Tomorrow is Another Day
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最初に会ったのはまだ夏の初め。
俺は短パンとよれよれのTシャツ姿で酔っ払いみたいにふらふら街中を歩いていたけど、夜中の2時だったこともあって呼び止められることもなかった。
「う……っく、痛……っ」
ズキンと痛みが走って、思わず足を引きずる。
こんな時間じゃ、多少挙動不審でも誰も不思議に思わないだろうけど。
それでも、サラリーマンや学生が多い駅の近くはさすがに居心地が悪くて、駅から遠い裏通りをうろついていた。
今日はこの辺で寝るところを見つけないと。
いかにもなホームレスもいるから、俺くらいじゃあんまり目立たないのが嬉しい。
目の前に小さな公園。
寝るのにちょうど良さそうなベンチもあった。
「でも、蚊に刺されるかなぁ……」
深呼吸と一緒にまた体がズキンと痛んだ。
血が出るようなケガはしてなかったけど、暴れた時にあちこちぶつけたらしく、腕にちょっと目立つ痣。脚には縛られた痕も残ってた。
別に痛くはないんだけど。
「短パンだと思いっきり見えてカッコ悪いよなぁ……」
何日かは消えないだろうと思ったら、なんとなく憂鬱になった。


こんなことになったのには当然わけがある。
昼にコンビニでご飯を買ったら金がなくなって、仕方なく久しぶりに客を取ることにした。
夜になって繁華街の裏でうろうろしてたら、声を掛けられた。
相手はどう見ても学生で、本当にすごく普通って感じだったんだ。
けど。
俺を買った男以外にも仲間がいて、散々まわされた。
立てなくてしばらくそこにいたら、また手を出されて、そいつを押し退けて金だけ掴んで這うようにして部屋を出た。
多分、身体も痣だらけ。
気分も最悪。
「……あれじゃ、レイプと変わんないし」
そんな愚痴をこぼしながらベンチに座った。
本当なら今日はいつもより少し豪華な夕飯を食べて、気持ちよく寝るはずだったのに。
「あ〜あ、もう、やんなってきたなぁ……」
一旦、座ったらもう立ち上がることができがなくて、自分が思っていたよりも疲れていたことに初めて気がついた。
しかたがないのでそのままゴロンと横になった。
夜の風はまだ涼しくて気持ちいい。
すぐに眠たくなってきた。


大通りから、クラクション。
酔っ払いが誰かに挨拶をしてる。
そんな街に住みついて、もう3ヶ月。
長いような、短いような……――


うとうとしかけたら、ちょっとヒステリックな声が聞こえた。
でも、しゃべってるのは男だ。
「また、あの坊やのことなんだ?」
痴話ゲンカってやつかなと思いながら、薄目を開けたら、ヒラッとした服を着た若い男が見えた。
たぶん、俺とあんまり変わらないようなことで生活してるんだろう。
「おまえには関係ない」
相手の男はたぶん30才くらい。無愛想だ。
怒ってるわけでもなく、呆れてるわけでもなく、ただものすごく無関心そうに答える。
けど、こんな場合、それが一番ムカつくのかもしれない。
ピリピリした空気が俺のところまで飛んできた。
「あの子、店にだって一度も連れて来たことないんだって?」
「だったらなんだ」
面倒臭さそうに吐き捨ててタバコに火をつける。
長い指。
ううん、手が大きいんだ。
「僕みたいな浮気相手なら金を取っていくらでも他の男に抱かせるくせに」
どんなに文句を言われても男は無視して歩き出す。
薄暗い公園でタバコの先っぽだけが妙に目立ってた。
「ちょっと、待ってよ。何怒ってるの? もしかして気に障ったわけ?」
男があまりにナンの反応もしないから、ちょっと慌てたんだろう。
でも、男はそれさえ無視してた。
「ねえ、あの子、アンタには釣り合わないよ」
叫んでる方の男は、きっとコイツのことが好きなんだろう。
冷たそうなヤツなのに。
どこがいいんだろう。
追いかけてきた若い男の手を冷たく振り払って、
「用が済んだらさっさと帰れ」
そう言い終えたのが俺の目の前。
その距離約2メートル。
ひらひらの服のほうは俺に気づくこともなく、プイッと横を向いて公園を出ていった。
残ったヤツはそれを見送りもせずに、冷たい眼のまま俺を見下ろしていた。
気まずい沈黙。
そいつは一応スーツを着てたけど。
きっとマトモな職業じゃない。
そんな感じの目だった。
なんか、ちょっとヤバイかも。
「えっと……ごめんなさい……」
立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど、と言う気持ちで謝ったのに、ソイツはベンチに座ってた俺の腕をいきなり掴んで引きずり上げた。
「うわっ、痛っっ!!」
思わず叫んだら、男はまたいきなり手を離した。
そして、今度は尻から地面に落ちて、あまりの痛さにしばらく声が出なかった。
「……ひど……」
痛かったのももちろんだけど、あまりにもビックリしてしまった。
だって、初対面の俺にこの扱いってどうだよ?
それに見た目がちょっと怖い。
「何してる? ホームレスか?」
短くなったタバコをポトリと落として足でもみ消すと、2本目に火をつける。
「うん……そうだよ」
男の視線が俺の短パンのポケットからはみ出した1万円札に移る。
「その金はどうした? ウリでもやってるのか?」
なんで分かるんだろう。
俺、今日は普通のTシャツ着てるし、わりとまともなカッコだと思うのに。
「うん、とりあえずだけど」
そう言ってみたものの、前に付き合ってたヤツに追い出されてから3ヶ月もこんな生活だった。
持ち物は着替えの入った紙袋が一つ。
……やっぱ、バレバレかなぁ。
「それは?」
次に男が指差したのは短パンから剥き出しの太腿。
かすかな引っ掻き傷と打撲と縛られた痕。
「変なヤツに当たっちゃって……」
コイツだってヤバイ種類の男だ。
夏の真夜中にしっかりスーツなんて着て。
一緒にいた男を無視して追い返して。
冷たい眼のまま俺を見下ろして。
「ついて来い」
いきなり差し出された手に、一万円札が5枚。
「えっ??…… けど、俺、今日はもうカラダ動かないし……」
断わったつもりだった。
でも、男は無表情のまま俺の腕を掴んで立ち上がらせると、乱暴に引っぱって歩き始めた。
「ちょっ……、待って…って……」
何がなんだかわからない。
半分パニックで、しかも、ときどき痛みが走って。
「痛いって! ね、俺の言うこと聞いてる??」
何度も繰り返したけど、それさえ無視された。
つれてこられたのは公園からすぐのところにあるデカいマンション。
オートロックで、しかも鍵を差し込む以外にも暗証番号を入れなきゃならないような厳重警備だ。
その上、部屋の前にまた暗証番号を入れる所がある。
「なんか、すごいトコだね。あんたって何やってんの?」
相当ヤバイ奴なんだろう。俺なら面倒臭くてこんなところに住みたくない。
引っ張られながら急いで靴を脱いで、電気もつけずに寝室に連れ込まれて。
「うわっ……ちょっと、待って、ね、ちゃんとしないと俺、明日動けな……」
言い終わってもないのに、いきなり突っ込まれた。
そうでなくてもズキズキと痛むその場所が悲鳴を上げた。
「やめてっ……っ、止め……頼むから、止め……て」
泣きそうになりながら訴えたけど、男は何も言わずに俺を犯し続けた。
腫れていた場所が切れて血が滲む。
それでも止めてくれないヤツなんて正気じゃない。
その後は俺も半狂乱で、「嫌だ、止めろっ!!」と叫び続けた。
なのに。
「う、あ、っ、っ!!」
……あっさりとイケてしまう自分がすごくイヤだった。


その日の最後の記憶は男の体温。
痛みを堪えて歯を食いしばってた俺を抱き止めた腕。
それだけは、悪くなかった。


気がついた時はもう翌日の昼になっていた。
男は俺の隣りで眠っていた。
目が覚めた瞬間、財布の金を全部盗って出ていってやろうかとも思ったけど。
寝ているそいつを見ていたら、できなくなった。
30才くらいにも見えるし、もっと上にも見える。
もう何年もずっとこんな世界で生きてきたんだろう。
そんな匂いがした。
男の方に体を向けようとしたら、あっちこっちがギシギシと痛んだ。今日はきっとトイレに行けない。
「どこかで薬買ってこないとダメだよなぁ……」
昨日稼いだ金が5万。今日、コイツから貰うはずの金が5万。
これだけあれば当分はこんなこともしなくていいはずだし。
体が痛いのだって一週間も大人しくしていれば治るだろう。
昨日、途中で寝てしまった俺の体には乾いた精液がこびり付いていた。
シャワーを借りても怒られないだろうか。
それとも、テーブルに置き去りの5万を持って今すぐ出ていった方がいいんだろうか。
札を手に悩んでいたら、男が目を開けた。
「5万じゃ不満か?」
慌てて首を振った。
ここでうなずいたりしたら、殺されて山に捨てられそうだ。
「あのさ……シャワー、借りてもいい?」
もしも怒られたら、散らばってる服を掴んで玄関まで走ればいいって思いながら、勇気を出して聞いてみた。
けど、男は目線でバスルームの位置を教えただけで、また寝てしまった。
財布はテーブルに投げ出されたまま。
マンションの鍵も置きっぱなし。
――……ホント、無用心なヤツだよなぁ……
初対面だっていうのに。
こんなんでいいんだろうか。


シャワーを浴びて出てきたら、男はもう起きていた。
俺はペコリと頭を下げて、テーブルの札を掴むとそろそろと玄関に向かった。
「あんなところでウリなんかやってるとヤバい連中うに捕まるぞ」
突然、背中に無愛想な声が降ってきてちょっと驚いたけど。
「大丈夫だよ。……当分できそうにないから」
まともに歩くこともできないんだから、そんな心配をしても仕方ない。
そしたら男がツカツカと歩いてきて、グイッと俺の手を掴んだ。
「痛っ!!」
油断していたせいか想像以上の激痛で、体が変な跳ね上がり方をした。
「死にたくなかったら今のうちに止めるんだな」
乱暴だけど、ホントは心配してくれてるのかなぁ……なんて、ちょっとだけ考えた。
そしたら、なんとなく嬉しくなって笑顔でそいつを見上げたんだけど。
そこにあったのは昨日とおんなじ冷たい目だった。
だから、急にテンションが下がった。
「……そうしたいけど。食べなかったらどうせ死んじゃうし」
男はちょっとバカにしたように俺を見ていたが、掴んでいた手は離してくれた。
「あの白い箱に薬が入ってる」
顎で指し示されたのは棚の一番上に置かれた赤い十字マーク付きの箱。
「……借りていいの?」
返事はなかったけれど、多分そうなんだろうと決めて背伸びをしてその箱を取った。
わりと大きなケースの中は意外なほど綺麗に整理されていた。薬も色々な種類がたくさん入っていた。
使い捨てサイズの軟膏をもらってトイレで傷口に塗った。
すごくしみたけれど、仕方ない。
こんなにキッチリ薬箱の中身を整頓するようなヤツには見えないから、きっと彼女がやったんだろう。
そんなことを考えながらリビングに戻る途中で、彼女じゃなくて彼氏なのかもと思いなおした。
俺を抱くくらいだから、たぶんそれで合ってるだろう。
「ね、コレ、もらってってもいい?」
小さなチューブを一つ摘み上げたら、
「好きにしろ」
ぜんぜんこっちなんて見ないまま本当にどうでもよさそうな返事があった。
だからと言って全部持っていってしまったらアイツの彼氏が困るだろうから、ちょっと遠慮して2つだけもらっていくことにした。
「お世話様でした」
なんて言ってみたところでアイツからの返事はなく。
俺もそんなことは気にせずに、ダルさ全開で公園に戻った。


いろんな奴がいる。
そんな街だから。
俺だってなんとかやっていけるはず。
公園にはベンチでお昼を食べてるサラリーマンがいて。
移動中のホームレスが木陰で涼んでいて。
それを眺めてる俺がいて。
「もうちょっと寝ようかなぁ」
まだあまりキツくない日差しが降ってくる公園のベンチはものすごく気持ちよくて。
体は少し痛かったけど、そのままぐっすり眠ることができた。
夢の中にアイツが出てきたような気がした。



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