Sweetish Days
〜Sunday〜




「でー、昨日の仕事の成果がアレなんだな」
日曜の朝っぱらから松浦は事務所のソファに踏ん反り返って笑っていた。
「……そうみたいだな」
打ち合わせテーブルの上に花束とクッキーの詰め合わせ。
しかも、宛名が「可愛い天使君へ」だ。
いきなりのプレゼント攻撃というあたりに業界特有の厭らしさが窺えて、俺としても何と言っていいのか分からない。
「俺からちゃんと断ったんだけどな」
でも、この様子だともう一度「二度とモデルのターゲットとして声をかけないでください」と言わなければならないだろう。
ツカサに何かあってからじゃ遅いんだから。
次の仕事の時を待って……なんてことは言っていられない。
「月曜の朝にでも電話をしておかないと―――いや、やっぱりすぐに……」
本当に毎日心配は尽きない。
なのに。
すぐ隣りでは、「ぽりぽりぽり」という軽やかな音が。
「……ツカサ、さっきご飯食べたよな?」
本当につい20分くらい前に朝食を食べたばかりだというのに。
「甘いものは別腹なんだよ? 幹彦さんも食べる?」
おいしいクッキーだよと言われて、俺はひとりでため息をついた。
ツカサは無邪気だ。
世の中には本当にいろんな種類の危ない男がいるってことをまだよく分かっていない。
でも、そんなことは一生知らないで済むように俺が守ってやれたらと思う。
「いんじゃねーの。クッキー程度の下心ならどーってことないだろ。おかげで『これからも長いお付き合いをしましょう』なんて念を押されたくらいだしな」
確かに仕事は仕事だから、これを理由に縁を切る必要はないとは思う。
だが。
「……ツカサはもう二度と連れていかないからな」
それだけは何があっても譲れない。
「ふーん。『天使君に個人的にこっちに電話するように言ってもらえないかな』って会社じゃない番号を預かってるんだが」
松浦に頼むあたりも厭らしさがにじみ出ていると思うのは考えすぎだろうか。
とにかく。
「……それは、おまえの中で消去してくれ」
ツカサは愛想のいい子だから、「誘われたら一度くらいはOKしなければいけないのかな?」なんて思ってしまうに違いないし。
おいしい物をちらつかせるとその引力に負けてしまう可能性もあるし。
何よりもモデルを口説くのなんて慣れている男だから、あの手この手で来るに違いない。
とにかく寄せ付けないのが一番だ。
「頼むから、こういう業界の奴は近づけないでくれよ」
松浦にも一応頼んでおいたものの。
「そう思うなら、まずはおまえがボクちゃんを連れ歩くなよ。仕事に限らず、どこで誰に見られてるか分からないんだからな」
確かにそのとおりだと思う。
けど。
「だからってせっかくの休みにツカサを一人で家に置いておくのも可哀想だろ?」
仕事場に連れてくるのは確かにマズイとは思うけど。
街を二人で歩くのまで止められたら、ツカサは半泣きだろう。
そう言ったら、また思いきり笑われた。
「まったく、おまえは猫可愛がりしすぎだって」
「……ツカサと付き合うまではそんな心配したことなかったんだけどな」
前に付き合ってた相手は社会人だし、年齢だってツカサよりずいぶん上だから、それが当然だとは思う。
でも、本当は俺を心配させないように向こうがあれこれ気を遣ってくれてたんだろう。
そんなことも今になってようやく分かった。
「気ィ遣ってるってか、笹原は性格が暗いから顔のわりに目立たないだけだろ。……けど、今度はうまくヤってるんだって?」
「らしいね」
またしてもカメラマンの目に留まるあたりが玄人好みなのかもな、と松浦が笑う。
「けど、相当ヤリ手なんだろ? 遊ばれてるだけって線はねーの?」
相手は業界でその名を知らない人はいないと言われるほどの有名なカメラマンで、女性関係が派手という噂もあったけど。
「笹原と同い年なんだってさ。だからなのか、本当に仲のいい友達みたいだったよ。噂とは全然違って誠実そうだし」
たまたま仕事で一緒になった彼はどちらかと言えば無邪気で、少し子供っぽいところはあるような気がしたが、その分、本当に真っ直ぐな性格に見えた。
そして何よりも笹原のことをとても大切にしていた。
「へえ、地味な性格の割りにやることやってんだな。上手くいけば玉の輿か?」
金だって相当持ってるんだろ、と松浦はまた下世話な勘繰りをしてたけど。
「……笹原はそんなこと絶対に考えてないと思うけど」
いい加減な別れ方をしていたから、ずっと気になっていた。
でも今はこれで良かったのだと思う。
きっとこのまま彼と幸せになってくれる。
そんな気がするから。


「幹彦さん、あのね」
そして、俺の現実は容赦なく無邪気すぎる笑顔を向ける。
「何?」
「なんとかデザインオフィスってところから電話」
聞き取れなくてごめんなさいと申し訳なさそうな顔をするツカサの頬を撫でてから、デスクに戻って電話を取った。
日曜の仕事なんて本当は気が進まないけど、相手はうちの得意先で仲のいい担当者。
今回は気楽に世間話交じりの打ち合わせとなった。
「じゃあ、詳細は火曜のミーティングの時に、先方へは木曜日の午後二時半でどうですか?」
『いいですね。あ、課長が来たのでちょっと予定を聞いてきますね』
保留メロディも自社ゲームソフトのエンディングなんだなと思いながら、手帳を取り出す。
その間もパーティションの向こうからはツカサと松浦の声が聞こえていた。
「僕、イケイケヤリヤリじゃないよ」
いつものことだけど、仕切り一枚隔てた向こうはまるで別世界。
またしても怪しい会話が繰り広げられている。
うかつに首を突っ込むと眩暈がしそうになることもしばしばだから、このまま何も聞こえないことにして、無理にでも別のことを考えようと思ったのだが。
「仁科にフラれたらどうする?」
いきなり自分の名前が聞こえたから、つい耳が反応してしまった。
本当に松浦にも困ったものだ。
これじゃ仕事に集中できないだろう、と心の中で愚痴をこぼしつつ、やっぱり聞き耳を立ててしまう。
「すぐ他の男に乗り換えるか?」
「そんなことしない。このままずっと好きでいる」
ツカサの返事はとても真剣な声で。
だからこそ松浦が面白がるんだろうと思うと頭が痛い。
「チビだけが好きでも仕方ないだろ。第一、仁科はどっかのお嬢サマと結婚して一男一女の父とかってのが似合ってる」
俺の将来なんて決めてくれなくていいから、さっさと自分の仕事を終わらせろと思いつつ小さな溜め息。
だいたいそんなことを言ったら、ツカサがまた真に受けて……と思った瞬間、
「うん。僕もそう思う。でも、それは僕の気持ちとは関係ないもん」
やっぱりちょっとしょんぼりした口調でそんな返事をした。
後でフォローする俺の身にもなって欲しいもんだ。
「へえ。一途で健気ってヤツ? 仁科の好きそうなパターンだな」
松浦はきっと俺にも聞こえるようにこんな話をしているんだろう。
面白がっている顔が見えるようだ。
「別にそういうんじゃないし。好きなのはどうにもならないよねって言ってるだけだよ。松浦さん、そういう人いないの?」
「いるように見えるかよ?」
「ううん、ぜんぜん。そんなことばっかり言ってるから一生幸せになれないって感じ」
この返事ぶりからするとツカサはちょっとムッとしているんだろう。
しかも、俺が聞いているなんて少しも思っていないに違いない。
少なくとも俺がいたら、ここまでハッキリは言わないだろうから。
「おまえはどうなんだよ?」
その質問にツカサは急に弾んだ声で答えた。
「あのね、松浦さん」
「なんだよ」
「結婚式にはちゃんと松浦さんも呼んであげるからね。僕の友達として」
さすがの松浦もこういう話題だとツカサに勝てていないような気がするのだが、それでも笑いながら反撃をする。
「仁科の結婚式なら、チビスケが相手じゃなくても俺は呼ばれると思うぞ」
仕切り越しに伝わってくる空気でツカサがまた少しムッとしたのが分かった。
「でも、相手は僕だからね。だって、昨日も二人で一緒にお城みたいなホテルに泊まって、それからゆっくり―――」
聞こえないフリもそろそろ限界で。
その先をすっかり話される前に止めに入らなければ、と思ったが。
『あ、仁科さんですか? お待たせしてすみません。課長もその日時なら大丈夫とのことですので……』
タイミング悪く電話の相手が戻ってしまい、結局ツカサはそのまま放置せざるをえなかった。
電話の傍ら、意識の半分だけを使ってヒヤヒヤしながらツカサたちの会話に耳を傾けていたが、
「白雪姫みたいな鏡とね、あとは、お姫様が寝るようなベッドが―――」
お城ホテルの内装について以外は何の説明もなかったことに心底ホッとした。



仕切りの向こうで会話が途切れた時、電話もまた保留になって。
「ツカサ、この後もう1件電話して打ち合わせするから。もしかしたら、そのまま仕事になるかもしれないから、先にうちに戻ってくれないかな」
ホテルのインテリア以外の話に及ぶ前に松浦から引き離さねばという決心の元にそう頼むと、
「はぁい」
少し残念そうだったが、いつもの素直な返事が戻ってきた。
それを聞きながらまた受話器を上げたが、その瞬間に松浦が不吉な言葉を投げた。
「チビスケ、一人で家にいるんじゃ退屈だろ? いいものやるよ」
この位置からでは仕切りが邪魔でビニールの中味まではよく見えなかったけど。どうやらそれはいかがわしい系の衣類に間違いないだろう。
パッケージラベルからして成人向けのウサギ絵だった。
……つまり、バニーガール。
「あのね、幹彦さんは女の子の服があんまり好きじゃないの」
ツカサも真剣にそんな説明をしていた。
だが。
「心配しなくてもホットパンツだ」
「なぁんだ。じゃあ、きっと大丈夫」
話の流れは松浦の思うツボって感じで。
「ただし、間違いなく半ケツだけどな」
そりゃあ、松浦がわざわざツカサに買ってくるんだから、そういうものだろうとは思ってたけど。
俺がこっちでヤキモキしていることなど気付く様子もなく、ツカサはとても明るい声で頷いた。
「大丈夫。着こなす自信あるから」
それも本当に自信満々な返事で、松浦も呆れて笑っていた。
「あ、そ。せいぜい仁科に引かれないようにしろよ」
そんな忠告もあったが、ツカサはもう俺の性格などお見通し。
「それも大丈夫。幹彦さんならきっとちょっとムリしても『可愛い』って言ってくれるから」
……無理をしているつもりはないんだが。
予告なしだと少々驚いてしまうため、ツカサにはそう見えるのかもしれない。
「早く帰って着替えて、幹彦さんをお出迎えしようっと」
じゃあね、と言いながら松浦の土産をカバンに押し込み、楽しそうに事務所を出ていった。
その途端、事務所は火が消えたように暗くなって。
寂しいような。
でも、ちょっとホッとしたような……。



結局、打ち合わせは電話だけで済み、どうやらこのまま家に帰れそうだと思いながら、ソファに戻ると松浦はまだ笑っていた。
「松浦、あんまりツカサに変なものを渡さないでくれよ」
あんな生地の少ない衣装でもそれなりの値段だろうし。
そういう意味でも簡単に受け取ってはいけないような気がするんだが。
「俺のせいにするな。ボクちゃんだって嫌なら手を出さないだろ?」
松浦の言うことももっともで。でも。
「おまえ、チビスケがイケイケヤリヤリだってことが分かってねえんだよ」
その表現はツカサにも失礼だし、昼間から仕事場でする話でもない。
いつか松浦には本気で釘を刺しておかなければならないとは思うんだが、注意したところで直るとも思えないのが困りものだ。
「とにかく、ツカサはそういうんじゃないし―――」
俺はそう思っているけど。
「ふうん。あの性格を目の当たりにしてなお否定するのか。仁科はあくまでも『清純派』がお好みだから認めたくないんだな」
「認めたくないんじゃなくて、実際、ツカサはそんな子じゃない」
ちょっと表現がストレートなだけで、根は素直で真面目だ。
俺がどんなにそう力説しても、松浦は笑うだけだが。
「ま、おまえの趣味なんだから口出ししようとは思わんが、少しでも『清純派じゃないと嫌』なんて態度を取ったらチビが泣きながら家出するぞ」
それについては、まあ、なんというか。
あながち冗談で済まされない感じなので頷いておいた。
実際、ツカサはシモネタも堂々と明るく話すけど、別に下品じゃないし、どちらかというと可愛くて微笑ましいと思う。
けど、ツカサは自分をちょっと「ダメな子」だと信じていて、だから、「清純派」という言葉にコンプレックスがある。
俺がツカサを「純粋で素直で可愛い」と思っていることでさえ少々プレッシャーになっているようだった。
「そりゃあ、おまえが悪いって。口ではそんなこと言ってるクセに、猫耳やナース服くらいで顔色を変えるんだからな」
「……まあ、そうなんだけど」
そう。
ツカサはちょっと刺激的な性格なので、びっくり箱よろしく俺を驚かせようとすることが時々あって。
しかも、そんな時は決まって妙なコスプレをするもので、俺はそのたびに若干引いてしまうのだ。
それだってちょっと驚いているだけで、別に嫌だとは思っていないんだが。
そんな理由で、どんなに俺が「普段のツカサが可愛い」と言っても取ってつけたフォローにしか聞こえないみたいだった。
ってことは。
……やっぱり俺に原因があるんだな。
「ま、どうでもいいけどな。とにかく覚悟して帰れよ。今日のは半ケツだし、ウサギ形状の尻尾がついてるぞ」
ニヤニヤしながらの説明に小さく溜め息をついた。
だからパッケージがバニー絵だったのか。
まあ、網タイツじゃなくて良かったとは思うけど。
「そういう土産はもう買ってくるなよ」
未成年なんだぞと言ってみたけど、松浦は椅子に踏ん反り返ったまませせら笑った。
「未成年とアンアンするのはいいのかよ? 今日のチビスケのご機嫌具合からすると、昨日は十分過ぎるほどしてやったんだろ?」
ここで沈黙するって事は認めていることにもなるわけだが。
実際、そこを突かれると返す言葉はない。
「ま、帰ったら半ケツのバニーちゃんに出迎えてもらうんだな」
引きつった顔で『可愛い』なんて言ってもガッカリさせるだけだぞと念を押され、また溜め息。
「別にウサギの格好が嫌だと思ってるわけじゃないんだけどな」
俺にはちょっと刺激が強すぎるってだけのことだ。
可愛いかと聞かれれば、嘘でもお世辞でもなく「可愛い」と言う自信はある。
ただ、覚悟なしにそれに直面するとちょっと驚いてしまうんだ。
「あれがチビスケの趣味なんだから、どうしようもないだろ。第一あんなことで楽しんでいる間はまだカワイイって。もっとエロくてヤバいことに興味を示すようになったら確実におまえの手には負えないぞ」
確かにコスプレ程度なら微笑ましいのかもしれない。
だが、これだって今よりエスカレートしたら、ついていく自信はない。
正直にそう言ったら、松浦は腹を抱えて笑い始めた。
「心配しなくてもチビのほうで手加減してくれるだろ。いついかなる時もおまえの好みが最優先らしいからな」
いっそのことおまえが自分好みの衣装を用意したらどうだ、とまで言われたものの。
じゃあ、どんな服が好きかと聞かれたら、やっぱり学校の制服だったりパジャマだったりするわけで。
自分の趣味はつくづく平凡……いや、ノーマルと言うべきか……だと思う。
「制服がいいなら、よそのガッコのを用意してやるぞ」
男女どっちでも手に入るぞ、と笑う松浦は異常に楽しそうだ。
「そんなもんどうやって手に入れるんだよ」
別に欲しいとは思ってないけど。
「まあ、それはイロイロな。……方法を教えたら自分で探すか?」
「そんなわけないだろ」
ツカサに妙なことさえ吹き込まなければ松浦を咎めるつもりはないんだが。
さすがにこれ以上煽られては困る。
「ああ、分かったよ。で、まだ帰らないのか? バニーちゃんが玄関で三つ指ついて待ってるぞ」
ぜんぜん分かってなさそうな顔で言われてもちっとも安心できないんだが。
「なんで三つ指だよ?」
「おまえがそういうの好きそうだから。で、正座したら露出が多くなるパンツだから、背中から尻の割れ目までバッチリ。上から見下ろすのは楽しいと思うぞ」
ニヤっと笑われて、例によって俺はしばらく硬直した。
松浦といると、本当にツカサの行く末が心配になる。
まあ、ああ見えて意外としっかりしているから、そんなに過保護にする必要はないんだろうけど。
「……家にはあと30分くらいしたら帰るよ」
とりあえずそう返して腕時計を見た。
「なんで30分?」
「準備ができた頃に帰ってやらないと」
簡単に部屋を片付けて、着替えて、テーブルを整えて。
30分あれば充分だし、それ以上待たせるのは可哀想だし。
「あ、そ。そういうの、世間じゃ『バカップル』って言うって知ってるか?」
「……知ってるよ」
松浦にどう評されようと構わないけど。
「帰りにケーキでも買っていこうかな。今出て、買い物して帰ったらちょうどいいくらいだし」
でも、よく考えたらツカサはさっきクッキーを食べたばっかりだ。
「プリンかゼリーにしておこうかな。それともフルーツの方が……」
迷っていたら、また笑われた。
「いちいちバカップルぶりを口に出して披露してくれなくていいんだぞ」
「……俺のことはいいからちゃんと仕事しろよ」
笑い転げる声に送られて事務所を出る。
もうそれだって週末の恒例だけど。

結局、歩きながらツカサに電話をした。
「デザート買って帰るけど、何がいい?」
『わぁ、じゃあね―――』
無邪気に喜ぶ声を聞きながら、自然と口元がゆるむ。
こうやって電話をするのだって、本当はツカサの声が聞きたいだけなのかもしれないとふと思いながら。
「今、会社を出たから、30分くらいで家に着くよ」
『うん。早く帰ってきてね』
少し甘えたような声も心地よくて。
ショートパンツ姿のツカサを思いながら、少しだけ足を速めた。



                                   end

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