<その1> おひざに乗りたい。
そいつに初めて会ったのは夏の初め。
公園を出て散歩していたら、大きなマンションがあって。
大きなガラスのドアの前のコンクリートが冷たくて気持ちよかったから、そこでうずくまってたら誰かにつまみあげられた。
「……みうー?」
なんだろうと思って顔を上げたら、背の高い男がいた。
タバコをくわえたまま、とっても不機嫌な顔をして俺を見下ろしてて。
「なにー?」
って聞いてみたけど、返事はなくて。
代わりにタバコの灰が頭の上に降ってきた。
しかも、払ってもくれない。
「ねーってばー」
自分で払おうと思ったけど、手が短くて頭の上まで届かなかった。
そいつは、そのあと近くの灰皿に吸殻を入れて。
灰を頭につけたままの俺を連れてエレベーターに乗った。
「ねー、どこ行くの?」
その間もずっと話しかけてたんだけど。
そいつは眉間にシワを寄せたまま、ただ黙って突っ立っていた。
「ねー、俺の話、聞いてる?」
きっと俺がネコだから、言葉が通じないんだ。
だって、何度話しかけても見向きもしないもんな。
「……いいもんね」
話せたら楽しいのにって思ってたから、ちょっとガッカリしたけど。
言葉がわからないんじゃ、仕方ないもんな。
部屋に着いたら、すぐに床の上に放り投げられてちょっとびっくりして。
「もっと優しく置いてよー」
文句を言ったけど聞いてもらえなくて。
そいつはエアコンのスイッチを入れるとそのままシャワーを浴びに行ってしまった。
俺はバスルームの前でずっと待ってたんだけど。
着替えて出てきたそいつは、いきなりまた俺をつまみ上げて、洗面所でジャブジャブ洗い始めた。
「ねー、冷たいよ。ちょっとだけお湯にしてよー」
言葉が分からなくても気持ちは通じるかも……って思ったのに。
結局、最後まで水のままだった。
そのあとも手荒な扱いに変わりはなくて。
「もっと優しく拭いてよー」
鳴き続ける俺の声なんてまったく無視して、ごしごし体を拭いて。
それが終わったら、ポイって床に投げ捨てた。
「うみー……」
ちゃんと着地できなくて、よろよろしてたら、足でどかされて。
「それって、ひどくない??」
どんなに文句を言っても、そいつは俺の方なんて振り向きもしなくて。
その後は俺ことなんてすっかり忘れたみたいに、一人でずっと新聞を読んでいた。
「ねー、そっち行ってもいい?」
ひざの上に乗りたかったから、手をかけようとしたら。
新聞でバサバサ追い払われた。
「じゃあ、ここでガマンする」
仕方なくソファのすみっこに移動したのに。
それでも、気に入らなかったのか足でつつかれて、しぶしぶカーペットの上に降りた。
そのあとはずーっと沈黙。
テレビもつけてくれなかった。
「つまんないの……」
足元で丸くなって、下からそいつを見上げてた。
無愛想だけど、ちょっとカッコいいかもって思って。
それから、なんで俺を連れてきたんだろうって考えた。
でも、ちっとも優しくないし。
ネコなんて好きそうじゃないし。
「うー、わかんない」
どんなに考えても理由はわからなかった。
タバコのせいで部屋はもう全体的に白く煙ってたけど、床まではこなかったから、ふかふかの毛に匂いがつくこともなさそうでちょっと安心した。
「もうちょっとだけ、そっち行っていい?」
そいつには聞こえないようにそう言って、足にすり寄ってみた。
ほのかにボディーシャンプーの匂いのするそいつの足に鼻先を当てて、目を閉じた。
部屋は静かで涼しくて。
あっという間に俺は眠ってしまった。
ちょっとだけ夢を見たような気がしたけど。
なんとなく寒くなって目が覚めたとき、俺の前にあったはずの足はなくなってた。
「寒いからエアコンとめてよー」
って言って。
顔を上げたら、そいつはソファに足を上げてうたた寝してた。
「わー。いいかも〜」
そっとソファに飛び乗って、ついでにお腹の上にあがった。
「……う……なんか、ちょっと硬いかも」
お腹なんだから、もうちょっと柔らかくても良さそうな気がするんだけど。
「まあ、いっか」
それでも、そこは暖かくて気持ちよくて。
幸せな気分でくるんと丸くなった。
そのあと、俺はすやすや気持ちよく寝てたはずなのに。
「うあっ?」
気がついたら床に『べチャ』って潰れてた。
「……痛ぁっ……」
すべって落っこちたんだとばっかり思ってたけど。
ソファの上のそいつはしっかり起き上がってて、なおかつお腹の上についた俺の毛を払い落としてた。
「……もしかして、俺、落とされちゃったの??」
それって、あんまりだよな……って思って、ちょっと悲しくなった。
涙が出そうなのをガマンして、代わりにみーみー鳴いてみたけど。
やっぱりそいつはぜんぜん聞いてなくて。
一人でさっさとベッドに行って寝てしまった。
慌てて後を追いかけたけど、ドアは俺の目の前でバタンって閉まった。
「ねー、俺も入れてよー……」
30回くらい言ってみたけど、でも、ぜんぜん開けてくれなくて。
ちょっとショックだったけど、仕方ないからソファに戻って一人で寝た。
エアコンは止まってたけど。
「でも、置いてかれちゃったもんなぁ……」
そう思ったら、やっぱりちょっと寒いような気がした。
翌日。
そいつはいきなり俺の首をつまみ上げて、上着のポケットに入れた。
それから、部屋を出て、エレベーターに乗って。
「どこ行くのー?」
俺はもうそれほど子猫じゃないから、さすがにポケットの中はちょっとキツかったんだけど。
文句を言ったらそのままポイッて捨てられそうだったから黙ってた。
なのに。
……結局、公園のまんなかで、ポイって捨てられた。
それでも、今日はちゃんと着地できたから。
「ねー、夜になったら遊びに行っていい?」
背中に向かって聞いてみたけど。
俺の言葉がわからないそいつが返事をしてくれるはずはなかった。
「ちぇー……つまんないのー」
でも、遊びに行っちゃうからいいもんね、って思って。
お気に入りのベンチの上で丸くなった。
お天気もいいし。
「うーん、気持ちいいー」
早く夜にならないかなぁ……って思いながら眠ったら、アイツのひざの上で一緒に新聞を読む夢を見た。
「なんか、楽しいかも」
だから。
今日、遊びに行ったら、もうちょっとだけ頑張って。
アイツのひざに乗せてもらおうって思った。
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