしくなった。
「手首、痛いよ」
嫌そうな顔をすれば、ムッとしてリビングに戻るだろうって思ったのに。
「え?……ああ」
適当な返事の後、遙は少しだけ手を緩めたけど。
キラキラ飛び散る水の中、肌の赤みがすっかり引くまで離そうとはしなかった。



待っている時に限っておばさんはなかなか帰ってこなかった。
「ったく、あのババア。何してんだよ。遅ェな」
高校生になって一段と口が悪くなった遙はひどい言い様で文句を並べていたけど、「仕方ねーな」と言ったあとで本当に面倒くさそうに火傷の手当てをしてくれた。
「どれくらい塗ればいいんだよ。『適量』じゃ分かんねーだろ」
顔をしかめながら薬のチューブを眺め、それからニュルルっとたくさん押し出した。
指先でそっと薬を広げて、その上からガーゼを貼ってテープで留める。
全部遙がやってくれるのかと思うとなんだか不思議な感じだった。
「まあ、こんなもんか」
ひとりごとの後でやっと手を離す。
たいしたことないんだから適当でいいのに、あんまり満足していない顔なのがなんだかおかしかった。
ありがとう、と言うべきなんだろうけど。
日頃の態度が悪すぎるせいで素直に口にする気になれないんだよな……などと考えている間に遙はさっさと救急箱を片付けに行ってしまう。
でもやっぱり一言くらい……なんて思いながら背中を見ていたら、変なタイミングで遙が振り返って。
「なんだよ?」
思いっきり真正面から聞くもんだから。
「別に……なんでも、ない」
もう絶対お礼なんて言えなくなってしまった。


ダイニングテーブルに戻ってきた遙の手にはナイフとフォーク。
何をする気だろうと思っていたら、おもむろにパイを一口サイズに切り分けた。
「ほら」
目の前でフォークに刺さった切れ端が揺れる。
なんか変な感じだった。
「あ……うん」
包帯をしてない左手で受け取ろうとしたけど。
「口開けろよ。手が汚れたら面倒だろ」
そう言われても、客観的に見たら赤ん坊がご飯を食べさせてもらってるみたいで恥ずかしい。
けど、自分のためにしてくれているのに文句を言うのも悪い気がする。
「……うん」
少しの葛藤の後、言われたとおりに口を開けたが、遙はまた呆れたような顔をした。
「おまえ、口小さいよ」
バカにしたわけじゃないだろうけど、いつもの癖で言い返さずにいられない。
「普通だよ」
少々ムッとしながら、結局こうやって普段の空気に戻るんだよなと思ったけど、意外にも遙はノーリアクション。
真剣な顔で皿の中の切れ端をさらに半分に切っているだけだった。
「食い終わったか?」
「うん」
返事をすると適当なところで手を止めて、またこちらにフォークに載せたカケラを差し出し、合間に大きいままのを自分の口に入れて牛乳で流し込む。
僕も遙もずっと無言で、なんだか変だなって思ったけど。
テレビから流れていた話題が楽しげなものばかりだったせいか、少しも嫌な感じはしなかった。


四切れ目のパイが僕の口元に到着した時、不意にリビングのドアが開いた。
「ただいま。ごめんなさいね。お話してたら遅くなっちゃって……あら?」
おすそ分けのお返しを抱えたおばさんが顔を出した途端、遙はフォークを放り出して自分の部屋に行ってしまった。
「ハルカはどうして二階に上がっちゃったのかしら?」
皿の上にカットされたパイ。僕の手には大きなガーゼ。
繋がりが判らなくて目を丸くしているおばさんに、火傷をしたことと手当てしてもらったことを簡単に話した。
「じゃあ、さっきはリオにパイを食べさせてあげてたのね?」
僕が頷くとおばさんは急にくすくす笑い出した。
「やあね、ハルカったらこんなに小さく切って。……でも、リオは可愛いから無理ないわね」
あれでもお兄さんのつもりなのよ、なんて言いながら、子供の頃と同じように頬にキスをしてくれた。
「いつもこうやって仲良くしてくれるといいんだけど」
おばさんはその後で母さんと姉さんへのお土産のパイを包みながら、またニッコリ笑った。
「ね、リオ」
なんだか悪戯っぽく見えるおばさんの笑顔は、意地悪を言うときの遙にちょっと似てるような気がするのが不思議だ。
「なに?」
「今度もハルカがいる時に誘っていいかしら?」
改めて聞かれると、やっぱり迷ってしまうけど。
「……うん、いいよ」
ガーゼとフォークと、遙が出ていったドアを見ながら、少し笑ってそう答えた。




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