湯水のように金を使って暮らせるのになと呟く声は笑っていたけれど。
「さあ。私には分かりかねますが」
少なくとも長く生きていたいなどとは思っていないだろう。
推し量ることが出来るのはそれくらいだった。
「まあ、いい。アイツはこれから3ヶ月の間、平日は毎朝10時出社。きっちり12時から昼メシを食わせて、ついでに役員室の煙草は切らしておけ」
悪戯っ子のように目を輝かせながら言う。その表情を見る限り、疾うに30を超えた男とは思えない。
「まるで嫌がらせですね」
「もちろんそうだ。この仕事が終わるまでは死なれちゃ困るからな」
いつになく弾んだ声なのは、この仕事の完成が見えてきたせいなのか。それとも単純に仏頂面の男をからかうのが楽しいだけなのか。
「ご本人に『身体が心配だ』と仰ったら良いのでは?」
ようやく社長の肩書きもその風貌に馴染んできたが、時折り酷く子供っぽい顔を見せる時がある。
だが、それ知るのは無愛想なあの男を含めた数人の腹心と秘書である自分だけ。
いずれも傍目には怪しげな男ばかりだった。
「言って聞くような性格だと思うなら、おまえが言えばいいだろ」
秘書に上がって三年。彼との付き合いはその後からだ。然程長くはない。
それでもどんな性格なのかは嫌というほど分かっていた。
そして、久世がこの世で一番信頼している男だということも。
「社長は、何年になりますか?」
「何が?」
「中野さんとの付き合いです」
求められたものを手に入れるために、あの男がどんな手段を使っているのかは久世にも分からない。
だが、仕留め損ねたことは一度もなかった。
「さあ……奴に頼んだ最初の仕事はなんだったかな」
ポツリと呟く。そんな言葉の裏で、記憶を手繰り寄せる。
長い指が無意識のうちにテーブルに置かれたライターに伸びた。
「社長こそ、お煙草は控えられた方がよろしいのでは?」
半ば厭味のつもりで空気清浄機を最強にした。
だが、まったく気に留める様子もなく男は煙草に火をつけて、子供の顔で次の話を始める。
この男も、先ほど仏頂面で部屋を出ていった男も、世界の中心は自分。
人の話など聞く耳は持っていない。
「―――何になら執着するかな」
天井を見上げて煙を吐き出す。その口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「え?」
楽しい話などしていただろうかと先ほどの質問を反芻してみたが、どう考えても笑うような場面ではない。
「なんのことです?」
思考回路が違いすぎる相手への応対もそろそろ慣れてきたが、だからと言って勝手にあちこち飛んでいく会話についていけるはずもない。
「地位にも金にも興味のない男が欲しがるものってなんだと思うって話だ」
おそらくは億単位の資産を持ち、湯水のように金を使っても何年も遊んで暮らせるはずなのに、あえてこんな後ろ暗い仕事を選ぶ男が手に入れたいと望むもの。
「さあ……」
邪魔になれば札束にだって火をつけて処分するような性格だ。
金になど何の価値も感じていないだろう。
「なんでしょうね」
彼を生んだ母親を含め、家族のことは久世も知らない。
金、地位、名誉、家族、友人……
それが全て「外れ」だとするなら、あとは―――



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