I want

-夏
-



期末の結果が張り出された昼休み。第2体育館前の廊下は通ることができないほど混雑していた。
「なんだよー、相沢4科目もトップなわけ?」
峯村の声に周囲の生徒が振り返る。
「すっげーよなあ……何が違うんだろ?」
まるい目が俺の顔をまじまじと見上げていた。
「峯村と違って、俺は帰ってから寝るまでずっと勉強してるからな」
本当は笑い返したいのに。
周りの視線が気になって、つい目を逸らした。


夏休みを明日に控えても3年ともなれば浮かれた気分ではいられない。
塾の夏期講習のため、すでに学校に来ていない生徒さえいた。
目標もないまま、とりあえず名の通った大学に行く。
そんなことだけ考えていられたらいいのに。
「なんだよ、総合までトップのくせにシケた顔して。おまえってば、周りのヤツらにケンカ売ってんのかあ?」
峯村の笑い声に反応して、ちらちらと飛んでくる視線。
「……そんなんじゃないけどな」
成績とか受験とか。
そんなこと、どうでもよかった。


誰もが必死で受験勉強をする夏休み。
なのに峯村は、春からずっと別のことで張り切っていた。
『俺、夏にはバイトして旅行にいくんだ』
いつも一人で違うところを見ている。
羨望と焦りと寂しさと。
『……そうか。峯村らしいな』
気の利かない言葉を返したのは、まだ桜も咲き始めの頃。
ずっと、先のことだと思っていた。
けれど、もう明日。
今はまだすぐ隣に立っているのに。
「そんなに心配しなくたって、相沢ならどこでも受かるよ。んで、政治家でも社長でも大学教授でもなんでも好きなものになれるって」
惹きつけて止まない。
迷いのない笑顔。
「……だといいけどな」


そんなものに興味などない。
そう言ったら、失望するだろうか。


ほんの少し視線を戻せば笑顔が見える。
たとえ誰かに気づかれたとしても、自分にはやましい気持ちなどない。
けれど、峯村に知られることが怖くて、必要以上に臆病になる。
ため息を殺して、立ち尽くす俺の背中にクラスメイトの声が降る。
「すごいね、相沢。総合も連続1位じゃん」
「いいよな、前回の模試も楽勝だったんだろ?」
肩を叩かれ、少しだけ笑顔を見せたけれど。
「そんなことないけどな……じゃあ、もう教室に戻るから」
嘘の笑顔とざわめきを残して、逃げるように歩き出した。
何を苛立っているのか、自分でもわからないまま。
「待てよ、相沢ぁ」
峯村の暢気な声が追いかけてきて、少しだけ足を止めた。
「おまえって、ホント頭いいよなあ。俺、めっちゃ自慢かも。おまえと親友なんてすごくねえ?」
気持ちの全部をこめて笑いかける。
嬉しくないわけじゃない。
けれど。
「将来相沢が偉くなったら、『俺、高校のとき仲良かったんだ』って自慢しよっかな」
その瞬間、急に遠くなる。
手を伸ばせば届く距離にいるのに。
「な、相沢。今日、一緒に帰れるだろ?」
自分たちを取り巻いているピリピリとした感情などお構いなしで、華やかな笑顔を向ける。
「ああ、終わったらそっちに行くよ」
俺には別世界に見えた。
最初に会った日から。
「じゃ、放課後な」


将来とか、そんなことより。
残された時間を計る。
もう離れていくだけなんだなと思いながら、空を見上げた。



午後は授業もなくて、掃除とホームルーム。
成績発表のあとだからか、楽しげな空気などない。
先生が読み上げる夏休みの注意事項を「毎年同じだな」と思いながら、窓の外を眺めていた。
「おせえよ、相沢」
いつものように峯村を迎えにいった。なんだかさっきまでいた自分の教室とは違う場所のように明るかった。
はしゃぐ声。ざわめき。バラバラと散っていく後ろ姿。
去年はそうだったかもしれない。
同じ教室で峯村と夏休みの計画を立てた。
「あったりまえだろ。おまえらのクラス、暗すぎるんだって。期末も終わったし、追試はなかったし。しかも、明日から夏休みだ〜っ!!」
楽しそうな峯村の声を聞きながら、並んで自転車置き場に向かう。
開け放たれた窓から通り抜ける乾いた風に目を細めた。
「けど、峯村は夏期講習は? 全員必須っていうのもあったんじゃないか?」
そうは言っても峯村のことだ。必要最低限の講習しか受けないのだろう。
とすれば、あと数日。
それが、この夏に残された俺の時間。
「あー、相沢、性格わりい。嫌なこと思い出させるなよ」
眉を寄せたその顔も、見慣れているはずなのに。
ギュッと心臓が絞られるような感覚に襲われる。
「2、3日くらい我慢しろよ。テストもないんだから、座ってるだけだろう?」
短い髪。
白いシャツ。
誰とも、どこも違わない。
なのに。
「できればそうしたいけど。俺、試験があるんだ。これ取らないと単位はもらえない。まあ、平たく言うと補講だな。追試の代わり」
照れ笑いのような、でも少し悪戯っぽい笑みが瞼に残る。
どこにいても思い出せるほど鮮やかな眩しい色で。
「そうか。大変だな」
戻れるなら、苦しくないのに。
まだ、本当に親友だった頃。
「なんだよ、ひとごとだと思って。心こもってねえよ、それ」
笑いながら飛びついて足をかける。
触れた場所から伝わる温度が胸を締め付けた。
「またやってるよ、あの二人」
「ホント、仲いいよね」
そんな声がどこかから聞こえたけれど。

―――おまえは、気にならないんだな……

ただの友達だったら、それは当たり前のこと。
悪いのは自分で。
なのに、気持ちのどこかで峯村を責めてしまいそうになる。
「毎日学校来るんじゃ、休みって感じがしねえよな」
峯村が笑いながら見上げた空は、もうすっかり夏の色。
「せっかくだから毎日寄り道して帰ろうぜ。な、どこ行く?」
「なんだか遊びに来るみたいだな」
「当然。せっかく来るんだから、楽しいこともないとさ」
夏期講習でさえ成績順でクラス分けされていて、峯村と同じクラスになることもない。俺が受けるクラスは普段受ける授業よりもハードなことで有名だった。
「相沢、最終日まであるんだろ?」
「ああ」
授業日数も他のクラスよりも多くて、お盆時期を除いてほとんど毎日。
夏休みの終わりまでずっと続く。
峯村の受けるクラスが単純に補講だけなら、1週間もあれば終わってしまうだろう。
こんなふうに一緒に登下校できるのも、あとわずかだ。
そう思うと無意識のうちに口数が少なくなる。
自転車置き場でポケットから鍵を取り出して、うつむいた瞬間にため息がこぼれた。
「またかよ、相沢。悩み事なら話してみろって」
普段は細かいことなど気にしない峯村も、こんなときだけは気づいてしまうから。
罪悪感と追い詰められた気持ちで、無理に笑顔を作るしかない。
流れていく沈黙は、言えない言葉を飲み込むために深呼吸をして嘘の言い訳を探す時間。
「……いや、せっかくの夏休みもずっと夏期講習だからな。……峯村、講習のあとはバイトなんだろ? いつから?」
1日でも長く。
そう願わずにいられなくて、自分の声が張り詰めているのがわかった。
ただこうやって並んで歩くだけだったとしても。


そばにいられるなら……―――


虚しい願い事だなと苦笑した時、峯村がニッカリ笑った。
「俺も相沢と一緒。お盆以外ずっと」
「……え……?」
自分に言い聞かせてきた内容とあまりに違う答えに頭が空白になった。
「長いクラスがあるんだよ。初級から上級までずーっと通してやるヤツ」
勉強嫌いの峯村がそんな長い講習を受けることなど想像できなかったけれど。
「バイト、どうしたんだよ……おまえ……だって……」
要を得ない質問に、苦笑いが返ってきた。
「今年は旅行もおあずけ」
それから、しばらくの沈黙があって。
でも、今度は峯村らしい笑顔に変わった。
「相沢、」
まっすぐに見つめ返すその瞳に呼吸さえ奪われてしまいそうになるほど。
「……なんだ?」
かろうじて返した言葉はかすれていたけれど。
「大学行ったら、もっといろんなことして遊ぼうな」
峯村がどんな理由で大学に行こうと思ったのかはわからない。
けれど。
迷いなんてものはなさそうだった。
峯村らしい晴れやかな笑顔。
「もちろん、相沢と一緒の大学になんて行けないけどなあ」
都内だったらどこでもいいもんな、と言って、白い歯を覗かせた。
「……峯村、どこ受ける気なんだよ」
まだ、気持ちのほとんどは空白のままだったけれど。
「ばーか、行けそうなところをこれから探すんだよ」
峯村はあっさりとそう言って、気の早い問いかけを笑い飛ばした。


これが最後の夏になると思ってた。
今日まで、ずっと。
見慣れたはずの笑顔が、愛しくて苦しかった。


「相沢こそ、どこ行くんだよ? 都内じゃないなんて言わねえよな?」
全てがどうでもいいことに思えた。
ただ、こうして近くにいられるなら―――――
「これから……考えるよ」
その返事と引き換えに思い描いていたとおりの笑顔が向けられて。
「じゃあ、今から一緒に探すかあ?」
どこか間延びした声が心地よく耳に響いた。
「……そうだな」


グラウンドを白く煙らせて吹き上げる。
目を閉じて深く吸い込んだ風は、夏の匂いがした。


                                         

Home     ■Novels          ■Back    ■Next