「いくら梅雨でも朝っぱらから土砂降りってなぁ……」
連日の雨に峯村の文句は絶えることがない。
そんな言葉を聞きながらも駅に向かう俺は笑っていた。
「天気予報が当たれば、昼過ぎには晴れるよ」
「へ、そうなんだ。じゃあ、相沢、晴れたら第2校舎の屋上に集合。遅かった方が早く着いたヤツの言うこと一つ聞くってーの、どう?」
峯村の屈託のない遊びの提案に笑いながら頷く。
「お。余裕だなぁ、相沢。抜けられそうな授業ばっかとか?」
「そうでもないよ」
「そっか。そうだよなぁ。相沢、エリートコースだから、俺らよりセンセも厳しいもんな」
1、2年の間、ずっと一緒だった峯村とも4月から別のクラスになった。
文系、理系と私立、国公立の選択で分けた生徒をさらに成績順にクラス分けしてある。
「いいよなぁ、相沢は。どこでも楽勝でさ。俺なんてどこへ行こうとしても危ういんだぞ?」
愚痴っぽくそんなことを言ってみても、峯村はそれを重くは受け止めていない様子だった。
「まあ、なるようになるって。じゃあ、雨が止んだらな?」
いつも通りに教室の前で手を振って別れた。
雨が止むのは2時か3時頃だろう。
天気予報で聞いた情報を峯村には教えなかったことに思い当たって一人で苦笑した。
午後。
いまだに外は白くかすんでいて、雨なんて止む気配もなかったけれど。
廊下側の一番後ろのヤツと席を替わってもらった。
「なんだぁ、相沢。サボリか? 余裕だなぁ」
なんとなくニヤニヤ笑われているのは、余計な勘ぐりをされているからなのだろう。
それも、当たらずとも遠からず。
そんな気持ちでサラリと流した。
「ああ。雨が止んだらな」
後ろの戸を半開きにしたままで授業の間に何度も窓の外を見た。
そして、天気予報の通りに雨は2時過ぎに上がった。
「相沢、本気でおデート?」
冷やかしまくる隣りのヤツにニッカリ笑って、先生が黒板を向いているうちに教室を抜け出した。
はやる気持ちを抑えながら、屋上に向かう。
重いドアを開けるとむせかえるほど雨上がりの匂いがした。
ポツ、と最後の雫が頬に落ちる。
雲の切れ間から覗く光りを見上げて、深呼吸をする。
「どんな顔で登場してくれるか楽しみだな」
悔しがる峯村の表情が鮮やかに浮かんで、少し笑みがこぼれる。
授業が終わるまでにはまだ時間がある。
雨の上がった屋上から見える景色は目の前でキラキラと光っていた。
綺麗なものだな、と妙にセンチメンタルな気分で考えていたら、背中に声が降ってきた。
「なんだよ、相沢。もう来てんのかぁ?」
それを告げた峯村は、俺が思い描いていた通りの笑顔。
少しだけ悔しそうだったけれど、残りの全部は楽しそうだった。
「あーあ、油断した。ついさっきまで薄暗かったから大丈夫だと思ったんだけどなぁ……」
笑いながら隣りに立って青くなり始めた空を見上げる。
この横顔も、もう2年。
ずっと見続けてきた。
「相沢の授業なんだったんだ?」
「西田の数学」
「うわー。見つかったら職員室だぞ??」
「たぶんな」
だとしても、この時間には代えられない。
笑い返したら、また「あーあ」と言われた。
「相変わらず余裕だなぁ。俺と一緒にサボってんのに、なんでおまえだけ成績いいんだ?」
そんな言葉も笑いながら。
峯村の価値観は俺とは違う。
ただ、良い大学に入ることだけを目標にさせられてきた俺に、こいつがどれほど新鮮に映ったか。
なんで峯村と仲がいいのかと担任をはじめ、みんなが俺に聞くけれど。
『なんとなく気が合うんです』
そんな言葉でずっとごまかし続けてきた。
どれほど惹かれているかなんて。
説明しても、きっと誰にもわからない。
「でー、俺、なにすればいいんだ?」
伸びをしながら、呑気な声が屋上に響く。
「え?」
「早く来た方がなんでも1つ、って約束だったろ?」
「ああ、それな……」
正直言って、考えてなかった。
雨上がりの屋上で峯村と空を眺めることだけが、このゲームの全てだったから。
「早く言えって」
急かされて、不意に頭を過った言葉をそのまま口にした。
「じゃあ、これから俺が言うことを黙って聞いて、5秒後に忘れてくれよ」
「はあ?」
峯村は目を丸くしてたけれど、すぐに「わかった」と言う顔で付け足した。
「相沢さ、言いたいことがあるならいつでも言えって。こんな時じゃなくってもいいだろ?
おまえになら何言われても怒んないぞ?」
笑ったまま俺の肩を叩いて、また空を見上げる。
そんな言葉も、肩に触れた手も。
すべてがこのゲームの報酬だと思うのに。
少しだけ、気持ちが痛む。
「なんだよ、相沢。いきなりため息はやめろって」
笑顔にほんの少し心配を含んで、真正面から覗き込む。
「……ん、受験だなって思っただけだよ」
今、こうして隣りにいることだけで十分。
そう言い聞かせて笑いかける。
「またぁ。相沢なんて、ぜんっぜん余裕なくせにそーゆーこと言うのか?
ああ、もうやんなるの、俺の方だよ。俺も死ぬまでに一度でいいからトップになってみてえよ」
空に響く明るい声。
好きだと言ったら、どんな顔をするだろう。
何度ものどまで出かかった。
けれど。
俺が伝えたい言葉は、きっとこの関係を壊すだろう。
そう思った瞬間に、すべてが散っていった。
二年間、親友だった相手を、なくす決心がつかなかったから―――
「……じゃあ、帰りになんか奢ってもらうかな」
気持ちを摩り替えて当たり障りのない言葉を選ぶ。
そうすれば笑顔が返ってくることを知っているから。
「なんだよ。悪口、やめたのかよ?」
肩が触れ合うほど近くで微笑みかける。
笑いこぼれる唇に。
眩しそうに見上げる瞳に。
こんなにも惹かれながら。
「……また、今度な」
眩しく光を放つ雨上がりの時間。
熱を持って空に戻る雫を肌で感じながら。
すべてを飲み込んで、三度目の夏になる。
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